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2章 巌窟の悪魔
22 最悪
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現実世界。
佐呑湾に出現した大型タンカーと駆逐艦の襲来により一挙に混迷の様相を呈した佐呑島内は、タンカーから出現した武装した戦力のゲリラ活動により、官民含めた膨大な被害を被るに至っていた。
孟中尉が率いる大隊の活躍によってゲリラの多くが沈む中、それでもなお余りある数の暴力を実現させた敵の躍動により、島は史上かつてない窮地に置かれていた。
ゲリラは個々が錯乱したように躊躇いもなく民間人を手にかけ、略奪すらしない殺戮をゲームのように愉しんでいる。それでいて勝利の見込みがない軍の実動部隊が相手でも臆せずに攻撃を仕掛け、まるで死の恐怖を感じていないかのように無謀な闘争の中に身を投じて身を滅ぼしていく。
ゲリラの顔にはプリントされたような笑顔が張り付いている。折り重なった屍肉の山の至るところに不気味な笑みが浮かんでおり、それを不快に思った孟中尉は手にした銃でゲリラの顔を次々に死体撃ちした。
(予想通り、いや、予想以上に数が多い。中隊規模で主要インフラを抑えたところでゲリラどもの進行ルートの妨害にすらならん)
遠くから鳴り響く轟音。
島を標的にした駆逐艦からの艦砲射撃が孟中尉のすぐそばの建物に命中し、衝撃と戦塵が吹き荒れる。
(問題はこの艦砲射撃。部隊を動きやすい土地には最初からマークされたように艦砲射撃が来る。山を駆け上るゲリラには関係ないだろうが、詳細なケースまで想定された実践配置が確定していない佐呑の駐留部隊では相応の損害が伴ってしまう)
佐呑の防衛設備に対戦艦は想定にすら入れられていない。まともな戦争に対する備えがない拠点ではこういった狂気に振り切れたような強襲に対抗力はなく、この駆逐艦の対処には国家の軍事力が必要不可欠な要素と言えた。
だが、先日の反英雄の出現によって過去に”大討伐”というカテゴリー5の反英雄討伐作戦は甚大な被害を受けた日本防衛省よ重い腰はあがらなかった。佐呑に現れた駆逐艦の属する国やその出処が不明な点も余計に国家にとって余計な緊張感を抱かせる要因にもなっていた。
もし、これが国家同士の武力衝突と見做される場合、悪魔の僕がどうこうという話の以前に日本にとって重大な国際情勢への撹乱行為にもなりえる。悪魔の僕の所為にしろ、悪意ある国家の仕業にしろ、日本国家がそう易々と手をつけられるような事態ではないのだ。
『敵、第三防衛線を突破』
『e-3、艦砲射撃により無力化。第四防衛線維持に深刻な問題アリ』
『d-2、夢想世界に起因すると思われる空間の裂帛を確認。即座に迂回ルートを選定するも、ゲリラとの交戦により戦力瓦解』
状況は芳しくなかった。
夢想世界で行われているボイジャーと悪魔の僕の闘争によって現実世界にも少なくない影響が出始めている。
多くの場合、夢想世界に由来する被害としてあるのは固有冠域に取り込まれた人間のダメージに伴う精神汚染と心身損耗だが、こういった夢想世界で固有冠域が乱立している場合ではそれ以上の影響が生じる場合がある。夢の世界の変質や土地の崩壊に起因して、パスが似通ったり性質が紐つけられているような現実世界の地点において空間の歪みが生じるのだ。
これに関しては科学的な説明がつかない単純な空間の危険信号と説明される場合があるが、こういった空間の歪みが生じた場合、もしその芯に触れるようなことがあれば人間において良い影響など一つもない。
精神は崩壊し、時には命を落とす者さえ存在する劇薬。そして一度生まれた空間の歪みは夢想世界での深度安定を迎えない限りは徐々にその規模を拡大させていくことが知られている。
(何にせよ、夢想世界での決着も急務だ。空間の歪みが広がり続ければ佐呑の人間が全滅する可能性だってある。キンコルさえ夢想世界に出向けばあのカテゴリー4どもも完封できるはずだが、そもそもこの期に及んで奴は一体どこで何をしてやがる!)
