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lll.クランクビスト

二発の銃弾

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 城でも予期せぬ訪問者が現れれば皆がざわつく。
「バル様!」
「訳を説明している時間は無い。すぐに母上のところへ連れていけ」
 それでも俺を疑い判断にこまねくと言うのであれば、この手を縛ってでも良いと告げるつもりであった。
 しかし玄関の見張り兵は「こちらです」と言い、先に走り出したのだ。
 もうひとりの見張りも役割を投げ捨てて、馬の手綱を受け取る方に回ってくれた。
 俺は先を行った兵士を追いかけて走る。すれ違う者らも俺を見て驚きはするが、だいたいの事を察して引き止めるなどはして来ない。
 階段を全て登り切り、外音が消えた暗い廊下に出る。
 先に到着していた兵士が、母上の世話する侍女と小声で話をしていた。
 侍女は後から追いついた俺のことを冷めた目で少し見ると、その手で扉を開けてくれた。彼女なりに急いだのかノックをするのも忘れたようである。
 部屋に入っても母上はやはり居ない。となれば、隣の寝室に違いない。
 隙間が開いた扉に急足で向かった。
「あら。あなた」
 扉が開いてこちらを見る母上は少し驚いた顔をしていた。だがこの人は俺に何か問うたりはしない。
 柔らかに苦笑してから「あなただものね」と独り言を呟いている。
 母上はベッドで上半身を起こしていた。さらに痩せこけていたらと怖かったが、最後に話した時とそう変わらない。健康では無いだろうが元気である。
「敗北宣言とは一体どういう事なのです!」
 ベッドの脇に足を進めながら言う。
 母上の表情から笑みは消えた。
「父上が命を懸けて守ったこの国を捨てるつもりですか!」
「バルっ……」
 母上は何か言いかけて息を詰まらせた。胸を抑えると周りにいた次女が駆け寄って来ようとする。
 慌てたのは俺もであり、とっさに駆けつけて小さな背中にこの手を当てた。
 温もりのある背中は骨が浮いている。呼吸に合わせて上下にさするが、凹凸が当たって手の平が痛い。
「大丈夫。大丈夫よ」
「すみません。私が大声をあげてしまったので」
 母上がもう一度「大丈夫」と言って、俺も自分の手を戻している。
 そして母上が話しだした。
「私達の大切なものは民の命に他ならない。国名や旗が変わるくらいなら、あなたのお父様も許してくれるわ」
 それはパニエラの王リョヤンが告げたものと似通っている。民の幸せさえ保証されれば、当主や国名などは何でも構わないと言っていた内容だ。
 母上は自国にこの上ない愛情を持っている。
「いいえ。違いますよ、母上」
 しかし彼女は最も重要な事に気付いていない。
「クランクビストの国民は母上を愛しているのです。母上や父上が守ったこの国を奪われないために今、自ら武器を手に取りあらがおうとしています」
 広場で敵襲に備える民らのことを伝えた。
 彼らはもうすぐこの国が敗北する事など微塵も知らされていないし、信じてもいない。
「何ですって?」
 こんな話を疑わず、母上は胸に手を添えたまま驚いている。
 物事の動きをいつでも先回りして考えられる母上が、目を大きく開いているところを見るのは初めてだ。
 だが何故だろうか。俺はそれが少し嬉しい気がしたのだ。
「あいつらが幸せでいられるのは母上の存在無しではあり得ません。ですからどうか……」
「お取込み中失礼。残念だけど宣言を取り消すのはもう無理だよ」
 落ち着いた男の声が背後から部屋に入ってくる。
「何だか熱い話に水を掛けちゃったみたいで悪いね。でも、現実は早いうちに知らせておいた方が親切でしょ?」
「……アレン」
 兄上が扉付近の壁に寄りかかっていた。
「あれれ。『殿』とか『様』とか付けて欲しいけど」
「書面を送ったのはいつだ!」
 俺の物言いに面を食らったよう顔を固まらせたアレンであるが、そのうち柔らかくなって「おお、怖い」と肩をすくめる。
「はぐらかすな」
「しないよ。今思い出しているんじゃないか。ええっと……ずいぶん昔のことだからどうだったか……」
 腕を組んで悩んでいる風を装って、俺と目が合えばニヤリと笑っているのだ。
「知らないけど。たぶんお前がベンブルクを離れた頃に届け終わったぐらいじゃない?」
 それは俺がレッセルと会っていたのを知っているかのような言いぶりに聞こえた。
 俺が唇を噛むのを面白がって、アレンは実際声を出して笑っている。
「お前の話がちょっと聞こえたんだけどさ、国民が国を守ろうとしているんだって? それって本当?」
「ああ。今でもあいつらはその気だ」
 こっちが真面目に答えればアレンはますます笑った。
「その嫌な笑い声を仕舞え。ずっと癇に障っているのだ」
 途端に笑い声が止む。
「……何? ちょっと都会で暮らしたからって偉くなったつもりでいるのかな。一応僕の方が目上のままなんだけど。急に呼び捨てにされたり、命令口調で話されたりするのは……僕だって苛立ってしまうな」
 するとアレンは胸に仕舞ってあった短銃を俺の方に向けた。侍女が思わず悲鳴を上げて後退りをする。
「やめろ!」
「馬鹿だね。これは脅しだよ」
 地面に向けて引き金を引くがパチンッと空振りの音が鳴るだけである。
「お前は昔から面白いよね……」
 そう語りながら、アレンは片手の中に隠していた銃弾を込め始めた。
「政治に興味が無いみたいだし、ロマナの授業にはいつも居ないし、婚約破棄までしてしまうしさ。ほんと、王族の子孫としてお前はどうしようもないクズだよ」
 バンッと爆発音が部屋中に響き、侍女の悲鳴が共鳴した。
 銃口からは煙が上がっていてここまで火薬臭さが漂ってくる。
 咄嗟に耳を塞いだ俺と母上がその銃口の先を眺めていた。アレンの足元の床に焼けた穴が出来たのだ。
「大丈夫だ。もう二発あるからね」
 それも俺たちがおののいている間に手際よく短銃に込められた。
 そしていよいよ弾の出る銃口が俺の方に向く。
「ずっとお前に聞いてみたかったんだ。どうして不良でクズなお前が愛され役で、僕が憎まれ役にならなくちゃいけないのかって。でもそれも手間かもって最近は思いだしているよ」
 アレンは引き金に指をかけた。
「待ってアレン!」
「いいや待たないよ。母上」
 銃口は少し動かしただけで母上にも向けられる。
「ちゃんと父上と同じ場所に送ってあげる」
 母上には少し優しい表情で話したアレンであったが、再び俺と向き合う時には復讐するに相応しい顔で睨みつけた。
「じゃあね。弟」
 それを皮切りに銃声が鳴る。

