上 下
121 / 123

番外07-01 幸せな未来を描いて

しおりを挟む

「もしもあんたが最初からノイナの代わりをしてたら」


 多少慣れた手つきで玉ねぎの皮を剥きながら、その日の夕食の準備をしていたゲブラーはそう言った。


「確かに、落ちてたかもね」
「当然だよ」
「あんたに足りないのは謙遜だと思うんだよね」
「事実だから仕方ない」


 自分がゲブラーを懐柔できたのは当然だと、そう自信たっぷりに言い放つスタールに、ゲブラーは気に食わなさそうに眉根を寄せた。せっかく素直に認めてやったのに、と言いたげに。


「でも、もしも僕が初めから貴方を懐柔していたとしても、ノイナのように貴方を救うことはできなかっただろう」


 ゲブラーから渡された玉ねぎを手際よく切って、スタールはその刺激臭に反応することなくスライスされたそれを水の入った器に入れた。


「貴方と接したであろう僕は、所詮作り物の人格で、僕の一番大切な人はノイナで、貴方が求めるような人にはなれなかっただろうから」
「そりゃそうに決まってるでしょ。ノイナは俺の……運命の人、なの」
「そうかもしれないね」


 少しだけ照れ臭そうにノイナが運命の相手だというゲブラーに、スタールも優しく微笑んだ。ゲブラーの境遇を考えれば、ノイナとの出会いはそれこそ、奇跡のようなものだっただろう。

 けれどそれは、スタールも同じだった。


「僕にとっても、ノイナは運命の人だけどね」
「は!? 違うよ俺のほうが運命的な出会いだった! あんたはただの職場の同僚でしょ?」
「職場でだって運命的な出会いはあるとも」


 以前のような鋭い視線で睨みつけてくるゲブラーに、スタールも穏やかな表情ながら不敵な笑みを浮かべる。バチバチと視線の間に火花を散らして、醜くも二人は言い争う。


「愛人風情が調子に乗らないでくれない」
「愛人だとしても、ノイナを想う気持ちで貴方に負ける気はしない」
「はぁ? 俺のほうがノイナのこと愛してるの、あんたに負けるわけないじゃん!」


 言い争いとなると、二人の力量差はあっさりと露わになる。簡単に乗せられてしまう単純なゲブラーに、スタールは試しにこう言った。


「慢心していると、僕がノイナを落としちゃうよ」
「な……」


 以前のゲブラーならば、こう言われた途端殺意を露わにしただろう。そこにある包丁を握って、今すぐにでも切りかかろうとしてきたかもしれない。
 けれど怒りを見せつつも、ゲブラーは不安そうな顔をする。


「ノイナは、そんなことしないもん。絶対、俺から離れたりしないんだから」
(これは……)
「なんで、奪うつもりはないって言ったくせに……」


 少しだけ声を震わせるゲブラーに、スタールは目を丸くする。もっと激しい言葉が返ってくると思っていたのだが、ずっと弱々しい反抗に逆に罪悪感が湧いてくる。


「冗談だよ、ごめんね。ちゃんと貴方を懐柔できているか、確認したかったんだ」
「なにそれ、意味わかんない……やっぱり俺、あんたのこと嫌い!」
「機嫌を直して。今度、リュクレの高級フルーツタルトを買ってくるから」
「…………」


 怪訝そうな目でスタールを睨みつけながらも、ゲブラーの表情はじわじわといつものむすっとしたものに戻っていく。
 最近はケーキへの苦い思い出も払拭されつつあるのか、ゲブラーはノイナと同じくらいケーキを好んだ。それもあって、スタールにケーキを買ってこいとパシリに使うこともあるのだ。


「ワンホール買ってきたら、許してあげる」
「もちろん。クッキーのギフトセットもつけようか」
「ん……」


 納得した様子で料理を続けるゲブラーに、自然とスタールの口元に笑みが浮かんだ。


「そうだ、僕も本名で呼んでいい?」
「ダメ」


 もしかしたらと思った質問は一蹴される。さすがにまだダメらしい。

 かつては無敵の暗殺者と恐れられた男が、今はワンホールのケーキとクッキーだけで懐柔されるようになったとは。ここまでゲブラーを丸くさせたノイナは、もしかしたら本当に自分以上の諜報員なのかもしれない、そう思いながら。


