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春の十一

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 ーー私の許嫁様へ

 初めまして、あなたの許嫁の唄と申します。

 突然の文、驚かれたことと思います。

 まだお会いしたこともありませんのに、手紙でご挨拶する無礼をお許し下さいね。

 ですが、どうか私の心をお受け取り下さいませ。


『水鳥の鴨の羽色の春山のおほつかなくも思ほゆるかも』


 あなたからのお返事をお待ちしております。

 ーーあなたの許嫁の唄より



 三日間、悩みに悩んでようやく許嫁に送る文を書いて母さんに渡した。

「それじゃあ、これは母さんがちゃんと渡しておくから安心して。
お返事がもらえると良いわねぇ」

 どうやら母さんは、明日私の許嫁に会う予定があるらしいので、その時に渡してもらうことになっている。

 その話しを聞いた時に、尾行でもしようかと一瞬思ったが、すぐに母さんに「だめよぉ」と言われてしまったので諦めた。

 普段はのほほんとしているくせに、母さんは変なところで鋭い。

 なので、大人しく返事を待つことにした。

『水鳥の鴨の羽色のような春山がぼんやりとかすんで見えるのと同じように、あなたの気持ちがはっきりとわからず、不安に思います』

 こんな意味の和歌を送られて、相手はどう返して来るだろう?
 
 ーー気になって、毎日少しそわそわしながら過ごした。
 




 ーーそれから五日後、

「唄、お返事もらってきたわよぉ。
はい、どうぞ」

「ありがとう、母さん!」

 ついに相手から返事が来た。

 内容が気になるので早速その場で読み始めた。

 が、出だしを呼んだだけで叫び出しそうになった。

 ーー愛しい唄へ

 い、愛しい!?

 こっちはつい最近許嫁の存在を知ったばかりなのに、私を愛しい?

 相手は私をある程度知っているんだろうか?

 ……気になるけど、それは一旦置いておこう。

 最初からつまずいていたら始まらないわ。

 最後まで読むのよ。



 ーー私の愛しい唄へ

 初めまして、君の許嫁です。

 申し訳ないが、事情があって今はまだ名乗ることも、私のことを詳しく教えることも出来ません。

 だから、私のことは君の好きなように呼んで下さい。

 愛しい君から文が届き、とても嬉しかったです。本当にありがとう。

 こんなにも愛おしく思っているのに、君を不安な気持ちにさせたことをどうか謝らせて欲しい。

 私の唄を愛しく思う心が、少しでも伝わってくれるように願っています。


『恋するに死するものにあらませば我が身は千たび死にかへらまし』


 君さえよければ、これからも文を送ってくれると嬉しいです。

 愛しい君からの返事を待っています。

 ーー君を愛する許嫁より



「何なのこれっ!?」

 読み終わってから、耐えきれずに大きい声を出してしまった。

『恋の苦しみで死ぬというのならば、私は死んでも死んでも生き返って、またあなたに恋をします』ですって?

 自分の身の上も詳しく明かさないくせに、こんなに愛をささやいてそれを信じろなんて、ばかにするにも程があるわ!

「うふふっ、赤くなっちゃって。
若いっていいわねぇ」

 母さん、そんな微笑ましい物を見るような目で見ないでちょうだい。

 私は今、怒りにうち震えているのよ。

 あと、いきなり愛をささやかれるなんて思わなかったから普通に恥ずかしいわ。

 この人にとっては、こんな風に愛をささやくのは簡単なことなのかしら?

 だとしたら、ずいぶん調子のいい男ね。

 ……それにしても、結局許嫁については全然詳しくわからないままだ。

 でも、一つだけ収穫があった。

 相手は文通を続けたがってる。

 つまり、許嫁を探る機会はまだたくさんあるということだ。

 だったら、また文を書いて送るしかないわよね。

 まだまだ諦めないわよ。私の許嫁がどんな人間なのか、絶対に探ってやるんだから!

 そうと決まれば、早速次に送る和歌も選ばなきゃね。
 
 再びいそいそと和歌を調べて文に書いて、数日後にそれを母さんに託した。


『いつはりのなき世なりせばいかばかり人の言の葉うれしからまし』


 今回の文にはこの和歌を書いた。

『この世にもし嘘や偽りがないのであったなら、あなたの言葉がどんなに嬉しく感じられることでしょう』という意味だ。

 前回と変わらず、あなたの言葉を信じていませんよという気持ちを示した。

 ーーさて、相手はどう返してくるだろう?




 ーーそこから更に数日後、相手からの返事が届いた。


『浅香山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに』


 文には、前回と同じく私への愛の言葉とこの和歌が書かれていた。

『浅香山の姿を映す清らかな山の井、その浅い泉のように浅はかな心で、私はあなたをお慕いしているわけではありませんのに』か。

 前回よりは控えめだけど、やっぱり私にそういう思いがあるって示したいみたいね。

 なんだかもう、いちいち否定的な和歌を送っていたらきりがないような気がしてきた。

 とりあえず、いったんこの嘘か本当かわからない愛の言葉は受け入れて、私はもう普通の和歌で返そう。

 その方が、より相手の情報を探れる気がする。

 こちらが否定すればするほど、相手はひたすら愛をささやくようなことを書いてきて恥ずかしいし。


『世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし』 


 次の文にはこの和歌を書いた。

『もしも世の中に全く桜というものが無かったのなら、春を過ごす人々の心はどんなにのどかであることでしょう』と。

 さすがに恋愛とは関係の無い和歌を送れば、こんなに愛をささやいてくることも無いだろう。

 そう思って安心した唄だったが、その考えは大きく裏切られることになる。

 結局、どんな和歌を送っても相手からは愛を伝える和歌がつづられた文が送られて来たからだ。



 こうして、髪結いの仕事をこなしつつ、時々許嫁からの文に赤くなったりしながら、日々は過ぎていった……。

 
 
 
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