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01-03

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 第一関門はクリア。ものの見事に釣れた。そう思ってノイナは安堵の息を吐きそうになる。
 だがそんな素振りは見せてはいけない。もっとぐいぐいと、運よく捕まえたイケメンを逃したくない貪欲さを出さなければ。


「あれ、メニューないんですか?」
「こういうところはないねぇ。味の好みとかあれば、俺が頼んであげるよ」
「えぇっと……」


 まさかメニューがないとは思わず、ノイナは焦る。酒など嗜まないため、好みなんてものもなかった。


「できれば、甘いものがいいんですけど……」
「フルーツ系? オレンジとかイチゴとか、レモネードとかいいかもね」
「じゃあ、レモネード味のお酒、とかで……」


 不安そうに頼めば、男は慣れた様子で店員に注文をする。その横顔をじっと見つめて、ノイナは思わず呆けてしまう。

 この男が、ゲブラー。噂に違わず、すごく目立ちそうな美男子だ。暗い店内でも目を引く赤髪に、切長の瞳。立っていたときもすらりと背が高くて、モデルのようなプロポーションだ。オシャレな酒場にいると、そのままドラマの撮影中かとも思ってしまう。


(でも、この人がマジモンの暗殺者……)
「どうかした?」
「へっ」
「俺の顔に何かついてる?」
「えぇ、っと、その……」


 無意識に彼を見つめていれば、ゲブラーは敏感にそれを察知してこちらを向く。
 不味い、ボロが出そう。そう思いながらノイナはなんとか取り繕おうとする。


「な、なんか、ドラマみたいだなって……」
「ドラマ?」
「初めて入ったお店で、かっこいいお兄さんに声かけてもらって、ご一緒させてもらって……なんか、どきどきしちゃいます」


 別の意味でドキドキする、だから嘘ではない。
 ノイナの言葉に僅かに彼は目を細める。何かを見極めようとするその鋭い眼光に、表情には出さずとも彼女は息が詰まりそうになる。


「お兄さん、モデルさんみたいですから、余計にそう思っちゃって。実は本当にモデルだったり!」
「あはは、残念。モデルじゃないんだよね」
「そうなんですか? スタイルもいいし、その……すっごい、イケメンだし、なんか普通の人と違う雰囲気もあるので、そうなのかもって」
「いやぁ、お嬢さん、そんなに俺を褒めてどうするつもり?」


 腹の底がヒヤッとして、ノイナは思わず表情を引き攣らせてしまいそうになる。

 圧がすごい。隣に座っているだけで周囲の気温が下がったと思うくらい、それくらいの威圧感があった。
 彼はただ柔らかく笑っている。なのに、すごく嫌な感じがする。これは腐っても機関に所属する者の勘、というやつだ。

 ここが第二関門か、そう思ってノイナは意を決して口を開いた。


「ど、どうって……そんな、しっ、下心なんて、ないですよ?」


 自分で言ってて恥ずかしくなり、幸運にもじわりと顔が熱くなってしまう。
 ゲブラーは大の女好きだ。もちろん、セックスも大好きの色狂い。こういうさりげないアピールに対しては警戒心よりも興奮が勝る、かもしれない。
 それにこの言葉は嘘ではない。実際ノイナにはゲブラーに接近したいという下心があるからだ。この方法は先輩からの入れ知恵だった。


(私にそこまで色気があるかは分からんけどな……!)
「もしかして、こういう店に来たかったのは……お酒だけが目的じゃなかったり?」


 酒が目的ではないのも本当だ。図星をつかれた、という反応もまた、ゲブラーは良い方向に解釈してくれたようだった。


「そりゃあ、……私の職場、そういうの全然望み薄で」
「……へぇ」
(機関に居る人って、大体みんな近付きがたい雰囲気あるんだよなぁ……スタール先輩もだけど)


 肌に纏わりつくのが冷たい空気からいやらしい視線に変わった、気がした。
 とにかく警戒されてしまう事態は避けられたらしい。それに安心していれば、店員が注文した酒を持ってきてくれる。

