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しおりを挟む「なに頭抱えてんの」
「あ、クリス先輩!」
「……大丈夫? 顔面に男難の相が出てるよ」
「そんなものあるんですか……?」
『愛人』ことクリスティーナは、ノイナの震え声に肩を竦める。いろんな相手と関わった経験を持つ彼女にそう言われると、冗談で流せないリアルな怖さがある。
彼女は少し視線を逸らしてなにかを思案すると、とんとんとノイナの肩を指で叩いた。
「少し休憩したら。付き合うよ」
「え、いいんですか?」
「まぁ、私も一応秘密を共有する間柄だからね」
秘密の任務を知っているのは長官を始めとする上層部と、ノイナの上司、そしてクリスだけだった。そういう意味では、彼女は相談できる唯一の相手かもしれない。上司にはなにを訴えてもがんばれとしか言われないのだから。
クリスの誘いで機関内にあるカフェに立ち寄れば、カウンターでコーヒーをもらったあと個室に案内される。慣れた様子で室内を確認したクリスは、ノイナと向かい合わせに座った。
「ゲブラーの件、うまくいってるみたいね」
「そうですねぇ……」
「正直、驚いてるわ。あんたは私にできないことをやってるから」
どういうことかと首を傾げれば、彼女は察しの悪いノイナをジトッとした目で見つめてくる。
「ゲブラーの懐柔任務……順当に行けば本来は私の仕事だった。そうでしょ?」
「あ、あぁ……そうですね。ハニートラップ、ですから」
「でも、先に彼を懐柔しようと女諜報員を放った国が失敗した。それを聞いてから、勘だったけど、たぶん私も近付いたら死ぬだろうなって思ってたの」
きっとクリスは、いずれ死を覚悟でゲブラーに接近しなければならない日が来るだろうと、そう思っていたのだろう。いくら命を危険に晒す仕事をしていると覚悟していても、いざその瞬間が来ると自然と恐怖してしまうものだ。
ということはこうしてノイナに目をかけてくれるのも、感謝に近い感情からなのかもしれない。
「代わりにあんたが行くって聞いたとき、なんかもう絶望したわ」
「そうだったんですか?」
「そうでしょ。だって、どうやったら爆弾が爆発するかもわからない素人に、地雷原歩きに行けって言うようなものでしょ」
(地雷原……言い得て妙だ)
ゲブラーにとっての地雷、それは間違いなく、嘘だ。
そう考えると、諜報員という職業はゲブラーとの相性が致命的なまでに悪いのだ。それこそ、スタールのような常識外れの優秀さを持っていなければ、諜報員が彼を懐柔することなど不可能と言えるくらいに。まだ一般人に任せたほうが可能性がある。
(そうか、私がほぼ一般人だったから……自分で言ってて虚しくなってきた)
「本当は私が担うべきだったのに……だからまぁ、ずっと言えてなかったけど、感謝してるわ。ある意味あんたは私の命の恩人、なのかもね」
「え! そ、そんな、クリス先輩に恩人扱いなんて、めっそうもない! わたしほんと、ほんとになにもしてないですから……!」
慌ててそう弁明すれば、クリスは少し意地の悪い笑みを浮かべて、ノイナの額をぺしっと指で叩いた。
「なにもしてないはずないでしょ? 悩んでることがあれば言いなさい。助言くらいはしてあげられるだろうから」
「悩み……」
頭の中にはいろいろ巡る。例えば、ゲブラーに飽きられないために次はどんな性技を学んだほうがいいかだとか、彼を懐柔するために他に何かするべきことがあるだろうかとか。
けれどそのどれも口から出てこなかった。恥ずかしい、というのもあるかもしれないが、その相談をすればノイナはゲブラーの情報を吐くことになってしまう。
(別になにも言うなとは言われてないけど……なぜだろう、それは、駄目な気がする……)
「どうしたの?」
「え? いやぁ……」
ゲブラーはノイナが諜報員だということを知っている。だから、自分の情報が彼女の口から漏れることもわかってはいるはずだ。
そしてそれが自分の障害になると考えていたら、今頃ノイナは生きてはいない。恐らくそれと同じ理由で、他国の美人諜報員は彼に始末されてしまったのだから。
「なんか、ゲブラーの話はしないほうがいいかなって……私たちの間に信頼なんてものは無いですけど、でも彼の不利になるようなことを言いそうで、嫌というか……」
「なるほどね。いい心掛けだわ」
「ほ、ほんとですか……!」
褒められたことにぱっとノイナは笑みを浮かべるが、クリスは突然すっと真顔になる。
「同時になんか心配になってきたけど」
「急に真顔にならないでくださいよ……!」
「あんた、本当に諜報員には向かないわね。でもそういうあんただから、ゲブラーみたいな奴には刺さったのかも。長官があんたを採用したのだって……」
「したのだって?」
「一回限りのキラーカードとして、もしもの場面で役立つと見込まれたから、かもね」
そう言ってクリスはコーヒーを口にした。
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