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5章 赫奕の迷子
78 烈食
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〇ニーズランド_第四圏
爆ぜる空気により黒い砂塵が舞う。砂埃の正体は既に地形を成すまでに山積した蠅や蟲の死骸だった。
「戦闘だけ見れば……」
"蠅の王"ユーデンが空を割くようにマーリンの元に切り込んだ。鋭角な蹴りが幽玄な気配をそのままにマーリンに浴びせ掛かり、両腕を交差させて受け止めた彼の背後では突き抜けた衝撃が蟲の死骸を吹き荒した。
「アーカマクナっぽくはないな」
七つの竜の首頭がユーデンの裡から放出される。肉の腐り落ちたはずの動く骸骨であった姿は、時を追うごとにボイジャーであった頃の彼をなぞるような精悍な姿に変貌してゆき、今ではどこか威厳すら纏うような儀式装束を身に纏ったかつての鴇田裕田の冠域内での出で立ちが再現されていた。
当然、そこの現象に弱体化の要素は含まれていなかった。元はボイジャーの中でもお世辞にも上位とは言えない実力の持ち主であった彼も、今では立派な人類の脅威。正確無比な竜首の操作に始まり、自我を取り戻した彼の明晰な状況判断能力も勿論のこと、これまでの彼からは想像もつかないまでの機動力と卓越した体術による近接攻撃がマーリンを襲っている。
それは決して、ボイジャーであれば誰もが手にするような単純な夢想世界での身体能力の向上で収まるような範疇ではなかった。彼の一挙手一投足がマーリンの観測の外より襲来し、一度受ければそこから畳みかけるような竜の首頭による追撃や蠅の嵐を駆使した包囲が続く。
絶え間ない回避と判断の連続を強いられるような、ある種の攻勢の完成系が今のユーデンには宿っているようだった。
水月を正確無比に撃ち抜く崩拳をガード越しにもろに受けたマーリンは、痛烈な衝撃が止まぬうちにユーデンが放った回転蹴りを胸に受け、そのまま第三圏の宙高くまで押し飛ばされてしまった。
視界の遠くで小さくなっていくマーリンの姿を目を細めて追うユーデンは、次の瞬間に生じた空の変色を見るや否や、満面の笑みを浮かべた。
大気全てを埋め尽した弾丸の雨。もはやそれは雨という表現すら越えた壁となって大いなる天から降り注ぐ形となった。その現象を受けて宙を踊り狂っていた蠅の雲は消滅し、ユーデンの身から解き放たれていた竜の首頭は肉骨粉へと変貌した。
分厚い壁が第四圏を地中深くまで抉り抜く頃には、ユーデンはガードを放棄していた。液状化した肉体は沸騰するようにして再度一つの肉体を形成するまでに集合していき、数舜置く頃には彼の姿は再生していた。
「ベンガル砲でも撃てば満足でしたか?……御覧の通り、あまり生産的じゃなのですよ。先輩の脆弱な筐体では、壊れた、直した、そんな繰り返しになるだけです」
「じゃあ、どうすんだ……よッ‼」
天使のように柔らかな光に包まれて丁寧に降下してきたマーリンに対し、ユーデンは一足飛びで距離を詰めた。硬めた拳を鋭角に間合いへと滑り込ませ、マーリンの顎を撃ち抜く。次いで裏拳、肘、膝、足刀と全身をダイナミックに使った連撃が続き、マーリンの身体は四方から飛び掛かる攻撃に押されてかえって微動だにしない奇妙な状態が成立していた。
「ははッ‼愉しいな‼アンブロシアっ」
「マーリンですって」
「壊れない玩具。…いや、喰い尽くせない肉が目の前に在るみたいだ‼」
ソニックブームが生じた。夢の世界とはいえ、物理的に音速を超えるような物体が存在するならば、それもある意味で当然の現象なのだろう。音の壁を破るまでの速度を加速を必要とせずにノーモーションで生じさせた者は他ならぬマーリンその人であり、人蜂形態へと移行した異形の手には得物である大太刀茜皿が握られていた。