(そうか、キラーカード、だから)


 そんなことを考えていると、家の鍵が開く音がして、ただいまとノイナが帰ってくる声がする。


「ノイナ~」


 すぐにノイナの元へ走っていくゲブラーのうしろから、スタールも玄関へと向かう。まるで主人の帰りを一番に出迎える愛犬のように、早くもべったりノイナにくっつくゲブラーの姿は、もう馴染み深いものだ。


「ノイナの一番は俺だよね、ね?」
「どうしたの急に」
「……」


 きつく睨みつけてくるゲブラーに、彼は肩を竦める。その様子を見たノイナはなんとなく喧嘩をしたんだなと察するも、少しだけ悪戯っぽく笑ってゲブラーを抱きしめた。


「私の一番はね……お母さんかな」
「……反応に困る斜め上の返事しないでくれない」


 ちょっと分かっちゃうから余計にと、ゲブラーは不貞腐れたように頬を膨らませた。


「ふ、ふふ……っ」
「ちょっとスタール! なに笑ってんの!」
「いや、ごめん、ちょっと面白くて」
「ムカつくんだけど!」


 喧嘩はしつつも、以前のような険悪さはすっかり消え失せた様子の二人に、ノイナも安心した様子で笑みを浮かべる。スタールを威嚇するゲブラーの頬を撫でると、ただいまのあいさつをするようにキスを交わした。


「ゼルスのことも大事に思ってるよ。ずっと一緒にいるって約束したからね」
「ん……ノイナ大好き」
「うん、よろしい。それと、院長先生から手紙の返事、来てたよ」


 郵便受けに入っていた手紙を差し出せば、ゲブラーは緊張した様子でそれを受け取る。おそるおそる彼は中を開いて、怯えながらも紙面を見つめた。


「院長先生……、孤児院の?」
「そうです。まぁ、ちょっとしたすれ違いがあってですね」


 早くも手紙を読み終えたゲブラーは、中に入っていた便箋を仕舞い込むと、ノイナにもたれかかってくる。それを受け止めれば、少しだけ安心した様子で彼は笑みを浮かべた。


「仲直り、できた?」
「……良かったら、孤児院に顔出しにおいでって。ノイナ、一緒に行ってくれるよね」
「もちろん!」


 ぎゅっとお互いを抱きしめ合う二人を、スタールが和んだ表情で見つめていると、その視線に気づいたノイナがゲブラーを背中にくっつけたまま近づいてくる。


「先輩も、ただいまです」
「あ、う、うん」


 顔を近づけてくるノイナに合わせて、スタールも彼女に唇を寄せた。触れ合うだけのキスなのに胸が幸福感でいっぱいになって、彼は緩みきった笑みを浮かべる。


「なんか……くすぐったいね。夢みたいだ」
「あはは、夢じゃないんですよ? ってことで、先輩にも、はい」


 ノイナは懐から一つの鍵を取り出す。きっとこの家の鍵なのだろう。


「先輩には家がありますけど、でも、ここも先輩の家ですから。いつでも帰ってきてくださいね」
「っ、ノイナ……愛してるよ」
「はい」


 イチャつく二人をジトっとした目で見つめながらも、なにかに気づいたゲブラーはとんとんとノイナの肩を叩いた。どうしたのかと彼女が振り返ると、その頬を軽くむにっと摘む。


