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4章 悪魔の主君たち
61 道標
しおりを挟む眩山羊とは何か。
突如として人類の前に顕れ、戯れのように夢を問うた人間に力を授ける異能の存在。
その正体は天地万物に宿った精霊の成れの果てか。
それとも人類の思い描いた妄想の果てにある虚像の在り方か。
世界各地に根付いた神への執着。悪魔への信仰。
ともすればそれは世界の全ての概念や性質を内包した全知全能の存在か。
でれあば、其れはこの世の心理を設計した創造主に当たるものか。
いいや。
違う。
彼奴はこの世界に蓋然性を帯びて爆誕した病の一つ。
無尽蔵に肥大した多様性社会に醸成された人間たちが歩んだ歴史の新たなる転換点。
大いなる大河の生み出す奔流の如き人間の欲求は、神秘に喩えられる精神世界に無垢にも熔け出した。遍く煩悩が蟲毒の様相を呈すほどに互いの無邪気を喰らい合い、いずれ迎える大いなる破滅への時針を着実に進めていた。
技術の発展を何より動かすのは戦争であると断じられるように、そのメカニズムは往々にして人類全体の進歩にも照らし合わせることが出来る。人間の技術的な進歩はつまり、人間の裡にて胎動する欲求こそが原動力であると。
大いなる繁栄を願い、飽くなき飛躍をを求める人類渇望に不純はない。
しかし、数多の争い、悔やむべき過ちを経てなお歩むことをやめなかった禁忌への道に対する旅は人類にとって時期尚早だった。
先行きする技術の群れは既に上位存在たる人間の手綱を振り解き、来るべき破滅への終末時計としての役割の機微を徐々ではあるが示し始めていた。
いずれ訪れる終焉の瞬間は、人の手を離れた技術の成れの果てにより齎されるものであることは避けられぬ運命へと化していた。
人間は己の生み出した技術たちの神にはなれなかった。
では、如何にして再び人類は技術を飼い慣らす上位存在へと上り詰めることができるのか。
とどのつまり、その手段と言えるものは、技術相応にまで己の存在価値を高める神への到達という結論に至った。
欲望に生まれた技術を飼い慣らすのは、さらなる果てなき欲求であると。生きてなお飢えることを忘れない貪欲さにこそ人類は終末への打開策を願ったのだ。
蠱毒を成すまでに侵害しあった個々のうちなる欲求がその一線上にて共振した。深層心理の中に芽生えた技術への恐怖。未来への飛躍への想いが新たなる”道標”の出現を誘発した。
そして生み出された架空の道標こそが昏山羊。
それらしい表現を用いるとすれば。
”人類存続のための病”
とでも言えるものだ。
人類の持つ深層的な進化への欲求が、巨大な悪魔の姿を成して姿を顕した。
悪魔の僕として人類に力を授ける行為は即ち、人類の【適応進化】を促す儀式の始点。先行きする技術の暴走を許さないためには、高度な精神性と飽くなき欲求を飼い慣らした上位存在を生み出すことが必要だという人類の新世界秩序を実現するための機構こそが昏山羊の正体なのだ。
○
昏山羊の夢の問いかけは人の持つ”夢の骨”と呼ばれる欲望の設計図を触発する。ブラックボックスに例えられる未解明領域に蓄えられたフラストレーションとクリエイティビティが煮詰まったような夢の骨の解放こそ人間を新たなる上位存在へと昇華させる儀式となった。
夢の骨を解放した人間は、己の裡に醸成した夢の形を特殊な精神領域に発現させる力を手に入れる。他でもない自分のためだけに成立するその空間生成能力はやがて”固有冠域”という名称に置き換えられた。
それと同様に固有冠域をより強力な独壇場へと磨きをかける”夢の肉”と呼ばれる夢の具体性については”空間深度”という言葉で示されるようになった。
この夢の枕詞を有した【骨】と【肉】は、人間の遍歴により培われた”精神性” 及び、先天的に生まれ持つとされる属性的な不純力である”悪性”により、骨と肉に並ぶ【魂】という要素として円環を成す。
三つの強い力がそれぞれの要素を発火させ、生命としての推進力を帯びさせる。昏山羊による夢の問いかけをトリガーとして引き起こされた夢の骨の解放は、次第に夢の肉と夢の魂への共振を以て、人を悪魔の僕へと進化させるのだ。
そこで生じる疑問とは詰まる所こうだろう。
力を与えることで悪魔の僕は皆一様に人類への侵害を始めた。上位存在として排他的に夢の力を思う儘に利用する悪魔の僕を生み出すことが、どうして人類が技術を克服するための手段と成り得るのだろう、と。
