22 / 60
09-01 変わりゆく日々
しおりを挟むあの催しでの出来事が転機となったのだろう、しいらはそう思った。
ナシラの態度は明らかに変わった。今までは何事も自分本位に、自由気ままに行動していた彼が、それにしいらを積極的に巻き込むようになったのだ。
普段は昼頃まで自堕落に眠りこけているしいらは、もぞもぞと自分のそばで何かが動いている感覚に目を覚ました。あまり馴染みのない室内は既に薄ぼんやりと明るく、まだ日の出には早いながらも朝が来たことを告げている。
その視線の隅で、窓から外を眺める全裸の男の姿があった。癖の強い白髪を寝癖でさらに跳ね回らせたまま、じっと何かを見つめている。
何を見ているのか気になったしいらも起き上がる。服を着るのを面倒くさがってシーツを手繰り寄せると、彼女が普段使っているものの二倍はありそうな大きなベッドから降りた。
「もう出かけるの?」
彼女も同じように窓から外を覗き込んだ。数秒ほど美しいアイゴケロースの街並み見つめたところで、あることに気付いた。
「あれ……」
見慣れた白い朝の空に、しいらは寝ぼけ頭のまま呟いた。本来であれば空が明るくなるにつれて虹が出てくるというのに、その日は珍しく何も浮かんでいなかった。
「虹ないねぇう」
突然背後から抱きしめられ、驚いたしいらは変な声をあげる。何事かと思っているとふわりと身体が浮いて、一拍遅れてナシラに抱き上げられたことに気付く。
「なっ、ナシラさん……!?」
そのままベッドに連行される様は、まるですっかりお馴染みのアレが始まる前のようで。特に、最近のナシラの旺盛な性欲に振り回され続けていたしいらは思わず身構えた。
しかし。
「……あれ?」
ベッドに横に下ろされたかと思えば、ナシラはしいらの隣に寝転がり、彼女を抱き枕代わりにして目を閉じる。明らかにこれは、二度寝の構えだ。
「ね、眠いの?」
「ねむい」
「そう、だね。お休みだもんね」
空にオツロの兆候が表れない。つまり今日はナシラの休日ということだ。
そういえば前の休暇でも午前中はほとんど眠っていたことを思い出し、しいらも安心した様子で目を閉じる。実にのんびりとした一日の始まりに、ほんの僅かな幸福を感じていた。
だが、その日はルーヴェに勉強を見てもらう日だった。彼女の怠惰な生活を嘆いていたお節介な司祭は、実に健全な時間に彼女を起こしに来た。正確には、彼女たちが二度寝を始めた三十分後に。
「おはようございます、しいら殿。英雄のベッドの寝心地はどうですか」
「さいこーです、聖女用よりすごい寝心地が良くて……。睡眠を妨害する人がいなければもっとさいこーなんですけど」
「残念ですが起床時間です。寝過ぎも身体に毒と言います」
「睡眠の快感を味わえるなら寿命なんていくらでも減っていいと思うんだけどなぁ……」
渋々と身体を起こし、今度こそしいらは起床する。ベッドの上に脱ぎ捨てられた服を着直して、髪を整えた彼女はルーヴェと共にナシラの部屋を後にしようとする。
「いってくるね、ナシラ」
「んー……」
一応小声でそう呼びかけると、彼は眠たげに目を開けた。まだ眠ってていいと伝えるように頭を撫でるも、彼は無理やり身体を起こす。
「僕も起きる……」
「(幼児化が更に進んでいる……)」
きゅっとしいらの手を握って、辿々しい口調でナシラは喋る。寝起きなんかは普段以上に子供っぽい言動が増えたりする。既に見慣れた光景だ。
しいらが着替えを手伝っていると、あまりにも寝癖だらけの髪を見たせいか、ルーヴェが櫛を持ってくる。その櫛を受け取ったナシラは、さも当然のようにしいらに手渡してくる。
「おやめなさい、ナシラ。聖女は貴方の召使いではないんですよ」
「…………」
ぷいっとルーヴェから顔を背けるナシラに、思わずしいらは噴き出してしまう。この二人は特別仲が悪いわけではないのだが、ルーヴェの小言が多いせいかナシラは彼に反抗的な対応をすることも多かった。
「反抗期でしょうか」
「あははっ、お母さんみたいなこと言ってる」
「やめてください。私はアイゴケロースの司祭としてナシラに諫言しただけです」
「いやぁでも、ルーヴェさんは小言多いから、口煩いお母さんみたいだよねぇ」
同意を求めるようにナシラに話しかければ、彼は不思議そうな顔をしてしいらを見つめている。そしてもう一度ずいと櫛を彼女に差し出した。
「はいはい。最近は着替えの手伝いとかも私に頼むんだから。本当は使用人さんたちの仕事取ったらダメなんだからね?」
「しーらがいい」
「そうかなぁ。私けっこう大雑把だから上手くないと思うんだけど」
長い髪を丁寧に櫛で整えていると、ナシラは気持ち良さげに目を閉じている。自分の気持ちに素直な彼のことだ、髪を梳いてもらうのが好きなのだろう。
「すいません、しいら殿。いろいろ任せてしまって」
「いいよ別に。大して苦に思わないし」
しいらとしても、ナシラに懐かれるのは別に悪い気はしない。図体はでかいが弟ができたような感覚だった。つまりは。
「最近は、人間の姿でもちょっと可愛げがあるなって……」
だいぶ絆されつつあった。
0
お気に入りに追加
775
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる