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36-01 あなたのためなら※(暴力描写)

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「お父さんはね、……事故で、亡くなったのよ」


 あまりにも静かな母の言葉を、覚えている。


「真っ赤に、ゼルスの髪の色みたいに、なって」



 自分を見つめるその目には、確かな恐怖心が映っていた。



 心のどこかでは分かっていた。自分がなにか、異常なものを抱えていることに。
 けれどそれに気づかないフリをしていた。今でもその選択は間違っていなかったと思う。

 だって現実を直視していたら、幼い自分の心は完全に壊れてしまっていただろうから。
 否、スタールのようにいっそ粉々に心を砕かれてしまっていたほうが、楽だったかもしれない。



「先生の、っ、嘘つき……!!」



 孤児院を飛び出した彼に、居場所などなかった。
 迎えに来なかった母親を探すことも、怖くてできなかった。もうとっくに再婚して、幸せに暮らしているような気がしたから。

 生まれつき異様なくらい不器用なせいで簡単な仕事もうまくできず、人からは見限られ、あしらわれ続けた。
 そんなことを繰り返していくうちに、気がつけば彼は街の裏側で用心棒まがいのことをしていた。陰鬱としたその社会は、行き場のない彼を大切にすることはなくとも、拒絶するようなこともなかったからだ。

 けれど生まれてこの方喧嘩などしたことがなかった彼は、面倒ごとが起きないようにと必死に祈っていた。暗く静かな街中で、自分と同じゴロツキを見るたびに内心ではビクビクとしていた。

 だから、あの日。


「なに突っ立ってんだよテメェ」
「いや、俺は、なにも……」


 酒に酔った暴漢に絡まれたのは、本当に運が悪かった。
 身を守る手段のない彼は暴行を受けそうになった。それに必死に抵抗して、相手を突き飛ばして、押し倒して、攻撃をかわして、身を縮めて震えて。


 そうしたら気づけば――皆死んでいた。


「あ、……あれ?」


 動かなくなった四人の暴漢を前に、彼は震えた。
 殺してしまった。人を、殺めてしまった。そんな自覚が遅れてやってきて、悍ましい恐怖と共に激しい吐き気を覚えた。


「うぅ……し、しんだ……? なんで、俺は、なにも……」
「おうおう、すげぇもん見ちまったな」


 必死に現実を否定しようとする彼に、誰かが声をかけてきた。顔に傷のあるその男は、泣きながら震える彼に向かってこう言った。


「全員、倒れた先に運悪く、って感じだな。コントみたいだったぜ」
「違う! おれは、俺は殺してない……!」
「まぁそんなテンパるなって」


 ぽんぽんと彼の肩を叩いて、男はニカっと笑った。


「死体はなんとかしといてやる。こんな腐った街だ、酔っ払いが死んだ程度、日常茶飯事よ。それよりも、だ」


 男からはなぜか、血のにおいがした。それを敏感に感じ取った彼は、男の言葉に息を呑む。


「お前、面白いな。良けりゃ俺の仕事手伝ってみるか」
「しごと……?」
「ああ。お前にちょっと興味が湧いてよ」
「…………」



 ゲブラー。殺し屋だが、難度の高い暗殺を多く受け持つことから、暗殺者と呼ばれることが多い。
 本名はゼルス・バーグワン。至って普通の家庭に生まれて、不幸にも親に捨てられ、そして信じていた育ての親の嘘で裏切られた彼は、あるものをずっと欲していた。

 それが、自分を受け入れてくれる、自分だけの居場所だった。


「ゼルス、お前どっかいけよ、ノロマがうつる!」
「暗くておどおどしてて、走れば転んでばっかり。だっせぇ」


 生まれたときから不器用だった彼は、多くの人に嫌われてきた。なにをしても物を壊したり、汚したり、おまけに運動神経も悪い。見た目が良くても、グズのノロマだと馬鹿にされ続け、自分の存在を受け入れてくれる人など誰もいなかった。大好きな母親でさえ、再婚するのに出来の悪い自分が邪魔だと思ったのだろう。


「俺がいていい場所なんて、どこにもないんだ……」


 暗い場所まで落ちていたことに気づいてから、初めて路上で転がる誰かの死体を見たとき、いつか自分もこんな虫ケラみたいに死んでいくのだと思った。
 そう思うと寂しくて、恐ろしくて、悔しくて。価値のない生活を死んだ目で送りながら、心の中ではずっと叫んでいた。

 誰か俺を見つけて。俺を助けて。俺を受け入れて。
 俺を、愛して――



「俺の見立てだが、お前はきっと俺を超える逸材になれるぜ」



 平和な生活を享受できる一部の人間にとっては、きっと男のこの言葉は悪魔の甘言に聞こえるのだろう。
 けれど彼は違った。彼は、いずれ師と呼ぶその男の言葉に、初めて胸が震える感覚を知った。

 だから彼は、自分にあった殺しの才能に、全てを賭けたのだ。


「恐ろしいな。至近距離の相手の銃弾が全部外れるなんて普通あるか?」
「は、はっ、はぁ……っ」
「なのにお前のナイフは綺麗に心臓に入っちまった。まだトーシロだってのに」


 彼の才能。それは正直、才能なんて呼んではいけないモノなのかもしれなかった。

 彼に襲いかかる数多の攻撃は、ことごとく外れた。銃は弾詰まりを起こすか、暴発して相手を傷付け、ナイフは振り上げた瞬間手からすっぽ抜けていく。爆弾だって、彼の近くで爆発したためしがない。
 そして彼の攻撃のことごとくが、相手の急所を穿った。震える手で必死に振るったナイフがあっさりと心臓に、首に、当たってしまう。


「きっとお前は、死神の寵愛を受けてるんだろうな。お前にとって殺し屋は天職ってやつよ」
「死神の、寵愛……」


 師匠にそう褒められたとき、彼は嬉しそうに笑った。

 師匠は初めて自分を必要としてくれた人だった。自分に価値を見出してくれた人だった。自分に居場所を与えてくれた人だった。酒も女も、そして仕事も、いろんなことを教え、導いてくれた人だった。
 師の言葉は彼にとって、なによりも大切な思い出になった。
 
 けれど同時に、彼はこうも思ってしまった。自分を見つめる、恐怖が滲んだ母の目を思い出しながら。


「そっか……」


 師匠から危ないから使うなと言われた銃を撫でながら、彼は呟いた。彼がナイフを扱うようになったのは、過去に銃を使って異常なまでの殺傷能力を発揮してしまったせいだ。


 彼は命を奪うために生まれてきた、死神の愛し子、だった。



「だから母さんは、俺を捨てたんだ」


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