12 / 53
春
春の十一
しおりを挟むーー私の許嫁様へ
初めまして、あなたの許嫁の唄と申します。
突然の文、驚かれたことと思います。
まだお会いしたこともありませんのに、手紙でご挨拶する無礼をお許し下さいね。
ですが、どうか私の心をお受け取り下さいませ。
『水鳥の鴨の羽色の春山のおほつかなくも思ほゆるかも』
あなたからのお返事をお待ちしております。
ーーあなたの許嫁の唄より
三日間、悩みに悩んでようやく許嫁に送る文を書いて母さんに渡した。
「それじゃあ、これは母さんがちゃんと渡しておくから安心して。
お返事がもらえると良いわねぇ」
どうやら母さんは、明日私の許嫁に会う予定があるらしいので、その時に渡してもらうことになっている。
その話しを聞いた時に、尾行でもしようかと一瞬思ったが、すぐに母さんに「だめよぉ」と言われてしまったので諦めた。
普段はのほほんとしているくせに、母さんは変なところで鋭い。
なので、大人しく返事を待つことにした。
『水鳥の鴨の羽色のような春山がぼんやりとかすんで見えるのと同じように、あなたの気持ちがはっきりとわからず、不安に思います』
こんな意味の和歌を送られて、相手はどう返して来るだろう?
ーー気になって、毎日少しそわそわしながら過ごした。
ーーそれから五日後、
「唄、お返事もらってきたわよぉ。
はい、どうぞ」
「ありがとう、母さん!」
ついに相手から返事が来た。
内容が気になるので早速その場で読み始めた。
が、出だしを呼んだだけで叫び出しそうになった。
ーー愛しい唄へ
い、愛しい!?
こっちはつい最近許嫁の存在を知ったばかりなのに、私を愛しい?
相手は私をある程度知っているんだろうか?
……気になるけど、それは一旦置いておこう。
最初からつまずいていたら始まらないわ。
最後まで読むのよ。
ーー私の愛しい唄へ
初めまして、君の許嫁です。
申し訳ないが、事情があって今はまだ名乗ることも、私のことを詳しく教えることも出来ません。
だから、私のことは君の好きなように呼んで下さい。
愛しい君から文が届き、とても嬉しかったです。本当にありがとう。
こんなにも愛おしく思っているのに、君を不安な気持ちにさせたことをどうか謝らせて欲しい。
私の唄を愛しく思う心が、少しでも伝わってくれるように願っています。
『恋するに死するものにあらませば我が身は千たび死にかへらまし』
君さえよければ、これからも文を送ってくれると嬉しいです。
愛しい君からの返事を待っています。
ーー君を愛する許嫁より
「何なのこれっ!?」
読み終わってから、耐えきれずに大きい声を出してしまった。
『恋の苦しみで死ぬというのならば、私は死んでも死んでも生き返って、またあなたに恋をします』ですって?
自分の身の上も詳しく明かさないくせに、こんなに愛をささやいてそれを信じろなんて、ばかにするにも程があるわ!
「うふふっ、赤くなっちゃって。
若いっていいわねぇ」
母さん、そんな微笑ましい物を見るような目で見ないでちょうだい。
私は今、怒りにうち震えているのよ。
あと、いきなり愛をささやかれるなんて思わなかったから普通に恥ずかしいわ。
この人にとっては、こんな風に愛をささやくのは簡単なことなのかしら?
だとしたら、ずいぶん調子のいい男ね。
……それにしても、結局許嫁については全然詳しくわからないままだ。
でも、一つだけ収穫があった。
相手は文通を続けたがってる。
つまり、許嫁を探る機会はまだたくさんあるということだ。
だったら、また文を書いて送るしかないわよね。
まだまだ諦めないわよ。私の許嫁がどんな人間なのか、絶対に探ってやるんだから!
そうと決まれば、早速次に送る和歌も選ばなきゃね。
再びいそいそと和歌を調べて文に書いて、数日後にそれを母さんに託した。
『いつはりのなき世なりせばいかばかり人の言の葉うれしからまし』
今回の文にはこの和歌を書いた。
『この世にもし嘘や偽りがないのであったなら、あなたの言葉がどんなに嬉しく感じられることでしょう』という意味だ。
前回と変わらず、あなたの言葉を信じていませんよという気持ちを示した。
ーーさて、相手はどう返してくるだろう?
ーーそこから更に数日後、相手からの返事が届いた。
『浅香山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに』
文には、前回と同じく私への愛の言葉とこの和歌が書かれていた。
『浅香山の姿を映す清らかな山の井、その浅い泉のように浅はかな心で、私はあなたをお慕いしているわけではありませんのに』か。
前回よりは控えめだけど、やっぱり私にそういう思いがあるって示したいみたいね。
なんだかもう、いちいち否定的な和歌を送っていたらきりがないような気がしてきた。
とりあえず、いったんこの嘘か本当かわからない愛の言葉は受け入れて、私はもう普通の和歌で返そう。
その方が、より相手の情報を探れる気がする。
こちらが否定すればするほど、相手はひたすら愛をささやくようなことを書いてきて恥ずかしいし。
『世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし』
次の文にはこの和歌を書いた。
『もしも世の中に全く桜というものが無かったのなら、春を過ごす人々の心はどんなにのどかであることでしょう』と。
さすがに恋愛とは関係の無い和歌を送れば、こんなに愛をささやいてくることも無いだろう。
そう思って安心した唄だったが、その考えは大きく裏切られることになる。
結局、どんな和歌を送っても相手からは愛を伝える和歌がつづられた文が送られて来たからだ。
こうして、髪結いの仕事をこなしつつ、時々許嫁からの文に赤くなったりしながら、日々は過ぎていった……。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
大航海時代 日本語版
藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった―――
関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した
それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった
―――鎖国前夜の1631年
坂本龍馬に先駆けること200年以上前
東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン
『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです
※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
毛利隆元 ~総領の甚六~
秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。
父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。
史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
大奥~牡丹の綻び~
翔子
歴史・時代
*この話は、もしも江戸幕府が永久に続き、幕末の流血の争いが起こらず、平和な時代が続いたら……と想定して書かれたフィクションとなっております。
大正時代・昭和時代を省き、元号が「平成」になる前に候補とされてた元号を使用しています。
映像化された数ある大奥関連作品を敬愛し、踏襲して書いております。
リアルな大奥を再現するため、性的描写を用いております。苦手な方はご注意ください。
時は17代将軍の治世。
公家・鷹司家の姫宮、藤子は大奥に入り御台所となった。
京の都から、慣れない江戸での生活は驚き続きだったが、夫となった徳川家正とは仲睦まじく、百鬼繚乱な大奥において幸せな生活を送る。
ところが、時が経つにつれ、藤子に様々な困難が襲い掛かる。
祖母の死
鷹司家の断絶
実父の突然の死
嫁姑争い
姉妹間の軋轢
壮絶で波乱な人生が藤子に待ち構えていたのであった。
2023.01.13
修正加筆のため一括非公開
2023.04.20
修正加筆 完成
2023.04.23
推敲完成 再公開
2023.08.09
「小説家になろう」にも投稿開始。
江戸の櫛
春想亭 桜木春緒
歴史・時代
奥村仁一郎は、殺された父の仇を討つこととなった。目指す仇は幼なじみの高野孝輔。孝輔の妻は、密かに想いを寄せていた静代だった。(舞台は架空の土地)短編。完結済。第8回歴史・時代小説大賞奨励賞。
リモート刑事 笹本翔
雨垂 一滴
ミステリー
『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。
主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。
それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。
物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。
翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?
翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる