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Ⅱ.王位継承者

旧友2

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「リュンヒン! 返事をしろ!!」
 草をかき分け、大木の根元や枝葉の陰にも目を向けた。
 しかしどこにもリュンヒンは居ない。
「リュンヒン!」
「……」
 うめき声であった。
「リュンヒン! どこだ!!」
 一瞬だけ聞こえたような気がした音のもとを探す。
 怪我を負った敵兵である可能性もある。しかし俺はリュンヒンかもしれんと思い込んで声をかけ続けた。
 そして見つけた。
 大木の根元に転がっていた旧友だ。
「生きているか、リュンヒン!」
「あ……ああ。うう……!」
 かろうじて返事をしたが苦痛に大量の汗をかいている。
「はぁ……生きているよ。大丈夫だ……」
「大丈夫なものか。今にも死にそうだ」
 リュンヒンは苦笑するが、体に痛みが走り苦しがった。
 俺は了解を得ずにその体の痛むところを探った。
 前には二ヶ所の出血するところがある。リュンヒンの近くに二本の矢が転がり落ちていた。おそらく自分で抜いたのだ。
 背中にも三本の矢が今も刺さったままだ。
 するとリュンヒンがひとりでにハハハと力無く笑っている。
「敵兵は惜しいことをしたよ……ただの歩兵だと勘違いして放置していった……」
「神はお前にまだ生きろと言ったんだ」
「ハハハ……神なんか信じないくせに。ううっ!!」
 突然の首を締められた鳥のような声は、俺がこの渾身の力でリュンヒンの身をキツく縛ったからである。
 良いものが無くて俺の上着で止血しようとしたが、きっとこれではあまり意味を成していない。
「……それにしても何故君は来たんだ」
「お前んところの兵士が通してくれたからだ。名前はデギ……忘れたが良い奴そうだった」
「ジギルスか……良心な男だよ。ちゃんと名前を覚えてやってくれ」
 小話をしているとまたどこかで銃声が鳴り響いた。今回の音は数回の単発ではなく、複数名が撃ち合うようなものだった。
「これでは迂闊に動けんな」
「君が馬鹿みたいに僕の名前を叫んでいた方がヒヤヒヤしたけどね」
 リュンヒンは皮肉を口にし歯を見せて笑った。
 少しは元気が出たのかと俺も安心して苦笑で答えた。

「君にはこんな姿は見られたくなかったよ」
「強がりも程々にしろ。俺がいくら心配したと思っている」
「……お人好し過ぎるよ。君も、エセルさんもだ」
「エセル?」
 だがリュンヒンは口を閉じた。
 でもまあ後で聞けば良いと思って俺も追求はしなかった。
 静かになるとホトトギスの声がこの森によく響く。気持ちの良い晴天はいつまでも続いており、木の葉の影をキラキラと輝かせていた。
 森林浴には最適な今日であるが、俺は時々のんびりしそうになる自分に気を入れ直している。
「お前のところの兵士は全然現れんな」
 捜索中では幾人出会ったのであるが、ここからは声さえも聞こえて来ない。
 時々鳴る銃声もどこか遠い場所のようであった。
「当たり前さ。僕に何かあった時は10分後に切り上げろと言ってある」
「はああ?!」
 リュンヒンも「なんて声出しているんだい」と腹を痛めながら笑っていた。
 俺は大いに舌打ちを鳴らした。何を悠長に怪我人の側で鳥の声など聞かされていたのかと腹が立って仕方がない。
「城に帰るぞ」
 イライラするが置いていくわけにもいかん。
 リュンヒンの腕を俺の肩に回しておぶって戻る。
 しかしヤツは怪我人のくせに嫌だともがくから「そんなことならこれを撃つ」と、こっそり取り上げておいた閃光弾入りの銃をちらつかせた。
「こいつを空に打ち上げればメルチ兵士は喜んで駆けつけてくるだろう」
 加えてネザリアの方からも援軍がやってくるだろうがな。俺は得意顔も見せつけている。
 リュンヒンは脱力してため息をついた。
「そんなことされちゃ台無しだよ」
 抵抗する気を無くして、ちゃんと俺におぶられることにしたようだ。

