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第1章
買い物
しおりを挟む―城下街―
ブランとバルドロイを乗せた馬車が街の広場に到着した。
最初の行き先はブティック。ブランの服を揃える為だった。
「普段使いのものを数十着と、明日のパーティー用の礼装をまずは用意しないとな。――本当は屋敷にテイラーを呼んで、ブランのものを仕立ててもらおうと思ったんだが、時間がないから。それはまた今度にしよう」
「そんなに服を買うんですか!? 今着てるものも上質なものだし、パーティー用のものだけで大丈夫ですよ」
ブランは驚いて首を振ったが、バルドロイは「だめだ」と腕を組んだ。
「本当ならば部屋一つを服で埋めるくらい持っておかなきゃいけないんだ。それが貴族の最低限。ブランはこれから慣れていけばいい」
「……貴族として、最低限」
その言葉はブランにとって不思議な重荷だった。
出自不明で帝国貴族の血筋ではないことが明らかな自分が、高貴な貴族として振舞うことは罪だと教えられてきた。ブランは生きている事すら望まれなかった。
しかし、ブランにとってすべてと言える父親が、貴族として生きることを望んでいる。
「でも、僕は高貴な血筋じゃないです……」
ブランは俯いた。手を膝の上でぎゅっと握りしめて、顔を青ざめさせている。
(いくらお父様が養子に迎えてくれたって、引き継がれる魔力が物を言う貴族社会で出自不明な敗戦国孤児は、どうしたって帝国貴族では……)
「いや、お前は高貴な血筋だ」
「え?」
思わずブランは顔を上げた。
バルドロイが真剣な表情でブランを見つめる。
「誰が何と言おうと、お前は魔法を扱うことのできる者だ。だからそう自分を卑下するな。お前は魔力を持つ優れた人間なのだ」
「僕が、高貴な血筋……?」
バルドロイが頷く。
ブランは脳みそが揺れるような感覚だった。今までの十四年間、決して認められない、教えてはもらえない自分に関する情報を、今やっと断片的に入手したのだ。
「……お父様は、僕の本当の血筋を知っているんですか?」
「……あぁ」
「僕は、一体、誰なんですか……?」
「……」
「僕は他の国の、どんな家に生まれたんですか?僕を生んでくれた親は死んでしまったんですか?兄弟はいましたか?どんな魔法を使えるんですか?」
「ブラン。……答えられない」
バルドロイは「すまん」と小さく謝った。
「洗礼式が終わり、お前の能力値が明らかになった後にもう一度話そう」
「……」
(どうして今は話せないんだろう。僕は今聞きたい。ずっと不思議だった。少しでも自分のことを認められたらどんなに楽だろうと思ってきた。なのに……)
「僕に魔力が無かったら、お父様は僕を捨てますか?」
「そんなわけない。お前は必ず俺を超える魔力量を持つ」
「持たなかったら!?」
ブランは叫んだ。声を抑えようと思った時にはもう口に出ていた。思ったよりも馬車の中で響いた声にブランは驚いた。バルドロイもブランが怒鳴ったことに驚いているようだった。
(どうしよう、殴られるかな?無礼な態度だった……どうしよう)
ブランは顔を青ざめさせたがバルドロイはゆっくりと息を吐いてブランを抱きしめた。
「いつまでも、お前は俺の息子だ」
「……お、父さま」
「お前が不安なのも真実を知る権利があることもわかってる。——でも約束なんだ」
(約束……?やっぱりお父様は僕の親を知っているんだ。それも詳しく知ってる。……きっと僕の魔力量や固有スキルに関わることなんだ。だから洗礼式が終わるまで言えない)
知識はないがブランは賢い子だった。一つの情報で百を考えることができる。でなければ侯爵邸でこんなに長い間生きていられなかっただろう。
ブランはバルドロイがなぜ隠しているかを考え、そして今は何も聞かないほうが良いと判断した。
「わかりました……。大きな声を出してごめんなさい」
ブランがそういって笑うとバルドロイは肩の力を抜いてほっと息をついた。
「いいんだ。お前は何も悪くない。——お前が成人したら忙しくなるぞ」
「そうですね。今はお父様を信じて色々学んでいきます」
「任せろ!さぁ、気を取り直してブティックに良さそうなものがないか見に行こう」
「はい!」
何はともあれ、ブランは念願の外の世界を見に行けることに喜んだ。
(街はどんな場所なんだろう……)
馬車の扉が開き、バルドロイが下りるのを手伝ってくれる。
広場の地面に足を下ろし、空を見上げてブランは「ほぅ」と感嘆の息を漏らした。
広場の真ん中に鎮座する噴水。それを中心に円を描くように石畳の地面が広がり、商店らが立ち並んでいる。人が多く行きかうここが城下町の中心になっているようだ。
