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14-01 ナシラ・アルシャフト
しおりを挟むオツロ。空虚なるもの。後に十二宮と総称される十二の世界にそれぞれ出現し、青空に根付いて太陽を覆い隠し、虹のような光を発した。そしてゆっくりと、地表へと根を下ろし始めたのだ。
オツロの根が下りた地は文字通り消滅した。始めは草木や虫、動物などの生命が息絶え、やがて土や水を枯らし、その空間ごと取り込む。
その災厄の被害は甚大だった。どの宮の人々も荒れていく環境に喘ぎ、また同じようにオツロの持つ特性によって命を奪われていった。
だが人々も、ただオツロに屈服するだけではなかった。
世界の危機に呼応するかのように、英雄と評するに相応しい強靭な力を持つ者たちが現れた。彼らはオツロの特性をものともしない生命力を以って、地表へ下りたオツロの根を駆逐していった。もちろん犠牲も大きかった。それでも、世界の滅びは僅かに遠ざかっていった。
アイゴケロースは恐らく、十二宮の中で最も英雄の出現が遅かった世界だった。
みな口を揃えて言った。アイゴケロースに英雄は現れないのだと。この世界だけは、呆気なくオツロに滅ぼされる運命なのだと。
「そんな悲観的なこと言うなって。俺がなんとかしてやるからさ」
それは、オツロが蝕む空のような白い髪に、月光を思わせる双眸を携えた、美しい男だった。
男の名前はオルトス。元はしがない漁師の息子だった。
だが彼は秘術を手にした。それが竜鎧、竜へと変じる力だった。竜鎧の力は圧倒的で、オルトスはオツロの根の一つをただ一度の接敵で駆逐してしまった。その偉業に、誰もが彼を英雄だと認めた。
奇跡のように現れた新たな英雄のために、他の宮に倣ってアイゴケロースにも聖女が用意された。対となる宮、カルキノスより連れてこられた少女。それがガトリンだった。
だが聖女というものは誰もが望んで成るものではなかった。自分の故郷を離れ、遠き別世界を救うために、英雄の慰み者となる。アイゴケロースに来たばかりのガトリンもまた、自分が聖女になってしまったことに絶望していた。
けれどカルキノスにも帰れない事情があった。彼女は、家族が少ない食い扶持を確保するために、ガトリンに聖女になることを勧めたことを理解していたのだ。彼女に帰る場所など、既に無かったのだ。
「聖女としての役目を果たすのだ、メレフ。何があったとしても、お前はナシラと交わらねばならん」
男も知らぬ身で、言葉の通じぬ世界に連れてこられ、英雄との夜伽を命じられる。唯一言葉の通じる統合の塔から来た司祭はそんな彼女の境遇に理解を示してくれたが、それでも彼女を救うことはできなかった。
最初の夜、ガトリンはずっと震えていた。司祭からアイゴケロースの英雄は善人だと聞かされていても、それでも怖かったのだ。
しばらくすると、塔に開いた大穴から真っ白な体色の美しい竜が降り立った。それを見たガトリンはびくりと肩を震わせる。もちろん、彼女は竜など見たことがなかったからだ。
「おかえりなさいませ、ナシラ様」
「おう、ただいま」
竜の姿はすぐに人間に戻り、逞しい体付きの、それも全裸の男が現れる。初めて見る男の身体に、ガトリンは赤くなって顔を隠した。
「この子が聖女……って、まだこんなに若いのに」
「年配の方が好みでしたか」
「いや、そういう意味じゃなくてさ……」
使用人たちに渡された服を着ながら、背を向けたままのガトリンを見てオルトスは首を傾げた。
「君、ちょっといいかい?」
「まだメレフは言葉が分かりません」
「ああ、そうか。ヘリグ、手を」
司祭の手を取り、オルトスはガトリンの座るベッドに腰掛けた。
「俺はオル……ナシラ・アルシャフト。よろしくな、メレフ」
「…………その、私……」
「ああ、いいって。今日はもう部屋で休むといい。嫌がる子を無理に犯す趣味なんてないしな」
「いけません、ナシラ……!」
すぐさま諌めるように司祭たちが声を上げる。それは許されない、すぐにでも身体を休めるべきだと。
それも当然の反応だった。オツロとの戦いで失った生命力は、遠き地で生まれた聖女との交わりでしか回復しないのだ。そのまま次の戦いに出ればオツロに負けてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けなければならなかった。
「文句を言うな。アイゴケロースの執政は俺なんだろう? 今日も大して苦戦してないし、根くらいなら瞬殺できる」
そう、オルトスの力は圧倒的、その一言に尽きた。
長らく英雄が生まれなかった反動か、オルトスは十二宮にいるどの英雄たちよりも強い力を持っていた。根の駆除だけで命を落とす者も大勢いるというのに、その程度の戦いでオルトスが疲労を見せることはほとんどなかった。
「だからメレフに無理強いするな。これ破ったやつはぶん殴るからな」
親しみやすいその声に、恐る恐るガトリンは振り返った。そして間近に、ナシラと呼ばれた男の姿を見た。
「心配するな。メレフのことも、俺が守るから」
屈託のない、優しい笑み。それを見たガトリンはまた顔が熱くなっていくのを感じた。
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