そこでの回答となるのが、人類の適応進化を生み出すという眩山羊の本質的な機構としての由来だ。
昏山羊は人類の一部を既存形態の上位互換として誕生させることで、上位存在からの既存形態への攻撃を期に虐げられる側の人類が自己的に悪魔の僕に倣うことを期待していたのだ。
これこそが人類の"適応進化"の形であり、悪魔の僕を生み出すという人類にとっての傍迷惑な行為そのものが、人類を窮地に立たせることによって、さらなる上位存在の爆誕に繋げるという本懐に沿った一本のシナリオであるのだ。
ボイジャーという人為的に生み出した兵器を除いても、この世界にはそういった悪魔の僕からの侵害を期に、誰に教わるともなく独自の形態で夢の骨を解放する存在が現れていることがその証左とも言える。
多くの悪魔の僕たちが人間と比較した時、やはりその力というものがあまりにも強すぎることが所以となって、大抵の場合は悪魔の僕たちの一方的な虐殺となる。埋められない力の差を克服することなど容易なはずもなく、悪魔の僕たちはこれまで数えきれないほどの屍の山を生み出してきた。
だが、中には昏山羊の目論見通り、悪魔の僕からの侵害を受けたことをきっかけに夢の骨を解放し、窮地に適応した上位存在への進化を遂げた者たちも存在する。最も顕著な所で言えば、新生テンプル騎士団などはまさにその最たる例だろうな。
大陸軍という大地を埋め尽くす死の大軍を前にして、当時の世界は直接的な滅亡の瀬戸際に立たされた。その動乱の中で生命としての超越を強いられた人類が独自の冠域や力を手に入れて、結社として大陸軍に立ち向かった存在こそが新生テンプル騎士団の由来なのだからな。
まぁ、夢想世界で冠域を生み出せたところで、究極反転を可能とした大陸軍のような脅威を直接食い止めることは出来ない。だから、あの時代は大陸軍を食い止めた叢雨禍神、それとボイジャー:プリマヴェッラ号の存在がなければ、人類の滅亡を以て結末を迎えていたことだろう。
〇
では、ここで昏山羊の企みを離れて個々の悪魔の僕に着目してみようではないか。
私こと、悪魔の僕:青い本は今こうして昏山羊の正体だの目的だの由来だのをつらつらと語らせてもらっているが、この世界に数多く存在する悪魔の僕たちが私と同等の知識を有しているのかと言えばそうではない。
先程、我々悪魔の僕は人類の脅威となることで、人類の適応進化のトリガーとしての役割であることを望まれていると言ったが、その観点で言えば悪魔の僕とは単なる人類の火付け役であって、昏山羊の望む新たな人類の姿の見本であれども完成形ではない。
眩山羊からの接触は基本的に一回限りのものであり、夢の骨を解放させる際に行われる"夢の問いかけ"が終われば基本的に眩山羊からの干渉は起こらない。これは昏山羊の正体そのものが、突発性の精神病のようなものであることも起因している。とはいえ、力を手に入れた悪魔の僕にとっては昏山羊との接触など極めて些細な問題にすぎず、叶えた夢の力を手頃な標的にぶつけることのみを良しとしていた。
言うなれば、悪魔の僕とは眩山羊という病に侵されたある意味での被害者。
自己の欲望を力として発散する術、その甘美なる味を覚えてしまった途端、かつて人であったそれらは在りし日の家族や友人を躊躇なく手に掛ける。別解犯罪という人の持つの心の淀みが夢想世界で顕著に行為に現れるという事象を踏まえれば、より高次の力を持った人間がより凶悪な残虐性を有するというのは自然の摂理に近いものであったのかもしれない。
そこに在るのは理性ではなく欲望。
暴力を好む蛮人も、姦淫に溺れた色者も、闘争を崇拝する修羅の獣も。
自らの裡に秘めた欲望の設計図、即ち夢の骨にまんまと操られた傀儡と憐れむことさえできようぞ。
しかし。
昏山羊が図った人類の欲望により高められた生命としての上位性を有しつつも、力の溺れず、夢に餓えず、己の存在と向き合い、昏山羊という事象に向き合った極めてごく一部ではあるが、特別な精神性を有した悪魔の僕というのもまた存在した。
彼らは自己の本質に疑念を持ち、自らに力を与えた眩山羊の存在を解明しようと試みた。要するに昏山羊との二度目の接触を果たそうとしたのだ。
自己本位に生きることが当然の夢想世界において、自らに与えられた欲求の本当の所在という者を見つめなおすことは、もはや自殺に匹敵するほど至難なことである。だが、彼らはそれを行った。自分が悪魔の僕と呼ばれる存在になった事由に疑念を持ち、周囲を取り巻く環境をより高次の目線から理解しようと努力したのだ。
