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Ⅰ.最後の宴

毒入りの茶を淹れてこい

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 この男がヤバい奴なのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。兵士に縄を引かれる時も、部屋を移動する時も、足枷に繋がれる時も、この男は逃げようとかいう行動を取らず、何故か真摯に兵士の言うことを素直に聞いていた。
 暗い場所にいると落ち込みやすいだろうということで、我々は明るい部屋に移動した。壁と床と椅子だけしか無い無機質な部屋で、質疑応答するには十分な部屋だと思う。
 すっかり落ち着きを取り戻した男は何故かいじけていて、ここでは足枷をいじりながらブツブツと小言を溢していた。
「コイツはエセル様に酷いことをしようと企んでいるんですよ」
「そんな。王子は酷い事なんてしませんよ」
 男の横でエセルが言っている。
「エセル様はコイツなんかに騙されちゃいけません」
「王子は騙すような方じゃないんですよ」
 エセルの言い方は優しく諭すようであったし、実際エセルはその男の傍に寄り添い、背をさすったりなんかしていた。素性もはっきり分からん男に対して、命の恩人か知らんがいくら何でも気を許し過ぎだと思う。
 男の方も男の方でウジウジねちねちと、ぶつぶつぶつぶつ言いよって。しかも「コイツ」という言葉を発するたびに俺のことを顎で指してくるのが不愉快極まりない。
 へたれ男を慰める生娘のこんな光景を、俺とカイセイは随分長いこと見させられていた。懐中時計を手元に取ってふと見る。こんな茶番で貴重な一日を終えるなど御免だ。
「おい。そろそろ本題に入ってくれないか」
 しびれを切らして言った。エセルは慌てて謝っていたが、男はそんなことをしなくていいとエセルに言い、俺には当然怒りの眼差しを向けてきた。
 俺はふんと鼻を鳴らす。あの男、俺やカイセイとは絶対に口を聞きたくないらしい。このままエセルに任せ、気長に時間を掛けるしか方法は無いんだろうか。
「で、では、質問しますね。あ、あの。答えにくいことがあれば遠慮なく仰って下さいね。答えられる範囲で全然大丈夫なので。えっと、じゃあ一緒に頑張りましょう!」
 エセルがこんな調子である限り、やっぱり仕方ないと諦めるしか無いんだろうか。

 さあ。俺が今まで経験した中で最も緊張感の無い尋問が始まる。男とエセルが対面した姿勢を取り、俺とカイセイは離れたところで見ていた。
「まずは、あなたのお名前は?」
「アルバートです」
「アルバートさん。格好良いお名前ですね」
「あ、そうですか? ありがとうございます」
「お母様が名付けられたのですか?」
「いいや、うちの親父が何でも昔からこの名前をかなり気に入っていたようで、結婚する前から決めていたそうです」
「あら、そうですか」
「あ、ちなみに。僕が女の子だった時の名前も決まってあって……」
 悪いがこの話、どこまで脱線出来るのかと悠長に聞いていたくなど無い。仲良しこよしの会話を俺の咳払いで吹き飛ばすと、エセルは自分の為すことを思い出す。
「すみません、話が逸れてしまいました。アルバートさんは港に居たんですよね。一体どうして港に居たんですか?」
 男は聞かれて「えっ」と漏らした。そして半泣きになりながらその訳を訴える。
「僕が港に居たのはエセル様を助け出す為です。コイツに無理やり攫われたあなたを助ける為に、僕達はネザリアから遥々海を渡ってごく内密にこの国に来たんです。ただ僕はエセル様を守りたいだけで」
「それは私の父……カイリュ王に頼まれたんですか」
 鋭い質問が男の訴えを遮った。またコイツ呼ばわりされた俺も、男がどう答えるか息を飲んで見守っていた。しかし男はすぐに首を横に振る。
「どうしてそんな事を言うんですか。僕はエセル様と同じく反対派です。反対派の皆と相談して、僕達はエセル様を取り戻しに来たんです!」
 えらく熱を持って言うが、男の話がいまいち見えない。
「おい、アルバートとかいう男。お前は何故俺のことを悪党にしている?」
 ついに俺から質問を投げかけたが、アルバートは顔を下に向けて黙り込んでしまった。
「私も聞きたいです」
 しかしエセルがそう言うと、しぶしぶ口を開くのである。
「王子バルはネザリアと協力関係にあります。カイリュは反対派であるエセル様やリトゥ様を自身から遠ざけるために、この結婚を企てていたんです。だからコイツはカイリュと繋がっている悪党なんです。しかもエセル様の純な気持ちを弄ぶ極悪人です」
「極悪人? ……弄ぶだと?」
 俺がネザリアの王に手を貸しているとかいう戯言は笑っておこう。しかし終盤のところは人の道理として侮辱に値する。
 怒るこの身をずかずか進めて詰め寄るだけで、アルバートは縮こまり震えていた。こんなひよっこな男など、いつでもどうにでも出来る。
 いざ目の前に来ると、逆に怒りは鎮まった。腰の剣に触れてカチャッと音を立てると、アルバートは「ひい!」と間抜けな声を出す。これはこれで面白そうではないかと俺はニヤリ笑う。
「おいカイセイ。毒入りの茶を淹れてこい」
「は?!」「え?!」
 カイセイだけでなくエセルの声もこの部屋に反響した。俺は特に気に留めず、ただ剣の柄でアルバートの頭をつんつん突いて遊んでいる。
「なあに、本物の毒じゃない。メルチの土産があるだろ。あれで十分だ」

