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Ⅰ.最後の宴

真実

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 稽古場を覗くと、トレーニングをする親子のような背中が見えた。ガタイが良く筋肉質な方はベルガモで、横のもやしのようなのはアルバートだ。コツコツと靴音を立てて近付くとベルガモは振り返ったが、アルバートはそのままトレーニングを続けている。
 そんな背中に近づいて俺は言う。
「お前、波の音で魚の位置が分かるとか言ったが、あれは嘘では無いようだな。凄いではないか。しかも靴の音で人を特定することも出来るんだろう」
 褒めてみたがアルバートは反応して来ない。懸命に腕の筋肉を鍛えるているだけだ。まあそんなこともあるだろうと思い、別の話題を出してみる。
「宮廷に来客があるのを知っているか? メアネル・シャーロットと言えば絶世の美人だぞ。一度くらい挨拶でもさせてやろうか」
 するとアルバートは動きを止めた。ひん剥いた目でこちらを振り向いた。
「……メアネル家っていうと、あの美人姉妹で有名な?」
「ああそうだ。その長女が来ている」
 昨夜カイセイからアルバートに関する情報を幾つか聞いた。滑稽噺ばかりだったが、美人に目が無いというのは使えそうだと思って覚えておいたのだ。その効果は正解で著しく現れた。
「み、見たい! 挨拶もしたい!!」
 久しぶりにアルバート犬は飛んでいかんばかりに尻尾を振った。じゃあ、行こう! と言うには当然条件があるので俺は彼に”待て”をかける。
 まずは銀色の剣をアルバートに手渡した。それはベルガモがアルバートにプレゼントした品である。どれほど使ったのかは未知だが、鞘に入った状態で立てかけてあったのを勝手に持ち出してきた。
 それから俺の方は腰の剣を抜き取り、アルバートに剣先を突きつけた。今度は小賢しい罠にかかったりしないし歪んだ木剣も使わない。
「俺に勝ったら。だ」
 すでに勝利を見据えて俺は告げた。

 ルールや注意事項をさらっている間にカイセイが稽古場に現れた。
「何か始める気なんですか?」
 この場の空気を感じ取ったようで怪訝そうに聞いてくる。
「ちょうど良かった。悪いが勝手口の方に立っていてくれないか」
「勝手口? ……いいですけど」
 俺が言うと、嫌そうな割に颯爽と歩いて扉の前で足を止めた。
 そして入り口にはベルガモを配置してある。しめしめ、これでアルバートは完全に包囲された。と、俺はひとりでニヤけ顔が隠せない。不審を積もらせたカイセイが腕を組んで鼻を鳴らしていた。
「何もこんな大掛かりにしなくても」
 独り言でいい事をわざわざ俺に聞こえる声で言ってきた。そんなカイセイの言葉は聞き流すとして、俺は真面目に問う。
「予想より早かったみたいだが、そっちは無事に済んだのか?」
「ええ、滞り無く。シャーロット様のご理解が得られ、今エセル様とお話されています」
「そうか。なら心配いらんだろう」
 俺とカイセイが公に声を渡し合っているのを横で聞かされたアルバートだが、さっきから自分も話題の中にいるかのような顔をしている。このままパスが回されないと「いったい何の話をしているんだ!」と、ぼちぼち喚き出しそうである。
 急いで試合を始めるとしよう。