既に終了している斬撃は攻撃と移動が完了している数秒後においてよくやくユーデンの首を斬り落として見せた。
鋭利すぎる斬撃は時に裁断した肉体の崩落までに猶予を設けるまでに自然な仕上がりになることがあるというが、今のユーデンにとっては斬られたという自覚すら生じさせない程の天晴な一撃だった。徐々にズレ落ちて行く頭部を丁寧に手でキャッチしたユーデンはマーリンを賛辞するように器用に拍手してみせた。
「凄まじいな。チャンバラ好きもここまでくれば大したもんだ」
そこまで言うと、ユーデンは頬に貯めていた蜂の翅をシャリシャリと臼歯で擂り潰して見せた。
「あんまり旨くねぇな」
音速を超えるマーリンの突進と斬撃の最中においてなお、ユーデンはカウンターとして人蜂の翅を食い破っていた。寧ろその捕食行動を察知できなかったのはマーリンの方であり、その手に残る斬撃の確かな手ごたえに反比例するような我が身の鈍痛に少なからず悪寒を覚えていた。
「人蜂礼法。三転抜刀」
三度の回転を経て加速した刃がユーデンに迫る。
「これは受けちゃいけないやつかもな」
ユーデンはなおも満面の笑みを浮かべる。
「だがッ」
己の首筋に迫る刃をあろうことか自らの顎によって迎えに行ったユーデン。白刃取りの要領で刃の進行を止めようとした彼だったが、そのあまりの威力と速度を殺しきることは出来る、貌を捩じ斬られる形で首ごと落とされてしまった。
しかし、その甲斐あってか茜皿は咬合力に堪えかねて立ち折れてしまい、零れた刀身がマーリンの足元に転げ落ちた。
「…………」
「楽しいなぁ……嬉しいなぁ……知らない世界はいつだってワクワクする。年なんか関係ねぇ」
巨竜が咆哮した。衝撃波が直撃したマーリンは身体が硬直した動かなくなり、やや遠のいた意識の中でユーデンを睨みつける。
(さっき屠った怪物が復活している。……竜や蠅と同じように自己とは分離して操作できるのか)
「一度は朽ちたこの身が何でまたこうも元気に立ち回れるか知ってるか?俺の半身たる竜の身も然り」
「知りませよ」
「このニーズランド第四圏の正当な統治者、"冥府王"の敷いた式の名残とでも言えようか。……口にすれば面倒だが、元々奴は第五圏以降のニーズランド陣営にとって欠かせないピースの一つ、ニーズランドの根幹を為すような重要な機構だった」
「…………」
「それが後々にどういう効能を果たすかはおいておいたとして、その現象に名を付けるとすれば、そうだな…」
「…………」
「"生と死の逆転"とでも言ってしまおうか。俺が喰っちまったから十全な機能は果たさないだろうが、まぁ名残として機能だけを部分的に動かすのはそう難しいことじゃあない。
今回の場合、俺はこの生と死の逆転を自分自身に適用させた。恥ずかしい話だが、俺は冥府王との闘いで死んでしまった。一度は魂が完全に沈黙したが、形骸化して暴れ続ける俺の夢の骨をお前が触発したことを受けて、状況が変わった。俺に道を開けてしまったことを後悔するんだな。これでも本当に仲良く楽園で暮らしたって良かったんだ」
「呪いの発動に似たような特定状況下での権能の発現とでも納得しておきましょう。死んでも死なない敵を相手にするのは慣れてます。寧ろ、生と死の逆転が一種の夢想世界上の特異点にのみ作用する現象であるならば、ひょっとして次は無いのでは?先輩」
「ああとも。玉座の骸たるこの俺の本体が次に砕けた時、俺はきっと全てを失う。
だからこそ、俺は一切の加減なしにお前を踏破する。精々、禍根を残さないように出し切ろうぜ?