中心から放射状に6本の道が続いていて、通りごとに専門店が分かれている。
「“第三通りテイラー街”?」
「そうだ。この通りには仕立て屋が多く集まっているんだよ。社交界で話題のドレスメーカーやテイラーの店があって、最も貴族の多い通りかもしれんなぁ」
「すごくきれいな建物ですね」
ブランは立ち並ぶ店をザっと見た。派手で煌びやかな店が中央の広場に近く、奥に行くにつれシンプルな外観になっている気がする。
「さて。今回は既製品を買うから人気店にはいかない方がいいかもな。あそこはオーダーメイドの採寸で接客が遅いんだ」
「そうなんですね。僕はお父様と一緒にいるだけで満足ですので、お店選びはお任せします」
「ブランは瞳の水色が美しいからなぁ……。確か鮮やかな青い生地を取り扱っている店があったはず」
バルドロイが手を差し出す。
ブランが首をかしげて見上げると。バルドロイは笑ってブランの手を取った。
「行こう」
「!」
街中を歩く普通の親子の様に、バルドロイとブランは歩き出した。
(そうだ……。昨日、手を繋いで歩きたいって、僕がお願いしたから)
バルドロイの手袋を片方だけ外した手が、ブランの傷だらけの手を握る。暖かくて大きくて、守られているという感覚。
(周りの目なんて気にしない。――お父様が僕を息子と呼んでくれるなら、僕は堂々としていよう。ボナパルト家の名を汚さないように)
馬車から降りた時からブランには嫌悪の視線と小さな罵倒が聞こえていた。バルドロイも鈍い男ではない。バルドロイが褒章のジャケットを着ていなければ、ブランに石を投げる者もいただろう。
ブランは申し訳ない気持ちで顔を上げられなかったが、手を引いてくれるバルドロイを見て背筋を伸ばした。
「――お父様、僕、ずっといい子にするから。お父様がそばにいてくれるだけで充分ですから」
ブランが笑む。
(たとえ、レイチェルやデレクのように僕を殴ってきても、僕は俯かないし跪かない。きっと貴族というのは胸を張っていなければいけないんだ)
今までのブランはただ影のように静かに息をしていれば生きてられた。殴られて蹴られて罵倒されても、這い蹲って謝っていれば生きていられた。それが正しいことだと思っていた。
しかし思い返してみると、アルフレッド執事長はずっと「謙る必要はない」と言っていた。成不も「貴族には権力と美を表す必要がある」と。バルドロイもブランをこうして息子として扱ってくれている。
ブランは、これ以上謝ることが、逆に大切なバルドロイの名誉を傷つけることになると知った。
(僕がお父様へできる恩返しの方法は一つ。帝国貴族たちに僕を認めさせることだけだ。……そのためにはまず知識と力を身につけなくちゃいけない)
「お父様。僕はきっとお父様のように強くて立派な軍人になって見せますから」
「! ……そうだな。洗礼式が終われば、毎日猛特訓だ!」
「はい!」
(僕は高貴な血筋なんだ。……帝国の人間ではないにしても、魔法を使う貴族なんだ)
ブランの身長からは見えにくいがバルドロイは嬉しそうだ。
繋いだ手をこれでもかというほど強く握って、意気揚々と店へと向かう。
テイラー街の少し奥にある店、『アズール』は黒と鮮やかな青色が特徴的な外観をしていた。
ブランは驚いた。
(帝国で黒と水色の組み合わせは忌み嫌われるんじゃ……?)
黒と水色。それはブランの色であった。
そしてこの色のせいで辛い日々を過ごすことになったのだ。
「ここだ」
「こ、こんなお店があっていいんですか……?」
「意外と人気なんだぞ?海軍や空軍が特に気に入って普段着を買いに来るんだと」
「えぇっ?」
バルドロイは気にせずに店を扉を開けた。
ブランも手を引かれておずおずと中に入る。
扉のベルが鳴り来客が知らされると、その店の店主が振り返って歩み寄ってきた。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなものをお探しでしょう、か……」
最後まで言い切る前に店主はブランを見つけた。グリーンの瞳をこれでもかというほど見開いて、頭からつま先まで隅々を見られる。
バルドロイが「ごっほん」と咳払いをしたことで店主は我に返ったようだ。
「これはこれは、大変失礼いたしました。お噂は兼ねがね伺っております。ボナパルト侯爵とご子息とお見受けいたします」
「あぁ。今日は息子の服を買いに来てね」
「左様でございましたか。急ぎのものでしょうか?それともオーダーメイドに致しますか?」
ブランは驚いた。絶対に追い出されると思っていたからだ。
店主は最初こそ驚いてブランを見つめたものの、その視線に嫌悪感が殆ど無かった。物珍しいものを見るような好奇心はあれど、他の人とは違うように感じる。
(この人は、僕の見た目が気持ち悪くないのかな……?)