単に疑問を持ったからと言って、すぐに解が与えられるほど世の中は甘くない。真理に迫ろうとしてなお、悪魔の影に呑まれて虚に潰えて行った者らだって決して少ない数ではない。
それでもなお、己が人類と敵対する所以から目を逸らさず、単なる被害者として道楽のために人類と敵対することを最後まで嫌った者らこそが、今日における人類の脅威として大成されたカテゴリー5の悪魔の僕なのだ。
人間側から見た悪魔の僕のカテゴライズにおいて、カテゴリー4とカテゴリー5の線引きには明確な境界線がある。
それは一固体の悪魔の僕として単独で人類を滅ぼすレベルの脅威か否かという点だ。
そして、やはり単独で人類の脅威となる悪魔の僕はそれだけの蓋然性を以て生じ得るものなのだと、今の私から見てもそう感じる。
彼らは人類を窮地に立たせるという己の存在理由を知っている。
彼らは昏山羊との再接触。つまり、人類を脅かす宿命を知っている。
ある者は終天を支配する絶望の彗星となって。
ある者は地上を支配する恐怖の軍団となって。
ある者は人間の信仰を支配する唯一絶対の神となって。
ある者は軍事力を支配する戦争の先導者となって。
ある者は生死を支配する亡者の主となって。
ある者は万象を含めた世界を支配する殺戮者を目指して。
ある者は超越を体現する技術に対するアンチテーゼとして。
彼らは昏山羊の本懐を成すために人類を各々のやり方で窮地に立たせることに徹した。
海賊王や不死腐狼。かつての九罪のような大物であっても、カテゴリー5に到達する真理の扉を開いた者とそうでない者の違いは単なる階級の一つとして断じるべきものではない。
これはかつて真航海者が言っていた言葉だが、曰く、彼は自分を含めたカテゴリー5の位列にある大物たちをこう呼んだ。
『悪魔の主君』
○
カテゴリー5の悪魔の僕は須くこの悪魔の主君の名を冠するに値すると言うのが真航海者の言い分だった。それに沿うなら、悪魔の僕などと揶揄される存在はカテゴリー4までしか存在しないのだろうな。
悪魔の主君とは実に過分な呼称に聞こえるかもしれないが、なかなかどうして、この世界で最も先だってカテゴリー5という位列したような存在は存外に的を射たことを言うものだ。
昏山羊という病に侵されながらも、その盲目的な欲望への衝動を克服した主君たる威厳が彼らには認められる。これは、自分もそうであるからという理由だけで言っているのではないぞ。
なんにせよ、悪魔の主君らの目的は人類の救済だ。
その過程がたまたま自身が人類の存亡に関わる脅威であることだったに過ぎないのだ。
各人の取り得る手段が相反することで擬似的な縄張り争いを生じさせることもあるが、基本的には我々は最終的な人類の存続を願っている。
大陸軍が大陸中の人間を踏み潰す黒死の地鳴りであったのも窮地に立たされた人類の適応進化を促すため。大陸軍の日本侵入を叢雨禍神が阻んだことも、彼女が目論む人間の信仰的支配を行う人間たちが目減りすることを防ぐという単純なメカニズムで生じた結果でしかない。
いや、むしろ彼女が大陸軍を討ったことこそが人々の信仰心を獲得し、支配体制を敷く直接の要因となったことを踏まえれば、奴はそれを狙ってやっただけのことなのかもしれんな。
○
以上が昏山羊の正体、及び諸君らが戦ってきた者らの正体だ。
私の言葉をどこまで信じるか。
それは懸命な諸君らの信条に委ねる所としよう。
昏山羊の出現以来の人類の艱難辛苦の歴史など、長い人類史における一つの流行病を経験しているに過ぎない。
詰まるところ、これ以降の人類の進化の過程は諸君らの働き如何に関わる問題だからな。
ここからは約束通り、私自身に纏わる話をしよう。
そして私と繋がりがある叢雨禍神、さらにはクラウンの正体と目的。この望まれた王国とは何なのか。何故、我々はクラウンを斃さねばならぬのか。
そうだな。
結論から言うなれば、我々が真に対峙するべき敵というものはクラウンでも、反英雄でも、鯵ヶ沢露樹でもない。
クラウンが、正確に言えば、このニーズランドがこれより生み出す新たな王。
【真なる戴冠者】の大討伐こそが、歪んだ世界で戦火に身を投じた我々へ課された至上命題なのだ。
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