4 / 58
02-02 無情の再会
しおりを挟む「……、トコエ」
名前を呼ぶ。ずっと焦がれていた人の名を。
けれど彼女はその名前に反応しなかった。扉の前にいる彼など視界に入っていないかのように横を通り抜け、片手で軽々とその扉を開ける。
「待って!トコエ、僕だよ……!」
立ち去ってしまいそうな彼女の細い腕を掴む。それでも振り返らないため、腕を引っ張ってこちらを向かせた。
虚な瞳と目が合う。間違いなく目の前の少女は記憶にある彼女と同じ姿をしている。否、一寸も変わってなどいない。まるで時が止まったかのように。
「ルザだよ、覚えてない?生きてまた会おうって、約束したよねっ、ちゃんと……会いに来たんだよ……!」
「…………」
彼女は応えない。望んでいた反応が得られないことに掴んでいた手の力を緩めると、彼女はまたなにごとも無かったかのように踵を返し、どこかへ行こうとする。恐らくは自室、なのだろうか。
「無駄だって。何言っても反応しないんだから」
いつの間にか追いかけてきていた女性がため息混じりにそう言った。
――彼女の精神は既に崩壊してしまっているのかもしれないね
ラゾの言っていた言葉が頭をよぎる。
五年という時間の中で、彼女の心は潰れてしまったのか。
「だからさ、ベルのことは一旦置いといて……って、ええっ」
無言で歩き続ける彼女の後をついていく。同じようについてくる女性は無視して、要塞の最深部にある彼女の部屋の前までたどり着く。
さっさと室内に閉じこもろうとする彼女を引き止めるため、閉まる扉を手で押し留める。邪魔そうな彼女の視線を受けて怯みそうになるも、彼は彼女の前にしゃがみ込む。
「僕は君と同じエヴァンジルだ」
タイを緩めて彼は胸元にある管理番号を見せる。それにほんの少しだけ彼女の表情が変化する。
「君の身の回りの世話をしよう。側にいることを許して欲しい」
「えぇー……」
やめておいた方が、という声を他所に、彼女は変わらず見上げてくる彼をじっと見つめる。
扉を閉めようとした手を離し、彼女は何も言わずに部屋に入っていく。ここまで来て拒絶しない、ということは好きにしろ、ということなのだろうか。
「やめときなって」
室内に入ろうとする手を女性に引かれる。
「確かに綺麗な子だけど、すんごい凶暴なんだから。何人の男が手を出そうとして大怪我させられたか……」
「……その話は後で詳しく聞かせてもらうよ。悪いけれどまたの機会にね」
忙しくなるから、と彼は断る。けれどすぐに愛想よく美しい笑みを浮かべると、女の頬にキスを一つ落とした。
「約束は忘れてないからね。それじゃあ」
バタンと扉を閉めて鍵をかける。折角の彼女との時間を邪魔されては堪らない。
振り返ってみて気づくが、室内はかなり暗い。要塞の最深部のため窓が無いのは分かっているのだが、どうやら明かりをつけていないようだった。
「勝手につけるよ」
返事はない。けれども構わずに手探りで壁を弄る。ゆっくりと足を進めれば、ふにゃりと何か柔らかいものを踏むような感触がした。
「……一体何が」
想像しないように歩き続け、やっとスイッチを発見する。意を決してそれを押す。そうすれば室内は一気に明るくなる。
その部屋の惨状を見た彼は絶句した。
踏んだのは、多分布だ。床一面にカーペットでも敷いてあるのかと思ったが、どうやらこれは彼女が脱ぎ捨てた大量の衣類のようだ。恐らく数年分。構わず踏みしめているせいか、黒く汚れきっている。
部屋の中の家具は少ない。一人用ではない大きなベッドと、椅子一つ。テーブルさえない。彼女はというとベッドの上で寝転がって、既に寝に入っているようだ。
「まずは掃除かな……」
もはや地面と一体化していると言ってもいい服を剥ぎ取り、一箇所に集めていく。衣類はどうやら自然由来のものらしく、変色したり変形したりもせず床にべったりと張り付いたりはしていなさそうだ。それにもっといろんなゴミでも埋まっているのかと思いきや、本当に服しか落ちていないようだ。