お前が望むなら、この第四圏では臨んだ死者を臨界させることだってできるだろう」
「…………」
剣線がユーデンに迫る。力強い踏み込みで大上段から刃を落としたマーリンに対し、身体から噴き出すような竜の首頭の肉壁で防御に回ったユーデンは口角を釣り上げて歯を見せて笑った。
「サシに拘りはありませんが、その素敵な手札はまだとっておきましょう」
「釣れないねぇッ‼」
匠な身体操作によってマーリンの懐に滑り込んだユーデンは大太刀の下から打ち上げるような蹴りを放つ。
マーリンは攻撃が出し切られるよりも先に身を捩って回避する。無論、剣士が単なる回避で体勢を終えるはずもなく、瞬時に夢想解像を自身に発現させて人蜂形態での近接攻撃を図った。
それに対して今度はユーデンが素早い反応を見せる。ノーモーションからの強烈な突進を喰らってなお空中で姿勢を制御し、全身から大量の蠅を噴き上げることで制空権を奪い、黒衣を纏うように練り込まれた蠅で出来た巨大な拳をマーリンに叩きつける。
膂力に加えて蠅の群れが生み出す推進力は凄まじく、落下中のマーリンに対して追い打ちのように畳みかける竜の首頭の襲撃には空を揺らす程の衝撃が伴った。それでもなお人蜂は蠅を振り払う程の高速飛行を実現させ、音の壁を突き破ってユーデンに迫った。
「全然技も使わねぇな。湿っぽい殴り合いは趣味じゃない」
「夢想解像だって立派な得意技なんですけどね」
「そうかい……後悔すんなよ」
青と紫に輝いていたユーデンの双眸が赤く燃える。
「禁断の惑星」
ユーデンのその端的な一言に際し、マーリンには背筋を駆け抜けるような悪寒が奔った。
『悪喰神』
マーリン周辺の空間が継ぎ接ぎになった宇宙柄の背景に塗り替わる。途端、張り詰めていた糸が切れるようにして自由が奪われる五体。
人蜂であったはずの肉体が不可視の大顎に襲われ、喰い千切られた。その攻撃は肉体の損壊などという生易しいダメージに収まるものではなく、宇宙柄の背景が付与された空間そのものが食い破られていた。抉られた空間が因果の比率を乱し始め、収縮した空間に吸い込まれるようにしてマーリンの身体が虚空に呑まれていった。
「これは……なかなか厳しいものがある」
「やっぱりお前は旨くねぇよ。がっかりだ。AIの癖に慢心するんじゃねぇよ」
ユーデンの口から大量の血が流れ落ちた。究極冠域に代表される超高深度の冠域技術を彼は自身の口と捕食行動に付与することでさらなる特攻効果を獲得し、防御不可の因果律無視の禁断の惑星を実現させたのだ。
無論、ボイジャー:グラトン号として人類側に立って戦っていた頃、彼には禁断の惑星を体現させる程の実力は伴っていなかった。もし過日の彼がこの絶技を使いこなしていたとすれば、彼は間違いなくかつてのボイジャー:プリマヴェッラを抜いた史上最強の英雄として大成していたことだろう。
彼にここまでの悲劇的な急成長を遂げさせた要因は他でもなく精神汚染による自我の解放だった。それは皮肉なことにボイジャーとして存在していた頃の彼には望むべくもないものであり、こうして人類を亡ぼす終末兵器となったマーリンを打ち倒す武器として力を得たという事実もまた、紛れもない皮肉に違いなかった。
「………。さて、次は澐仙か。骨が折れそうだが、マーリンよりは喰らい甲斐があるかもな」
吹き上がった蠅の嵐を足場としながら、ユーデンは少し暗い面持ちで荒れた大地へと降り立った。
どこか干渉に浸るような彼に対し、勝利の余韻に浸らせる事を否定するかのような緑色の雷撃が飛び込んできた。