 アレンの撃った短銃はちゃんと銃声を轟かせていた。
 しかし弾が大きく逸れた。天窓のガラスが部屋の一角でバラバラと雨のように降っていたのが、おそらくそのせいだ。
「な、なんだ!! 離せ!!」
 アレンは取り押さえられている。床に押し倒されて上の者に羽交締めにされているのだ。
 だがそれでも彼はあらがった。
 最後の弾が込められた銃口は俺の横にある母上の顔面を目掛けている。
「待っ……!!」
 言葉より音の方が早かったかもしれん。
 二度目の銃声は一度目よりもより大きな音で鳴り響いたかのように聞こえる。
 まるで時がゆっくりと流れるかのような不思議な感覚の中、俺は横へ倒れる母上を受け止めていた。
 両腕だけでは間に合わず抱き締めるようにしてベッドから落ちるのを防いだ。
「早くこの者を連れて行け!」と、扉の方ではバタバタと足音を鳴らしている。
 一方俺の方は母上の命だけを祈っている。
「母上!! 母上!!」
 血などは流れていない。しかし母上はぐったりとし、呼吸も俺の方が荒くてよく分からんのだ。
「王妃様!! 王妃様、しっかり!!」
 侍女も俺も絶えず声を掛け続ける。何人かは医務の者を呼びに行った。
 銃弾が外れていたとしても体の弱い母上だ。何かあるかもしれない。
「母上!!」
 その時、伏せたまつ毛が僅かに動いた。
 それが嬉しくて周り全員の声が大きくなる。
「大丈夫ですか。どこも痛くはありませんか」
 医務の者が到着する頃には、母上の目が開いて意識もはっきりとしていたのだ。
「大丈夫。でも撃たれたのかと思ってびっくりしたわ」
 俺はその平気な声を聞いて胸を撫で下ろしていた。

 念のためにと母上の心臓の音を聞いてもらっている。その間は俺はベッドの脇から少し離れられる。
 そこへ先ほどアレンを抑え付けてくれた男がやって来た。「これを」と短く言うだけで、俺に書類を手渡して来たのだ。
 手前に敗北宣言を告げる通知書。奥にはベンブルクとの誓約書類である。
「……お前には感謝を述べる前に聞かねばならんことがあるからな」
「はい。全てお話しします」
「お前のそれは当てにならんぞ、ルイス」
 無表情な男はニコリともせずにここから去るようだ。
「バル。こっちに来なさいな」
 母上の問診が終わった。
 ルイスが部屋から出ていくのを誰も気付かないまま、まるで最初からそこに居なかったかのような空気感に戻っている。
「母上。お願いがあるのですが」
「嫌よ。あなたのお願いなんて、まともじゃ無いもの」
 そう言って母上はそっぽを向いた。
 だが、俺が困ったままでいると「早く言わないと私の気が変わっちゃうわ」などと言う。
 俺の話を聞く母上は、やっぱり冷静で色々なことを常に考える人だ。俺からの無理な願い話など通常つっぱねて良いものなのに、母上は静かに頷いた。
「本当によろしいですか」
「ええ。だってあなただもの」
 苦笑しながら言われた。
 母上の考えの中に、いずれ俺がこの決断をすることも予想していたのかもしれない。

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