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Ⅰ.最後の宴

彼女の様子が変

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 さて、 麻糸とクリップを使い、等間隔に吊るした紙を眺めていると心が落ち着いた。俺は結局こういうものが気になると、ついつい手を出してしまいがちだ。原因を作ったエセルは俺に背を向けており、カイセイを手伝って棚の整理を始めていた。
 窓の外の雪はまだ降り止まぬ。一年の終わりに大掃除をかけるように、この国の統計もそろそろ出しておかねばならないというわけだ。
 報告書が持ち込まれればそれと向き合い判を押したりし、手が空いたら帳簿に書かれたゴマ粒のような文字を目で追う。それぞれ違う集中力を要する作業であり過酷である。
「これは何をする作業なのですか?」
 目を細めて帳簿を覗き込んでいたら、頭の方からエセルが声を掛けた。
「この者の店の売上が間違っていないかどうか過去三年の数字と比較して見定めている」
 人の名を探す目に意識は注がれ、俺は自分の口で何を言ったかはほとんど聞いていない。エセルが「へー」と言うから、おそらく納得できる回答が出来たんだろうと思ったくらいだった。
 ようやく探していた名が見つかる。見失わないよう指を置き、横になぞったところに数字を記録した。
「どうでしたか?」
「何がだ」
 いつまでもエセルの返事が無いなと、なかなかな時間が経ってから思った。顔を上げると近くに居たかと思ったエセルは全然違うところにおり、紅茶色の紙が乾いたかどうか突っついていた。

* * *

 次の日もエセルは朝から書斎にやって来て仕事を手伝ってくれた。その次の日も、そのまた次の日もだ。
 部屋の匂いは前の状態に戻ったし、紙も全て乾いている。もう二人で十分手は回せるのであるが、ではお茶でも淹れてきましょうとかを言ってきたので、さすがにそれは断ってカイセイの傍に付かせてある。
 処分行きの古紙を縛りあげたエセルが、ふうと額の汗をぬぐっていた。それを傍で見ていた俺は少し気になって声を掛ける。
「エーデンの手伝いはどうした」
 この城の隣で職務をサボり倒すエーデン博士のファンだと言うから手伝うよう言ってあった。毎日彼のところに通い、生活の世話までさせられても上機嫌であったのだが、エセルはようやくエーデンに愛想が尽きたのだろうか。
「エーデンさんは今、評論会に出かけてしまったのでお留守です」
「なんだ。そうなのか」
 ただの正当な理由であったから思わず肩を落としてしまった。研究界隈でもそろそろまとめの行事があってもおかしくは無いか。
 つまりエセルは今暇なのかと思いつつ、俺は方肘ついてエセルをジーッと見つめた。硬めの麻紐が跳ねてしまい上手く扱えないでいるのが、まるで弄ばれているかのようだ。見かねて俺は席を立ち、エセルが捕まえられない麻紐を渡してやる。
「あ、ありがとうございます……」
 礼を言う割にエセルは不服そうに頬を膨らませた。
 縛った古紙はカイセイによって書斎の外に持ち運ばれ、エセルは休んでいるようにとカイセイに言われていた。そのやりとりが席に戻った俺にも届いていたのである。
 俺は帳簿と睨み合う作業を続けている。が、どうにも視線が気になり顔を上げた。するとその場で佇んだままのエセルとバッチリ目線が合う。
「俺からお前に渡せる仕事は無い。あそこで座って見学でもしていろ!」
 俺は戸棚の傍に置かれたソファーを指した。この小さな書斎に来客の席など無いから、エセルのためにとカイセイが運んだものだ。
 エセルはとぼとぼ歩いてその席に座りに行った。まったく、いつもエセルが落ち込んだ様子を見てから言い過ぎたと気付くのは何なんだ。少々苛つきながら俺は再び帳簿に目を落とした。
 それからエセルが物音を立てないように過ごしたか、それとも俺がとんでもなく集中していたかは分からない。とにかく何の音も無い時間が過ぎた。俺の作業は捗り、カイセイは一向に帰ってこない。
 ふと暖炉の薪が割れる音が部屋に響く。上の大きな薪が崩れて落ちたのだろうか。ゴトンと大きめの音が聞こえた。
 一度集中が切れて顔を上げた時、目の前に見慣れないソファーと、身を斜めにして座っているエセルがいる。えらく行儀の悪い座り方だなと咎める前に、エセルが目と口を閉じてすーすーと眠っているのだと分かった。
「……どおりで静かだったわけか」
 俺は手頃な布を探してエセルの腹のあたりに掛けた。こういう時、女性が好みそうな毛糸のひざ掛けなんかは無いので、とりあえずは俺の外套で済ませておいてある。
 そのせいなのか、何かの弾みで耳をすり抜けた髪がエセルの頬に散らばった。エセルはくすぐったそうに少しだけ身動ぐが、そのまままた寝息を立て始めた。突然動き出したので俺は両手を上げて固まっており、その姿勢でエセルをしばし見つめている。
「……」
 人の寝顔をまじまじと見れる機会もそう無い。なんだか変な心地だ。こうして健やかに眠っていて微笑ましいのが基本だが、時々起こしたいような衝動に駆られる時もあるのだ。
 うーむ、どうするべきなのかと頭をこまねいていると、この望んでいないタイミングで扉が開いてカイセイが帰ってきた。
 瞬時に近くの戸棚に用がある風を装った。カイセイは部屋に入るなりエセルが眠っていることに気付いて、足や物の音を立てないよう気を使っている。
「かなり遅かったな」
「すみません。ついでに手紙も出して来ました」
 俺とカイセイは声を殺して会話した。
「手紙とは」
 言いかけたが、シャーロットの妹君への返事に違いないと思った。詮索はやめておき、話題はエセルのことに触れる。カイセイは腕を組みながら、ソファーで眠りこけるエセルを眺めていた。
「何かあったのでしょうか」
「たぶんシャーロットに何か言われたんだろう」
「しかしそれだと」
 俺は咳払いをかけた。カイセイは黙り、少しマズそうな顔をしている。
 二人でエセルの静かな寝息を聞いていた。きっとカイセイは俺と同じことを考えており、この健やかな寝顔を見ながら、決して柔らかな微笑みを向けてなどいなかった。
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