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Ⅰ.ネザリア・エセルの使命

書斎‐怒られる‐

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 エセルとリトゥの国であるネザリア王国。この国との関係はまだ浅い。浅いが故に外交的結婚で繋がりを持てたのだが、それが破綻することになれば、ただでは置かないということをリトゥは脅しているのだ。
 ただの付き人にいったい何の権限があって、こんな事を言い出すのか不明であるが、今のところは愛国心と受け取ってある。それにしては相手国の王子を無下にし過ぎではないかとも思うが、まあ実質よう分からん。昔の愛人に顔が似ているとかかもしれんしな。
 リトゥがわざわざ職場にまで足を運んで来るのは何故か。過保護過ぎるだけなのか、それともエセルがリトゥに指示しているのか。もしも後者であるなら、あのエセルという娘のような姿の姫は、大変に恐ろしい策士かと思う。大人しくしておいて、腹の底ではとんでもない執念を隠し持っているのかもしれない。
 いかん。考えれば考えるほど良い方向に向かないな。
 二人グルになって俺を陥れようとしているのなら、俺もついに王子として、この国を守る行動を起こす必要があるかもしれない。考えすぎだろうか。いいや、考えるのが俺の役目だ。
「バル様」
 頭の上からカイセイの声が降りかかる。言いたいことはだいたい分かる。俺は口だけで答えた。
「お前の言うとおり、あの姫には失望するようなことを告げた。だが言っておくが、別に彼女のことが嫌いで遠ざけるために言うわけじゃない。俺と円滑にこの先やっていくためのアドバイスとして告げた」
 これにカイセイが反論しないので沈黙が続く。
 風も止まっているようである。何の音も無い。なので俺はただの愚痴として続けた。
「結婚相手と仲良くしろだと? それは無理な話だろう。素性も分からん女を突然に好きになれるか? おまけに逐一非難してくる保護者もセットだとは聞いていないし、いったいどんな複雑な事情をお持ちなのだろうな」
 自分で言って、ハハハと力なく笑っていた。
「……さあて、そろそろ仕事に戻ろうか」
 机から身を剥がそうという時であった。何かドシンと大きな振動が頭蓋骨付近に起こった。何が起こったのか急いで顔を上げると、俺の後頭部があった辺りに紙の山が生えている。
 紙の山は机から突然生えることなどありえないから、もっと周りを見ると、せっせと紙の山を運ぶカイセイがいた。
 カイセイの持っている紙の山はまた、俺の机の上にドシンと置かれる。
「おいおいおい。何をしている」
「バル様の分を戻しているだけですよ」
 カイセイは言いながら、自分の机からまたもうひと山抱えて来て3つ目を置いた。ドシンと机が揺れた。その揺れで下では足がガタガタ鳴るし、上では雪崩が起きかけている。
 雪崩を阻止するためにも、俺は急いで覆いかぶさった。
「まさか”あれ”だけがバル様の取り分だと思っていたのではないですよね」
 ”あれ”とは俺がベシベシ叩いていた山だ。実際そうだと思っていた。
「……お、思っていない」
「ですよね、よかったです」
 カイセイはにこりと微笑んでいる。それがすごく怖い。
「何度も何度も言っていますが、何度でも言わせて頂きます。あなた方は仲違いしている場合ではありません。バル様とエセル様の結婚はつまり国同士の結婚なんですから、つべこべ言わずに任務を全うするんです」
 ついに交際のことを任務と言ってきた。
 それでも煮えきらない俺の態度に、カイセイは困り果てたようだ。
「いったい何が気に食わないんですか。あなたは選り好みするようなタイプでも無いでしょう」
「別に何も無い」
「いいえ必ず何かあります」
 思ったとおりに返された。
 これでは逃げ場をなくされたも同然だ。誰にも言いたくないことが、ひとつやふたつあるだろうに。すべて白状しなければ逃してはくれないのか。天井を仰ぎ見てため息をつく。
