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lll.ニューリアン王国、セルジオ王国

リンゴ馬車から降りてくるのは

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 エセルがメルチ城に入ってから数日経ったある日に、俺とエセルの連名宛にニューリアン王国から速達の手紙が届いた。
 それは何事かは分からない。「一度挨拶したい」と書かれてあったが、別に急ぎで届けるまでも無い手紙だと思った。
 その件をすっかり後回しにしてしまっていた俺は、急いで廊下を駆け巡る。
 途中で出くわすメイドやボーイに頭を下げさせる暇も無いくらい俺には時間がなかったのだ。
 しかもそんな時に限って道を間違えたりもしていた。
 慌てて引き返したらいきすぎる。再び戻るを繰り返せば方向感覚を見失い迷宮さながらであった。
「ただの玄関だぞ。どこに隠してあるのだ!」
 ぜいぜいはあはあと息を荒くしてムカついている。
 城の周りを一周するつもりで広い庭をいつまでも走っていると、壁として育った垣根のところに人だかりが出来ているのを遠目に見つけた。
 城で働く者らがサボって何をしているのか。……それもあるが、今は玄関の場所まで案内してもらう方が先だと俺は動く。
「おい。聞きたいんだが」
 誰でも振り返って良いように大衆に声をかけた。
 すると思いがけず全員が同時にハッと振り返った。
「悪いことをしていた顔に見える……」
「いやっ、あの。滅相もありません!」
 分かりやすく視線を泳がせている若者兵士は、後ろ手に何かを隠しているようであった。他の者も何人か同じように何か持っているな。
 しれっと近付いて右から覗いてやろうとすれば左方向に体を傾けられる。それならば今度は左に、と見せかけ右手から隠している物を取り上げた。
「ああ!」
「立派なオペラグラスではないか」
 ただしこんな真昼の野外で使うような代物では無いのである。それに男兵士が荷物の中にあまり入れそうも無い。
 オペラ鑑賞で無いなら、何か遠くのものを見るのに使っているのかと察した。
「何を見ていたのだ?」
「ええっと……」
 垣根には拳でほじくったような穴が広げられていた。そこからさっき取り上げたオペラグラスで覗き込んでみる。
 垣根の向こうは庭に似ていたが違った。兵士が並んでいるし、何より控えめな女性がひとり立っているのである。
「ここだったのか」
 目的の地を見つけるのが叶ったからオペラグラスはすぐに返す。
 ちなみに若者兵士はニューリアンの美女を一目見たいのだと懇願した。俺は許したが、今回女性が乗ってくるとは分からんぞとは言っておいた。
 一旦城の中に入ればまた見失いそうだ。時間もそんなに無いことだし仕方がない。
 手段を選んでいる場合じゃないと足元付近の垣根の穴をぐっと両手で広げている。
 木のようになった枝がミシミシと言い、中型犬一匹通れるほどの道ができた。
 俺がそこから這い出て行くのを、もう何十年も城に仕えている者らは一体どんな目で見ていただろう。

 土や葉を払いながら車道の脇を走っていく。
「まだ馬車は来ていないな」
 城の玄関ポーチに到着すると、思いもしないところからバル王子が登場するので周りの者がどよめいていた。
 エセルもだった。後ろ手に扉があるはずなのに、横から現れたのだから何事かと思う。
「さっきラッパ音が聞こえたので、もうすぐで到着すると兵士の方が」
「そうか。ならよかった……」
 ジンジンと痛む脇腹だが痒い風を装って抱えていた。
 不意にエセルが俺の背中に手を伸ばして汚れを叩いてくれている。
「お忙しいのですね」
「まあな。あっちへこっちへ走らされている」
 迷っていたということは別に告げるほどでも無いだろう。
 その時ラッパ音が鳴った。馬車の居場所を知らせるとともに、迎える準備をしておけよというニューリアン独自の心遣いというやつだ。
 そんなものはいらんのに、と俺は項垂れるのであるが、迎え役の兵士隊長はまんまと気を引き締められたようである。
「気をつけ!!」
 ザッ!! と、足音を揃えてメルチ兵士が姿勢を正した。
 すると正面入り口方面から馬車が見えてきた。例の、真っ赤なリンゴ馬車であった。
 さっき越えてきた垣根はこの玄関に沿って生えているものだ。そちらを横目で見てみれば、太陽の光が反射していくつかのレンズがキラリと輝いている。
「あまり期待するなよ?」
 俺は垣根の者らに向けて呟いたのであるが、この隣で姿勢を正す兵士が打たれた球のように軽く咳払いをした。

 リンゴ馬車と、徒歩で付き添う護衛兵士が到着する。そしてニューリアンの兵士たちがそれぞれの定位位置についたようだ。
 そう。また始まるのである。盛大なお披露目演出がな。
 馬車の入り口のみを空けて兵士たちが横一列に並んでいた。
 まさか陽気なダンスでも見せられるのでは無いかと無駄な心配がよぎる。
 しばらく待機の時間が過ぎた。
 ここで年寄りの執事が現れて「シャーロット姫、ご到着でございます!」とめでたそうに言うのが恒例である。しかし、誰も現れずにラッパを二度鳴らされた。
 その合図でニューリアンの兵士角度を変えて、馬車の出口に一斉に礼をする。
 いよいよ扉が開かれると、そこからふくよかなマルク王がゆっくり現れた。
 扉が閉められる。他には誰も降りてこない。
 残念ながら今回は美女は出て来なかったみたいだな。まあ、国の王が現れて残念がるというのも由々しき事態であるが俺は目をつぶろう。
 マルク王はにこやかに笑いながら挨拶してくるのかと思った。しかし神妙な顔で正面に位置する俺とエセルに向くと、その場で深く頭を下げたのであった。
 マルク王率いる兵士たちも同じく俺たちに深い礼をした。
 初めての演出過ぎて俺は理解が及ばない。
 どう言葉にすれば良いのか分からず、拍手も違うだろうと思うだけだ。
 マルク王がひとりで顔を上げた。
「バル君とエセルさんには、謝らないといけないことがある」
 そう真剣な面持ちで告げられたのだ。

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