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彼の瞳に囚われた
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煌びやかな場所は嫌いじゃなく、むしろ私はそんな場面でこそ求められることが多い。でも、ピアニストは背景だ。必ず主賓になることは無い。まるで私の生き方そのものみたい。
「アルティミス様より皆様にお言葉を頂戴したします」
盛大な拍手に招かれて偉大な人は台の上に乗った。マイクを手に取るとホールに集まった若い兵士たちに言葉をかけていた。
一方、私はピアノ椅子から降りて次の楽譜を探している。偉大な人の話が終わったら立食パーティーに移るから、そのための伴奏をしなくちゃならない。
「……やばい」
セルジオ王国創立記念日の今日。そして新米兵士を歓迎する催しの今日。アルティミス国王が最も愛した小夜曲を練習して来たのに。その楽譜だけどうしても見つからなかった。
舞台袖の慌てようは知らずに、そろそろスピーチは終わりを迎えようとしている。
「やばい。やばいやばいやばい……」
拍手の音が私の心臓の音をかき消した。だけど拍手が止めば、私の鼓動はさらに破裂しそうな勢いで再熱していた。
スピーチを済ませたアルティミス王が舞台袖に降りてくる。私と目があってニコリと微笑む。
「いつものでよろしく頼むよ」と言った。いつもの、とは彼にとってのいつもので、私にとっては丸っきり初めてのことに過ぎない。
私は顔に笑顔を貼り付けて答えた。すれ違いでピアノの前に座ったなら、震える両手を見るのが怖くて周りに目を回していた。
兵士さん達はそれぞれの会話に花を咲かせている。誰も私の演奏を待ち望んでなんかいない。だったら何を演奏しても大丈夫だろう。大丈夫……。
恐る恐る私は鍵盤に指を置いて音を鳴らした。控えめに。音楽大学の顧問はきっと「自信の無さが丸わかりですよ」なんて叱りそう。でも素人ならそんなもの分かるはずがない。儚げだとか可憐だとかで済ませられる。
指が持つ記憶だけで辿々しく弾くピアノ。間違えたかと思ったらアレンジにして誤魔化した。
綺麗にとかした髪も嫌な汗を含んでよれているだろう。化粧を直す時間も取れていない。私はどんなに醜いピアニストか。ああ、背景で良かった。
そうして気付けば私は頭の中で追っていた楽譜を見失った。知らない曲を奏でていた。それでも誰ひとり私に野次を投げては来なかった。
ただ減点を付けられるとすれば、私と、それからアルティミス王だけだ。
ピアノ椅子から降りると少しのお酒と料理を頂ける。だけどあまり長居はしなくて良い。それがアルティミス様から私への伝言だと指揮官の方から告げられた。
私はピアニストとして腕を上げたつもりでいて、王族様のパーティーにもお呼ばれされたと浮かれていた。だから罰が下ったんだ。
「ねえ君、演奏者の人?」
不意に声をかけられ、私はテリーヌを急いで飲み込んで朗らかに答える。
「はい。そうです」
「やっぱり。綺麗な人だな~って思って」
「そんな、とんでもないです」
女は謙遜すべき。子供の頃から母と祖母から毎日五回は言いつけられていた。
「僕らと一緒に飲もうよ~」
「ありがとうございます。では少しだけ……」
女は男に応えるものだよ。それも母と祖母から毎日三回。結婚適齢期と呼ばれる年齢になってから。
たわいのない話を聞きながらお酒を飲んだ。お酒には強かったから平気だけど、兵士さんの話はあんまり楽しいものじゃない。セルジオ王国の歴史話ばっかり。まるで他の世界を見たことのない、カゴの中の小鳥のような純粋な瞳で語られる。
「君の出身は?」
「港の方です。リーヴという町の」
「そうか、僕はその隣町だよ」
連絡を取り合おうよと提案される。私はやったと思って自前のアーティストカードを丁寧に手渡した。すると相手には少し困った顔をされた。彼は営業対象ではなかったみたい。
和やかな会話は仲介人によって止められる。
「申し訳ございません。そろそろお時間が」
私に次の時間なんて無い。あるとしたらアルティミス様が城から出ていけと言い出す時間くらいだ。
「はい。行きます」
指揮官の方に連れられて私は煌びやかな場所から出る。表門じゃなく裏門に連れて来られると、ここまでだと扉を開けて私を放り出すようだった。
ピアニストとして評価が上がったのだと舞い上がったのはほんの一瞬。夢だったと見間違えてもおかしくないな。せめて最後にお礼をと思い、私は裏庭に踏み出したところで振り返ってお辞儀をした。
「お世話になりました」
しかし呆気なくも、たった一言しか伝えられずに扉が閉ざされてしまう。重低音がまるで暗闇の底に突き落とすかのように冷たく響いて聞こえた。灯りの少ない荒野だったからかもしれない。いずれにしても終わりを告げるものだ。
顔を上げると、扉の小窓から僅かに指揮官の人が目だけでこちらを見守っている。ちゃんと私がまっすぐお城から離れたかどうかを見送るため。
刺すような視線は痛く、それにあまりじっと見ていると恐怖すら感じてしまう冷たすぎる瞳だった。
彼への印象はあまりないものの、私が話した兵士さんよりも人を引きつけるものを持っている。多分その瞳のせいだ。魅了とは違った感覚で私を惹きつけた。おそらく囚われた。でも、それがだんだんと怖くなって私は目線を逸らす。