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監獄塔。
ルネサンス期にイタリアで活躍した詩人のダンテ・アリギエリの定義したキリスト教世界の地獄の構造によく似た、すり鉢状に島の底まで穿たれた奈落の監獄。
下層に行くにつれて闇を帯びる階層構造において、その中間の層は嫌に生ぬるい光がぼんやりと周囲を照らしている。
「………こ、ここから……ここからだ、出してください……おねがいします…お願いします‼︎」
四畳半の牢に入れられた年若い女が恐る恐る格子を掴んで眼前に立つキンコル号に訴えた。
女の名前は鯵ヶ沢露樹。夢想世界において様々な別解犯罪を行なったとされる凶悪犯としてガブナー雨宮警部補により逮捕され、佐呑の監獄へと収監させられた経歴を持つ。
キンコルは露樹の訴えを無視し、軍服のポケットに深々と手を突っ込みながら仁王立ちしている。彼の紫色の重瞳は露樹の貌を射止めるような冷やかな視線で捉えている。
「冤罪なんです……私、悪いことなんて何もしていないんです!……なんで、なにも悪いことしてないのに、こんなところにずっと閉じ込められなきゃいけないんですか‼︎」
露樹は涙を流しながら身震いさせていた。悔しくて堪らないといった表情を貌に貼り付けて、唇を強く噛めしめる。
「何もしていないなら、何故君はここにいるんだい?」
「そんなの知りません‼︎私、ただ夢の世界にいただけなのに、夢を見てただけなのに‼︎気づいたら怖い人がいっぱい集まってきて、皆んなして私を虐めたんだ‼︎…私は何もしてないのに、悪いことなんて本当に何もしてないのに‼︎」
「自分の身は綺麗だと。その心に邪なものはないと、そう言うんだね」
「本当のことなんですよ‼︎私は本当に何もやってないんですよ‼︎」
「じゃあ冤罪でこんな場所に閉じ込められ、さぞ不自由で口惜しい思いをしていることだろうね。もはや復讐心で身が燃え上がらんばかりにさ」
「だからさっきからそう言ってるでしょ‼︎なんなの‼︎なんでわかっててこんな仕打ちができるの‼︎無罪の女をこんな地獄みたいな場所に閉じ込めて、世間がこれを許すと思ってるの⁉︎」
「君が自由になることはない。僕は万民の救済のために死力を尽くすが、僕が救う対象に貴様は存在しない。最悪の化身、万悪の体現者、現代を生きる悪神…全てがかつて君に向けられた呼び名だ。そんな悪党をどうして救済することなんでできるだろうか?いや、できやしない」
キンコルは軍服の懐から葉巻を取り出して、手早くヘッドをカットしてマッチで火を点ける。
咥えた後に数度黙って煙を口腔内で弄ぶ。その間も露樹は悲痛な表情と声音を上げながら、彼に文句をつけたり悪態を吐いたりしている。
キンコルは一度大きく煙を吐くと、片手をポケットに戻して不敵な姿勢で立ち直る。
独房までの通路をコツコツと鳴らす足音の方に目をやり、生ぬるい闇の中から現れたその存在を認識する。
「君は確か、アンプロシア号のメンテナンス技師のセノフォンテ・コルデロくんだったかな?」
靴を鳴らしながら現れたコルデロ。その手には拳銃が握られており、構えた銃口の先はキンコルへと向けられている。
銃を向けられる中でもキンコルはどこか余裕そうに葉巻を嗜んでいた。煙で宙に輪を描き、鬱屈したような視線をコルデロへと向ける。
「一応、言い分を聴こうか。君に銃を向けられる筋合いはないはずなんけどな」
緊張感を孕んだ声音。銃に対して怯むでもなく、彼は毅然とした態度を見せる。
「俺も夢想世界の研究者の端くれだ。こんな胡散臭い佐呑周遊の誘いなんぞ、その裏の思惑を勘繰らずにはいられねぇ。
…お前の目的は判っている。その上で無謀な主張だとは重々承知の上で訊ねさせてもらうが、ここで止まってもらうわけにはどうしてもいかないのか?」
コルデロは憂いを帯びた表情を浮かべている。
