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03-02

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 夢を見た。幸せな夢だ。


「よくやったノイナくん! ゲブラーが正式に我が国の傘下に入ることになったぞ!」
「え、ほんとですか……?」
「ああ、これも君の頑張りのおかげだよ!」


 今までまともな任務などしたことがなかったのに、誰もが無理だと思った難事をやり遂げた。実感を持ってそれを理解したノイナは、じわじわと笑みを浮かべる。


「あんたのこと、甘くみてたわ。次の仕事も期待してるわよ」
「あ、ありがとうございます!」


 協力してくれたクリスに頭を下げれば、ノイナはその隣に誰かが側に立っていることに気づいた。
 それは憧れの先輩だ。いつも彼女は、彼の背中ばかり見ていたのだ。


「ノイナ、よく頑張ったね」
「スタール先輩……」
「ほら、お土産のザッハトルテだよ。好きなだけ食べていいけれど、健康管理はしっかりすること。諜報員は特に身体が資本だから」


 スタールに褒められたことに、ノイナはぱっと笑みを浮かべた。

 嬉しい、これで安心してザッハトルテが食べられる……。


「っ、は」


 なぜか勢いよく覚醒し、ノイナは呼吸を止めた。

 目の前には見慣れぬ天井がある。だが一拍遅れてここがホテルだということを思い出す。
 ゆっくりと身体を起こせば、腰やら背中やら足やらに違和感を覚える。思えば昨晩は指で数えきれないほどの回数をこなした。否、正確には数えることができなくなるほどの快感を味わったのだった。


「……、あれ」


 人の気配がしなくて、ノイナは首を傾げる。もしかしたらゲブラーはさっさとホテルを出ていったのかもしれない。
 安堵の息を吐き、再びベッドに倒れ込む。それと同時に、カシャッと軽くて硬いものが落ちる音が右斜め後ろから聞こえた。


「ノイナ・イゴーシュ、性別女、二十三歳、A型、扶養家族無し……」


 ゆっくりとサイドテーブルの方を振り返れば、いる。目立つ赤髪の男が。
 ノイナの財布の中を漁り、身分証らしきものを見ていたゲブラーは、目覚めた彼女のほうを見てにこりと笑った。上半身裸だが、ちゃんと下は履いている。


「おはよう、お嬢さん。昨晩はとても刺激的な夜だったね」
「お、はよう、ございます……」
「あんなにシたのは俺も久しぶりだったよ。これも運命の出会いってやつ?」


 身体のだけどねと呟くと、彼はノイナのカバンから携帯を取り出した。


「駄目だよ、こんな新品使ったら。こういうところもちゃんとカモフラージュしておかないと」
「へ、ぇ」
「一般人を装うならさ、細かいところまで偽装すべきだね。まぁ、あんたの場合はギリギリまで見分けつかなかったけど……考えたもんだね、ほぼ素人の諜報員使うなんて」


 彼が見せてきた通話履歴には、名前などは登録されていない番号だけが数件並んでいる。それは確かに、一般人が普段使いしているものと言うには異様だった。


(入れっぱなしに……ロックもかけてたのに、って、あ)
「指紋の残り方を見ればロックなんて簡単に外せる。……あんた、諜報員としてはあまりにも未熟だね」


 ようやくノイナは理解した。

 バレた。バレてしまったのだ。否、きっとゲブラーは情事の最中もずっと怪しんでいたはずだ。
 駄目元だとは分かっていても、ノイナは逃げ出そうとした。シーツを放り投げ、彼の視界が遮られているうちになんとか駆け抜けようと。


「っ、う」


 だが手を動かそうとした瞬間、恐ろしい速さで首元を押さえつけられる。そしてすぐに、ひんやりとした刃が首に触れた。


「あんたも災難だね。素人同然ってことは、死んでもいい代替可能な人材ってことでしょ? さすがの俺も同情しちゃうよ」
「う、運命の出会いじゃなかったんですか……!」
「ああ、それは嘘じゃないよ、本気で言った。でも、死別もまた運命ってやつさ」


 まともな呼吸ができていないんじゃないかと、そう思うくらい息が苦しくなる。ただ身体を抑え込まれてナイフを突きつけられているだけなのに、命を鷲掴みにされる感触とはこれほどまでに圧迫感があるのだと、今更ながらに知った。


「楽しい夜を一緒に過ごしてくれたからね、苦しまずに逝かせてあげるよ」


 出会った時と同じ、軽薄な笑みを浮かべたゲブラーは言う。

 死ぬ? ここで?
 脳裏に今までの一生が流れ始める。これが走馬灯というやつかと、ぼんやりとノイナは思った。


(ああ……ザッハトルテ、食べたかったな)


 きっと今頃本部に送り届けられていることだろう。激しくしょうもない未練を残して、彼女は自分の生存を諦めた。
 そこでナイフが、皮膚を抉った――


「やっぱやーめた!」
「……え?」


 かと思ったら食い込んだと思ったのは刃がない方だった。


(命拾い、した……? 見逃して、もらえた?)


 呆然とゲブラーを見上げれば、彼は心底愉しげに笑っている。その笑みに、ノイナは強烈な嫌な予感に襲われてしまう。


「あんた、面白いからね。美人はごまんといても、身体の相性がいい相手はそうそう見つかるわけじゃないから、惜しくなったとも言うけど」


 ナイフを弄びながら、ゲブラーは言う。そしてなぜか、ノイナの上に馬乗りになる。


「俺の命を狙ってきたんじゃなくて、俺を懐柔しに来た……って感じだよね。まぁ、飽きたら殺すけど、それまでは付き合ってあげるよ」
「えっ」
「俺があんたの言うことを聞くかどうかはまた別の話だけどね」


 意味深な笑みを浮かべて、彼はナイフを振り下ろした。それにひっとノイナは小さく悲鳴を上げ、頭上に突き刺さったナイフを横目に息を呑んだ。


「と、いうことで、ノイナ!」


 優しく彼女の頬を撫でて、彼は顔を近づけてくる。


「今日からあんた、俺の性玩具おもちゃね。せいぜい俺を楽しませて長生きしてみなよ」


 傍若無人なその言い草に、ノイナは疲弊し切った表情で目を閉じた。
 もしかしたらこれは、死んでいた方がマシだったかもしれない、と思いながら。


03 了
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