風が地面の草を揺らすと何か不穏で、私はカバンを抱いて後退りをする。そのあとは振り返らずに去っていく。
彼のことはそれから思い出さないものだと思っていた。なのに私は、彼のことばかりを思い出す日々をしばらく送ってしまう。
「アルティミス様より皆様にお言葉を頂戴したします」
盛大な拍手に招かれて偉大な人は台の上に乗った。マイクを手に取るとホールに集まった若い兵士たちに言葉をかけていた。
一方、私はピアノ椅子から降りて次の楽譜を探している。偉大な人の話が終わったら立食パーティーに移るから、そのための伴奏をしなくちゃならない。
「……やばい」
セルジオ王国創立記念日の今日。そして新米兵士を歓迎する催しの今日。アルティミス国王が最も愛した小夜曲を練習して来たのに。その楽譜だけどうしても見つからなかった。
舞台袖の慌てようは知らずに、そろそろスピーチは終わりを迎えようとしている。
「やばい。やばいやばいやばい……」
拍手の音が私の心臓の音をかき消した。だけど拍手が止めば、私の鼓動はさらに破裂しそうな勢いで再熱していた。
スピーチを済ませたアルティミス王が舞台袖に降りてくる。私と目があってニコリと微笑む。
「いつものでよろしく頼むよ」と言った。いつもの、とは彼にとってのいつもので、私にとっては丸っきり初めてのことに過ぎない。
私は顔に笑顔を貼り付けて答えた。すれ違いでピアノの前に座ったなら、震える両手を見るのが怖くて周りに目を回していた。
兵士さん達はそれぞれの会話に花を咲かせている。誰も私の演奏を待ち望んでなんかいない。だったら何を演奏しても大丈夫だろう。大丈夫……。
恐る恐る私は鍵盤に指を置いて音を鳴らした。控えめに。音楽大学の顧問はきっと「自信の無さが丸わかりですよ」なんて叱りそう。でも素人ならそんなもの分かるはずがない。儚げだとか可憐だとかで済ませられる。
指が持つ記憶だけで辿々しく弾くピアノ。間違えたかと思ったらアレンジにして誤魔化した。
綺麗にとかした髪も嫌な汗を含んでよれているだろう。化粧を直す時間も取れていない。私はどんなに醜いピアニストか。ああ、背景で良かった。
そうして気付けば私は頭の中で追っていた楽譜を見失った。知らない曲を奏でていた。それでも誰ひとり私に野次を投げては来なかった。
ただ減点を付けられるとすれば、私と、それからアルティミス王だけだ。
ピアノ椅子から降りると少しのお酒と料理を頂ける。だけどあまり長居はしなくて良い。それがアルティミス様から私への伝言だと指揮官の方から告げられた。
私はピアニストとして腕を上げたつもりでいて、王族様のパーティーにもお呼ばれされたと浮かれていた。だから罰が下ったんだ。
「ねえ君、演奏者の人?」
不意に声をかけられ、私はテリーヌを急いで飲み込んで朗らかに答える。
「はい。そうです」
「やっぱり。綺麗な人だな~って思って」
「そんな、とんでもないです」
女は謙遜すべき。子供の頃から母と祖母から毎日五回は言いつけられていた。
「僕らと一緒に飲もうよ~」
「ありがとうございます。では少しだけ……」
女は男に応えるものだよ。それも母と祖母から毎日三回。結婚適齢期と呼ばれる年齢になってから。
たわいのない話を聞きながらお酒を飲んだ。お酒には強かったから平気だけど、兵士さんの話はあんまり楽しいものじゃない。セルジオ王国の歴史話ばっかり。まるで他の世界を見たことのない、カゴの中の小鳥のような純粋な瞳で語られる。
「君の出身は?」
「港の方です。リーヴという町の」
「そうか、僕はその隣町だよ」
連絡を取り合おうよと提案される。私はやったと思って自前のアーティストカードを丁寧に手渡した。すると相手には少し困った顔をされた。彼は営業対象ではなかったみたい。
和やかな会話は仲介人によって止められる。
「申し訳ございません。そろそろお時間が」
私に次の時間なんて無い。あるとしたらアルティミス様が城から出ていけと言い出す時間くらいだ。
「はい。行きます」
指揮官の方に連れられて私は煌びやかな場所から出る。表門じゃなく裏門に連れて来られると、ここまでだと扉を開けて私を放り出すようだった。
ピアニストとして評価が上がったのだと舞い上がったのはほんの一瞬。夢だったと見間違えてもおかしくないな。せめて最後にお礼をと思い、私は裏庭に踏み出したところで振り返ってお辞儀をした。
「お世話になりました」
しかし呆気なくも、たった一言しか伝えられずに扉が閉ざされてしまう。重低音がまるで暗闇の底に突き落とすかのように冷たく響いて聞こえた。灯りの少ない荒野だったからかもしれない。いずれにしても終わりを告げるものだ。
顔を上げると、扉の小窓から僅かに指揮官の人が目だけでこちらを見守っている。ちゃんと私がまっすぐお城から離れたかどうかを見送るため。
刺すような視線は痛く、それにあまりじっと見ていると恐怖すら感じてしまう冷たすぎる瞳だった。
彼への印象はあまりないものの、私が話した兵士さんよりも人を引きつけるものを持っている。多分その瞳のせいだ。魅了とは違った感覚で私を惹きつけた。おそらく囚われた。でも、それがだんだんと怖くなって私は目線を逸らす。
風が地面の草を揺らすと何か不穏で、私はカバンを抱いて後退りをする。そのあとは振り返らずに去っていく。
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