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33-03 ※(暴力描写)

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 呻き声。どさりと身体が崩れる音。
 背後で起こったであろう出来事を呆然と頭に思い浮かべていると、気がつけば目の前には顔を青くしたゲブラーがしゃがみこんでいた。


「ああ、ノイナ……けが、してない……? 痛いところとか……」


 震える手で猿轡を外して、彼は彼女を縛っているロープをわざわざ手で解いている。ナイフを使えば早いのにと、ノイナはついついそんなことを考えてしまう。


「ごめんね、俺がそばにいたら、こんなことには」


 彼の声は震えていた。さっきまではあんなに不敵に笑っていたというのに、今の彼は呼吸が止まってしまいそうなほど動揺していて、ひどく怯えていた。


「私のほうこそ、ごめんなさい、ゲブラー……もっと注意を――」


 そこでノイナの視界で影が動いた。人の気配などなかったことに驚くよりも前に、彼女の口はとっさに彼の名前を呼んだ。


「ゲブラー、後ろ!」


 黒い銃身が見えた瞬間、発砲音が鳴る。ほぼ同時にゲブラーが振り向いて金属音が鳴り響き、ノイナの目の前に火花が散る。視界の端で彼のナイフらしきものが高く宙を舞う。
 もう一人の刺客は再度引き金を引いた。しかし今度は弾は出ずに、銃は沈黙した。


「この……っ!」


 男が二度目の引き金を引くのと同じくして、ゲブラーがなにかを投げた。かなり不安定な体勢で放たれたせいか小柄なナイフは無様に回転してしまっていて、これは外れたとノイナも思った。
 しかしまるで吸い込まれるかのように、回転した鋭い刃はちょうど男の首を深く撫でた。


「こ、れが、死神、の……っ」


 認識が追いつかぬまま首を押さえて倒れる二人目の刺客を見つめていたノイナは、そこで何かが自分に降ってきたことに小さく悲鳴を上げた。


「っ、ノイナ!」
「……、はぁ……………」


 最初の銃弾を防いだ際に弾かれたナイフが、宙を舞ってノイナの元に落ちてきたのだ。鋭い切っ先はノイナの首を薄く切って、両足の間に突き刺さっていた。
 あと数センチズレてたら普通に致命傷だったかもしれないと理解し、ノイナは今になってどっと汗が吹き出すのを感じる。なんとも、生きた心地のしない一瞬だった。


「いやぁ、運が良かっ」


 もう笑うしかないこの状況、引きつった笑みを浮かべたノイナは、ゲブラーの表情を見て息を呑んだ。
 さっきよりもずっと青い顔で、浅く震えた呼吸で、彼は冷えきった手をノイナの首元にあてがった。


「く、くび、くびに、きずが、ノイナの」
「だっ、大丈夫ですよ。薄皮が切れただけですって」
「ナイフが、俺のナイフが、ノイナをき、って」
「っ、ゲブラー、大丈夫ですから! ちゃんと息吸って、深呼吸してください」


 焦点の合っていない目でうわ言のように何かを呟くゲブラーを、ノイナはしっかりと抱きしめた。
 もっとまずい状況になった気がした。ゲブラーにとって最も深刻な傷を抉ってしまったのかもしれない、それをノイナは理解する。


「私は生きてます。ほら、あったかいでしょ?」


 冷たいゲブラーの手を握って、そのまま深くキスをする。それでも彼の震えは止まらずに、縋るように弱々しくノイナを抱きしめてくるだけだ。


(今のゲブラーを一人にしちゃいけない気がする……)


 この状態では仕事などしている場合ではないし、ゲブラーを連れて本部に行くのもいろいろと不安がある。ここは上司に連絡を済ませておいて、護衛なり何なりを頼みつつ、機関の監視の目があるノイナの自宅に戻るほうがいいだろう。


「もしもし? あー、すいません、仕事今日行けないです」


 優しくゲブラーの背を撫でながら、ノイナは淡々と電話をかけた。自分でもその冷静さに驚いてしまうほどに。
 けれど焦ってなどいられなかった。すぐそばにいる彼は明らかに、ノイナ以上に動揺してしまっていたからだ。


「それと、今私がいるところ、分かりますよね? そこの……なんとかしておいてください。それ関連で、家に応援とか、お願いします」


 手短に用件を話したノイナは、電話を切って小さく息をついた。そしてまだ震えているゲブラーをしっかりと抱きしめると、なるべく優しい声で言った。


「家に帰りましょう。安心できる場所にいればきっと落ち着きますよ」
「……うん」


 か細い返事にきゅっと胸が締め付けられるも、ノイナはしっかりとゲブラーと手を繋いで一度帰宅した。
 その後も彼の調子は戻らず、温かいお茶を飲ませても、食事をさせても、ずっと俯いたままでノイナともほとんど会話できなかった。


「ゲブラー……」


 優しく抱きしめれば抱きしめ返してくれるものの、彼の腕の力はひどく弱い。まるでそれは、ノイナに触れるのをためらっているようにも思えた。
 このまま彼の心がどこか行ってしまうような気がして、ノイナは不安になってしまう。なんとしてでも彼を繋ぎ止めていたくて、ノイナは慣れないながらも彼にキスをした。深く唇を重ねて、自分から舌を伸ばした。


「ね、ゲブラー」


 彼の膝の上に座り込んで、自分のシャツの前を開ける。彼の手をとって胸元を撫でさせれば、わずかに彼の目がノイナを見つめた。


「えっち、しましょ……?」


 自分から服を脱いで、彼の服を脱がせて、冷えた身体を温めるようにその肌に触れた。そうしているうちに彼の身体も興奮を示して、そのまま奥深くまで重ねた。


「っ、ノイナ……」
「もっと、もっとしましょ。なにも考えないで、一緒に、ずっと」


 時間を忘れて、ノイナはゲブラーと交わった。自分が生きていることを、彼を想っていることを伝えるように。
 そうしているうちに気がつけば部屋は暗くなっていて、狭いベッドの中でお互いを抱きしめ合いながら眠りに落ちそうになっていた。


「ゲブラー」
「……」


 目を閉じるのが、恐ろしくなった。眠ってしまったら彼を離してしまいそうで、どうか起きてもこのままでいられるようにと願った。


「ずっと私と、一緒にいるんですよね」


 確認のような言葉に、返事はない。


「私も……ずっと貴方と一緒に、いたいです」


 彼が望んでくれていたはずの言葉も、届かずに消えていく気がする。
 どうしようと焦る気持ちとは裏腹に、目蓋はどんどん重くなっていく。


「だから、ゲブラー……」


 温かな手が頬に触れる感触がする。柔らかな唇が自分の唇に触れた、気がする。


「どこ、も……行かない、で…………」


 自分の声が遠くなる。
 誘拐、死の恐怖、一瞬の戦闘、いろんなことがあったせいか疲弊しきった意識は一気に沈んで、そのまま浮かんでこない。

 そんな中でノイナは彼の声を聞いた気がした。



「ごめんね、ノイナ……」



 不安は的中した。

 朝に目が覚めたノイナが飛び起きれば、隣には誰もいなかった。
 家の中を探し回った。電話もかけ続けた。けれど、ずっと一緒にいると約束した男の姿はなく、声も聞こえなかった。

 その日から暗殺者ゲブラーは、ノイナの前から姿を消したのだ。



33 了
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