首を僅かに焼いた雷を感知したユーデンは竜の首頭による肉壁と全身から噴き出す蠅の嵐によって雷撃の襲撃を防いだ上で軌道を変え、周囲を吹き飛ばしたその雷撃の発生源を赤く染まった瞳で睨みつけた。
「そういえば、まだそれなりに強そうなのが残ってるんだっけか」
「…当てが外れた。マーリンが敗北した今、我々がここで蠅の王を討つしかありません」
「緑の雷……澐仙じゃねぇな。叢雨の会の連中の中には雷を使う奴もいるんだな。面白い」
再度、雷撃が迸る。死屍累々の積み重なった死骸塗れの大地を複数の光の軌跡がなぞり、高温高圧のエネルギーの放射によって瞬く間に周囲を灰燼と化していく。
反英雄の実弟、鐘笑による乾坤一擲の近距離放電は数分間に渡ってユーデンを護る肉壁を抉り続けた。生き物の焼ける強烈な臭いが充満し、鼓膜を破り続ける強烈な爆音が轟き続ける。
そんな鐘笑の全力を以てしてもユーデンには彼の決意は届かなかった。
「火力が足りねぇよ」
空を覆う怪物が吠えた。衝撃波が鐘笑の意識を攫い、期せずして攻撃の勢いが沈黙する。
「悪くなかったぞ」
立ったまま気絶している鐘笑の元に竜の首頭がゆっくりと近づく。
だが、今度は竜の首頭を一瞬に燃やし尽くす別のエネルギー源による邪魔が入った。
「火……?」
熱波が伝う。呼吸するだけで、ユーデンは己の肺が焦げ付いたことを悟る。
「…………」
ユーデンは熱源を探る。マーリン亡き今、これほどの熱量を操る敵が存在するとは想像できなかった。
だが、彼は数秒後に納得した。そして、鐘笑の特効がその人物を用意するための時間稼ぎであったことに気が付く。
「良いぞッ‼‼面白いッ‼‼」
爆ぜる空気により黒い砂塵が舞う。砂埃の正体は既に地形を成すまでに山積した蠅や蟲の死骸だった。
「戦闘だけ見れば……」
"蠅の王"ユーデンが空を割くようにマーリンの元に切り込んだ。鋭角な蹴りが幽玄な気配をそのままにマーリンに浴びせ掛かり、両腕を交差させて受け止めた彼の背後では突き抜けた衝撃が蟲の死骸を吹き荒した。
「アーカマクナっぽくはないな」
七つの竜の首頭がユーデンの裡から放出される。肉の腐り落ちたはずの動く骸骨であった姿は、時を追うごとにボイジャーであった頃の彼をなぞるような精悍な姿に変貌してゆき、今ではどこか威厳すら纏うような儀式装束を身に纏ったかつての鴇田裕田の冠域内での出で立ちが再現されていた。
当然、そこの現象に弱体化の要素は含まれていなかった。元はボイジャーの中でもお世辞にも上位とは言えない実力の持ち主であった彼も、今では立派な人類の脅威。正確無比な竜首の操作に始まり、自我を取り戻した彼の明晰な状況判断能力も勿論のこと、これまでの彼からは想像もつかないまでの機動力と卓越した体術による近接攻撃がマーリンを襲っている。
それは決して、ボイジャーであれば誰もが手にするような単純な夢想世界での身体能力の向上で収まるような範疇ではなかった。彼の一挙手一投足がマーリンの観測の外より襲来し、一度受ければそこから畳みかけるような竜の首頭による追撃や蠅の嵐を駆使した包囲が続く。
絶え間ない回避と判断の連続を強いられるような、ある種の攻勢の完成系が今のユーデンには宿っているようだった。
水月を正確無比に撃ち抜く崩拳をガード越しにもろに受けたマーリンは、痛烈な衝撃が止まぬうちにユーデンが放った回転蹴りを胸に受け、そのまま第三圏の宙高くまで押し飛ばされてしまった。
