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夏の四

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「あなたが辻斬り?」

 男の顔は、黒い布で覆われていて目元だけが見える。

「あ?なんだお前?
俺は女は切らねぇ主義だ、さっさと失せな」

 この人は権八さんなの?

 うーん。権八さんには会ったことも無いし、目元しか見えないから全然わからないわね。

「あなた、千太を切るつもりなんでしょう?
だったら見過ごせないわ」

 男の手にはぎらりと鈍く光る刀がある。

 怖くないと言ったら嘘になる。

 でも、千太が殺されてしまうかも知れないのに自分だけ逃げるなんて、絶対に嫌。

「ほう?
お前みたいなお嬢ちゃんに一体何が出来るっていうんだ?」

「唄!お前は関係無いんだから早く逃げてくれ!」

「はあ?関係無くないでしょ!? 
千太を置いて、私一人で逃げろって?
馬鹿も休み休み言って」

「まあ、お坊ちゃんの連れならお前も結構金持ってるかも知れねぇしな……。
しょうがねぇか、恨むんならここで逃げなかった自分を恨むんだな」

 男が刀を構え直した。

「馬鹿っ!お前は本当に馬鹿なのか?
いいから逃げろって言ってるんだよ!」

 騒ぐ千太を無視して、持っていた風呂敷から一番先が尖っている櫛(くし)を取り出して前に出る。

「いい?
もし千太に手を出そうとしたら、あんたの目にこの櫛を突き刺してやるんだからっ!」

 そう叫んで、櫛の先を男に向けて構えた。

 たとえ刺し違えたとしても千太を守るわ!

「お前、意外とえげつない事を言うね。
というか、仕事道具をそんな風に使おうとするんじゃないよ」

 千太が信じられないというような目で私を見ている。

「うるさいわね!
そんなことにこだわってられないのよ」

 そんな目で見られても、今の私にはなりふりかまってられるような余裕なんて無い。

「ん?仕事道具?
しかも、名前は唄……お前、もしかして女髪結いの唄か?」

「そうだけど?
だから何だって言うのよ?」

 ん?私のことを知ってるの?

 でも、今はそんなのどうだっていいわ。

「覚悟しなさい!
千太は私が守るんだからっ!」

 櫛を強く握る。

 やっぱり怖い。

 怖いけど、それでも一歩も下がらないわ。

 さあ、かかってきなさいよ!

「ははっ。なるほど、お前が女髪結いの唄か。
話しに聞くよりずいぶん勇ましいな。
……ああ、どうやらお前は殺しちゃならねぇ女らしい」

「どういうことだ?
お前、唄を知っているのか?」

 千太が男を睨みつける。

「ふんっ、命拾いしたなお坊ちゃん。
お前の為に命まで張ってくれたそのお嬢ちゃんに感謝しろよ。
……じゃあ、あばよっ!」

 刀を鞘に納め、男はこちらに背を向けて走り出した。

「えっ!?
ちょっと待ちなさいよ!」

 止めようとしたが、すでに男の姿は見えなくなっていた。

 ずいぶん逃げ足が速いのね。

 ……それにしても、結局あの人が権八さんなのかどうかはわからずじまいだわ。

「一体どうして逃げたんだ?
唄、あの男とは知り合いなの?」

 千太が困惑した顔で訊いてきた。

「私だって知らないわよ。
知り合いだったらこんなことしてないわ」

 本当になんだったのかしら?

 私のことを知っているみたいだったけど。

「まあ、よくわからないけど僕たち助かったみたいだね。
とりあえず場所を移そうか」

「それもそうね。
千太は腕を怪我してるから早く手当てしないと。
痛むでしょう?」

 どうなることかと思ったけど、私も千太も助かって良かった。

 櫛を風呂敷の中にしまう。

 千太も言ってたけど、仕事道具を変なことに使わずに済んでよかったわ。

「さっきまでは緊張してたからか全然痛くなかったけど、気が抜けたら少し痛くなってきたよ。
家に帰って包帯でも巻こうかな」

「刀で切られたんだから痛くて当然よ。
私もついて行くわ。
今日はこれからお花さんの髪結いをする予定だったし」
 
 見たところ傷はそこまで深くなさそうだけど、心配だから一応ついて行くことにした。

 私と千太は白木屋に向かって歩いた。



 ーー辻斬りが出たせいで町はだいぶ騒がしかったけど、無事に白木屋までたどり着いて暖簾(のれん)をくぐって中に入った。
 
「おお、若旦那!お早いお帰りですね。
それにお唄さんもご一緒で……って若旦那の腕から血が出てる!?」

「「「なんだって!?」」」

 お店の人達が何人か駆け寄って来た。

「若旦那、何があったんですか?」

「誰がこんなことを……」

「ああ、お痛わしい……」

 こっちに来なかった人達も心配そうな顔をしている。

 みんなが心配するのも無理はない。

 千太はこの白木屋の跡取りなんだから、何かあったらそれはもう一大事だ。

「ああ、辻斬りに少し切られてね。
そこまで騒ぐほどのことじゃないから、みんなは仕事に戻っていいよ」

「ちょっと千太!
みんなが心配してくれてるんだから、ありがとうくらい言いなさいよ」

 千太ったら変なところでかっこつけだから、きっと照れてるのね。

 もう、しょうがないんだから。

「へへっ、いいんですよお唄さん。
とにかく、手当ての用意をするんでお二人とも奥の部屋に行ってて下さい」

「ありがとうございます。
さあ千太、行くわよ」
 
「……なんで僕の家なのに唄の方が先に行くんだい?」
 
「うふふっ、もう何度も来てるんだから別にいいでしょう」

「ははっ、それもそうか」

 二人で笑いあって、奥の部屋へと向かって歩き始めた。

 すると、

「あれっ?」

 急に全身の力が抜けて目の前が真っ暗になり、体が前の方へと倒れていく。

「唄っ!!」

 千太が倒れた私の体を抱きとめてくれた。

 ああ、怪我をしているのにごめんなさい。 

「おいっ、しっかりしろ!唄!」

 千太が私を呼ぶ声も少しずつ遠のいていき、私はそのまま意識を失ってしまった……。

 
 

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