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26-01 好き

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「今日のデート、楽しかったよね?」
「え? あ、はい……」
「じゃあ俺の勝ちで明日のデートに行く必要はないよね?」
「えぇ……?」


 まさかの発言に驚いていれば、一転して顔を顰めたゲブラーはぐいっと顔を近づけてくる。


「あんた馬鹿でしょ。明日デートに行ったら、あんたあの男に抱かれるんだよ?」
「え、あっ」


 そういえばそうだったという顔をすれば、ゲブラーは重々しくため息をつく。
 このデート勝負は、もちろん朝の時間まで、という文言がついている。要は昼間デートをしたあと、一晩ホテルであれこれするところまで含まれているのだ。


「ノイナってほんと馬鹿。なんでそんな大事なこと気づいていないわけ?」
「いや、気づいてなかったわけじゃ……」
「……まぁいいよ。ともかく、あんたが朝一番であいつをフれば、デートもしなくていいしセックスもする必要ないよね。だからさ」


 今日楽しいって言ったよね、そんな圧を発しながらゲブラーはノイナに迫ってくる。


「俺が勝ちってことでいいよね、ノイナ?」
「…………」


 つまりゲブラーは、ノイナにスタールとデートしてほしくないと、そう言っているのだろう。それならばはっきり言えばいいのにと、相変わらず素直じゃない彼に呆れてしまう。


「でも勝負ですから。こうなった以上、そんな不公平なことできませんよ」
「不公平って……あんたは確かに馬鹿が付くほど真面目だけど、本気? あの男とセックスするんだよいいの?」
「まぁ、先輩だったら……」


 正直、好き合ってもいないのに身体を重ねるのは不純だとは思う。けれど、諜報員にとってそれは仕事の一環でもあるのだ。これは別に任務ではないが、ゲブラーとの一件でそう割り切れるようになってしまったノイナには、スタールとすることにさほどの忌避感がなかった。

 それにスタールならば手酷く扱われることもない。きっと壊れ物のように優しく、愛を囁きながら抱いてくれることだろう。それを味わって落ちずにいられるか、という不安は確かにあるのだが。


「……なにそれ」
「ゲブラー?」
「じゃあなに、あんた、俺とするのに飽きたってこと?」
「え?」


 少しだけドスの効いた声でそう言ったゲブラーはノイナの手を強く掴む。そして寝室の扉を開けると、皺一つないベッドの上へと彼女を押し倒した。


「いっぱい気持ちよくしてあげてるじゃん。それとも、あいつとするほうが気持ちいいって思ってるの?」
「ち、違います、そういう意味で言ったんじゃなくて」
「じゃあどう言う意味? わかんない、ノイナがなに考えてるか分かんないよ、なんで」


 そこで彼は言葉を詰まらせる。


「……なんでノイナは、俺だけで満足してくれないの?」


 ゲブラーは、最初は怒っているような顔をしていた。けれどそれは次第に弱々しくなって、怯えているような、悲しんでいるような、そんな表情へと変わっていく。
 彼の指が、ノイナの胸元で光るネックレスに触れ、潤んでいるように見えるその目が愛おしそうに細められる。


「これ、あんたがつけるように、なってから、俺は他の女の子と、遊んでないんだよ。ノイナとしたいなって思って、喜ぶ顔も見たいからケーキだって探して……」
「ゲブラー……」
「俺はあんただけで満足してるのに、どうしてノイナは俺だけを見てくれないの!」
「っ!」


 思わずノイナは言葉を失った。それはゲブラーの物言いに驚いたからではない。彼の目に、涙が浮かんでいたからだ。
 手首を掴む手の力が緩んで、弱々しくノイナの手に重なる。ひどく恋しそうに指を絡めて、俯いてしまった彼はひどく掠れた声で呟く。


「あいつ、なんなの……ノイナにとっての何? なんであいつに、優しくするの」
「……」
「あいつに好きって言われて、嬉しそうにして、自分からあいつに触ったりして、俺は嫌だったのに、なんで分かってくれないの」