「洗濯せずにずっと新しいものに変えてたってこと?……はっ!?」
拾い上げた服は同じような形のワンピースばかりだった。だがそれよりも小さな衣類もあって不思議に思い手にしてみれば、それはどう見ても下着だった。
「と、トコエの、下着……」
再会早々に想い人の使用済み下着を見てしまうとは、と彼は頬を染める。いろいろと用途を思い浮かべるも、さすがに会って早々そんな変態行為を許せる自分では無かった。
心を鬼にして全ての衣類を一箇所にまとめあげる。後で廃棄する予定だ。何年ぶりかに現れたらしい部屋の床はとても綺麗だった。
そこから室内を更に詳しく見てみる。
シャワーとトイレがある。一応洗面台も。なぜかキッチンもついているが、当然使用された形跡は無い。もしかしたらこの大部屋は元々複数人が共同で過ごす一室だったのかもしれない。
「時計も止まってる。備品は配給だろうから、後で取ってくるか。洗濯機もあるから洗剤も、後は、そうだな……トコエ、何か食べた方がいいんじゃない?持ってこようか?」
ベッドに寝転がる彼女に尋ねる。ベッドに放り投げられている衣類は洗濯に回そうと思い、彼女を刺激しないようにそっとはぎ取る。
反応はまた無い。もう眠ってしまったのだろうか。目を閉じて蹲っている。
愛おしいその横顔に強く胸が締め付けられる。少しだけでも触れようと思い手を伸ばし、片手でベッドに体重をかける。
次の瞬間視界が反転し、頭と背中に衝撃と痛みが走る。僅かに身体にかかる重みは彼女のものだろう。吹っ飛ばされて床に転がったのだ。閉じていた目を開ければ、首元にひやりとした何かが突きつけられる。けれど、恐怖はなかった。
「(ああ、触れている……)」
腹に感じる彼女の温もりに思わず笑みが浮かぶ。
「ごめんね、君の嫌がるようなことはしないよ、絶対に」
ナイフを突きつける手に触れれば、トコエは驚いたように肩を震わせる。
「でも、できれば……頭か頬を撫でてくれたら、嬉しいな。そしたら、ちゃんと我慢できるから」
抵抗の様子を見せず落ち着いている彼に、彼女はナイフを引っ込める。僅かに彼から退くように身体を浮かして、どうしたものかと考えているようだった。
その隙に彼女の手を取ると自身の頬に触れさせる。頬擦りするように揺らして、彼は恍惚とした笑みを浮かべた。
「お腹空いてない?食事を持ってくるよ、トコエ」
手の甲にキスをして、彼は彼女の下から抜け出すと立ち上がる。よくよくみると髪もボサボサで、その姿にまた愛しさを感じる。
「髪もちゃんと梳かさないと。君がこんなにずぼらだったなんて知らなかったなぁ」
一つ、また一つと知らない彼女のことを知る。それがこんなに嬉しいことだとは思わなかった。
研究所に居た時は頼り甲斐のある人物という印象だったこともあり、そのギャップに驚く。けれどその分これから自分が身の回りの世話をたくさんできると思えば、全く気にならない。
「(なんだかんだ愛玩対象としての経験も無駄じゃなかったかもな)」
再びベッドに戻って横になる彼女を眺めながら、彼は笑みを浮かべる。これからずっと一緒なのだと思えば、もうそれだけで今まで受けた様々な仕打ちもどうでもよくなった。
「それじゃあ、行ってくるよ、トコエ」
そう言って部屋を後にする。
02 一扉先は闇 了
0
お気に入りに追加
34
あなたにおすすめの小説
【R18】さよなら、婚約者様
mokumoku
恋愛
婚約者ディオス様は私といるのが嫌な様子。いつもしかめっ面をしています。
ある時気付いてしまったの…私ってもしかして嫌われてる!?
それなのに会いに行ったりして…私ってなんてキモいのでしょう…!
もう自分から会いに行くのはやめよう…!
