女髪結い唄の恋物語

恵美須 一二三

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夏の九

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 その後、権八さんは死罪となって刑が執行された。

 遺体は近くの寺へ埋葬されたという。

 



 ーーたくさん涙を流し合ったあの日から、どうしても蛍さんが心配で吉原に何度も会いに行っていた。

 蛍さんは会うたびに痩せ細っていき、今にも消えてしまいそうなほどに儚く見える。

 それに、私以外の人の前では何事も無かったかのように気丈に振る舞っているのもなんだか痛々しい。

 私が蛍さんにしてあげられることはあまり無かった。

 それでも、少しでも慰めになりたいという一心で会いに行き続けている。

 今日もこれから蛍さんに会いに行く。

 先日、ついに権八さんの刑が執行された。

 髪結いの仕事が少し立て込んでいたので、権八さんの刑が執行されてから蛍さんに会うのは今日が初めてだ。

 蛍さんは大丈夫かしら?

 不安を抱えながら、吉原の大門をくぐって中に入った。



 楼主に会うと、なんだか少し機嫌が良さそうに見える。

「おはようございます。
なんだかご機嫌なように見えますけど、何かあったんですか?」

「おお!お前さんか。
実はな、蛍に身請けの話しが来てるんだよ」

「え!?身請け、ですか?」

 花魁の身請けなんてそう簡単に出来るものじゃないのに。

 一体どこの誰がそんなことを?

「ああ、相手は最近繁盛し始めて大儲けしてるっていう問屋の旦那様だ」

 最近繁盛し始めた問屋?

 そういえば、常連の問屋の大奥様から少し前に髪結いをしている時に聞いた気がする。 

 最近あまり良くないやり方で荒稼ぎしている問屋がいるらしい、と。

 悪い噂も聞くし長続きはしないだろう、とも言っていた。

 まさか、その問屋のことなの?

「あの、その問屋は」
 
「店にはたくさん金が入るし、蛍も晴れて自由の身になれる。
良いことづくしってもんだ!」

 こんな時に身請けなんて、蛍さんにとって良いことなはずが無いのに。

 楼主は私の声など耳に入っていないようで、ご機嫌な様子で喋り続けた。

「こんなに良い話しだっていうのに、蛍は身請けを断ると言っているんだ。
お前さん、ちょいと身請けを受けるように説得してくれないかい?」

 楼主のその言葉に、私はいよいよ耐えられなくなった。

「ふざけないで下さいっ!
そんなの絶っ対にお断りです!」

 部屋を飛び出して、大きく足音を立てながら廊下を歩く。

 楼主は蛍さんの事情を知らないとはいえ、あんなことを言われるのはどうしても許せない。

「お待ち下さいっ!」

 蛍さんの禿(かむろ)が後ろから走って来た。

 私がいきなり楼主の部屋から出たので、追いかけて来てくれたんだろう。

「私ったら、いきなり部屋から出てしまってごめんなさいね」

「いいえ、構いません。
蛍さんの部屋までご案内しても大丈夫ですか?」

「ええ、お願いします」

 蛍さんに会う前に、少し冷静にならなければ。

 禿に連れられて歩きながら、気持ちを落ち着けるように努力した。



「失礼します。
蛍姉さん、髪結いさんをお連れしました」

「ご苦労様、どうぞ入ってくんなんし」

「失礼します。
みなさん、おはようございます」

「「「おはようござりんす」」」

 今日も見学の人達が相変わらず来ている。

「おはようござりんす、お唄さん」

「おはようございます、蛍さん。
あの、ちょっと後でお話ししたいことがあるんですけど」

「ふふっ、わっちもちょうど食事に誘おうと思っていんした」

「ありがとうございます。
後でゆっくり話しましょうね。
それじゃあ、髪結いを始めていきますね」

 風呂敷から道具を取り出して手に持ち、私は髪結いを始めた。



「ーーはいっ、これで完成です!」  

 前によくしていた『伊達兵庫』は、実は権八さんに褒められた髪型だったと、つい先日蛍さんに教えてもらった。

 褒められたのが嬉しくて、いつもその髪型にしていたらしい。

 最近はそれを思い出すからなのか、蛍さんは別の髪型を頼むことが多かった。

 けれど、今日は久しぶりにまた『伊達兵庫』を頼まれた。

 何か、蛍さんの中で心境の変化があったのかも知れない。

「今日もありがとうござりんした。
食事を用意さしんすから待ちなんし」

「わかりました。
見学の皆さんはもう戻っても大丈夫ですよ」

「「「ありがとうござりんした」」」

 みんなが部屋を出て行き、部屋には私と蛍さんの二人だけになった。

「楼主から、蛍さんに身請けの話しが来ていると聞きました。
あの、大丈夫ですか?」

 話しを聞いてからずっと心配だったのだ。

 こんな時に身請けなんて言われて、蛍さんは大丈夫なのかと。

「ああ、お唄さんも聞きんしたか。
こはばからしゅうありんす。
あんな塩次郎、わっちは好きいせん」

 こはばからしゅう、とは馬鹿らしいという意味で、塩次郎はうぬぼれが強い人という意味だ。

 嫌そうにしているし、蛍さんにとってはあまり良い人では無いらしい。

「身請けを受けるように説得して欲しいと頼まれましたが、もちろんお断りしました」

「それは、まこと申し訳ありんせん。
はぁー、あの武左も楼主も何度断っても諦めやしんせん」
 
 蛍さんは、大きくため息をついた。

 武左は、常に威張っている客という意味だ。

 どうやら、本当に良くない人らしい。

「蛍さん、こんな時に災難ですね」

 今は身請けなんて考えられるような状態では無いのに、その相手がよりによって嫌な人だなんて。

「……お唄さんも、権八様の話しを聞いたのでありんすね。
心遣い、ほんに感謝いたしんす」

 蛍さんは、痛みに絶えるように目を閉じてそう言った。

「蛍さん、」

「お食事の用意が出来ました」

 何か言わなければと思ったが、ちょうど食事の用意が出来たと禿が教えに来た。

「お唄さん、わっちは大丈夫でありんす。
さあ、食事にいたしんしょう」

 儚げな笑みを見せてそう言った蛍さんは、隣の部屋へと歩き出した。

 本当に大丈夫なのかと心配しつつ、私も蛍さんの後に続いて隣の部屋へと移動した。



 この時の私は、まさかこれが蛍さんとの最後の食事になるだなんて思いもしなかった……。

 


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