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秋の一

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 肌に汗が浮かぶような暑さもすっかり落ち着き、木々も色づく秋が江戸には訪れていた。





「もうっ、今回もこれだわ!」

 唄は、長屋で許嫁からの文を読んで憤慨していた。

 せっかく許嫁への認識を改めたというのに、次に来た文から結局またいつも通りの情熱的な文へと戻ってしまっていたからだ。

 さっき唄が読んだ文にも、
『秋の田の穂の上に霧らふ朝霞何処辺の方にわが恋ひ止まむ』という和歌が書いてあった。

『秋の田の稲穂の上にかかる朝霞のようにどこかに消えたりせず、あなたへの恋心はずっと私の中にあり続けています』なんて、すっかり以前と同じ調子に戻っている。

 恋愛と全く関係ない文を一度は送って来たのだから、そういう文もこれからは来るのでは?と期待していたのに。

 その期待は、すぐにあっさり裏切られた。

 こんな文ばかりではやはり相手の情報など探れず、唄にとって許嫁は相変わらず謎の塊のような存在のままだった。

「そもそも、こんなに恋だの愛だの書いてくるくせに、どうして私に会いに来ないのかしら?」

 ここまで情熱的なら、普通は直接会いに来そうなものじゃない?

 気軽に会えないくらい遠い場所に住んでいる可能性も一瞬考えたが、文を渡す為に母さんに何回も会っているのでそれは無いだろう。

 母さんに文を渡しているということは、会おうと思えば私にだって会えるはずなのに。

「あー、本当になんなのよこの人。
全然わからないわ。
せっかく少しは信用しようと思ったのに……」

 唄は、またもや許嫁のことで頭を悩ませる日々を送っていたのだった。





 ーー次の日の昼八つ、唄が白木屋で髪結いをしていた時のこと。

「えぇーっ!
伊之助さんと喧嘩中なんですか!?」

 髪結いをしながら会話に花を咲かせていると、とんでもない話しか飛び出して来た。

「そうなのよ!
私、今回は本当に怒っているの!
伊之助様がちゃんと説明して下さるまで、許さないわ」
 
 無事に誤解が解けた春のあの日から、二人はずっと仲睦まじい様子だったというのに。

 普段は穏やかなお花さんがこんなにも腹を立てるなんて、よほど大変なことがあったのかも知れない。

「お花さん、伊之助さんと何があったんですか?」

「それがね、本当に酷いのよ!
あれは五日前のことだったわーー」



 ーーお花さんいわく、五日前にお雪さんと買い物をしに出かけた時に、伊之助さんを町で偶然見かけたらしい。

 お花さんは伊之助さんに声をかけようと近づいて行ったが、あることに気づいて立ち止まった。

 なんと、伊之助さんの隣には可愛らしい女性が歩いていたのだ。

 しかも、二人は親しげな様子で楽しそうに会話しながら笑い合っている。

 お花さんは驚いて立ち尽くし、結局そのまま伊之助さんには話しかけずにその日は帰った。

 だが、帰ってからも伊之助さんとあの女性のことがずっと頭から離れず、お花さんは悩んだ。

 あの女性と伊之助さんは、一体どんな関係なのかしら?

 まさか、あれは浮気?
 
 私を愛していると言ってくれたのは嘘だったの?

 など、様々なことを考えてしまって、お花さんは眠れぬ夜を過ごした。

 その三日後、ちょうど以前から伊之助さんと会う約束をしていた日だったので、お花さんは我慢出来ずに伊之助さんを問いただしたという。

「三日前、町でお見かけした時にご一緒していた女性とはどのような関係ですか?」と。

 すると伊之助さんは慌てた顔をして、

「えーと、きっと誰かと見間違えたんじゃないかな?
俺は、女性と一緒に歩いたりしていませんよ」

 と、明らかに目を泳がせながら狼狽えた様子でそう言ったらしい。
 


「それは、なんだかとても怪しいですね」

 話しを聞き終わってから、私は思わずそう言ってしまった。

「そうでしょう!?
伊之助様が女性と歩いているところは、一緒にいた雪だって見ていたんだから、絶対に見間違いなんかじゃないの。
それなのに、あんな見え透いた嘘をつくなんて」
 
 そう言ってうつむいてしまったお花さんに、どんな言葉をかけたらいいのかしら。

「お花さん」

「私、とても腹が立って『この浮気者ーっ!』って言いながら、伊之助様の頬を平手打ちして帰ってやったのよ。
あんな言い訳で誤魔化せるなんて思ったら大間違いだわ!」

「ひ、平手打ち……」

 お花さんを励まそうと声をかけようとしたのに、顔を上げたお花さんからとんでもないことを聞いてしまった。

 あの、昔から穏やかだったお花さんが平手打ち!?

 恋って、こんなに人を変えるものなのね。

 唄は、長い付き合いの友人の変化と恋の力にとにかく驚かされた。

「その日以来、伊之助様からは何の音沙汰も無いのよ。
せめて、謝罪くらいはしてくれてもいいと思わない?」

 お花さんは腹立たし気な様子でそう言った。

「確かにそうですね。
ちゃんと説明してくれたらいいのに。
ああ、もしかしたら前と同じように一人で色々考えてもじもじしているのかも知れませんね」

 伊之助さんは、再び根性無しに戻っているのかも知れない。

「前のことは、私への愛情があるってわかったから許したわ。
でも、今回の浮気は駄目。許せない」

「うーん。
伊之助さんは、本当に浮気しているんでしょうか?」

 あんなにお花さんへの愛を叫んでいたのに、浮気なんてするかしら?

「わからないわ。
でも、謝罪も言い訳もしに来ないから本当にそうなのかも。
私達、これからどうなってしまうの……」

 お花さんは目を伏せて落ち込んでしまった。

「お花さん、伊之助さんから話しを聞くまでは一応信じてあげませんか?
まだ、浮気と決めつけるには早い気がするんです」

「唄……。
ありがとう、唄がそう言うならもう少し待ってみるわ」

 お花さんはそう言って弱々しく微笑んだ。

 もしも、伊之助さんが本当に浮気なんてしていたら、私と千太が伊之助さんをとっちめてやるわ!

 そう、唄が密かに決意をしていたその時。

「花、少し失礼しますよ」

「え、母さん!?一体どうしたの?」


 なんと、いきなり大奥様が部屋に入って来た。

 



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