視界の遠くで小さくなっていくマーリンの姿を目を細めて追うユーデンは、次の瞬間に生じた空の変色を見るや否や、満面の笑みを浮かべた。
大気全てを埋め尽した弾丸の雨。もはやそれは雨という表現すら越えた壁となって大いなる天から降り注ぐ形となった。その現象を受けて宙を踊り狂っていた蠅の雲は消滅し、ユーデンの身から解き放たれていた竜の首頭は肉骨粉へと変貌した。
分厚い壁が第四圏を地中深くまで抉り抜く頃には、ユーデンはガードを放棄していた。液状化した肉体は沸騰するようにして再度一つの肉体を形成するまでに集合していき、数舜置く頃には彼の姿は再生していた。
「ベンガル砲でも撃てば満足でしたか?……御覧の通り、あまり生産的じゃなのですよ。先輩の脆弱な筐体では、壊れた、直した、そんな繰り返しになるだけです」
「じゃあ、どうすんだ……よッ‼」
天使のように柔らかな光に包まれて丁寧に降下してきたマーリンに対し、ユーデンは一足飛びで距離を詰めた。硬めた拳を鋭角に間合いへと滑り込ませ、マーリンの顎を撃ち抜く。次いで裏拳、肘、膝、足刀と全身をダイナミックに使った連撃が続き、マーリンの身体は四方から飛び掛かる攻撃に押されてかえって微動だにしない奇妙な状態が成立していた。
「ははッ‼愉しいな‼アンブロシアっ」
「マーリンですって」
「壊れない玩具。…いや、喰い尽くせない肉が目の前に在るみたいだ‼」
ソニックブームが生じた。夢の世界とはいえ、物理的に音速を超えるような物体が存在するならば、それもある意味で当然の現象なのだろう。音の壁を破るまでの速度を加速を必要とせずにノーモーションで生じさせた者は他ならぬマーリンその人であり、人蜂形態へと移行した異形の手には得物である大太刀茜皿が握られていた。
既に終了している斬撃は攻撃と移動が完了している数秒後においてよくやくユーデンの首を斬り落として見せた。
鋭利すぎる斬撃は時に裁断した肉体の崩落までに猶予を設けるまでに自然な仕上がりになることがあるというが、今のユーデンにとっては斬られたという自覚すら生じさせない程の天晴な一撃だった。徐々にズレ落ちて行く頭部を丁寧に手でキャッチしたユーデンはマーリンを賛辞するように器用に拍手してみせた。
「凄まじいな。チャンバラ好きもここまでくれば大したもんだ」
そこまで言うと、ユーデンは頬に貯めていた蜂の翅をシャリシャリと臼歯で擂り潰して見せた。
「あんまり旨くねぇな」
音速を超えるマーリンの突進と斬撃の最中においてなお、ユーデンはカウンターとして人蜂の翅を食い破っていた。寧ろその捕食行動を察知できなかったのはマーリンの方であり、その手に残る斬撃の確かな手ごたえに反比例するような我が身の鈍痛に少なからず悪寒を覚えていた。
「人蜂礼法。三転抜刀」
三度の回転を経て加速した刃がユーデンに迫る。
「これは受けちゃいけないやつかもな」
ユーデンはなおも満面の笑みを浮かべる。
「だがッ」
己の首筋に迫る刃をあろうことか自らの顎によって迎えに行ったユーデン。白刃取りの要領で刃の進行を止めようとした彼だったが、そのあまりの威力と速度を殺しきることは出来る、貌を捩じ斬られる形で首ごと落とされてしまった。
しかし、その甲斐あってか茜皿は咬合力に堪えかねて立ち折れてしまい、零れた刀身がマーリンの足元に転げ落ちた。
「…………」
「楽しいなぁ……嬉しいなぁ……知らない世界はいつだってワクワクする。年なんか関係ねぇ」
巨竜が咆哮した。衝撃波が直撃したマーリンは身体が硬直した動かなくなり、やや遠のいた意識の中でユーデンを睨みつける。
