夢の骨

戸禮

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4章 悪魔の主君たち

69 陋劣が私を英雄にした

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◯汚染された精神世界

 既知の醜悪が私の運命を騙る。
 
 誰がわかってくれる。
 
 この猜疑を。
 この遺憾を。
 この啼哭を。

 世界を救う為に戦った。
 
 そして世界を救った。

 すると世界は私を殺そうとする。

 英雄の偶像。誰かに押し付けられた虚構。

 政治の傀儡。心亡き兵器。平和の象徴。

 なぜ、私なのか。

 何が、私なのか。

 華美な栄光でこの五体を着飾るほど、私の手に血の匂いがこびりつく。

 戦場の英雄は敵側から見れば虐殺者に見えるとよく言うが、そんなこと当の本人が一番身に染みてわかっている。

 大陸軍は無限の軍隊を生み出す最強の集団戦法の体現者だった。奴らの一人一人にどれほどの人間的な意思が介在するのかは知ったこっちゃないが、アレを人間と同じ頭数でカウントして良いのなら、私はあの戦いの中で30
 
 なら、世界が私を恐れるのも無理はないことなんだろう。大陸軍が去った今、次に世界を滅ぼしうる分かりやすい脅威は大陸軍を斃した存在なのだから。

 
 姦淫のゼブファキラを斃した。
 
 金星喰:ドルファーを斃した。
 
 新生テンプル騎士副団長の”聖骸布:ドシウス”だって、向かってきたから斃した。

 
 今の私にとって敵とは何なのだろう。

 英雄プリマヴェッラは後どれだけ戦うことを望まれるのだろう。

 英雄プリマヴェッラは後どれだけ死ぬことを望まれるのだろう。
 
 
 私は。

 何者にもなれなかった。


 胡乱な感情を御することが出来なかった。

 陋劣が私を英雄にした。

 私は英雄に成れなかった。

 
ーーー
ーーー
ーーー

 私の前に闇が拡がった。
 噴き出すような憎悪の渦。
 誰のものでもない。私の感情そのもの。

 ここにきてカッコ付けるのはよそう。
 胡乱な感情なんかじゃない。

 私が溜め込んだの正体は鬱憤だ。

 縛られてきた人生への悲観。
 逃げたしたい運命への悲願。

 この魂の裡に巣食った絶望がドス黒い鎧となって解き放たれた。

 反英雄は私の半身にして反身。

 これまで幾度も見つめ合ってきた、私の負の感情が其れ反英雄だ。

 其れ私の負の側面が私の前に広がった時。

 私は死ぬことを選んだ。

 卑屈な理由で済まないが許してくれ。
 疲れたんだ。切実にね。

 客観的に見れば、これは禍禍しい鎧武者に私が殺害されるように映るのだろうか。
 いや。むしろ。そのくらいの方がいいか。

 私は殺された。この社会に。この世界に。
 元々生きているか死んでいるのかわからないような人生だった。

 なら、せめて、最期くらいは自分の心に殺されたい。

 私は、反英雄の刃を受けいれた。


―――
―――
―――


〇第三圏_荒廃した土地


「あ…が……ぅぅ…オぁ」

 スカンダの全身に黒い靄が纏わりつく。引き剝がそうにも手を通り過ぎてい行くばかりの不定形な物質が相手では
必死の抵抗も虚しく終わった。
 脈打つようにして彼女の五体が痙攣し、耳の奥で得体の知れない何かが常に裂帛の奇声を上げている。
 悲しみに満ちていた心境に憎悪が結晶化していく。胸いっぱいの感情の塊が、もともと存在していた葛原梨沙の精神性と混濁していく。

 その現象は"憑依"とも呼ばれる人体と霊体の融合だった。
 
 先程まで乾坤一擲の想いで打破してみせた反英雄の無敵の鎧はいわば単なる"外殻カラ"。その裡を満たしていたのは、反英雄という究極反転した夢想解像に殺害された末に吸収されていたかつての英雄プリマヴェッラだった。
 ボイジャー:プリマヴェッラ号というかつての世界的英雄を屠り去った反英雄。その劇的な死の真相は詰まる所、極限までに貯め込んだ彼女のフラストレーションが招いた一人の女性の自殺であったのだ。