 それを見たノイナは、頭の中から任務がすぽーんと抜けてしまう。


「わぁ……!」


 細長いグラスに、底の方に薄黄色の液体、上の方に赤色の液体が入っている。それは見事に層で分かれていて、なんともおしゃれな見た目をしていた。


「すごい、層が分かれて……」
「あれ、色気より食い気?」


 目を輝かせるノイナに、店員は簡潔によく混ぜて飲むようにとだけ伝えてくる。もったいないなと思いながらかき混ぜれば二色の飲み物は混ざって、薄い赤に変わる。
 恐る恐る口をつけてみれば、広がるのは爽やかな甘味だ。だというのにしっかりワインの風味もあって、酒だというのが分かる。


「わ、私、こんなに美味しいお酒初めて飲みました……!」
「そうなの? それはなんというか、お酒にも良い出会いがなかったみたいだね」
「ほんとに! なんだかすごく損をしてきた気分です……」


 嬉々としてカクテルを飲むノイナに、ゲブラーはぽかんとしている。けれどすぐにその顔に笑みが浮かんで、グラスを離さない彼女の手に弱く触れた。


「そんなにぐびぐび飲むものじゃないよ。すぐに酔っちゃう」
「あ、そうですよね」
「甘いもの、本当に好きなんだね。それじゃあ他のも試してみよう」


 味の傾向を把握したのか、次々とゲブラーは店員に何かを頼んでいる。そこでようやくノイナは任務そっちのけで酒にうつつを抜かしていたことに気付いた。


(あ、危ないとこだった……!)
「実は俺も酒は甘い方が好きなんだよね。苦みや渋みなんて、現実でいくらでも味わえるから」


 詩的なその言い回しに目を瞬かせていたノイナは、自分の得意な方で話を広げようとする。


「甘いもの、いいですよね。仕事終わりのケーキは身体に染みます」
「そうなんだ。どんなケーキが好きなの?」
「もう全部です、美味しいケーキは全部! ターミナル前のカフェとか、苺のタルトがもう本当に美味しいんですよ……!」


 その味を思い出して有頂天になりそうになる。それと同時に、もう一度あれを食べるために頑張らなければと意気込んだ。


「苺のタルトかぁ……美味しそうだね」
「ぜひお兄さんもどうぞ! あ、お店の名前はですね……」


 趣味全開の甘味トークに、意外にもゲブラーは楽しそうに付き合ってくれた。みっちり二時間話をし終えたころには彼の警戒心もすっかり解けたようで、酒も入っているせいか表情も柔らかかった。
 そろそろ引き上げていいだろう。そう思ったノイナは、おもむろに大きく息をつく。


「さすがに飲みすぎちゃいましたね。そろそろお会計を……」
「ああ、いいよ。俺が払っておくから」
「え、悪いですよ!」
「一緒に飲んでくれたお礼として、ね?」


 止める暇もなく会計を済ませてしまうゲブラーに、何か嫌な予感を覚える。


(早く離脱しなければ……でも)


 一緒に店から出てしまったノイナは焦る。ここからどう別れる流れに持っていこうかと頭をフル回転させて考えた。しかし良案は出てこない。


「今日は本当にありがとうございました。おかげで、とっても楽しい夜が過ごせました!」
「こちらこそ。楽しかったよ」


 ゲブラーの口ぶりに彼女は安心する。彼も別件があるのか、ここで別れるつもりらしい。


「もしまた機会があれば、ぜひご一緒してくださいね。それじゃ」


 少し乱雑に話を切り上げ、ノイナは彼に向かって小さく手を振った。
 だがその手は掴まれる。もちろん手を掴んだのはゲブラーで、彼は彼女の腕を引いてぐいっと顔を寄せてくる。


「ホテル、行かないの?」
「えっ」


 ここで任務完了、とはならなかった。
 目的は果たされた。ここで切り上げても全然良かった。けれどノイナは、ゲブラーの提案に頷く以外のことができなかった。


「お酒よりも気持ちいいこと、俺と一緒に楽しもうよ」


 そう耳元で囁かれたときに気付いた。
 死線はくぐり抜けた。けれど今度は、別の意図に絡め取られていたのだ。

 鋭く熱の篭った彼の視線が、雄弁にそれを語っていた。



01 了
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