「始め!」
 ベルガモの声で掛けられると普段の稽古よりも一層気が引き締まる気がする。
 アルバートは先制をかけて来なかった。カイセイやベルガモから学んだのであろう。随分と剣士らしい動きをするようになったものだ。隙きの少ない構えで俺の動きを見切ろうとまでしている。
 今回はなかなか遣り甲斐がありそうなアルバートへ俺は先に告げた。
「エセルは初め俺を殺そうとも考えていたらしい。もしそれが出来れば、あいつはカイリュに最も近付けるのだそうだ。お前がエセルと共に戦いたいのであれば、俺を今ここで殺してみろ。あいつには出来なかったがお前なら出来るだろう。もれなく大金星を挙げられるぞ。エセルの好感度も、それとネザリアの兵士としてもな」
 剣はよく磨いてあり、アルバートの顔を映していた。これぐらいの煽りで俯くようでは、兵士として失格もいいところだ。俺は床を蹴って飛び出した。
 振り下ろし、横払い、突きを複雑に混ぜた動きでアルバートを攻めた。彼は守備で悪戦苦闘していたが、以前のようにデタラメではなく、ちゃんと型にはまった動きで身をかわす。
 正直、とどめを刺せる隙きは至るところに見えてはいたが、さすがにこの切れる剣で傷つけたいわけでは無いから目をつぶっている。
 金属のぶつかる音が部屋に響いていた。見回りから戻った兵士が稽古場に現れると、俺達の戦いを見学していた。人数が増えてくるとだんだんと盛り上がって来て、皆でアルバートに声援を送って応援したりしている。
 アルバートは調子に乗っていると動きや剣に出てくるからこちらも面白い。その後しばらく俺は、良い汗をかく程度の剣を振り続けていた。
 しかしそうしていると、アルバートが俺に手のひらを向けてきた。まさに振り下ろそうという俺の剣をピタリ止めて見ると、息を切らしたアルバートが苦しそうに項垂れている。頭を垂れて俺に後頭部を見せ、ポタポタと大量の汗を床に落としていた。
「待ったを掛けるとは。戦時中なら今のでお前の首が飛んでいるぞ」
「……」
 返事も出来ない様子だ。こうなってしまっては試合は一時休戦になってしまう。見物の兵士達もカイセイやベルガモに尻を叩かれながら散って行った。
「これは俺の勝ちで良いのか?」
 聞くとアルバートは首をぶんぶん横に振った。俺は汗を拭いながら溜息を落としている。
「負けん気は認めるが、気持ちだけで戦には勝てると思うなよ」
 ただベルガモだけが何度も頷いていた。
 白熱した戦いが止まると稽古場は一気に熱気を無くし、アルバートの荒い息がよく聞こえた。息が整うまでの間、俺は床に尻を置いて説教のつもりで言い聞かせる。
「お前達は本当にカイリュを殺せば国が変わると思っているのか。政治と言うのはまるで一人の人物が動かしているように見えるが実際は違うのだぞ。たとえ首席が死んだところで、次また近い人物がその舵を受け継ぐだけなのだ。それに、初めは俺やエセルの命を狙う奴らが現れたこともあったが、その後は全く音沙汰なしではないか。つまるところお前達がカイリュにとって脅威で無いという判断が下ったのだろう。こんな無駄な抵抗はやめて、己の生きる道を見直した方が未来の為だと思うぞ」
 べらべら喋っていたら、いつの間にかアルバートの息は落ち着いていた。それよりも生真面目な顔になって俺のことを見下ろしている。
「なんだよそれ……」
 アルバートがぽつりと呟いた。
「あんたに僕達の未来を言われる筋合いはない。エセル様は決死の覚悟で僕達を導いて下さる。家も家族も取り上げられた僕達を救ってくれるのはエセル様だ」
 曇りのない真剣な眼差しで睨まれ、熱い思いを告げられた。それを聞いて俺は鼻で笑った。
「……何で笑ってんだよ」
「そんな英雄みたいに言うのが可笑しくてな」
 俺が肩を震わせながらひとしきり笑うのを、周りは息を飲んで見守ったと思う。その間にアルバートだけは、しっかりと聞き手で剣を握り締めていた。
「導いて下さるだの、救ってくれるだの、恥ずかしげもなくよく言えるな。俺にはあの娘がそんなデカいことをやり遂げられる人物には見えんのだが。そろそろうちも面倒事が増えてきたのでな、エセルはネザリアに差し出そうと思っている。どうせこの城に居てもエセルはネザリアを救えないだろうしな」
 試合の続きになりそうだと思って俺は腰を上げた。怒りで震えるアルバートが横目に映ったが、気にせずに屈伸でもして関節を柔らかくしている。
「それにこの結婚は互いに望んだものでも無いし」
「裏切るのか」
 俺が軽く話を続けようとすると、アルバートから発せられた鉛のように重い声に遮られた。
「裏切る?」
「お前はエセル様を敵に送って見捨てる」
「敵? おいおい、いつから俺に敵など出来た?」
 呆れているとアルバートの眉間の皺が一層深くなった。怒りを買うのは容認できるが、しかし俺からしてみれば彼は大きな勘違いをしている。
 エセルはこの結婚の前にカイリュから使命を受けている。それは結婚相手である俺を殺せというものだった。それが出来なければ殺されるのは自分だとエセルは言っていた。
 まさに不運としか言いようが無い。この世で一番憎い男が実の父だったと聞かされた気持ちには、悪いが寄り添ってやれるほどこちらは情深くないのだ。
「ネザリアに敵対しているのはお前達の事情に過ぎない。俺は個人的な復習に加担する気はさらさら無い」
 薄ら笑いで告げると、アルバートは闘志の炎を再燃させた。剣は乱れて構えもまばらであった。怒りに身を任せた動きは、とにかく俺の首ばかりを狙ってきた。
 彼の中で何かが起こってアルバートの目からは時々涙が溢れている。それは俺を許せない怒りか。勝負に勝てない焦りなのか。淡い期待を抱いてしまった自分の愚かさに気付いたか。
 失望したのなら、それは俺に対してでもエセルに対してでも良い。アルバートがそのような呪縛から早く解かれることを俺は願っている。

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