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Ⅰ.ネザリア・エセルの使命
馬鹿なことを
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緊迫した空気は時が過ぎることで緩やかになっていき、城や町にはいつも通りの風が吹くようになった。皆は通常営業に戻り、俺も書斎で判を押す日々を送っている。時にぼーっと窓を眺めていると、頭の中で勝手にエセルのことを考え始めるので困ったものだ。エセルは命を取り留めたが、まだ眠ったままである。
それとエセルをかばって毒盛りの矢を受けた男であるが、怪我の穴が塞がるまで医務室に閉じ込めてある。それはもうピンピンと元気で三人分の食事を一度に食しているらしい。リトゥもまた、まだあの部屋に留めている。この二人の今後は今まだ保留中だ。特にリトゥのことは俺一人では決められないからな。
「メルチ訪問……あまり先延ばしには出来ませんね」
廊下で並んで歩いていた。隣でカイセイが口にした。
「ああ。出来るだけ早く行かねばとは思っている。それにエセルも連れて行った方が良いだろう。目覚めるまで待つしか無い」
「……そうですね」
侍女が頻繁に出入りする部屋に俺とカイセイで入った。ひとつベッドが置いてあり、静かに寝息を立てたエセルがいる。その健やかな寝顔を見下ろしていると、なんだか俺は安らかな気持ちになった。安心して眠っていておくれ。と、こんな状況でなければそっと頭を撫でていただろう。
エセルの長いまつげを観察するみたいに眺めていると、あろうことかエセルが目を覚ましたようだ。薄目が開き顔を少し動かしている。そのぼんやりした目で俺と目が合うと、か細い声を出した。
「……王子ですか」
「エセル、起きたのか」
瞬きするだけの薄い反応であった。まだ意識が虚ろなようだ。カイセイはエーデンに知らせると部屋を出ていった。事にバタバタしだす周囲の音に、だんだんエセルもはっきりと目を覚ましていく。
「王子、私生きてますか?」
「ああ、生きている。エーデンがすぐに治療をしてくれたからな。もう大丈夫だろう」
「そうですか。ありがとうございました。エーデンさんにもお礼を言わないと」
エセルは微笑んで言った。俺はそれを見てようやく安心できた。いつもの他人を真っ先に気遣うエセルが帰ってきたのだ。
「お前、もう四日間も寝ていたんだぞ」
「まあそんなに!」
それからエセルは「あっ」と思いつく。
「メルチ王国には行かれたんですか? 四日ということは出発されなかったのでしょうか?」
ようやく目を覚ましたかと思えば、焦ってそんなことを言い出してきた。それを止めるために、俺はエセルの額に手のひらを付けてやった。
「まずは何か食べろ。四日分食べるのだぞ、分かったな」
「はい」
エセルの額が熱く伝わってくる。きっとまだ熱があるのだ。
俺の手が冷たいらしくエセルは気持ちよさそうにしていた。そのままゆっくり目を閉じたから眠るのかと思いきや、また何か思い出して飛び起きだす。
「手紙は!」
「手紙? ……ああ」
俺もこの時に思い出し、懐に入れたままであった手紙を取り出した。女性の前であるからな、一段と気を使って丁重に糊を剥がしていると、エセルの刺さるような叫び声がすっ飛んできた。
「い、今読むんですか!?」
「なんだ、二人きりでも話せないようなことが書いてあるのか?」
カイセイが根回ししてくれたのだろう。さっきあんなにウロウロしていた侍女の姿が、ひとりも見えなくなっている。
「ダ、ダメです!」
「なんでだ俺宛だろう?」
エセルがそこに手を伸ばして取り上げようとしてくる。あまりにも動くのでこの病み上がりを少し叱ったら、大人しく諦めてくれたようであった。
「……」
さすがに黙読だ。内容はまあ俺に対する感謝文である。いままでお世話になりました。と別れを暗示するような文も時々見受けられた。
「俺のことをえらく褒めてくれるではないか」
「もう。感想とか言わないで下さい」
「この『決心がつきました』というのはどういう意味なんだ?」
「質問も禁止です。一切答えません!」
最後まで読み終わったので手紙は懐に仕舞った。再び視界に現れたエセルが、顔を真っ赤っ赤にしてプンプン怒っている。ちなみに何で怒っているのかは分からない。だがそれが、こんなに嬉しく感じるのはいったい何故なんだ。こういうのが愛おしいと言うのではないか。
……馬鹿なことを。
久しぶりに会ったからそんな風に思ってしまうだけだろう。喧嘩別れをしていても時を挟めばまた肩を組み合える。そういうものだろう人とは。そこに愛だの友情だの名前を付けたがるものなのだ。お前が一番分かっているはずだろう? ……頭の中で俺同士の会話がなされている。
「で、決心ってのは何だ? 俺を殺す決心か?」
気を取り直し改めて聞いた。だがエセルはすでに眠そうになっていた。薄目を開けたまま、ふわふわな口調で答えてくれる。
「違いますよお。私の決心は今も、父を打つことですう……」
あまりに弱々しい決心に俺は鼻で笑っていた。もう一度エセルの額に手を置くと、エセルはゆっくりと目を閉じる。そしてまたすぐに静かな寝息を立て始めた。
「そんなんじゃ難しいだろうな」
