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春
春の八
しおりを挟むーーあれはもう、今から十年近く前のことなんですけど、俺はお花さんに一度だけ会ってるんです。
十年近く前のある日、俺の家には年下のいとこの女の子が遊びに来ていました。
その子は芸事の塾に通っていて、俺がその子を塾に送って行くことになったんです。
送って行ったらすぐに帰るつもりだったんですけど、帰りも一緒に帰って欲しいと頼まれてしまって。
その子の習い事が終わるまで、待つことになりました。
する事が無くて暇を持てあましていたら、そこの先生が他の教室を見学してもいいと言って下さったんです。
だから、お言葉に甘えていくつかの教室を少し見学して回りました。
すると、一つの教室から三味線の美しい音色が聴こえてきたんです。俺はその音色が聴こえる教室をのぞいて見ました。
そこで三味線を弾いていたのが……あなたです!
そう、あなた。先ほど手紙をもらった時に、あの時の三味線を弾いていた子だって気づいたんです。
先ほどは、まじまじとお顔を見つめてしまってすいませんでした。
え?てっきり三味線を弾いていたのがお花さんだと思ったんですか?
あははっ、紛らわしくてすいません。
彼女はその時、三味線を弾いていたあなたの横に座っていたんです。真剣なまなざしで三味線を弾くあなたを見つめていました。
そしてあなたが三味線を弾き終わった時、彼女は眩しい笑顔で拍手をしたんです。
俺はその時、彼女の笑顔に目を奪われて一目惚れしてしまいました。
すると、あまりにもじぃっと見つめ続けていたからか、教室をのぞき込んでいたのをあなたに気づかれてしまったんですよ。
覚えていますか?
その時あなたに、
「ちょっと!あなたここに習いに来てる子じゃないでしょ?何見てるの?
私たちは見せ物じゃないのよ!」
と怒られてしまって。
あなたの横にいたお花さんにも、不審者を見るような目で見られてしまって……。
慌てた俺はその場から走って逃げたんです。
あの時はすみませんでした。
その後、習い事が終わったいとこと家に帰ったんですけど、どうしてもあの笑顔が忘れられなくて。
いとこに頼んで名前を調べてもらって、一目惚れの相手が白木屋の娘さんだと知りました。
俺は父に白木屋の娘さんに一目惚れしたことを伝えて、たくさん頼み込んで許嫁になれるようにしてもらいました。
ようやく彼女の許嫁になれた時は、叫び出したくなるくらい嬉しかった。
でも、彼女に直接会いに行く勇気がなかなか出ないまま、こんなに時間が経ってしまって……。
しびれを切らした両親が、とうとう顔合わせの機会をもうけてくれたんですけど、結果はお二人も知っている通りです。
久しぶりに会った彼女はまた一段と美しくなっていて、その名前の通りにまるで美しい花のようでした。
そんな彼女を見たら、俺は緊張して目も合わせられず、話しかけることも出来ませんでした。
でも、せめて少しでも俺の気持ちが伝わればと和歌を呟いたんです。
声が小さすぎて、伝わらなかったと思ったんですけど、この手紙の最後に和歌が書かれているということは聞いてくれていたんですね……。
「ーー今話した通り、俺はもう十年近く彼女に想いを寄せています。
緊張のあまり、顔合わせでは誤解を招くような振る舞いをしてしまいました」
話し終えた根性無しはうなだれた。
それにしても、こんなに長い間お花さんを想っていたなんて驚きだわ。
和歌を聞いた時点で好意があるのは確かだと思っていたけど、まさかここまでとは思わなかった。
あとは、この根性無しが勇気を出してお花さんとちゃんと話せば、全部丸く収まるんじゃない?
「あなたは今、お花さんを不安な気持ちにさせているんです。
目も合わせてくれない相手が、いきなり和歌で愛をささやいて来たって信用に欠けるもの」
「ああ、俺はもう終わりだ。
きっと、お花さんに嫌われるんだ……」
「唄、追い詰めるなよ。
可哀想だろう。
伊之助さん、大丈夫ですか?」
なんだか昨日のお花さんに似たような状態になってる。
実は、お花さんと結構気が合うのかもね。
「話しはまだ終わりじゃないわ。
次にお花さんに会った時に、あなたの想いを全部伝えればいいんです」
「そんなこと、出来ませんよ……」
まあ、この期におよんで本当に根性無しなんだから。
「ふーん、じゃあお花さんに今度こそ嫌われるだけですね」
「それは絶対に嫌です!」
「だったら、ちゃんと言うしかありませんよ?
本当にお花さんを愛してるなら、少し勇気を出すくらい簡単でしょう」
「それとも、あなたの姉への愛はそんな簡単なことも出来ないような程度なんですか?」
私が言った後に、千太がまた追い討ちをかけた。
追い討ちをかけるのが好きなの?
「そんなことありません!
俺は、お花さんを誰よりも何よりも愛していますっ!!」
突然、根性無しが叫び出した。
千太の言葉で心に火がついたみたいだ。
やる気が出たのは良いことだけど、こんな往来で愛を大声で叫ぶなんて恥ずかしくないのかしら。
恋ってすごいのね。
さくり、さくり、と草履が地面を踏みしめる音が後ろから聴こえてきた。
誰かが後ろから歩いて来ているみたいだ。
気になって振り返った先には、
「伊之助様、今おっしゃっていたことは本当ですか?」
なぜか、話しの中心人物のお花さんがいた。
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