 厭世の塊である叢雨小春の魂は死してなおこの世界に根強く滞留し、反英雄として君臨した。
 彼女の抱いた世界への憎しみと怒りはボイジャー:プリマヴェッラ号の象徴たる桃色の光を歪め、深く濁った紫色の万雷として数多の命を奪うことへと針路を向けた。

 反英雄の持つ厭世の感情がスカンダに流れ込んでくる。記憶に留まらない鮮明な感情の色が彼女の金色のキャンバスをじわりじわりと黒く染め上げていく。
 次第にスカンダの感情にも汚泥のような不純物が混じりだした。
 同じ日本人女性だからか。それともボイジャーとして世界の為に消費される兵器としての宿業を背負う者だからだろうか。

 あれほど憎んでいた反英雄を。
 両脚を奪い己の人生を狂わせた大罪人を。
 
 心のどこかでは同情してしまっている。



―――
―――
―――

「――‼―――オイ‼‼スカンダ‼駄目だ、抵抗しろッ」
 ガブナー雨宮がスカンダの肩を揺らす。顔を間近に肉迫させ、必死な剣幕で声を届けるために喉を枯らしていた。

「糞ッ‼なんなんだよ、反英雄ッ‼‼不貞腐れた悪霊が出しゃばりやがってッ‼」
「ぉおぁあ…」

「最悪な境遇でどうしようもなく藻掻いてる奴なんて山程いるンだよ‼
 糞ったれな人生の中で悲しみや悔しさの中で死んでった奴もな‼
 自分の不幸自慢の為に人類を虐殺して、どれだけの人間を不幸に追いやったと思ってんだボケ。
 親を奪われた子供もいる。子供を奪われた親もいる。お前の所為で人生を歪められた人間がこの世界にはごまんといる‼
 言わせねぇぞ。それが全部、他人に背負わされた苦痛への鬱憤晴らしだったなんてッ‼‼
 キンコルさんはそんな糞野郎を夢見て命を擲ったわけじゃねぇッ‼‼」

 ガブナーのサングラスが割れる。色の宿った瞳の奥から大粒の涙が降り落ちた。

「戻ってこい‼スカンダ‼そんなゴミ屑の精神汚染なんかにやられるタマじゃないだろお前はッ」

「ひっどいなぁ」

 ガブナーの腹に鈍痛が奔る。スカンダの突き出した腕の先から、禍禍しい赤黒い無数の籠手が彼の腹を穿ち抜いた。無論、ガブナーの持つバリアによるオートガードは展開されている。それを簡単に打ち破る程の異様な攻撃性がその一撃には宿っていた。

「ごふっ…ェエあ」

「日本人の糞雑魚メンタル舐めんなよ蘊蓄ハーフボーイ。私だって辛いんだよ」

 スカンダの仰向けに倒れた姿勢が重力に反するような起き上がり方をする。
 ぴくりぴくりと指先が蠢動し、瞳の中が闇を抱くように漆黒に染まる。
 
 そして、スカンダの背からは翅が生えるようにざらついた赤黒い鎧が組み立てられていった。
 胴を囲うようにして甲冑が腕、脚へと拡大し、やがて貌を埋め尽くす。その姿はこれまで人々を怖れされてきた反英雄の全盛期の姿そのものであり、鎧で囲われた本体と呼べる肉体にはスカンダが組み込まれている。


「絶望じゃあ……足りないんだよ。満たされないんだよ。もう、引き返さないって決めたんだよ」

「嘘…だろ。……スカンダを返せ…糞野郎」

「準ボイジャー。嗚呼、人類の歴史の汚点を掘り下げたような素敵な兵隊が作られたもんだ。
 東郷の唾の付いた連中ならもう聞いたんだろう?この世界の真相と昏山羊の正体ってやつをさ」