 その言い分はあまりにも横暴で、身勝手で、一方的で。なのに彼の言葉は、あまりにも痛々しかった。


「スタール先輩は、私の……憧れの、先輩、です」
「なにそれ……俺より前に顔見知りになったってだけじゃん、あんなのの、どこがいいの」


 そっと手を伸ばして涙を拭ってやれば、ゲブラーは恋しそうにノイナの手を掴んで頬を寄せてくる。


「いろんなこと知ってて、料理だってなんだってできるから? 大人びてて、あんたをお姫様みたいに扱ってくれるから?」


 妬みごとのように、彼の言葉は吐き出される。
 ゲブラーは本気でスタールに嫉妬していた。それは、ノイナに優しくしてもらえる男だから、だけではない。

 完璧な人間。できないことなどない、完全無欠の存在。それはあまりにも、彼にとって。


「分かってるよ、俺なんかじゃ比べるまでもない。人を殺す以外取り得がない俺なんかが、あんな奴に勝てるわけないって……!」


 彼が纏っていた余裕や自信が、メッキのように剥がれ落ちていく。
 そこから現れたのはあまりにも弱々しく、孤独と不安に震える男の姿だった。


「馬鹿で幼稚で、気が利かないしまともにデートだってできないし、グズでノロマで、かっこいいとこなんて一つもなくて、こんな俺なんかを、ノイナが好きになってくれるはずがないって……」
「そんなこと……」
「ノイナが俺に付き合ってくれるのだって全部任務のためで、そうじゃなきゃ一緒にいてくれない、俺のこと、見てくれない、分かってるよ」


 それはゲブラーという男の、本当の姿だった。
 きっと彼は、自分の行動がノイナを困らせてばかりだったとことにも、ずっと前から気づいてはいたのだろう。けれど臆病な彼は自分が傷つかないように、見て見ぬフリを続けていた。


「あいつと一緒になったほうがノイナは、幸せに、なれる……俺と一緒にいたら、ノイナには悪いことしかないって、分かってる、分かってるんだよ」


 一度言葉にし始めれば止まらないように、ゲブラーは自信の無さを露わにした。きっとそれはスタールという男が現れなければ、こうして表に出てくるはずのなかったもの、なのだろう。


「俺を愛してくれたのは、死神様だけだった……簡単に人が殺せるようにって……そんなもの、俺は欲しくなかった。でもそれしかなかったら、俺はそれに縋って生きるしかないじゃん……」


 死神の寵愛を受けた殺し屋。以前ゲブラーが、師匠にそう言われたのだと語っていた。
 けれどそんな才能を持ってしまったからこそ、逆にそれ以外の才能を持たなかったからこそ、彼は人を殺す仕事をし続けるしかなかった。

 それだけが自分の存在理由だ、と。


「……でもノイナは、俺に……嘘をつかずに、向き合ってくれた、から」


 ぽろぽろとその瞳から涙が溢れる。そんなことも気に留めずに、ゲブラーは弱々しく語り続ける。


「俺が殺し屋だって分かってても、普通に接してくれたから、俺に身を預けてくれたから、俺のこと考えてくれたから……それが任務のためだとしても、ノイナが俺に言ってくれたことは嘘じゃないって、分かってたから」


 自然と次に出てきそうになった言葉に、彼自身も驚いたように息を呑む。けれど言葉だけは飲み込まずに、はっきりと口にした。



「だから、俺……ノイナの、ことが……好きなんだよ……」
「……っ」



 思わず身体を起こして、ノイナはゲブラーの涙を拭った。口付けをねだる彼にキスをして、優しく頭を撫でる。


「……俺のこと、可哀想だって、思ったの」
「そうなのかも、しれません……でも、ゲブラーに、泣いてほしくないんです」


 ズキズキと胸が痛んだ。自分も泣いてしまいそうだった。それ以上に、彼を抱きしめたくて仕方がなかった。
 これが同情なのか、憐れみなのか、それはノイナには分からなかった。
 けれど彼の涙はひどく心に刺さって、まるで彼がいなくなったあとの静寂が寂しいと、そう感じたときを思い出させるような、そんな切なさでいっぱいになった。


「ゲブラーにはいつもみたいに、下品に笑っててほしい、って……」
「なら、俺を選んでよ。俺だけを見てよ、ノイナ」


 痛いほど強く抱きしめられて、また深く唇が重なる。すぐに離れたそれは、重々しい愛の言葉を呟いた。


「俺だけを、愛して……」

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