「君はその他大勢の愚鈍な奴らとは違って随分と頭がキレるようだ。僕…俺の目的がわかってんのなら、黙って見届けてくれないか。ていうか、別に手伝ってくれても良いんだよ?」
キンコルは微笑む。
「あんた本当にわかってんのか?あんたの野望に巻き込まれて、世界は良い方向に動くわけがない‼︎」
「いいや。世界はもうじき俺の本懐に沿って救済される。この醜い世界は俺と言う救世主の手を持って新しく生まれ変わるのさ」
「そのために多くの人間を犠牲にしてもか‼︎」
「結果として地球は生まれ変わる。別に大義の前の犠牲を正当化する気はないが、それを君に咎められる筋合いはない」
ひたと見据えられた先にある銃口。コルデロは銃を持つ手を少しだけ上に構え直した。
「俺にはこの引き金を引いてお前を抹殺することに躊躇いはない。お前が目論む世界の形に比べればお前が存在しない世界の方がまだマシだ‼︎
だが、それをすれば今、懸命に戦っている全てのボイジャーや兵士に勝ち目はなくなる。ゲリラ共はともかくとして、不死腐狼や海賊王はお前が少し手を貸せば簡単に倒せる程度の敵だ。だが、お前は彼らを……唐土君たちを助ける気なんてさらさらない‼︎これは今もお前の参戦を待って奮闘する彼らを侮辱する行為だ‼︎」
それを聞いて、キンコルはまた笑む。
「俺の目的がわかっているなら、意味も理解してくれていると思ってたんだけどなぁ。彼らは本気で殺しあってくれないと意味がないんだよ。それぞれ与えられた役割をきちんと遂行してくれなきゃ望ましい結果が得られないのに、どうして俺が奴らを救う必要がある?」
それを聞いてコルデロは目を剥く。
「万人の救済が聞いて呆れるッ‼︎‼︎」
引き金を引く。
いや、引こうとした。
だがしかし、そこでコルデロは自身に起きた異変に気がつく。
体の自由が奪われ、巨石を無理やり持たされたかのように身動きが取れずに呼吸すら困難になった。
次の瞬間には力の流れが変わって全身が床に押さえつけられる。眼前には依然として余裕を浮かべたキンコルの姿が変わらずにそこに在る。それではこの力の出所はどこかと探せば、深く考える間もなく自身を縛るその正体に気付いた。
「てめぇ……グラサン野郎ッ」
「や。船以来っすね」
「合気かよ、糞がッ」
コルデロの自由を封じたのはガブナー雨宮だった。彼は音もなくコルデロの背後を取り、当たり前のように銃の発射のタイミングに併せて合気の束縛をかけて自由を奪いにかかってきたのだ。
「コルデロさん。あんたもわかるでしょ?キンコルさんの目的を達成するのが結局1番なんですよ。このクソみたいな犯罪者や悪魔の僕がデカい顔する世界を根底からひっくり返すことができるんです。闘争のない社会、人から爪牙が断たれた社会。素晴らしいじゃないですか、否定する要素なんてどこにもない」
ガブナーがキンコルの信奉者であると言う話はコルデロも知悉していた。それでいてこの期に及んで彼に対する警戒を怠ったことをコルデロは悔いる。
「ガブナー雨宮‼︎お前が生み出そうとしてるのは救世主なんかじゃない‼︎頭のイカれた怪物だ‼︎」
「いいじゃねぇかよそれで。マジモンの悪魔の契約者が暴れるこの時代。それでなくても人間は心臓に皆それなりの悪魔を飼ってるもんさ。…終わらせようぜ、もう。この佐呑の地獄絵図を以って、世界を変えてやるんだ‼︎
獏の力とキンコルさんの究極反転の実現を以って全人類から夢と闘争の欲を断つ‼︎そうすれば世界はもう反英雄や他のカテゴリー5や反転個体の機嫌によって世界が滅ぶことに怯えなくて良いッ‼︎全人類が暴力や争いに怯えることのない平和で安寧な世界が訪れるんだッ‼︎」
「違うッ‼︎究極反転こそが人類の闘争の最終系だ‼︎全ての闘争を禁じる最上格の固有冠域を現実世界で生成するなんて、全人類の独裁権と奴隷化の権利を得るのと同じ、闘争の代わりに全ての生命がキンコルに虐げられる世界になるってことなんだぞ‼︎わかってんのかテメェッ‼︎」