 反英雄の鎧がぎちぎちと音を立てて再編されていく。第三圏で邂逅した時のような鎧に入った罅は跡形もない。

「私が反英雄に成ってから、クレプスリーは自分から私の元にやってきた。奴は特殊な体質で悪霊である反英雄の核に私が居ることを認識していた。
 彼にこの世界の種明かしをされた時には驚いたよ。と言うか、心が腐った。
 あの大陸軍があろうことか、自分なりのやり方で人類の適応進化を促す悪魔の主君とかいう人類存続のための立役者だったそうな。本来であれば新生テンプル騎士団のような進化した人間たちが奴を止めるべきだったところを、暴走した技術の権化であるボイジャーがこれを滅ぼしてしまった。
 人類のためにやってきたことはお門違いなでしゃばりであっただけであって、その裏で得られたのは途方もない殺意の矛先と深く根付いた穢れし身体だった」

 反英雄の掲げた腕の先に剣が生じる。禍禍しい刃の裡に映るのは、宇宙を濾したような美しい星屑模様だった。

「大層な人類の進化の過程にどうやって興味を抱けと?
 祀り上げられた英雄の存在意義など何処にもありはしなかった。
 ただ私がいない世界で人類が勝手に上位存在へと緩やかに進化していくのが人類史だというのなら……
 私は然るべきタイミングで人類を亡ぼすと誓った」


―――
―――
―――

「禁断の惑星:真善美叛位バスタード
 アレッシオ・カッターネオの採った決死の戦略。もはや勝算を放棄せざるを得ない絶望的な状況の中で、ガブナー雨宮を護るべく"禁断の惑星"の名を持つ法外なエネルギー放出によって反英雄の動きを止める。剣の中に閉じ込められた冠域が視界を弾けさせるほどの鮮烈な閃光を伴う大爆発を牽引するも、爆炎の最中に身を置く反英雄の影が崩れる気配がない。
 白騎士は鎧の裡で重苦しい脂汗を垂らす。自身の保有する最高火力の大技が反英雄には利かない。いや、繰り返し命中させれば鎧を破壊する可能性はゼロではないが、そもそも反英雄の無敵鎧は夢想解像によって肉体、魂、骨のどれにも依存せずに単独で成立し得る技術であるが故に鎧を破壊するイコール勝利には結びつかない。

「逃げるんだイージス号。神の盾を名前に持つのなら、こんな所で死んではいけない。守るべきものがもっと他にあるはずだ‼」

「……人類を見捨てたんじゃなかったのかよ。団長殺しさん。俺ァ、ちょっと厳しいと思うぜ。スカンダ込みの反英雄が人類をこれから滅殺しますって宣言かましてんだぜ?アンタのその禁断の惑星とやらも通じねぇし、俺ら二人じゃあ逃げることも出来やしねぇさ」

「反英雄に敗北するなど大討伐では常套句みたいなものだろう。逃げることすら諦めてはその命の意味はなんだったのだ‼キンコルから受け継いだ意思があるのだろう‼その手でクラウンを斃すのだろう‼?」

 その時、アレッシオ・カッターネオの元に漆黒の斬撃が飛来する。それを受け止めた際の衝撃で彼の意識は一瞬飛びかけ、籠手から上半身までの鎧が砕け散った。

「っぁあ――‼」

「貴方も息が長いよねぇ……。アレッシオ・カッターネオ。私も観たよ、世界に向けた大討伐宣言の会見」
 
 反英雄がアレッシオ・カッターネオの髪を鷲掴みにする。

「敢えて言わせてもらうよ」

 反英雄が腕を振る。人間の体躯では実現し得ない桁違いの膂力から放たれる投擲は、大の大人であるアレッシオ・カッターネオの全身を第三圏の鉄骨まみれの中空を突き抜けさせた。

