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「貴方が我が国の傘下に入ることによって生じる利益は、並の暗殺者を引き入れるのとは比べ物にならない、ということです」
「……」
「貴方が我々に助力してくださるならば、貴方の力は圧倒的な抑止力となり、その恩恵はこの国全土に及ぶでしょう。貴方の持つ技術はそれほどまでに優れたものである、そう僕は考えているんです」
「このくに、ぜんど……」


 揺らいでいるらしいゲブラーに、ノイナは驚いてしまう。
 確かに彼は自分の暗殺技術に対して並々ならぬプライドを持っている。それこそ、その技術に少しでも傷が付きそうなものならひどく取り乱してしまいそうなほどに。


(さすが先輩、ゲブラーの心を揺らしている)


「……だったとして、俺を傘下に引き入れるためになにを差し出してくれるの? 大金でも積んでみる?」
「貴方が金銭を、自分の技術に対する評価程度にしか思っていないことは分かっています。もちろん身体の関係だって、貴方が本当に欲しいものではない。僕からしたら……」


 今やじっと、ゲブラーはスタールを見つめていた。驚くほどに心を見透かしてしまっている彼に、動揺とかすかな期待が見え隠れする。


「貴方が真に求めているものは、貴方の力を望む者たちの側に身を置くことによってのみ、得られるものではないのですか?」
「…………!」


 あまりにも実直すぎる勧誘。そう思うも、ゲブラーには効いているようだった。
 そう、スタールは嘘をついていない。そしてゲブラーが最も欲しているであろう、己が技術に対する賞賛、それを本心から言ってのけた。

 恐らく、ゲブラーが一番欲しがっているものも、言い当てた。


(……でも、これは)


 とっさにノイナはこれが博打だと思った。自分の心の内を赤裸々に暴かれることに対して、感嘆するか、あるいは反発するか、そのどちらにしか転ばない。
 そしてゲブラーの反応はといえば。


「っ、そんな話どうでもいい。そもそも、なんであんたはノイナを任務から外したいの? 今のままだって……普通に、俺は……あんたらの国に、協力するかもしれないじゃん」


 ゲブラーは話を逸らす。心を暴かれたことに反発したのだ。

 そして核心を突く質問を前に、スタールは押し黙る。なにかに気づいてしまった様子でわずかに目を伏せて、先ほどの余裕さが消えた真剣な表情で口を開いた。



「僕がノイナを任務から外したいのは……彼女を一人の女性として愛しているからだ」



 その発言に、ノイナもゲブラーも目を丸くした。


「へっ」
「な、なんだ、って?」
「彼女を愛している。だから、これ以上貴方を懐柔するための任務につかせたくない」


 衝撃的すぎる告白に、ノイナは呆気に取られてしまう。
 すぐに表情を変えたのはゲブラーだ。彼は敵意を剥き出しにしてスタールを睨みつけると、その顔に挑発的な笑みを浮かべてみせた。


「つまりあんたは、耳に穴開けただけじゃなく、ノイナを貫通させて女にして、今でも好き放題ヤりまくってる俺に嫉妬してるんだ」
「ちょっと!」
「否定はしないよ。こんなことなら、早くノイナと既成事実を作っておくべきだったと思った」
「で、ぇえっ!?」
「ふぅん……」


 一転して睨み合いを始める二人に、ノイナは混乱してしまう。
 なにをどうしたらこんな修羅場が出来上がってしまうのか。そもそも、スタールがそんなことを考えているなんて、まったく気づいていなかった。


「じゃあ無理だよ、俺はノイナ以外の諜報員なんて認めない。今後もノイナには俺と気持ちよーくセックスしまくってもらうから!」
「貴方にそれを決める権利はない。今後一切ノイナに触らせはしないし行為も許さない。貴方がノイナの身体に仕込んだ全ては、僕のほうで指導し直させてもらう」


 スタールの物言いに、ゲブラーは笑みを消して彼を睨みつけた。


「指導とか言って、どうせスケベなことするんでしょ! このムッツリ!」
「ノイナは諜報員で、彼女は僕の後輩だ。後輩に指導をするのは先輩の責務であり、性技の習得も仕事の一環だよ。その過程で子供が出来ても僕はまったく困らない、むしろ欲しい、大歓迎だ」
「やっぱり既成事実作ろうとしてるだけじゃん! こ、この……!!」


 それなりの声の大きさで、とてもではないがカフェではできないような卑猥な話が繰り広げられている。もはやその内容に自分が大きく関わっていることにも、混乱しきったノイナの頭は理解できなかった。


「話は以上だ。今日はここで失礼させてもらうよ。行こうか、ノイナ」
「え?」
「ちょっと、行かせるわけないでしょ、あんたみたいな肉食獣と一緒に……!」


 スタールに手を引かれ、ノイナは立ち上がると個室から出る。彼に導かれるままよく分からない道順を進んでいけば、いつの間にか目の前にはノイナの家があるマンションがあった。
 まさかあのゲブラーをあっさり巻いたのかと、やはり異質なスタールの技術に今更ながらにノイナは驚いた。そうしていると、スタールの手が優しく頬に触れた。


「あの、せんぱ」


 呼びかけの声は遮られる。あまりにも簡単に触れた唇に数拍遅れで気がつけば、それはすぐに離れた。
 呆然としていると、彼はひどく恋しそうにノイナを見つめていた。くすぐったいくらいに頬を撫でられて、優しく抱き寄せられて、甘い囁き声が耳元で聞こえてくる。


「以前君は僕に言ってくれたね。いつか僕が好きだと言えるものが見つかるといい、って」


 その言葉からノイナはとっさに思い出す。最初にスタールと一緒にケーキを食べに行った日のことを。


「今の僕にとって、“スタール”にとって、それは君だよ」
「ふぇ」


 呆気に取られている自分の顔が映る彼の瞳は、あのころの彼と比べてずっと澄んでいた。


「たとえこの想いによって、諜報員としての素質が失われるとしても、構わない」
「先輩……」
「それほど君を愛している。……話の続きはまた明日に。おやすみ、ノイナ」


 あまりにも自然に想いを伝えて、もう一度彼はノイナに口づけをした。

 ぼうっと彼の背中を見つめていれば、それはすぐに見えなくなる。未だに思考は停止したまま、ノイナはとにかく家に帰った。
 そしてその後も呆然と食事と入浴を済ませ、思考の整理がつかないまま就寝した。



16 了
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