 方角はリュンヒンが知っている。
 その方向へ進めば戦いの名残のない美しい森の中になった。
「僕はね……」
 リュンヒンは俺におぶられていても、力の無い声でいつまでも喋っていた。
「君の国のことが心配だよ……アレンよりも、君の方が指導者に向いている……」
「それはもう何度も言っているだろう。俺は王にはならん」
 もう三度もこの話をする。
 やはり止血がうまくいっていない。俺の両手にまで生温いものが垂れている感覚があった。
 だんだんと弱々しくなる声を聞いていても俺は話しかけ続けた。
「それよりカイセイが不憫でならん。あいつの方が愛国心があって正義感が強いだろう?」
「……」
 五秒ほど歩いても返事が無い時はわざとらしく少し揺らしたりした。
「……そうだね。カイセイはいつ結婚するんだろう……」
「そうか。言っていなかったか。シャーロットの妹のスイナという姫がいてな、ずいぶん長いこと文通を続けているみたいだ。相手の方はカイセイを気に入っているみたいだが、あれがあれだからな」
 背中越しにフフと短く笑う声が聞こえた。
 森が開けてきた。滲んでいる視界に木柵と思われる影も見えだす。
「あれは! バル様!! リュンヒン様!!」
 そこに兵士も居たようで俺のことを見つけて駆け寄ってきた。
 すぐにリュンヒンを背中から下ろしその兵士に託したが、手遅れであったと兵士の状態からして気付く。
「バル様、ご無事で!」
 リュンヒンの蘇生にかかりっきりになる中、疲労した俺を抱きしめるのはカイセイだった。
 カイセイは力が抜ける俺の体をしっかりと受け止め、その場に一緒にへたりこんだ。
 項垂れる俺の頭をぐっと引き寄せて「私も泣きます」と。そう言ってくれた。



 *  *  *


「狙いはリュンヒン様と、そこに向かうバル様でした」
 駆けつけた理由を話すカイセイが、我が城では真意に迫ったようである。
「兄上が言ったのか」
「はい。あわよくば、という形でベンブルクと連携していたようです」
 兄上は俺がメルチに向かうだろうと元々踏んでいたらしい。
 それでベンブルクは退散後にも少しの兵士を残していたのか、と俺は考える。
「……俺は国を出ると思う。お前はどうする」
「私は王妃様の手足です。自国のために残ります」
 まるで用意していたかのようなブレのない返事をカイセイはした。
 いやきっと、カイセイは王妃に仕えると決めた時からずっとこうなのであろう。
「そうか。では別れだ」
 我が城の門を手前に俺は言う。
 そこをくぐれば直接王妃の部屋へと参ろうかと思っていた。
 しかしその前に「バル王子」とカイセイが呼び止めた。
 世話になったことの礼なら聞いてやらねばと、俺は立ち止まり振り返った。
「国境を越えても友人で良いですよね?」
「友人?」
 するとカイセイがすぐに肩を落としている。
「やっぱり覚えていないですか。あなたが側近を付けるのが嫌だから『友人でいてくれるなら構わない』と言ったんですよ」
「なんて格好付けたがる男だ、そいつは」
 まさか自分のことだとは思えず鳥肌まで立っている。
「あなたです。いつも格好付けたがるじゃないですか」
「俺がか?」
 首を傾げて頭を掻いていた。
 カイセイは呆れたようにため息を吐くと「もう良いです」と言う。
「あちらでもお元気で。暇があればお手紙を書きますね」
 ひらひらと手を振りながら俺の横をすり抜けていく。
 それをぼーっと見ていたらカイセイは振り返る。
「早く来てください。王妃様のところへ行きますよ。私も報告しなければならないんですから、ご一緒に」
「お、おう」
 俺はもう帰ることの無いこの城の門を、急かされながら越えていった。
 こんな時にも雲ひとつ陰らない。
 何かを始めるにはうってつけの青空が、祖国を出ていくその時にも俺の頭上には広がっている。

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