「―――死は救済に成り得ない」

 痛みすら忘れる程の衝撃がアレッシオ・カッターネオを襲った。観覧車を玉砕し、ローラーコースターの鉄骨をへし折り、ボウリングのピンのようにメリーゴーランドの乗り物を吹き飛ばしていく。数多のアトラクションを撃砕した末に彼の身体が停止した頃には、彼の五体は心臓一つを残して跡形もなく砕き解れてしまっていた。

「良いねぇ。若作りしなくてもピチピチな身体ってのはさ~。死んでからも病み気続いてたから、溜まってた分はしっかりと発散しちゃいますか」

「イェンドル・ラーテン・クレプスリーと組んでいた理由は人類への復讐か?
 それとも、今みたいに適当なボイジャーに憑依して"受肉"を果たし、さらなる力を手に入れるためか?」

「さっきから言ってるでしょうが。これは悪霊の私怨から成る鬱憤晴らし。
 私という理不尽を世界中が憎んでくれたっていいんだ。寧ろその方が私に英雄という宿痾を押し付けてきた人類へ気兼ねなく殺意を向けられるからね。嫌なことをされたままでいるのは辛いだろう?奪われてきた時間の分だけ、人類の歴史を巻き戻してやるのさ」

 反英雄が屈みこみ、貌を埋めていたイージスを見下ろす。

「まぁ確かに君が言っていることも的を射ているよ。挑戦者に八つ当たりされて正直キツイ状態で戦ってたし、できれば葛原梨沙のアスリートボディが欲しいなって思ってはいたんだ。受肉しただけに分かり易くパワーアップも出来たことだし、状況的にはとってもプラスなわけ」

「いつまでダラダラ喋ってんだよ。スカンダを離す気がないならさっさと俺も殺してくれ。勝ち目がないのに無為に生かされてんのも癪に障るんだよ」

「スカンダ号がいたところで君たちに勝ち目なんてハナから無いと思うけどねぇ。それに、君を殺すのは正直勿体ないって思ってるんだ。エイドリアンが目にかけてたってのもそうだけど、ボイジャー実験の失敗作として切り捨てられた君の過去に私は興味があった」

「なんだと…?」

「興味があるから殺さなかったんだよ。流石に私と何回もエンカウントして生き延びてきたのが自分に運や実力があるから、とか思ってないよね。葛原梨沙だってそう。私がいなくなった後のボイジャー作りに躍起になってた日本のTD2Pにそれらしい被験体候補を作ってやるために、わざと身体欠損させて悪魔の僕に憎しみを持った人間を量産してあげてたんだ。おかげでこの子は晴れてボイジャーとなり、私のように糞ったれな運命を無理やり背負わされてきた。その不満こそが私と共振し、遂には彼女は私の憑依を受け入れて晴れて受肉が成立したわけだ」

「んなわけ…あるかよ」

「ま、細かいことはどうでもいいさ。私と一緒に来なよ。私が今までクラウンとつるんでたのは、悪霊と同じ周波数で存在核を保って居た彼と共にいることで、反英雄を成立させるための"負のエネルギー"を吸収していたというだけ。別に奴の配下になったわけでもなければ、友達ごっこに興じているわけでもないさ。
 受肉できた今、エネルギー問題はとりあえず解決したし、温めておいた人類鏖殺は実行フェーズに入る。クラウンが悪魔の主君と共謀して大仰な人類進化計画に勤しんでいる所悪いが、悪魔の主君たちの本懐は私のそれと相性が悪いね」

「………………」

「お互い不条理な人生に苦しめられてきた者同士、人類の大いなる終焉をこの手で飾り付けよう。君にはクラウンを殺させてやるさ。というか、君が私と戦う理由なんかそもそもないだろう?」

 反英雄の鎧の裡から黒い靄が滲みだしてきた。
 その黒い靄は反英雄とイージス号の周囲をぐるりと取り囲み、やがては夥しい数の眼球を靄の中に生じさせ、絶え間なく堪えがたい詰問の視線を彼に注ぎ込んだ。



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