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どこかに行く

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「新しい学校はどう? もう慣れたかしら?」
「はい。勉学は分かりやすいですし、友人も出来ました」
「それはよかったわ」
 それだけの会話をしてから、夜明け色のドレスがくるりと向きを変えた。子犬を育てたいとごねる義兄との会話が大事で仕方がない。僕はその間に自分の部屋へと階段を登った。
 廊下では高齢のメイドさんとすれ違うことになったけど、パンッとお尻を叩かれて「背筋を伸ばしなさい」と怒られた。
 一人部屋だなんてラッキーだって父様が言っていた。そこに運んだ机は産まれてからずっと僕のもので傷だらけ。
「一人部屋って言ったって居場所はここだけだよ」
 椅子に座って机に突っ伏した。匂いを嗅いでみるけど無臭だ。前の家の思い出は連れてきていないものの、隅に落書きしたペンギンはこないだのもの。
「ねえ、返事をしなよ。ヴィレインワーゲン」
 ……うん。と答えるのを、僕の頭の中で助けてあげる。
 僕は思い立ち、座ったばかりの椅子から飛びあがった。階段を勢いよく降りかけたけど、いけないと思って静かに降りた。下では義兄が泣いている。歳で言うとひとつしか違いはない。
「まだそこにいたの?」
 夜明け色のドレスが振り向く。
「学校に忘れ物があったので、急いで取りに行ってきます」
「あらそう。暗くなる前に帰ってくるのよ?」
「はい」
 ぺこっとお辞儀をしてから玄関へ行った。靴を履いていたらリビングから声が飛ぶ。
「いつまで泣いているの! 下を見てばかりいる男の子は二人も要らないのですよ!」
 聞いていたくなく、僕は早々に外へと出ていく。

 学校への道はこんな草木のしげる道じゃない。太ももの辺りまで伸びた葉っぱをかき分けながら、慣れた方向へと向かったら小さな小屋が見つかった。
 朽木の折れた枝に魚の空き缶が吊るしてあるからミュンヘンは来ている。僕への合図にしていた。
「こんにちは……」
 締まり切らない扉を開けて呼び掛けた。廊下には暖かな日差しが屋根の穴から入っている。しんと静まっていたけど、ひょこっと奴が顔を出した。
「こんにちは、ヴィレインワーゲン」
 挨拶をしないと気分を損ねさせて一生髪の毛を突っついてくる羽目に遭う。
 だけどヴィレインワーゲンはテトテトと音を弾ませながら僕の元にやってきて、両手の平をクチバシでぐいぐいと押してきた。
 僕にはその意味が分かっていて、このペンギンが誇り高い家系の高貴なペンギンだったってことを忘れそうになる。
「ヴィレインワーゲン、ごめんね。今日は義母さんがリビングに居たから持って来れなかったんだ」
 まるっきり言葉が通じるみたいで、ヴィレインワーゲンは急に僕から距離を置いて部屋の方へ帰っていった。僕もその方へ用があるから後ろからついて行く。
「ミュンヘン?」
 女の子を見つける。黒い髪を垂らしながら何か思いつめた顔をしている。その視線の先には絵の具が塗り広げられたキャンバスが床に置いてあった。
 ヴィレインワーゲンがそれらの絵を踏まずとも、ギリギリを縫って通り抜けて行く。それでもミュンヘンは気にせずにひとりで唸っている。
 どうしたの? と、僕が聞こうとした時に決断がついたみたいだ。
「あなたは留守番」
 幾つかのキャンバスは別サイドへ避けた。残りのものは薄紙を挟んで束ね、紐などで縛っているけど。
「何をしてるの?」
「あ。来たんだ。ちょうどよかった。君も一緒に行く?」
 僕のことは見えていなかったのか。それにしても行くってどこにだろう?
「うん。行く」
 すると、縛って持てるようにしたキャンバスの半分を、僕も持つことになってしまった。
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