技術職をメインとして戦いとは縁遠い世界で生きてきたコルデロに、闘気に似た気魄が宿る。鬼気迫る表情でガブナーを睨みつけ、全身に力を注いで合気による拘束を解いた。
「ところでコルデロ君、”巫蠱”という呪いの儀式を知っているかい?別名、蠱毒という古代の中国で実際に行われ、現代でもオカルトとして一部で根強い人気を持っている秘術の一種さ。
一つの容器、例えば壺や鉢に毒虫やら蛇、蛙や時には鳥なんかを放り込んで、今で言うバトルロワイヤルを強制する。生き残りを掛けたり、単なる食欲を焚き付けられたりした生き物たちは互いに傷つけ合い、たった一つの勝者となるまでに選別を強いられる。現実にはそう簡単にラスト一匹まで減らすことはほぼ不可能だろうけど、呪術的な意味合いとしてはこういったいった闘争の中で生まれた情熱や殺意のようなものにスポットが当てられ、勝ち抜いたものはどんどん強さが増すような概念が与えられる。最終的には生き残った生物は神格を宿していると見做されて祀られたり、溜め込んだ悪意や殺意を毒として呪いの手法に用いられてきた」
「この人でなしがッ‼︎」
キンコルに掴みかかろうとコルデロが踏み込むと、それに併せてガブナーが彼を抑えた。
「夢想世界の在り方はこういうバトロワの概念に共通するものがある。固有冠域なんてまさに己が最強で在ろうとする意思そのもの。出来ることならば可能な限り力の強い夢同士を争わせ、膨れ上がった夢のエネルギーを我が物としたいと思ってしまったわけだ。
だってそうだろう?
俺の固有冠域は闘争の根絶と言う平和体系の構築であるからして、俺が究極反転を実現させれば事実上、この世界から全ての闘争を断つことが出来るわけだ」
キンコルは深々と煙を吐き出す。
「でも、肝心の究極反転だが、やろうと思って出来る程度のものなら地球は何万回滅んでるかわからない程には実現困難な課題なわけだ。
そこで使うことにしたのが獏、そしてこの佐呑という土地さ。獏にある夢を食らうという特性、夢を奪うというアイデンティティを利用し、この土地で生じるあらゆるシチュエーションでの闘争による夢のエネルギーを蓄積する。今、夢想世界で戦っている奴は気づいていないだろうが、既に彼らの夢は獏によってボロボロに食い荒らされている。そうして溜め込んだエネルギーを利用し、この世に疑似的な悪魔を創造する。想定される悪魔と等しい深度の依代を用いて究極反転に足るエネルギーを得て、晴れて俺は神格を有するまでの存在に進化するわけだ」
「そんなことのためにわざとこの戦争を誘発したってことだろうッ‼︎今もなお死んでいく哀れな魂を前に、そのご自慢の綺麗事が言えるのかッ‼︎」
「言えるねえ。
そも、俺がやろうとすることは全て世界の安寧を想えばこそのもの。
大悪党と持て囃されるパス狙いの愚かなクラウンに反英雄がついていることはだけは想定外だったが、クラウンのお陰で不死腐狼や海賊王といった実に丁度いいレベルの怪物たちが押し寄せてきた。これで効率よく夢の力を集積し、最大限に膨れあがったタイミングでその全てを奪う。
獏にに食わせた夢の全てをこの史上最大の悪に注ぎ込み、生み出された悪神をこの手で屠ってようやく、究極反転に足る超規格外の夢のエネルギーをこの手に掴むことが出来るのさ」
キンコルは露樹を睨んだ。
彼女はそのキンコルのあまりの形相に怯み、全身から震え出す。
「まぁ無理に賛同してくれとは言わないさ。自由な無限闘争と不自由な安寧だったら、俺なら迷わず後者を採るというだけのこと」
キンコルは歩み出す。合気によって先程コルデロの手から落ちた拳銃を拾い上げ、それを彼の眉間に押し付ける。
「この糞ったれッ‼︎どっちが悪神だかな‼︎」
「ああ。最期に一つ。
この期に及んでただの人間がしゃしゃってくんな」
引き金が動く。コルデロの頭が撥ね、脳の混じった血飛沫が通路を赤黒く染め上げた。
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