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「パトリシア、婚約者が決まった。相手はオベロン侯爵家のアンセル殿だ」
「はい、承知しました」
「オベロン侯爵家なら悪い家柄ではない。まずは婚約者が決まって何よりだ」
「はい」
得意気な父親とは対照的に、ただただ決まったことを受け入れるだけのパトリシア。
自分の意思が反映されない婚約は貴族家に生まれた者の常。
弁えている、あるいは諦めていればこその返事だった。
相手が選べない以上、せめて良い人であればいいと願うことしかできない。
実際に良い人なのかは会ってみなければわからない。
このようなことがまかり通るのも貴族社会の風習によるものだ。
個人の意思よりも貴族家としての利益を重視するが故のことだった。
パトリシアはフランシス伯爵の令嬢であり、オベロン侯爵家との婚姻はより爵位の高い貴族家との縁を結ぶ良いものだとされるものだ。
より良い貴族家との婚約を望むのは貴族として当然のこと。
フランシス伯爵が得意気になってしまうのも当然のことだった。
パトリシアとアンセルの初顔合わせの日。
相手に失礼のないように着飾り笑顔でアンセルを出迎えたパトリシアだったが、相手のアンセルは不機嫌さを隠そうともしなかった。
「仕方なく婚約することになったんだ。だからパトリシアも無理をしなくていい。お互い気楽な関係のほうがいいだろう?」
「そういう考え方もあると思います」
「ならば楽な関係にしよう。だが浮気はするなよ? 後で面倒なことになるからな」
「……はい」
アンセルが望んでの婚約ではないことは明らかであり、気楽な関係を望むというのもまだ理解できた。
だが浮気をするなと言われたことは浮気するような人だと思われているからであり、侮辱されたとパトリシアは受け止めてしまった。
(浮気するような人だと思われたなら心外だわ。そんな恥知らずな行為、するはずないじゃない)
こうして始まった二人の時間はパトリシアにとって苦痛となり、予定よりも早めに解散になったことを顔に出さずに喜んだ。
最低限の体裁を保てる時間は過ぎたとアンセルが言いだしたことで解散となったため、それだけはアンセルのことを評価した。
(アンセル様と上手くやっていけるのかしら? もう挫けそう……)
顔に出さないのも貴族の令嬢としての当然の振る舞いだが、心の中では不安というよりも既に挫折しそうだった。
パトリシアだってアンセルは望んだ相手ではなく、それなのにこのような態度を取られれば何も思わないはずがない。
このような婚約関係を嫌だと思おうが自分の意思でどうにかなる問題ではないことは重々承知だ。
こうして不安ばかりの婚約関係は始まったのだ。
その三日後、事態は急展開を迎える。
「婚約そのものを白紙撤回したいとオベロン侯爵家から連絡があった。これはパトリシアに非があってのことではないから安心しろ。どうももっと良い相手からの縁談があったようだ」
「そうですか、承知しました」
「良い相手がいればこうなることも仕方ない。そういった慣習なのだからな。これに挫けず次の相手を探すことにする。パトリシア、新たな婚約者が決まるまで待っていてくれ」
「わかりました」
白紙撤回であれば婚約破棄よりもダメージは少ない。
そもそも婚約自体なかったことになるので経歴に傷が付くこともない。
何よりもアンセルと婚約関係がなくなったことを喜んだパトリシアだった。
もちろん父親の前であっても表情に出すことはなかった。
(今度はもっと良い相手と婚約したいけど、運よね)
所詮貴族の令息であればアンセルとそれほど違いはないのかもしれない。
希望を抱いてしまうが期待はできないと自分に言い聞かせるパトリシアだった。
新たな婚約者探しは難航していた。
「どうもアンセル殿の新たな婚約者の意向でパトリシアの婚約者探しが妨害されているように思える。これははっきりした証拠はないが、状況からそう判断できる」
「……そうですか」
「こうなると王都や近郊での婚約者探しは難しくなるかもしれん。だが考えようによっては領地持ちの貴族家との縁ができるかもしれん。何も悪いことばかりではないということだな」
「そうですね」
いつものごとく自分の意思が反映されないのだから何を言っても無駄だと考えたパトリシアは父親の話しに合わせた。
フランシス伯爵家は領地を持たない貴族で王宮で働く文官の家系でもある。
必然的に同じような領地を持たない貴族家との婚約が妥当ではあるが、妨害されているのであれば他の選択をしなくてはならない。
(アンセル様なのか新しい婚約者なのか知らないけど、面倒なことをしてくれるわね。私が恨まれるようなことはしていないと思うけど……)