「ノイナさ、ここでは先輩呼びやめたら」
「え? あぁ……」


 そういえば、いつまでも先輩呼びなのは他人行儀かもしれない。そう思ったノイナは、少しだけ照れながら小首を傾げた。


「えーっと……スタール、さん?」
「……!」


 かっと顔を真っ赤にして、スタールは硬直する。しばらく経っても動かない彼に、ゲブラーは腹を抱えて爆笑する。


「ウケるんだけど、あはは……!」
「スタールさーん、大丈夫ですかー」
「ノイナも追い討ちかけてるし……!!」


 二人に弄ばれたスタールは、こほんと咳を一つして赤いままの顔を隠した。以前の彼であればこの程度の表情の変化もコントロールできたというのに、いつの間にか制御不能になっていたようだ。
 それもこれも、全部ノイナという愛しい人の影響、だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

貴方様の後悔など知りません。探さないで下さいませ。

ましろ
恋愛
「致しかねます」 「な!?」 「何故強姦魔の被害者探しを?見つけて如何なさるのです」 「勿論謝罪を!」 「それは貴方様の自己満足に過ぎませんよ」 今まで順風満帆だった侯爵令息オーガストはある罪を犯した。 ある令嬢に恋をし、失恋した翌朝。目覚めるとあからさまな事後の後。あれは夢ではなかったのか? 白い体、胸元のホクロ。暗めな髪色。『違います、お許し下さい』涙ながらに抵抗する声。覚えているのはそれだけ。だが……血痕あり。 私は誰を抱いたのだ? 泥酔して罪を犯した男と、それに巻き込まれる人々と、その恋の行方。 ★以前、無理矢理ネタを考えた時の別案。 幸せな始まりでは無いので苦手な方はそっ閉じでお願いします。 いつでもご都合主義。ゆるふわ設定です。箸休め程度にお楽しみ頂けると幸いです。

乙女ゲーム攻略対象者の母になりました。

緋田鞠
恋愛
【完結】「お前を抱く気はない」。夫となった王子ルーカスに、そう初夜に宣言されたリリエンヌ。だが、子供は必要だと言われ、医療の力で妊娠する。出産の痛みの中、自分に前世がある事を思い出したリリエンヌは、生まれた息子クローディアスの顔を見て、彼が乙女ゲームの攻略対象者である事に気づく。クローディアスは、ヤンデレの気配が漂う攻略対象者。可愛い息子がヤンデレ化するなんて、耐えられない!リリエンヌは、クローディアスのヤンデレ化フラグを折る為に、奮闘を開始する。

距離を置きましょう? やったー喜んで! 物理的にですけど、良いですよね?

hazuki.mikado
恋愛
婚約者が私と距離を置きたいらしい。 待ってましたッ! 喜んで! なんなら物理的な距離でも良いですよ? 乗り気じゃない婚約をヒロインに押し付けて逃げる気満々の公爵令嬢は悪役令嬢でしかも転生者。  あれ? どうしてこうなった?  頑張って断罪劇から逃げたつもりだったけど、先に待ち構えていた隣りの家のお兄さんにあっさり捕まってでろでろに溺愛されちゃう中身アラサー女子のお話し。 ××× 取扱説明事項〜▲▲▲ 作者は誤字脱字変換ミスと投稿ミスを繰り返すという老眼鏡とハズキルーペが手放せない(老)人です(~ ̄³ ̄)~マジでミスをやらかしますが生暖かく見守って頂けると有り難いです(_ _)お気に入り登録や感想、動く栞、以前は無かった♡機能。そして有り難いことに動画の視聴。ついでに誤字脱字報告という皆様の愛(老人介護)がモチベアップの燃料です(人*´∀`)。*゜+ 皆様の愛を真摯に受け止めております(_ _)←多分。 9/18 HOT女性1位獲得シマシタ。応援ありがとうございますッヽ⁠(⁠*゚⁠ー゚⁠*⁠)⁠ノ

私は貴方を許さない

白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。 前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。