 しばらくした後に、アルバートの手の中には来客用の茶碗が持たされていた。ふわりと異国の香りが漂うメルチ特産の茶だ。それを見下ろしているアルバートの気分はいかがなものだろう。ひとつ汗が顎を伝ってポタリと茶碗の中に入ったのを俺は見過ごせなかった。
 質問するのはエセルから俺に代わっている。
「俺の質問に答えられないならその茶を一気に飲み干せよ?」
 そう言っておいただけでアルバートはよく喋るようになった。毒など入っていないと散々言っているのにも関わらず、質問以上のことも話してくれる。
「つまりお前はネザリアで漁師を営んでいたが、カイリュによって船を取り上げられ兵士にされ、訓練所ではさっぱり使い道にならんので城の掃除係を任されていたということか」
 アルバートは不服そうであったが、しかと頷いた。俺は溜息しか出ない。
「漁師の頃はそれはもう天職で。僕は波の音を聞くだけで、魚の群れの居場所も次に向かうところもばっちり分かってしまうんだ!」
 そんな神業を得意げに語られても賞賛するのはエセルくらいである。アルバートが図に乗って自身の武勇伝を語る間、俺とカイセイは手をこまねいていた。
 カイセイが俺にしか聞こえないくらいの声で言う。
「使い道は無さそうですね」
 俺は腕を組んで唸っていた。
 調子が良いととにかく口が軽くなるアルバートだ。意気揚々と語られた「カイリュは魚を食べない」だの「ネザリアは美人が多い」だの、そんなちっぽけな情報が何か役立たないか。確かに考えるだけ無駄のような気もする。
「おい、アルバート」
「うるさい。気安く呼ぶな、この悪党め!」
 くっ……。
 ムカっ腹を抑えてアルバートに問う。 
「エセルを連れ戻してどうする気だ」
「はあ? どうもしない。元の場所に帰るだけだ!」
「その後はどうする」
 俺にけんけん吠えていた口が開いたままで言葉に詰まっている。
「なんだお前。まさか考えてないなんて言うんじゃないだろうな」
「そ、そんなことあるわけ無いだろ! 僕とエセル様で王を止めるんだよ!」
「ほう。じゃあまず手始めに俺のことを殺してみてはどうだ。港では俺を討ち取る計画も仲間内でされていたはずだろう」
 俺は自分の剣をアルバートに手渡した。人を殺すには足りない剣だが、打ちどころ次第で致命傷くらいは残せる。アルバートはおずおずと聞き手に持ち替え、剣先を光に当てたりして眺めていた。
「本物の剣だ。訓練所で持たせても貰えなかったか」
「っも、も、ももももらえたとも」
 たぶん鉄製の剣を握るのは初めてに見える。アルバートは剣を振るどころか、俺に向けることもままならず、いつまでも柄を握りしめてプルプル震えていた。それを見ながら、掃除係行きかと頭を過る。
 俺は後ろのカイセイを振り返り、手を伸ばした。
「ちょっとお前のを貸してくれ」
 カイセイは腰の剣を抜いて俺に手渡す。俺のものとどちらの剣が勝るも無い。似たような長さと重みの剣を俺は握った。
「じゃあこういうのはどうだろう」
 その剣をアルバートに向けるのではなく、俺はエセルに向けた。当然だがこんなことはあってはならない。王子の妻に剣を突きつける俺のことをカイセイが許すはずも無い。しかしこれはアルバートによく効いた。
 本物の剣におののいてプルプル震えていたアルバートはそこに居なく、不格好に剣を持ち上げ俺に勢いよく掛かってきたのだ。
 キィン。と鉄同士が交わる音が鳴る。エセルに向けていた剣を逸らすだけで、アルバートの攻撃は防げた。相手は全く素人の剣である。持つ手のところにしか力が入っていない。息を荒らげながら血走った目をしたアルバートが言葉を放った。
「やっぱりお前は悪党だ」
「ふん。それでいい」
 両方の剣を取り上げる。俺はアルバートが手を付けなかった茶を飲み干し、そのまずさに若干悶えた。ひとりでこの部屋を出る際に、カイセイに事を伝えておく。
「俺はこの男のことを気に入った。具体的な話は後日に回そう」
 それから数日間、仕事はよく捗った。
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