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Ⅰ.ネザリア王国

仮面社交界1

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 明かりを付けない自室でひっそりと夜が更けるのを待った。窓から夜闇を眺めながら、ここはなんと静かで明かりのない国なのだろうと思う。おかげで良い形の丸い月が主役とばかりに明るく輝ける。
 さて、 と、俺は外套を羽織り部屋を出る。足早に廊下を駆け抜けると、中庭に出て白幹の樹木の元へとタイミングを合わせて滑り込んだ。
 暗闇の中で木や草を頼りに進み、時々小川の中に足を突っ込んでしまったりする。半分凍った小川の水は叫びだしそうなくらいに冷たかったが、ここは我慢で俺は町へと抜け出した。
 この寝静まった町で、家の中から明かりを漏らすところがある。そこの主人は卸業者で、朝夕逆転の生活を送っているのを知っていた。俺は戸を叩き、中からすっかり目が冴えた大男が出てくる。
「誰だあこんな時間に」
「俺だ。すまんが頼み事がしたい」
「ああん? 頼み事だと?」
 大男は俺の胸ぐらをグッと掴み上げて、部屋の明かりに晒した。
「なっ!? バ、バル様ではありませんか。す、すみません無礼を!」
「俺こそこんな時間に尋ねて来るのが無礼というやつだ。申し訳ない」
 大男は態度を急に小さくして、お茶でも入れましょうかと棚の中をガチャガチャ鳴らした。
「たしか結婚祝いのやつが眠ってあったはずなんだ」
 盗賊ばりに引き出しの中をヒックリ返しながら目当てのものを探しているようだ。しかしゆっくりしている時間は無いので、俺は大男に聞こえるよう物音に負けない声量で頼みを告げた。
「今夜はとある屋敷で仮面社交会が行われているだろう。そこへ急ぎで送って欲しいのだが連れて行ってくれるか?」
 ”とある屋敷の仮面社交会”と聞けば、華やかなことに無縁そうなこの大男でも心当たりがあるようだ。
「あの屋敷に? それはもちろん今すぐにでも送って行きますが……」
 可憐なティーセットを箱ごと持ち上げたまま、大男は目だけをぱちくりした。
「そんな目で見てくるな。ちょっと話をせねばならん人がそこに来ているかもしれないだけだ。あそこの催事に興味なんかあるわけないだろう」
 知った口で話すが俺は出席したことは無い。ただ噂だけはずっと前から耳にしていた。町外れの屋敷で行われる仮面社交界というやつは、世界中の大富豪や権力者をシークレットゲストとして招くらしいと。
 大男の引きつった表情が戻り「それは良かった」とまで言われるくらいだ。一体どんな怪しいことが行われているのか、ちょっとした興味があると言えばある。
 早速大男は外に馬を出してきた。夜でも機嫌を損ねない良い馬であった。
 大男が馬への愛情の掛け方を語りだすと話が長引きそうで、「乗りながら聞こう」と言うと本当に馬を走らせながら延々と語られた。

 町から遠ざかり真っ暗な森の中を駆け抜けた。今宵は月も出ている明るい夜だというのに、森の中に入った途端に光を食う魔物でも住んでいるかのごとく闇に飲まれている。
 このまま雑木林の道は上り坂となっていき、国の国境ともなる高峰にぶち当たるのかと思うと、森の終わりには急に眩し過ぎる明かりが現れるのだ。
「悪いんですが、ここまでで勘弁して貰えますか」
 大男は眩しい明かりに目を細めながら言った。
「ああ。ありがとう。助かった」
 まだ森が終わらないうちに俺は馬を降りて、去っていく大男の背と馬の尻を少しの間見送った。それらは瞬く間に闇に飲み込まれてしまったかのようであった。
 不気味なほど暗い森をひとりで抜けると、その先は煌々と明かりが灯される集落になる。ここは第二の町とも捉えて良いほどよく栄えたように見えるのだが、恐るべきことに昼間は廃墟が並ぶ死んだ町なのだ。
 夜間の様子は旅人や遊び人などで賑わいを見せており、飲み屋と宿を営む店が多く看板を連ねていた。なお、看板を出していない店はもっと非道なものを商品にしていると聞く。
 そんな小さな密集地の中に一際デカい建物が目立っていた。例の”とある屋敷”である。かの大富豪が倒産した際に残ったとされる歴史的建造物である。
 昼間はあらぬ噂などで人を寄せ付けないが、夜間は何やら楽しげな音楽やら光がカーテンから漏れていた。中には人がたくさん居そうだ。俺はその屋敷のベルを鳴らした。
 扉が数センチだけ開いて中の音楽がより大音量で聞こえてきた。弦楽器や管楽器を優雅に鳴らすようなものではなく、打楽器のリズムをメインに扱うような音楽だ。
「ゲストカードを」
 しわがれた声が聞こえた。しかし俺がそんなものを持っているはずが無い。
「ゲストカードは持っていない」
 言うと突然、屋敷しもべが顔を出した。顔は随分と低いところにあって気難しそうな老婆だ。眉間に山の谷よりも深い皺を作って俺のことを下から舐めるように見上げてくる。
 俺の方はドレスコードに合わせており、きちんとしたタキシードに立派な仮面まで装着済みだ。正体がバレることも無いだろうと思っていた。しかし老婆の目は通常の人間のものではないらしい。
「あなたのような方がこんなところに何用ですかな」
 ところが同時に別のところからも声が掛かった。
「もう! やっと来た。遅いじゃない!」
 こちらの声は若い女性であった。女性は手加減なしに屋敷しもべのことを体で押しのけ、俺の目の前にやって来た。彼女の言い方はまるで俺が来ることを端から知っていたかのようだが、どちらかというと人違いのような気がしてならない。
「こ、こちらの方はゲストカードをお持ちでないと……」
「当たり前じゃない。あたしが呼んだんだから」
 よろけた老婆を放置したまま、女性は俺に微笑みかけた。どう受け取るべきか分からない上に、その胸部が大きく開いた艶やかな格好に思わず目線を反らしてしまう。
「さあ、入って!」
 見ず知らずの積極的な女性に手を引かれ、俺は屋敷の中に入ることが出来たのである。
「なあに、これ。地味じゃない?」
 言いながら女性は、俺がポケットチーフにしている淡いラベンダーカラーのハンカチをするりと抜き取った。そしてその場で匂いをくんくん嗅がれている。
「やだ女の匂い~」
 口を四角にして歯を剥き出した。仮面をしていても嫌だという顔をしているのが分かる。

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