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lll.クランクビスト

変わっていく1

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 秋色の木の葉がちょうど墓石の上に落ちて乗っかった。
 払い除けようかとも考えたが、何かリュンヒンからの労いだろうかと思ってそのままにしておく。
 日陰の庭にひっそりあるヤツとその夫婦の墓だ。こんな日だからか、今日はいつもよりも供物が多い。
「さあ、そろそろ行くか」
 人の肩を叩くのと同じ道理で、墓石を二度ほど叩いて俺は立ち上がった。
 崖になったここから見える山の景色は早くも冬のものである。しかし今日は晴天のため雪などは溶けたようだ。
 表の庭に出る細道は相変わらず人が通るのを想定しておらず、転がるバケツも中の藻もそのままであった。
 まあ、あれから何度か通る度に思っていても、実際どうにかしようとしない俺も悪いのだがな。
 表に出れば楽器隊の音が少し近くなり風に乗って聞こえてくる。
「もうそろそろ始まったのか……」
 懐中時計を出そうと探したが、そういえば今日はいつもの格好じゃないので忘れてきてしまった。
「始まったのか……じゃないですよ。どうしてこんなところに居るのです!」
 人気を感じられず、ぼーっとしようかと思ったらそんな声が近くでする。
「別に。今、行こうと思っていたのだ」
「嘘ですね。ちょうどいいからここでサボろうなんて思っていたんでしょう」
 こんなにうるさく物を言ってくるのはカイセイしかおらんだろう。
「さあ行きますよ。今日は大事な戴冠式です」
「はいはい……」
 一から十まできっちりと言ってくる男だ。しばらくこの感じを忘れていたから余計に耳うるさく感じる。
 それにこの男は、渋々言うことを聞くだけでは納得しないのだった。
「式場とは真逆の方向なんですから、ちょっと走ってください」
「……」
 やむ終えなしだ。駆け足で向かわされることになる。

 進めば進むほど音楽隊の演奏がだんだん近くなってきた。
 渡り廊下を歩いていれば風通しの良い窓からは、はぐれた紙吹雪もチラチラ舞ってきた。
 ちょうどその紙切れが俺の足元に落ち、そこで足を止めた。当然カイセイが怒ってくるが別に何ともない。
「ここからでも見える。わざわざ人混みに入りに行く必要も無いだろう」
 それを聞くと、頬を膨らせたカイセイでも少しこっちに戻ってきた。
 窓から顔を覗かせれば、国民の集まりがよく見えると分かってくれたようだ。そうすれば再び走り出そうとはしない。
「アルバートは居ますか?」
「居る。王の隣の席だ」
 ここからなら見えると場所を空けるとカイセイが詰めてくる。
 そしてまるで怪奇現象を目にしたみたいに「ほんとだ……」と怖がった声で言っていた。
 新しいメルチ国王の横で遠慮がちに手を振るアルバートだ。一丁前にたくさんの勲章を付けた軍服を着ている。
 あいつは、あの大戦においてメルチを守り切った功績を称えられ、王の側近となるのだ。世の中まったく何が起こるか分かったものではない。
「先を越されたな」
「そうですね」
 少しは悔しがれば良いものを。
 カイセイの爽やかな横顔を見ているのは大変につまらん。
「先に行っているからな」
 俺はそう言って歩き出した。カイセイが「え!?」と言う。
「人混みが嫌なのでは!?」
「気が変わった。アルバートの緊張顔をもっと見てやりたいと思ってな」
 迷宮のようだったメルチ城も慣れたものだ。スタスタ歩いて自分で曲がる場所ももう分かっている。

