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夜の帳と秘する月
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しおりを挟む「お、おい、晴明!? 何をする気だ?」
傷口を洗うのは大人しくされていたが、晴明が次にしようとしている行動に制止の声を上げた。晴明が俺の傷に口を近づけて来たからだ。多少は有ると言う晴明の治癒能力は、晴明の体液に宿っている。だから、何をする気かとは聞いたが、実際俺の傷口を舐めて塞ごうとしている事は容易に想像がついていた。
「そこまでしなくてもいい。そのうち塞がる」
「そのうちではなく、今塞ぐ為に決まっているだろう?」
だから何故、式で有る俺にそこまでする必要があるんだ――
「ほら、早くしなさい。何かに血がついてしまっても困るから、塞がるのは早い事に越した事はないと思うがなぁ」
そんなとってつけた嘘を口では提案してる風に言っている癖に、俺に拒否権は無く――結局は、掴まれた腕が持ち上げられ、傷口の上を噛みつかれるのかと思うほどの勢いで舐め上げられた。そこに扇情的な雰囲気は皆無だった。
いくら止血の為に腕を縛ってから血を洗い流したからと言って、新たな血が全く出ないなんて事はない。当然、舐めた晴明はさぞかし鉄臭い血の味がした事だろう。
「馬鹿なのか。お前は……」
うっすらと皮が張っている傷口を眺め、ため息を吐きながら、そう呟いてしまった俺は悪くないと思う。
だが、晴明のお陰で、傷自体はまだつっぱる感じがするし、まだ完全に治った訳ではないが、これで、血が滴るなんてことはなさそうだ。
「馬鹿とはひどい言い草だなぁ。灼架」
「事実だろう」
本当は俺を心配して、治してくれたのは知っている。それでもその他を心配する気持ちの半分でもいいから、己の身を案じてくれと思わずにいられないから――清明の事は馬鹿でいいのだ。
もう一層の事、妖の血に触れた穢《けが》れを理由に明日から物忌《ものい》みに入ればいいんじゃないか? と言う提案が喉元まで上がってくる程度には、投げやりな気分になってくる。普段の晴明ならばあの程度の攻撃など、俺が庇うまでもなく避けていた。いや、そもそも術が緩むなんて事自体がなく、攻撃をする機会すら絡新婦は持てなかったはずだ。それなのにこの結果なのだから、やはり本人が思っている以上に疲れが溜まっているのだろう。
だが、結局その考えを口には出さず、別の提案をした。
「何でも自分一人でこなすのではなく、後継でも育てたらどうだ?」
そうすれば、少しは晴明の負担が減るのではないかと考えて発言すれば、何故か胸のあたりがつきんと痛んだ。思い浮かんだ瞬間は、名案だと思ったと言うのに。
「後継か、そうさなぁ……」
言葉では思案風な事を言っておきながら、あまり乗り気ではなさそうだ。
「私には、誰かに教えられるほどのものはまだ持ち得ていないのだよ、灼架。それに私はまだ私の為に動いていたい――」
晴明が普段取っている行動のどこを見ても、他の為に動いている様にしか俺には見えないが、晴明自身にとってはそうではないらしい。だが、まだと言うからには、いつかはその時がくると言う事なのだろう。
「……そうか」
何と言葉を返そうかと悩んだ末、口から出た言葉は結局、何の事ない相槌だった。どうせ、何かさらに聞いた所で、晴明から答えらしい答えは帰って来なかっただろうし、この話は流すのが一番いいのだろう。
その所為で、そんな事をすれば、お前と共にいる時間が減ってしまうではないか――とぼそり小声で呟いた晴明の言葉は俺の耳にまで届かなかった。
「今日は帰ろう。晴明」
晴明が荒屋の結界を解解いたのを見計らって、俺は声を掛けた。勿論、すでに絡新婦が張り巡らせていた糸も俺が燃やし終えたし、充満していた妖気も浄化が終わっている。とは言っても、完全にではないが。雑鬼達がまた住める程度に妖気を薄めただけと言う方が正しいかもしれない。浄化し過ぎると、雑鬼達が戻って来れるまでに時間がかかってしまう。
「流石にそれがいいのだろうな、今日ばかりは」
晴明が素直にそう返してくるのは、俺が怪我をしたからなんだろう。あんな顔をさせてしまったのは多少心が痛んだが、そう言う意味では怪我をしてよかったとも思う。これで、何事もなく終わっていたら、まだ晴明は夜警を続けると言っていたはずだ。
そして、また殆ど寝ないままで出仕していた事だろう。
「ああ。早く帰って休め。お前に今必要なのは休息だ」
「わかっておるよ。だから、そう急かさないでおくれ」
そう言いながら溜息を吐いた晴明がちゃんと邸の方向へ足を踏み出したのを確認し、俺もそれに続く。
その時、俺は身体に違和感を覚えた。身体の奥が疼く様な違和感を。
「どうした? 灼架」
その違和感に思わず立ち止まってしまった所為で、振り向いた晴明が訝しげな顔をして聞いてくる。
「いや、何でもない」
気の所為だろうとそう答え、晴明の隣に並んで歩き出した。周りに威嚇をするかの様に必要以上に妖気を発して。その理由に気付かぬ晴明ではないが、今日に限っては苦笑するだけで何も言わなかった。
そのお陰か、何事もなく邸まで帰り着けそうではあるが、段々と気の所為だとは思えない程、どくり、どくりと身体が疼く感覚が強くなってきている。
それでも晴明には気付かれぬ様、平静を装いながら歩いた。
今度は俺を置いて、一人で夜警に出られても敵わないからと、晴明が褥に入るまでは見届けると言い張って、晴明の部屋の真ん中に俺は胡座をかいて陣取っていた。それもまた苦笑しただけで了承した晴明が、着替えを終えて褥をに入った所で、俺も立ち上がって障子に手を掛けた。用が済んだのなら早く晴明の元から離れたかった。身体が疼く様な感覚はなくなるどころか、ますます強くなっていたから。
「ほら、おいで。灼架」
その声に後ろを振り向けば、何故か晴明が褥の上で手を差し出していた。
「は?」
それはどう言う意味だ……?
「絡新婦の妖気がまだ残っているんだろう?」
気取られぬ様にしていたつもりだったが、すっかり晴明には見抜かれていたらしい。
そして、恐らくそうだろうとは思っていたが、この症状の原因はやはり、絡新婦の妖気がたっぷりと練り込まれた糸で攻撃を受けた所為だったらしい。男を惑わす妖だけあって妖気には催淫効果があり、変質させた妖気を吸ったぐらいでは何ともなかったが、流石に体内に直接受ければそうもいかなかったと言う訳の様だ。
「――自己犠牲が過ぎるぞ。晴明」
俺の異変を鎮める相手をわざわざ買って出た晴明に苦言を呈す。晴明が寝た後にこっそりと独りで処理をするつもりだったのだから、気付かぬ振りをしてくれればそれでよかったのだ。
「犠牲になどしていないさ。私はお前が可愛いだけなんだよ、灼架」
そう言って晴明は俺の手を引っ張り、俺の唇に自身のそれを重ねた。すぐに離れたそれに今度は俺の方から口付けながら、晴明を褥に押し倒した。
晴明は、全てに優しすぎるんだ。
そして、それを分かった上で、その優しさにつけ込む俺は――屑だ。
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