(さっき屠った怪物が復活している。……竜や蠅と同じように自己とは分離して操作できるのか)
「一度は朽ちたこの身が何でまたこうも元気に立ち回れるか知ってるか?俺の半身たる竜の身も然り」
「知りませよ」
「このニーズランド第四圏の正当な統治者、"冥府王"の敷いた式の名残とでも言えようか。……口にすれば面倒だが、元々奴は第五圏以降のニーズランド陣営にとって欠かせないピースの一つ、ニーズランドの根幹を為すような重要な機構だった」
「…………」
「それが後々にどういう効能を果たすかはおいておいたとして、その現象に名を付けるとすれば、そうだな…」
「…………」
「"生と死の逆転"とでも言ってしまおうか。俺が喰っちまったから十全な機能は果たさないだろうが、まぁ名残として機能だけを部分的に動かすのはそう難しいことじゃあない。
今回の場合、俺はこの生と死の逆転を自分自身に適用させた。恥ずかしい話だが、俺は冥府王との闘いで死んでしまった。一度は魂が完全に沈黙したが、形骸化して暴れ続ける俺の夢の骨をお前が触発したことを受けて、状況が変わった。俺に道を開けてしまったことを後悔するんだな。これでも本当に仲良く楽園で暮らしたって良かったんだ」
「呪いの発動に似たような特定状況下での権能の発現とでも納得しておきましょう。死んでも死なない敵を相手にするのは慣れてます。寧ろ、生と死の逆転が一種の夢想世界上の特異点にのみ作用する現象であるならば、ひょっとして次は無いのでは?先輩」
「ああとも。玉座の骸たるこの俺の本体が次に砕けた時、俺はきっと全てを失う。
だからこそ、俺は一切の加減なしにお前を踏破する。精々、禍根を残さないように出し切ろうぜ?
お前が望むなら、この第四圏では臨んだ死者を臨界させることだってできるだろう」
「…………」
剣線がユーデンに迫る。力強い踏み込みで大上段から刃を落としたマーリンに対し、身体から噴き出すような竜の首頭の肉壁で防御に回ったユーデンは口角を釣り上げて歯を見せて笑った。
「サシに拘りはありませんが、その素敵な手札はまだとっておきましょう」
「釣れないねぇッ‼」
匠な身体操作によってマーリンの懐に滑り込んだユーデンは大太刀の下から打ち上げるような蹴りを放つ。
マーリンは攻撃が出し切られるよりも先に身を捩って回避する。無論、剣士が単なる回避で体勢を終えるはずもなく、瞬時に夢想解像を自身に発現させて人蜂形態での近接攻撃を図った。
それに対して今度はユーデンが素早い反応を見せる。ノーモーションからの強烈な突進を喰らってなお空中で姿勢を制御し、全身から大量の蠅を噴き上げることで制空権を奪い、黒衣を纏うように練り込まれた蠅で出来た巨大な拳をマーリンに叩きつける。
膂力に加えて蠅の群れが生み出す推進力は凄まじく、落下中のマーリンに対して追い打ちのように畳みかける竜の首頭の襲撃には空を揺らす程の衝撃が伴った。それでもなお人蜂は蠅を振り払う程の高速飛行を実現させ、音の壁を突き破ってユーデンに迫った。
「全然技も使わねぇな。湿っぽい殴り合いは趣味じゃない」
「夢想解像だって立派な得意技なんですけどね」
「そうかい……後悔すんなよ」
青と紫に輝いていたユーデンの双眸が赤く燃える。
「禁断の惑星」
ユーデンのその端的な一言に際し、マーリンには背筋を駆け抜けるような悪寒が奔った。
『悪喰神』
マーリン周辺の空間が継ぎ接ぎになった宇宙柄の背景に塗り替わる。途端、張り詰めていた糸が切れるようにして自由が奪われる五体。