「お~い、レイヴン大臣! こっちですぞ~!」
 聞き馴染みのない声で呼ばれて振り向けば、メルチの役所に務める者が俺に手招きをしていた。
 片手にグラスでなみなみ注がれた酒をその辺に振り撒いている。
 飛沫の餌食になった者が顔を真っ赤にして怒っていた。……いや、あれは多分飲み過ぎで赤いだけだ。
 野外で酒など良い身分だなと思いつつ、身分が高いのはその通りかと妙に納得する。
 俺の席もそこにあるのだが、なにせ誘ってくるものがベロベロに酔っていて気は乗らない。まあ、行くのだが。
 到着するやいなや、グラスとジョッキを両手に持たされてそれぞれ別の酒が注がれた。
「乾杯しましょ~う!」
「お前は誰なんだ」
 普段は堅苦しい会議室でしか顔を合わせん連中らだ。ただでさえ面識が少ないのに、酒でむくんだ顔だとますます誰だか分からん。
「かんぱ~い!!」
 強引に押し付けられてグラスとジョッキがぶつかる音が鳴る。
 その者は自身の酒を一気に飲み干すと、まだまだ足りないと俺に渡した物まで奪って胃の中に納めた。
 それで骨が溶けたようだ。ぐにゃりと椅子に寄りかかって「もう飲めん」と辛い顔をしながら酒を注いでいる。
「……」
 辛そうだが楽しそうだ。羨ましくは無いがな。
 酒に飲まれていく者らを順々に眺めながら、俺も手に残る酒に口を付けた。
 演奏隊の楽しい音楽があってこそ愉快な宴に見えるが、そうでなければ地獄絵図にもなり得る。など思いながら。
「……上等な酒ではないか」
 驚いた。そんなものを浴びるようにして飲むな。馬鹿者が。と、心の中で叱り、この酒のラベルを探している。
 それは空になって足元に転がっていた。
 俺は苛立ちながらそいつに手を伸ばしたが、寸前のところで拾い上げるのはやめておこうと留まったのだ。
 今日は大事な王の戴冠式である。
 そんな日に美味い酒を飲むのは罪にならん。
 ここで酒の値を想像するのはやめて、せめて空いていないもうひと瓶転がっていないかと探す方向に切り替えた。
「レイヴン殿。レイヴン殿」
 ようやく落ち着いて式典を眺めようかと言うところでコソコソ動く者がいた。野外の椅子に腰掛ける俺にしゃがんだまま近付いて来る。
「ああ、お前か」
 名前は聞いたが忘れた。ガラス眼鏡を掛けて黒い鞄を脇に挟んでいる、計算が得意そうな男である。ヤツの職業は弁護士だ。
「なんだ。金の話なら今はしたくないんだが」
 弁護士は、えへへへと謎に笑っていた。酒に酔った風で無くても機嫌は良さそうだ。
「いやぁ。おかげで助かりましたよ。もう首の皮一枚だったんですから」
 その後もニタニタと笑われて気味が悪かった。だが、お礼の品だと言って、俺がさっき探していたラベルの酒瓶を渡してくるから追い返すには値しない。
「お注ぎしますよ」
「いや、いらない」
 けれども酒瓶は没収されぬよう、弁護士とは反対側に隠すようにして置いておく。用が済んだから去ればいいのに隣で弁護士は喋り出した。
「あの後、不動産屋には見事に持ち逃げされましてね。だってあんな大金、私だって目の前に出されたら眩んでしまいますとも。いやはや、あなたが声を掛けてくれて良かった……」
 それは、俺がこのメルチ城にやってきた時の話の続きだ。
 メルチ城まるごと買い占めたと言う恐ろしい財力を持った男が現れていた。その者はオルバノ元王の親戚だと言い、俺が適当に「親戚殿」と呼んでいた人物である。まあ、そんな奴も居たか……ぐらいの記憶であるが。
「他に思い当たる適任者が居なかったからだ。別に救ってやろうとかいう気持ちは全く無い」
「またまたそんな事をおっしゃって。バル殿がとても慈悲深いお大臣様であることは国民全員が承知なんですよ?」
 目線の端に光が反射する物が現れる。なんだまだ礼品があったのか、と俺はさっきと同じ酒瓶を持ち上げた。
 これで二本になる。一本はうちに持ち帰ろう。
 弁護士はもっとニタニタと笑った。
「それでですねぇ……実は折り入ってお話が……」
 目出度い式典により拍手喝采の最中、俺の苦労の後にはまた苦労だ。
 傍の人間らは幸せそうにスヤスヤ寝息を立てているというのに、俺だけがどうしてまた、腕組みしながら溜め息など吐いているのか。

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