自分の与り知らないところで何者かの悪意が蠢いているようで、パトリシアは先行きに不安を覚えた。
「はい、承知しました」
「オベロン侯爵家なら悪い家柄ではない。まずは婚約者が決まって何よりだ」
「はい」
得意気な父親とは対照的に、ただただ決まったことを受け入れるだけのパトリシア。
自分の意思が反映されない婚約は貴族家に生まれた者の常。
弁えている、あるいは諦めていればこその返事だった。
相手が選べない以上、せめて良い人であればいいと願うことしかできない。
実際に良い人なのかは会ってみなければわからない。
このようなことがまかり通るのも貴族社会の風習によるものだ。
個人の意思よりも貴族家としての利益を重視するが故のことだった。
パトリシアはフランシス伯爵の令嬢であり、オベロン侯爵家との婚姻はより爵位の高い貴族家との縁を結ぶ良いものだとされるものだ。
より良い貴族家との婚約を望むのは貴族として当然のこと。
フランシス伯爵が得意気になってしまうのも当然のことだった。
パトリシアとアンセルの初顔合わせの日。
相手に失礼のないように着飾り笑顔でアンセルを出迎えたパトリシアだったが、相手のアンセルは不機嫌さを隠そうともしなかった。
「仕方なく婚約することになったんだ。だからパトリシアも無理をしなくていい。お互い気楽な関係のほうがいいだろう?」
「そういう考え方もあると思います」
「ならば楽な関係にしよう。だが浮気はするなよ? 後で面倒なことになるからな」
「……はい」
アンセルが望んでの婚約ではないことは明らかであり、気楽な関係を望むというのもまだ理解できた。
だが浮気をするなと言われたことは浮気するような人だと思われているからであり、侮辱されたとパトリシアは受け止めてしまった。
(浮気するような人だと思われたなら心外だわ。そんな恥知らずな行為、するはずないじゃない)
こうして始まった二人の時間はパトリシアにとって苦痛となり、予定よりも早めに解散になったことを顔に出さずに喜んだ。
最低限の体裁を保てる時間は過ぎたとアンセルが言いだしたことで解散となったため、それだけはアンセルのことを評価した。
(アンセル様と上手くやっていけるのかしら? もう挫けそう……)
顔に出さないのも貴族の令嬢としての当然の振る舞いだが、心の中では不安というよりも既に挫折しそうだった。
パトリシアだってアンセルは望んだ相手ではなく、それなのにこのような態度を取られれば何も思わないはずがない。
このような婚約関係を嫌だと思おうが自分の意思でどうにかなる問題ではないことは重々承知だ。
こうして不安ばかりの婚約関係は始まったのだ。
その三日後、事態は急展開を迎える。
「婚約そのものを白紙撤回したいとオベロン侯爵家から連絡があった。これはパトリシアに非があってのことではないから安心しろ。どうももっと良い相手からの縁談があったようだ」
「そうですか、承知しました」
「良い相手がいればこうなることも仕方ない。そういった慣習なのだからな。これに挫けず次の相手を探すことにする。パトリシア、新たな婚約者が決まるまで待っていてくれ」
「わかりました」
白紙撤回であれば婚約破棄よりもダメージは少ない。
そもそも婚約自体なかったことになるので経歴に傷が付くこともない。
何よりもアンセルと婚約関係がなくなったことを喜んだパトリシアだった。
もちろん父親の前であっても表情に出すことはなかった。
(今度はもっと良い相手と婚約したいけど、運よね)
所詮貴族の令息であればアンセルとそれほど違いはないのかもしれない。
希望を抱いてしまうが期待はできないと自分に言い聞かせるパトリシアだった。
新たな婚約者探しは難航していた。
「どうもアンセル殿の新たな婚約者の意向でパトリシアの婚約者探しが妨害されているように思える。これははっきりした証拠はないが、状況からそう判断できる」
「……そうですか」
「こうなると王都や近郊での婚約者探しは難しくなるかもしれん。だが考えようによっては領地持ちの貴族家との縁ができるかもしれん。何も悪いことばかりではないということだな」
「そうですね」
いつものごとく自分の意思が反映されないのだから何を言っても無駄だと考えたパトリシアは父親の話しに合わせた。
フランシス伯爵家は領地を持たない貴族で王宮で働く文官の家系でもある。
必然的に同じような領地を持たない貴族家との婚約が妥当ではあるが、妨害されているのであれば他の選択をしなくてはならない。
(アンセル様なのか新しい婚約者なのか知らないけど、面倒なことをしてくれるわね。私が恨まれるようなことはしていないと思うけど……)
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