人蜂であったはずの肉体が不可視の大顎に襲われ、喰い千切られた。その攻撃は肉体の損壊などという生易しいダメージに収まるものではなく、宇宙柄の背景が付与された空間そのものが食い破られていた。抉られた空間が因果の比率を乱し始め、収縮した空間に吸い込まれるようにしてマーリンの身体が虚空に呑まれていった。
「これは……なかなか厳しいものがある」
「やっぱりお前は旨くねぇよ。がっかりだ。AIの癖に慢心するんじゃねぇよ」
ユーデンの口から大量の血が流れ落ちた。究極冠域に代表される超高深度の冠域技術を彼は自身の口と捕食行動に付与することでさらなる特攻効果を獲得し、防御不可の因果律無視の禁断の惑星を実現させたのだ。
無論、ボイジャー:グラトン号として人類側に立って戦っていた頃、彼には禁断の惑星を体現させる程の実力は伴っていなかった。もし過日の彼がこの絶技を使いこなしていたとすれば、彼は間違いなくかつてのボイジャー:プリマヴェッラを抜いた史上最強の英雄として大成していたことだろう。
彼にここまでの悲劇的な急成長を遂げさせた要因は他でもなく精神汚染による自我の解放だった。それは皮肉なことにボイジャーとして存在していた頃の彼には望むべくもないものであり、こうして人類を亡ぼす終末兵器となったマーリンを打ち倒す武器として力を得たという事実もまた、紛れもない皮肉に違いなかった。
「………。さて、次は澐仙か。骨が折れそうだが、マーリンよりは喰らい甲斐があるかもな」
吹き上がった蠅の嵐を足場としながら、ユーデンは少し暗い面持ちで荒れた大地へと降り立った。
どこか干渉に浸るような彼に対し、勝利の余韻に浸らせる事を否定するかのような緑色の雷撃が飛び込んできた。
首を僅かに焼いた雷を感知したユーデンは竜の首頭による肉壁と全身から噴き出す蠅の嵐によって雷撃の襲撃を防いだ上で軌道を変え、周囲を吹き飛ばしたその雷撃の発生源を赤く染まった瞳で睨みつけた。
「そういえば、まだそれなりに強そうなのが残ってるんだっけか」
「…当てが外れた。マーリンが敗北した今、我々がここで蠅の王を討つしかありません」
「緑の雷……澐仙じゃねぇな。叢雨の会の連中の中には雷を使う奴もいるんだな。面白い」
再度、雷撃が迸る。死屍累々の積み重なった死骸塗れの大地を複数の光の軌跡がなぞり、高温高圧のエネルギーの放射によって瞬く間に周囲を灰燼と化していく。
反英雄の実弟、鐘笑による乾坤一擲の近距離放電は数分間に渡ってユーデンを護る肉壁を抉り続けた。生き物の焼ける強烈な臭いが充満し、鼓膜を破り続ける強烈な爆音が轟き続ける。
そんな鐘笑の全力を以てしてもユーデンには彼の決意は届かなかった。
「火力が足りねぇよ」
空を覆う怪物が吠えた。衝撃波が鐘笑の意識を攫い、期せずして攻撃の勢いが沈黙する。
「悪くなかったぞ」
立ったまま気絶している鐘笑の元に竜の首頭がゆっくりと近づく。
だが、今度は竜の首頭を一瞬に燃やし尽くす別のエネルギー源による邪魔が入った。
「火……?」
熱波が伝う。呼吸するだけで、ユーデンは己の肺が焦げ付いたことを悟る。
「…………」
ユーデンは熱源を探る。マーリン亡き今、これほどの熱量を操る敵が存在するとは想像できなかった。
だが、彼は数秒後に納得した。そして、鐘笑の特効がその人物を用意するための時間稼ぎであったことに気が付く。
「良いぞッ‼‼面白いッ‼‼」
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