そんなこんなで悩んでいたら職場の先輩にディオス様が美しい女性兵士と恋人同士なのでは?と笑われちゃった!
なんだ!私は隠れ蓑なのね!
このなんだか身に覚えも、釣り合いも取れていない婚約は隠れ蓑に使われてるからだったんだ!と盛大に勘違いした主人公ハルヴァとディオスのすれ違いラブコメディです。
ハッピーエンド♡
いらないと言ったのはあなたの方なのに
水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。
セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。
エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。
ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。
しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。
◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬
◇いいね、エールありがとうございます!
貧乏男爵令嬢のシンデレラストーリー
光子
恋愛
私の家は、貧乏な男爵家だった。
ツギハギだらけの服、履き潰した靴、穴の空いた靴下、一日一食しか出ない食事……でも、私は優しい義両親と、笑顔の可愛い義弟に囲まれて、幸せだった。
――――たとえ、家の為に働きに出ている勤め先で、どんな理不尽な目に合おうと、私は家族のために一生懸命働いていた。
貧乏でも、不幸だと思ったことなんて無い。
本当の両親を失い、孤独になった私を引き取ってくれた優しい義両親や義弟に囲まれて、私は幸せ。だけど……ほんの少しだけ、悔しいと……思ってしまった。
見返したい……誰か、助けて欲しい。なんて、思ってしまったの。
まさかその願いが、現実に叶うとは思いもしなかったのに――
いかにも高級で綺麗なドレスは、私だけに作られた一点もの。シンデレラのガラスの靴のような光輝く靴に、身につけるのはどれも希少で珍しい宝石達で作られたアクセサリー。
いつもと違う私の装いを見たご令嬢は、目を丸くして、体を震わせていた。
「な……なんなんですか、その格好は……!どうして、キアナが……貴女なんて、ただの、貧乏男爵令嬢だったのに―――!」
そうですね。以前までの私は、確かに貧乏男爵令嬢でした。
でも、今は違います。
「今日ここに、我が息子フィンと、エメラルド公爵令嬢キアナの婚約を発表する!」
貧乏な男爵令嬢は、エメラルド公爵令嬢、そして、この国の第二王子であるフィン殿下の婚約者になって、貴方達とは住む世界が違ってしまいました。
どうぞ、私には二度と関わらないで下さい。
そして――――罪を認め、心から反省して下さい。
私はこのまま、華麗なシンデレラストーリーを歩んでいきます。
不定期更新。
この作品は私の考えた世界の話です。魔物もいます。魔法も使います。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。
【完結】目が覚めたら縛られてる(しかも異世界)
サイ
BL
目が覚めたら、裸で見知らぬベッドの上に縛られていた。しかもそのまま見知らぬ美形に・・・!
右も左もわからない俺に、やることやったその美形は遠慮がちに世話を焼いてくる。と思ったら、周りの反応もおかしい。ちょっとうっとうしいくらい世話を焼かれ、甘やかされて。
そんなある男の異世界での話。
本編完結しました
よろしくお願いします。
あたたかな鳥籠を君に、優しい口づけをあなたに
サイ
BL
完結しました。
読んでくださった方々、本当にありがとうございました!!
古くからの伯爵家に生まれたユリアは13の時、両親は断罪され、平民となった。姉の残した1歳の甥と共に、地獄のような生活を送り心に深い傷を負う。
やがてたどり着いた公爵領で、ユリアは公爵ヘルマンに仕え、あたたかく見守られながら成長する。
過去の傷を抱えながらも希望を失わず、懸命にヘルマンに仕えるユリア。
自分の中にある欲求を嫌悪し愛を諦めていたヘルマン――。
強いドミナント(支配欲求)、心に傷を持つサブミッシブ(服従欲求)の二人のはなし。
D/sであってSMではないので、痛くはないと思います。
第一章:不幸のどん底〜両思いまで。完結しました!
第二章:溺愛・イチャコラします
第三章:真相解明
ユリアの過去だけ強い虐待がありますので、苦手な方は(過去)を飛ばして読んでください。
(※)にも無理やりありますので、ご注意ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる