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5.新しい可能性
しおりを挟むあの後は、これと言った会話もないまま作業を終えて、レイヴンの家の前で別れた。回りくど言い方が好きで、人を揶揄うのも好きなレイヴンだが、それと同じかそれ以上に空気を読み、距離を測るのも上手い。恐らく、俺が戸惑いを感じて居るのを察して、そっとして置いてくれたんだろう。
お陰で、自分の中である程度消化しきれたと思っていたのだが――
「何か、あったのか?」
数人居る食堂で、他の宿泊客に料理を配り終え、最後に給仕に来ると、そう尋ねられてしまった。言葉を交わす事が多いから、このお客様の給仕は自然とそうなった。
「そう、見えますか……?」
「ああ。芸術祭の準備で何か問題でも起きたのか?」
「いえ。準備の方は順調です。ただ……俺は少し鈍いのかも知れないと自覚してしまっただけです」
お客様相手にするような話ではないと言うのに、するりと言葉が出てしまった。
「鈍い? 君はよく気がつく方だと思うが?」
「職業柄、人をよく見ていたつもりだったのですが、恋愛方面では全く発揮されていなかった様なのですよ」
自嘲気味にそう返すと、お客様は夜にでもその話、詳しく聞こう――とニヤリと笑った。今も時間としては夜に間違いはないのだが、お客様の言う夜とは、後程お客様が滞在して居る部屋までホットワインを届ける時の事を指しているのだろう。大体の仕事を終わらせている時間で手が空いるのもあり、こんな給仕の合間よりも時間をとって言葉を交わす事も毎度の事となっているから。
少し聞いて欲しい様な、恥を晒す様で聞いて欲しくない様な、相反する感情の中、俺は曖昧に頷いた。
本当に俺の話を聞く気満々だった様で、お客様は、注文の品であるホットワインを持って俺が部屋を訪ねると、待ってました! とばかりに招き入れられて、椅子に座らされた。お客様自身はそのまま俺と向かい合うようにベッドへ腰掛けると、早速、夕食時の俺の発言の経緯を問いかけてくる。
「ほう。そんな伝統があるのか……あ、でも、確かに昔見かけた事があるかもしれないな」
言うまで部屋を出る事が許されない気がして、促されるままに差し入れの件は軽く話してしまった。
「だが、逆に言えば幼馴染に譲るほど、興味がなかっただけだろう。それだけの事じゃないのか?」
確かにそう言われればそうかも知れない。なら、レーヌは? 他は兎も角、レーヌの事は、俺自身幼馴染だと思っているし、妹とも仲がいい。興味がなくて見ていないと言う事はない。それなのに恋愛感情と言う好意を向けられているとは、今日まで知らなかった。
「幼馴染からの好意も気付いていなかったので、やっぱり俺は恋愛事には鈍いのでしょう……なにより、俺に結婚願望がないという事が問題なのでしょうね」
「結婚願望がない……?」
「はい。正確には自分が家庭を持つと言う想像が出来ないのですよ……」
だから、敢えて気付かない様にしていたのかもしれない。自覚はないけれど。気付かなければ、モテないのだから仕方ないと、言い訳が出来るから。
一夜限りの関係ばかりを持っていたのだってそうだ。相手も本気じゃないとわかっているから、抱けた。その誘いだって、俺が本当に鈍いのなら、乗る瞬間を逃して居たかもしれない。
「――ならば、君はどんな自分なら想像出来るんだ?」
今日、昼間にレイヴンに問われた言葉に似ている様でまったく非なるものだ。このお客様の質問の方が容赦がない。
「……正直な所、どんな自分も想像できていません。俺はこの宿の後継ですが、家庭を持つ気がない時点で――次代に繋げない時点で失格でしょうから。それに、今日、妹の恋人から、宿の方は俺が継いでやるから心配するなと言われてしまいましたし」
「それはまた、随分と逞しい義弟が出来る予定なんだな……」
「そうですね。さっき話した、芸術祭の準備作業を共にしてる幼馴染が、妹の恋人だと今日初めて知ったのですが、そう言われて驚きましたが、ほっとしたのも事実なんです。早く一人前になりたくて、全てを急いでその結果、全てが中途半端なままの俺ですが、やっと見えない者に追い立てられずにすむのだと肩の荷が下りた気分です」
――レイヴンからは、俺が無理をしている様にしか見えなかったんだろうな。だから、今日、きつい言葉を敢えて選んで、無理をするなと言って来たんだと思う。爆弾発言もあったけどな。最後に。
「だから、もし、官吏の国家試験に受かっていれば、俺は今後を想像出来るのかもしれません……」
本当に数日前に知り合った、しかも家業の宿泊客相手になんと言う相談を受け持ちかけているんだ――とは思うが、不思議な程素直に自分の気持ちを吐露してしまっている。
「! 君、官吏試験を受けていたのか! あれは、平民枠が出来たのも今年からだろう。よく挑戦する気になったな……たしか、今年の平民受験者は二人だと聞いた。そのうちの一人が君だったんだな。結構な高度問題が出ただろう」
「そうですね……でも、答えられたと思います。昔、冬にだけここへ来ていて、俺に勉強を教えてくれた人がいるんです。その人に習った内容もあったし、その人に笑われない様に、学ぶ事を辞めなかったですから」
「そう、か……王都ではもう、合否が出ているはずだから、そろそろ、通知が来るのではないか?」
一瞬、驚いた顔をしたお客様は、やはり本当は旅人などではなく、上流階級の方なんだろう。そうでなければ、そこまで詳しくは知らないはずだ。だって、旅人にとって有用な情報ではないから。
「恐らく――明日、届くかと」
「受かっていればいいな。この国は、王都に近ければ近いほど、恋愛に寛容だ。もしかしたら、幅が広がるかも知れないぞ」
「恋愛の幅、ですか?」
幅も何も、さっき女性と家庭を築く想像が出来ないと言ったところだと言うのに、何故そんな言葉が出る?
「ああ。君は家庭を築く想像が出来ないと言っていたが、それは女性相手にと言う意味だろう? 相手が男性ならばどうだ? 地方では同性愛が一般的でないのは知っているから、君は今まで考えた事もないだろうが、それは大きな広がりだと思わないか?」
お客様の言う通り、男性相手になど、考えた事もなかった。この街では一般的でない所か、皆無に近い。少なくとも俺は見た事がなかった。
「――急に言っても、戸惑いしかない、か。どうせ明日の通知が不合格なら、考えるだけ無駄かも知れない話だ。とりあえずは、明日の合否を毎日心配してればいい」
何も言葉を返せない俺にお客様はそう言った。
「あ、その前に俺の明日の昼食をお勧めしてくれ」
俺を気遣って事だろうが、茶目っ気たっぷりに言うお客様に、思わず笑ってしまった。
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