優しく言い、俺はエセルの寝顔におもむろに近付く。そしてエセルの唇にそっとキスをした。手のひらで感じ取る熱が、唇からも伝って届いてきた。
「早く元気になってほしい……」
「……はい」
目を閉じたままでエセルは小さく返事をした。
それとエセルをかばって毒盛りの矢を受けた男であるが、怪我の穴が塞がるまで医務室に閉じ込めてある。それはもうピンピンと元気で三人分の食事を一度に食しているらしい。リトゥもまた、まだあの部屋に留めている。この二人の今後は今まだ保留中だ。特にリトゥのことは俺一人では決められないからな。
「メルチ訪問……あまり先延ばしには出来ませんね」
廊下で並んで歩いていた。隣でカイセイが口にした。
「ああ。出来るだけ早く行かねばとは思っている。それにエセルも連れて行った方が良いだろう。目覚めるまで待つしか無い」
「……そうですね」
侍女が頻繁に出入りする部屋に俺とカイセイで入った。ひとつベッドが置いてあり、静かに寝息を立てたエセルがいる。その健やかな寝顔を見下ろしていると、なんだか俺は安らかな気持ちになった。安心して眠っていておくれ。と、こんな状況でなければそっと頭を撫でていただろう。
エセルの長いまつげを観察するみたいに眺めていると、あろうことかエセルが目を覚ましたようだ。薄目が開き顔を少し動かしている。そのぼんやりした目で俺と目が合うと、か細い声を出した。
「……王子ですか」
「エセル、起きたのか」
瞬きするだけの薄い反応であった。まだ意識が虚ろなようだ。カイセイはエーデンに知らせると部屋を出ていった。事にバタバタしだす周囲の音に、だんだんエセルもはっきりと目を覚ましていく。
「王子、私生きてますか?」
「ああ、生きている。エーデンがすぐに治療をしてくれたからな。もう大丈夫だろう」
「そうですか。ありがとうございました。エーデンさんにもお礼を言わないと」
エセルは微笑んで言った。俺はそれを見てようやく安心できた。いつもの他人を真っ先に気遣うエセルが帰ってきたのだ。
「お前、もう四日間も寝ていたんだぞ」
「まあそんなに!」
それからエセルは「あっ」と思いつく。
「メルチ王国には行かれたんですか? 四日ということは出発されなかったのでしょうか?」
ようやく目を覚ましたかと思えば、焦ってそんなことを言い出してきた。それを止めるために、俺はエセルの額に手のひらを付けてやった。
「まずは何か食べろ。四日分食べるのだぞ、分かったな」
「はい」
エセルの額が熱く伝わってくる。きっとまだ熱があるのだ。
俺の手が冷たいらしくエセルは気持ちよさそうにしていた。そのままゆっくり目を閉じたから眠るのかと思いきや、また何か思い出して飛び起きだす。
「手紙は!」
「手紙? ……ああ」
俺もこの時に思い出し、懐に入れたままであった手紙を取り出した。女性の前であるからな、一段と気を使って丁重に糊を剥がしていると、エセルの刺さるような叫び声がすっ飛んできた。
「い、今読むんですか!?」
「なんだ、二人きりでも話せないようなことが書いてあるのか?」
カイセイが根回ししてくれたのだろう。さっきあんなにウロウロしていた侍女の姿が、ひとりも見えなくなっている。
「ダ、ダメです!」
「なんでだ俺宛だろう?」
エセルがそこに手を伸ばして取り上げようとしてくる。あまりにも動くのでこの病み上がりを少し叱ったら、大人しく諦めてくれたようであった。
「……」
さすがに黙読だ。内容はまあ俺に対する感謝文である。いままでお世話になりました。と別れを暗示するような文も時々見受けられた。
「俺のことをえらく褒めてくれるではないか」
「もう。感想とか言わないで下さい」
「この『決心がつきました』というのはどういう意味なんだ?」
「質問も禁止です。一切答えません!」
最後まで読み終わったので手紙は懐に仕舞った。再び視界に現れたエセルが、顔を真っ赤っ赤にしてプンプン怒っている。ちなみに何で怒っているのかは分からない。だがそれが、こんなに嬉しく感じるのはいったい何故なんだ。こういうのが愛おしいと言うのではないか。
……馬鹿なことを。
久しぶりに会ったからそんな風に思ってしまうだけだろう。喧嘩別れをしていても時を挟めばまた肩を組み合える。そういうものだろう人とは。そこに愛だの友情だの名前を付けたがるものなのだ。お前が一番分かっているはずだろう? ……頭の中で俺同士の会話がなされている。
「で、決心ってのは何だ? 俺を殺す決心か?」
気を取り直し改めて聞いた。だがエセルはすでに眠そうになっていた。薄目を開けたまま、ふわふわな口調で答えてくれる。
「違いますよお。私の決心は今も、父を打つことですう……」
あまりに弱々しい決心に俺は鼻で笑っていた。もう一度エセルの額に手を置くと、エセルはゆっくりと目を閉じる。そしてまたすぐに静かな寝息を立て始めた。
「そんなんじゃ難しいだろうな」
優しく言い、俺はエセルの寝顔におもむろに近付く。そしてエセルの唇にそっとキスをした。手のひらで感じ取る熱が、唇からも伝って届いてきた。
「早く元気になってほしい……」
「……はい」
目を閉じたままでエセルは小さく返事をした。
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