「どちらもお願いしたい。急ぎで十着ほど見繕いたいが既製品はあるかな?」
「かしこまりました。すぐにご用意いたします。——お前たち、採寸を」
店主がパンパンと手を叩くと控えていた従業員が恐る恐る近づいてきた。
彼女たちの目には嫌悪と恐怖が入り混じっていて、採寸をしようにも声をかけられない、といった様子だ。
「何をしているんだ。早くお坊ちゃんの採寸をしなさい。服が探せないでしょう」
「……」
バルドロイが静かに従業員を睨む。すると慌ててブランのところへ走ってきた。
三人の内、一人が視線を合わせない様にブランへ言う。
「あ、あの、採寸を、致しますので。……こちらに」
「あ、はい」
「……この台に乗って、いただけますか」
従業員たちは何度も何度もバルドロイの視線を確認しているようだった。
おそらく店主のみが下級貴族の出身で、従業員たちは魔法の使えぬ平民なのだろう。平民からすればバルドロイほどの侯爵貴族は生殺与奪の権を握る相手。恐ろしいはずだ。
カーテンの奥に案内され、ブランは言われた通りに服を脱いで台に上がった。
小さな体は骨が浮き出るほど細く、その上傷が多い。
(本当は僕の肌に触れたくないんだろうな。でも父さんやご主人様が怖くて断れないんだ——可哀そう)
ブランは従業員たちの震える手を見ながら指示に従った。
おそらく普段はもっと早く記録できるのだろうが、今は手つきがどこかおぼつかない。
(きっと数日前の僕なら断ったのだろうけど、今の僕はお父様の息子なんだから、堂々としてなくちゃダメなんだ……)
ブランは頭の中でデレクとレイチェルを思い出していた。
ブランの知っている貴族の子供は彼らしかいないからだ。
(貴族らしく振舞うって、どうやるんだろう。えぇ、と。……こう、かな?)
「……グズグズせずにさっさと終わらせろ。不愉快だ」
「っ!」
ブランの声に従業員たちが肩を震わせて固まった。まるで冬の風のように冷たく鋭い声色だった。喉から小さく悲鳴が漏れている。
従業員たちがゆっくりを顔を上げてブランを見ると、鮮やかな瞳がまっすぐこちらを見下していた。先ほどまで父親の影に隠れて怯えていた少年とは思えぬほど、瞳の中にプライドを燃やしている貴族の表情。
別人だった。
従業員の一人は腰を抜かして座り込んでしまい、一人は頭を下げて目も合わせられない。
採寸を記録していた、おそらく一番年上の従業員が声を震わせながら言う。
「た、ただいま、終えました……!」
「ふーん、そう。じゃあ早くしてくれる?」
「ひっ……!か、かしこまり、ました……!」
ブランはレイチェルの口癖を真似したに過ぎなかったが、効果は想像以上だった。
畏敬の念もあったのだろうが、恐れられ馬鹿にされていないだけマシである。
(なるほど。……こうやって話せばいいんだな)
ブランは素早く服を着なおすと震える従業員たちを置いてバルドロイのもとへ戻った。
——一方、その頃。
ブランをカーテンの奥に見送ったバルドロイと店主は並べられた生地を見ながら話し始めた。
「——しかし驚きました。まさか侯爵様が私の店に来て下さるなんて。光栄です」
「そうか? 息子を見る目は普通ではなかったように感じたが……」
バルドロイは店主を一瞥して「バルカ人が嫌いか?」と聞く。
「いえいえ、まさか。ただ、ご子息があまりに美しくて見惚れていたのです」
「……ご機嫌取りにはあまりにもチープだが」
「嘘ではありませんよ、侯爵様」
店主が二つの生地をバルドロイの目の前に広げた。
黒いベルベッドと水色のサテンだ。
「私はこの二色が大好きなのです。妄信的に愛していると言っても過言ではありません。この二つの色をどちらも兼ね備えたご子息を、無礼にも見つめてしまったのです」
美しい生地だ。どちらも角度によって光を反射していて豪華、かつ組み合わせた時の相性がよい。
「なぜこの色を好きに?」
「随分と昔の話にはなりますが、帝国の外へ旅に出たことがありました。その時にバルカ王国に立ち寄ったことがございます」
「ほう。戦争前の話かな?」
「左様でございます」
バルカ王国と帝国が戦争が始まったのは十八年前のこと。旅行で行けるとすれば二十年以上も前の話になるだろうか。
この初老の店主は白いひげを撫でながら話した。
「その時、私は当てもなく気が向くままの旅をしていました。ある晴れた日の早朝、森の中を歩いていました。深い森の奥には湖が。美しさといったらもう。“帝国の華”にも匹敵する艶やかさでございました。水はトルマリンのように鮮やかで透き通っており、湖の底には白い砂が。周りの木々もエメラルドに輝くようで、その景色がすべて幻想的でした」
