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17-01 お邪魔しております
しおりを挟むノイナが機関に入ったばかりのころ、先輩であるスタールと別段仲が良かったわけではなかった。
スタールは彼女にとっては先輩でも雲の上の人のような存在で、凡人である自分とは住む世界の違う、生まれながらの天才だと思っていた。噂に聞く限りの数々の偉業も、余計に彼を神格化させていたような気がする。
だから、ほとんど任務で戻って来ない彼と偶然本部で顔を合わせても、ちょっとした挨拶程度でまともに話したこともなかった。そのころのスタールは今と変わらず爽やかなイケメンだったが、今以上に近寄り難い雰囲気があって、どこか無機質なロボットのような印象を抱かせた。
そんな彼と初めてちゃんと会話したのは、あることが気になったからだ。
「こんにちは、スタール先輩」
「ああ、こんにちは」
久しぶりに顔を合わせたスタールは、他の先輩の話によると任務から帰ってきたばかりだという。激務をいくつもこなす諜報員は、任務の終了と同時にまとまった休日が与えられるのだが、その休日中スタールは必ずと言っていいほど本部で仕事をしていた。
(どう考えても仕事のしすぎだよね……)
ワーカーホリックと呼ぶに相応しいスタールの生活が、ノイナは少し心配になった。といっても相手は凄腕の諜報員、話しかけるのは少々ハードルが高い。
そんなとき、任された仕事を終えて手持ち無沙汰になったのか、仕事を探していたらしいスタールがノイナに声をかけてきたのだ。
「イゴーシュ、手伝うよ」
「え! いや、いいですよ、ほんとにただの雑用ですから」
「構わない」
そう言ってノイナのテーブルから書類を抜き去っていくスタールに、彼女はさすがに不安になった。いくらなんでも仕事中毒過ぎると。
「あの、先輩、働きすぎじゃないですか? お休みの日、なんですよね。なのにこの前の休日も出勤してましたし……」
「心配しないで。仕事をしているほうが好きなんだ」
「そう、かもしれないですけど」
スタールの表情は、とてもウキウキで仕事をしている、という様子ではない。むしろ何かから逃れるように、あえて自分を忙しくさせているように見えた。
お節介かもしれない。そう思って躊躇するも、勇気を出してノイナは彼に言った。
「良かったら、お仕事早く終わらせて、外でケーキを食べに行きませんか?」
「……ケーキ?」
「はい。とっても美味しいんですよ」
正直、断られると思った。だが意外にもスタールは誘いを受け入れてくれて、彼の手伝いのおかげで仕事を早く終えたノイナは、彼と一緒にカフェに行ったのだ。
「いっただっきまーす!」
「……いただきます」
嬉々としてケーキを頬張るノイナに、スタールは少し戸惑いながらも注文した定番のショートケーキをつついた。少々控えめなその食べ方に、ノイナは思わずこう尋ねる。
「もしかして、甘いもの苦手でしたか?」
「嫌いではないけど、好きというわけでもない、かな」
「へぇー。まぁ、好き嫌い激しかったら、お仕事に影響しそうですもんね」
スタールは非常に物静かだった。質問すれば答えてはくれるが、仕事中ではないせいかあまり積極的に自分から話をしてくれることはなかった。
「なら、先輩の好きな食べ物ってなんですか?」
「そういう個人的な嗜好は邪魔になるから、食べ物に限らず好き嫌いはないよ」
「え……、それは、なんというか……そうかも、しれないですけど……」
天才的な諜報員。『隣人』という呼び名も、それほど自然にターゲットの周囲に溶け込めてしまうことからつけられている。
それが理由なのかは分からないが、スタールには確固たる自分という意識が希薄なようだった。オリジナルたるパーソナリティの不在、それこそが彼を天才たらしめているのかもしれない。
ノイナは少し寂しくなる。誰でもないから誰にでもなれる。それはすごいことだけれど、同時にひどく不安なのではないかとも思った。
(でも、それで先輩は諜報員としてすごい功績を上げてる……私がそれを否定しちゃダメだ)
だから彼の生き方を否定しない程度に言葉を選んで、彼女は何気なく言った。
「いつか仕事に差し支えないくらいの範囲で、先輩が好きって言えるものが見つかるといいですね」
「…………」
ノイナの言葉に、スタールは真顔で、そして無言で返す。けれど少しだけ視線を伏せて食べかけのケーキを見つめた。
「なにかを好きになることは、そんなにいいことなのかな」
「え? いいこと……かどうかは分かりませんけど、好きなものがあるのは、幸せなことだと思いますよ」
「幸せ、か……それは僕には必要のないものだ」
スタールの瞳はどこか遠くを見つめていた。
「浅ましくも生き残った、無様な道化師には……」
そう呟いた彼の姿は、とても普段のスタールではなかった。まるで仮面をすり替えてしまったかのように、その虚な表情は別人とも言えた。
今の彼に触れてはいけないかもしれない。そう思ってもノイナは、彼の言葉に少しだけ引っかかってしまった。だから、お節介を承知でこう声をかけた。
「確かに、前を向いて幸せを追い求めるのは、結構つらいですよね。でも、だからこそ……やっぱり先輩には、好きなものがあったほうがいいと思います。そこにあるだけで幸せになれる……そう、ケーキみたいなものが!」
思えばこんな出来事が、スタールとの関係の始まりだった。なんとなくそれ以後もノイナは、スタールが仕事し過ぎないように外出に誘った。といっても、そのどれもがおやつどきにスイーツを食べに行くだけのものだった。
そうしているうちにスタールからも少しずつ目をかけてもらえるようになって、ノイナは彼と親交を深めていった。お土産を買ってもらえるようになったのもそのころからだった。
そしてノイナはある日、任務から帰ってきたスタールに、彼の家への招待を受けたのだ。
(お宅訪問……って)
一瞬頭をよぎりそうになる妄想に、ノイナは苦笑を浮かべた。あの完全無欠の爽やかイケメンが自分にそんな感情を抱いているはずがないと、それでももしもを度々考えながら彼の家に向かった。
といってもそんな予想が当たるはずもなく、ノイナはスタール家の異様な私物の多さに驚き、物を好きなように漁り、晩御飯に絶品の手料理をいただいた。そして何事もなく帰ることになった。
自意識過剰な自分を恥じつつ、ノイナは家まで送ってくれたスタールに礼を述べた。そのとき、優しく彼に手を握られた。
「おやすみ、ノイナ。また明日」
「あ、はい」
あのころのノイナは、本気でスタールは自分に後輩以上の認識がないんだと受け止めた。けれど今になって思えば、それは間違いだったのだと分かる。
――ノイナ、その……良かったら
彼の家を出る際に、スタールがそう言いかけたのを思い出す。それに彼はすぐに首を横に振って、なんでもないと言ったものだった。
本当は彼はずっと、自分を想っていてくれたのではないのか。今更ながらに彼の行動の数々からそれを理解して、ノイナは浅い眠りから目覚めて身体を起こした。
というところで。
「おはよう、ノイナ。朝食ができているよ」
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