【本編完結】セカンド彼女になりがちアラサー、悪役令嬢に転生する

にしのムラサキ
恋愛
【本編完結】 「嘘でしょ私、本命じゃなかったの!?」 気が付けば、いつもセカンド彼女。 そんな恋愛運超低めアラサーの「私」、なんと目が覚めたら(あんまり記憶にない)学園モノ乙女ゲームの悪役令嬢に転生してしまっていたのでした。 ゲームでは不仲だったはずの攻略対象くんやモブ男子くんと仲良く過ごしつつ、破滅エンド回避を何となーく念頭に、のんびり過ごしてます。 鎌倉を中心に、神戸、横浜を舞台としています。物語の都合上、現実と違う点も多々あるとは存じますがご了承ください。 また、危険な行為等(キスマーク含む・ご指摘いただきました)含まれますが、あくまでフィクションですので、何卒ご了承ください。 甘めの作品を目指していますが、シリアス成分も多めになります。 R15指定は保険でしたが途中から保険じゃなくなってきた感が……。 なお、途中からマルチエンディングのために分岐が発生しております。分岐前の本編に注意点に関するお知らせがございますので、分岐前にお目通しください。 分岐後はそれぞれ「独立したお話」となっております。 分岐【鹿王院樹ルート】本編完結しました(2019.12.09)番外編完結しました 分岐【相良仁ルート】本編完結しました。(2020.01.16)番外編完結しました 分岐【鍋島真ルート】本編完結しました(2020.02.26)番外編完結しました 分岐【山ノ内瑛ルート】本編完結しました(2020.02.29)番外編完結しました 分岐【黒田健ルート】本編完結しました(2020.04.01) 「小説家になろう」の方で改稿版(?)投稿しています。 ご興味あれば。 https://ncode.syosetu.com/n8682fs/ 冒頭だけこちらと同じですが途中から展開が変わったのに伴い、新規のお話が増えています。

死を回避したい悪役令嬢は、ヒロインを破滅へと導く

miniko
恋愛
お茶会の参加中に魔獣に襲われたオフィーリアは前世を思い出し、自分が乙女ゲームの2番手悪役令嬢に転生してしまった事を悟った。 ゲームの結末によっては、断罪されて火あぶりの刑に処されてしまうかもしれない立場のキャラクターだ。 断罪を回避したい彼女は、攻略対象者である公爵令息との縁談を丁重に断ったのだが、何故か婚約する代わりに彼と友人になるはめに。 ゲームのキャラとは距離を取りたいのに、メインの悪役令嬢にも妙に懐かれてしまう。 更に、ヒロインや王子はなにかと因縁をつけてきて……。 平和的に悪役の座を降りたかっただけなのに、どうやらそれは無理みたいだ。 しかし、オフィーリアが人助けと自分の断罪回避の為に行っていた地道な根回しは、徐々に実を結び始める。 それがヒロインにとってのハッピーエンドを阻む結果になったとしても、仕方の無い事だよね? だって本来、悪役って主役を邪魔するものでしょう? ※主人公以外の視点が入る事があります。主人公視点は一人称、他者視点は三人称で書いています。 ※連載開始早々、タイトル変更しました。(なかなかピンと来ないので、また変わるかも……) ※感想欄は、ネタバレ有り/無しの分類を一切おこなっておりません。ご了承下さい。

シュガー君は甘すぎる

白湯子
恋愛
ふわふわしている甘党なシュガー君と、ぼっちな倉田さんの話し。 「お菓子くれなきゃイタズラしちゃうよ。」 昔、別サイトに上げていたものです。

父の浮気相手は私の親友でした。

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるティセリアは、父の横暴に対して怒りを覚えていた。 彼は、妻であるティセリアの母を邪険に扱っていたのだ。 しかしそれでも、自分に対しては真っ当に父親として接してくれる彼に対して、ティセリアは複雑な思いを抱いていた。 そんな彼女が悩みを唯一打ち明けられるのは、親友であるイルーネだけだった。 その友情は、大切にしなければならない。ティセリアは日頃からそのように思っていたのである。 だが、そんな彼女の思いは一瞬で打ち砕かれることになった。 その親友は、あろうことかティセリアの父親と関係を持っていたのだ。 それによって、ティセリアの中で二人に対する情は崩れ去った。彼女にとっては、最早どちらも自身を裏切った人達でしかなくなっていたのだ。

処理中です...