「ほう」
「そこで私は、水色の瞳を持ったレディにお会いしたのです」
バルドロイはその時、「その人を愛したのだな」と直感的に確信した。店主の声色があまりにも優しかったからだ。
「まるで烏のように光沢を放つ黒髪、湖を閉じ込めたかのような瞳、光を受けて黄金に見える褐色の肌。——そのどれもが神々しかったことを覚えています」
「……それはそれは、羨ましい限りだな。その後レディとは?」
「少しだけ話をしましたが、その後は何もありません。滞在中、二度と彼女には会えませんでしたし、帝国に帰ってからはバルカ王国への宣戦布告がなされましたから」
バルドロイは少しだけ引け目を感じた。
なぜならバルカ王国との戦争は多くの死者を出したからだ。特に都市は激戦区。そこにいたのなら、おそらく助かっていないだろう。
「……それは、辛い話をさせたな。心から詫びよう」
胸に手を当てて軽く頭を下げると店主は慌てて手を振った。
「いいえ。とんでもございません。侯爵様は私にもう一度あの感動を与えてくださいました。それだけで十分でございます」
店主はブランを見てそのレディを思い出したのだろう。
そしてその時にみた宝石のような景色。美しい思い出を掘り起こした。
「私はあの日以来、この色に憑りつかれているのです」
「……そうか」
「まぁ、お客様には“とある方”をイメージして作っていると言っているのですがね。それがどうやら空軍大将様と海軍大将様の軍服カラーだと勘違いされまして」
店主は明るく笑った。バルドロイも思わず笑う。
「なるほど。だから海軍と空軍に人気の店なのだな」
「えぇ。ですが陸軍だけ取り扱わないとなるとまた問題になるでしょう?ですので、次の新作は赤なのですよ」
「ははは。致し方なく、という顔だな」
バルドロイはすっかり機嫌が良くなった。
そして自分の前に広げられた二つの生地を指し、店主に言う。
「よし、この二つを使って服を作ってくれ。デビュタント用だ」
「承りました。期日はいつごろまででしょうか?」
「一週間後の“冬の洗礼式”で息子が十五歳になるんだ。その三日後に正式なパーティーを開いてやりたくてな」
「では十日後までには揃えておきましょう。デザインはどのようなものを好まれますか?不動の人気はリリーデインズ風ですが、最近では龍安風の着物も流行りですよ」
「貴殿に任せる。そなたの方がブランを美しく見せるのが上手そうだ」
「かしこまりました。ご期待に添えられるよう努めましょう」
「あぁ、それから」
バルドロイはポケットから小箱を取り出した。
「ここでは宝石加工も取り扱っているかな?」
「もちろんでございます。服に合わせてお作りすることができます」
「ではこれも加工して付けてくれ。とても豪華な服にしてやりたいんだ」
「これは……」
小箱の中には水色の石が入っている。一見、アクアマリンのような宝石にも見えるが、店主はその価値を知っていた。
「“ヴァルヴ鉱石”ではありませんか……!」
「あぁ」
「なんと……!これだけ大粒の石が市場に出回っているのですか?」
“ヴァルヴ鉱石”は澄んだ青色が美しく、光に当てると水色と赤色の燐光を発するのが特徴的だ。それ最も希少価値の高い鉱石とされている。
また、生産地がバルカ王国の鉱山であり、戦争が始まってからは価格が急高騰した。
「市場には出回らない。これは私が皇室から褒賞として授かったものだ」
「そんな希少価値の高いものを……!」
「それだけ私があの子を愛しているということだ」
バルドロイは満足気だ。
小箱には拳ほどある大きな石が一つとサクランボほどのものが二つ。そして小指の爪ほどのものが十ある。
「これだけあれば、胸飾りとピアスぐらいは作れるだろう?」
「……十分です。カフスも加えてよろしいですか?」
「かまわん。貴殿にすべてを任せる」
「こんな光栄な仕事を任されるなんて、まるで夢のようです。……必ず、帝国一の服を仕立てて見せましょう」
店主が小箱と布を持って籠に仕舞う。
その時、カーテンの奥からブランが出てきた。
「お父様、終わりました」
「おぉ、遅かったな」
「お待たせして申し訳ありません」
「いや、いいんだ。店主からいい話も聞けたことだから。——さぁ、服を選ぼうか」
「はい」
この後、ブランは二時間もの間服を選び続け、生まれて初めての経験にぐったりとするのだった。
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