「衛兵、聞こえるか」
 俺の呼びかけに扉が開き、軍服姿が現れた。
「カイセイと込み入った話をしたい。悪いが少し離れてくれ」
「はっ」
 聞き分けよく返事をし、扉が閉まった。
 静かに耳を澄ませ足音が聞こえなくなると、ここは俺とカイセイの二人きりになった。
「話すが、お前は絶対に怒るぞ」
 先に言っておく。極秘の話なのだと分かって、カイセイは真面目な顔でうなずいた。
 また風が吹き出している。それに少し強まってきたようだ。窓ガラスが時にカタカタ音を立てていた。
 言葉を選んで話せれば良いが何しろ例が無いために、俺は思いのままを口にした。
「エセルのことを嫌っていないと言っただろう。俺の好みかと聞かれれば正直そうだ。着飾り込んで茶ばかり飲み同じ話をする女よりも、ああいう地味なくらいが丁度いい。本が好きならいくらでも読ませてやれば良いと思うし、きっと彼女なら俺がいなくてもそうしたがると信じている」
 ここまではただの男の恋話だ。そんなに耳を傾けてくれなくても良い。特に重要なのはここからで「だがな」と指を立てた。
「いくら外国の姫とは言え、彼女は皇族特有の華が無さ過ぎると思う。それは俺にとっては居心地が良いかもしれんが、一般的に見れば指導が足りないとも取れる。礼儀、作法がまるで分かっていないのは、率直に彼女が本当にネザリアの姫なのかと疑問を抱くくらいだ。付き人であるリトゥの方が、作法の面ではよっぽど教育されているのではないか」
 こう言うと、カイセイは怒らずに悩みだした。
「教養は国によって大きく違いますし、単に慎ましやかな方なのではありませんか?」
「それにしても威厳が足りない気がする」
「そうでしょうか……」
 カイセイの中でのエセルと、俺が話すエセルとで矛盾が生じているようである。確かに契約を結ぶ式典ではそれ相応の身なりをしており、威厳というのもあった気がする。違和感すら覚えないくらいにはな。
 俺も当時の記憶が思い出されてくると、エセルのことがだんだん分からなくなってきた。
 すると唸っていたカイセイが、
「そういえば昔、病に伏せていた期間があるとか聞いたような」
 独り言のようであったが、俺にも十分聞こえている。
「それはいつ頃だ?」
「さあ。詳しくは知りません。ですがきっと幼少の頃だと思いますよ。でないとこちらに来れないでしょう」
「それはそうだな」
 病持ちを嫁に出す家など聞いたことがない。
「いっそリトゥ様に聞いてみては? エセル様のことならよくご存知でしょうし」
「嫌だ」
「でしょうね」
 二人してきっぱりと言う。
 そして二人して難しい顔で各々悩みふけっている。
「……彼女はいったい何者なんだろうか」
 その答えは単なる勘違いによる誤解であってくれたら助かるのだが、何故か妙な胸騒ぎのようなものが拭えなかった。彼女の正体を知るにはそれこそ彼女との親睦を深めるやり方が一番手っ取り早く済みそうであるが、俺的にはそれが一番苦手なところだ。
 また沈黙になったので、そろそろと手を動かし出す。
 よくある報告書に目を落としながら、頭がぼんやりとした。
「……まだ荒れているのか」
「はい?」
 何のことか分からぬカイセイに、この報告書を差し出した。カイセイは席を立って俺の元へやってくる。報告内容を確認すると微笑を浮かべた。
「あー、西部ですね。なかなか国境が定まらなくて応援要請が来てるんですよ」
「まだ面倒が続いているんだな。そろそろ終いにした方が双方にとって良いんじゃないのか」
 カイセイは軽快に笑った。
「他人事ですね。いつか戦場に呼び出しがかかりますよ」
「やめろ。そういう事を言うと本当になるからな。その辺の土地は特に民家もないし、いっそ明け渡して皆小さくまとまって暮らしたらどうだろう。そうすれば俺の仕事は楽になる」
 言いながら俺も微笑気味である。
 そんな話をしていたら衛兵が戻ってきたようだ。再び扉の見張りを命じ、中はエセルの話題には戻らなかった。
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