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第二章 籠城する村への道

地下水脈

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 「グレイ、今オオナメクジって言ったの? ……冗談だって言って欲しいわ」

 エレノアは狼狽した様子でグレイに伝えた。
 まさかグレイの口から、ピンポイントで苦手な生物の名前が出てくるとは想定外の事で、しかもグレイが対峙したのは全長三メートルを超える巨大ナメクジらしい。

「エレノアさん、心配は無用だ。そこまで恐ろしい敵ではないよ。巨体である故に動きはとても遅い。ただ、万が一のしかかられたら大変な事になるから絶対に近づかないように」

 凛とした表情を見せるグレイの台詞は冗談を明確に否定するもので、それを聞いたエレノアは対照的に血の気が引いたように青褪めていた。まだ曖昧にしておいてくれた方が精神的には楽だったかもしれない。
 そして具体的な対策まで伝えたと言う事は、グレイが以前遭遇した怪物である事は疑いようがなかった。

「……塩でも持って来ればよかったかしら」

 助言をしてくれたグレイの親切心を無碍むげにするわけにもいかず、エレノアは冗談とも取れる呟きをした。

「全長三メートルの大蛞蝓オオナメクジを消化するつもりなら、塩が一〇〇キログラムは必要だと思う」

 一方のグレイは冗談とは受け取らず、理知に基づいた冷静な分析をもってエレノアを諭した。エレノアは反論する気力もなく黙り込む。
  その様子を見て、グレイはようやくエレノアが苦手だと気付いたようだ。

「……どうやら苦手だったようだね。気が利かずに申し訳ない。まさか、小鬼王ゴブリンキングを強襲暗殺するとのたまう豪胆なエレノアさんが、蛞蝓ナメクジが怖いとは思わず」
「こ、怖くないわよ。嫌いなだけ。……まあ、今からでも小鬼王ゴブリンキングの強襲を選んだ方が気は楽かなとは思わなくもないけど」

 やはり怖いのでは、とでも言いたげな、きょとんとした表情を一瞬見せたが、これ以上揶揄からかったりせず、グレイは優しげな笑顔をエレノアに向けた。

「大丈夫。僕が付いてるよ。エレノアさんは明かり役に徹してほしい。代わりに怪我をしたら、後で治癒ヒールをかけて貰えると嬉しいな」
「悪いわね。……まあ、回復は大得意だから任せて。いくら怪我しても治してあげるから、心配しなくていいわよ」

 グレイは自信に満ちていた。落ち着いた様子からして戦闘経験も豊富なのだろう。基本的には彼に任せれば大丈夫そうである。
 それに、いざという時はなんとかなるだろうという思いがあった。切り札の熾天翼セラフウィングの光刃で跡形も無く吹き飛ばしてしまえばいい。そう思った処でエレノアはようやく気づいた。

(……こんな通路で熾天翼セラフウィングの光刃なんて使えるわけないじゃない。なんで気付かないの私)

 この石造りの通路で熾天翼セラフウィングに頼る事が難しい事に今更ながら気付いた。今は亡き土の賢者ロックが築き上げた、ノーラス村の遺産を傷付けかねないという事もあるが、なにより爆撃で通路が崩れでもしたら、生き埋めになり一巻の終わりである。
 心の支えとも言える切り札に頼れない事に気付いてしまった後は、急に不安な心持ちになり、エレノアは歩き始めたグレイの服の裾をそっと掴んだ。

     ◇

 エレノアが光魔法で灯した光源を頼りに、しばしの間ひんやりした石壁の通路を歩くと、やがてせせらぎの音が聞こえた。
 感じたのは通路が想像以上に寒いという事である。エレノアは葡萄酒ワインの保管場所として適切かもしれないなどと、全く関係ない事を思い浮かべ、気を紛らわせていた。

「それにしても寒いわね。……夏場は良さそうだけど」
「石壁が熱を遮断しているというのもあるけど、何よりここは日が当たらないから。エレノアさんの言う通り、涼むには打って付けかもしれないね」

 前を歩いていたグレイが立ち止まると、身に着けていた外套マントを外し、エレノアに羽織らせた。どうやら発言を汲み取って気を使ってくれたらしい。

「私にそんな気遣いは要らないわよ。何処かのお嬢様じゃあるまいし。そんな良い身分ではないの」
「……高貴な者しか丁重に扱われる資格がないっていうのは、僕の価値観とは少し違うかな。……とはいえ、余計なお世話だったら申し訳ない」

 グレイはそう言い終えると再び先頭を歩き始めた。彼が羽織っていた外套マントからは程良い暖かみを感じる。やはり上質なもので間違いない。
 エレノアは借りた外套マントのフードを下ろし、再びグレイの服の裾を掴んだ。

     ◇

「エレノアさん、ここの石壁が割れて地下水脈に繋がってしまっている。以前はここに例の怪物・・・・が居たけど、今回は大丈夫だったみたいだね。……それと苔が生えてる。滑りやすいから気をつけて。掴んだままで構わないよ」
「……ええ」

 エレノアはうつむき加減でグレイの服の裾を掴みながら、警戒心を最大限に強めつつも光源操作をし、ゆっくりと歩いていった。

(情けない……偽聖女で間違いないわ。アリア様だったら、こんな事で臆するはずがないし。……カレンだったらどうかしら)

 エレノアは自らに、これほど弱い感情が残っていた事にショックを受けていた。
 エリン大聖堂の策謀劇、中傷文のばらまき、知人との決別、聖都エリングラード追放、そしてノートン商会の暗殺を退けての四日半の旅。積もり積もった疲労が、精神をすっかり弱らせてしまったのかもしれない。
 そして目の前のグレイという銀髪碧眼の青年が頼りに映った。理知的で、柔らかな物腰の見栄えする美青年というのも要素としてあるかもしれないが、何処となく余裕を感じるのである。硬すぎず、ふざけ過ぎず、程良いという印象を受けた。

 ただ、知り合って間もない素性不明のものである。ギブアンドテイクの関係で頼りにするまではいいが、心を許してしまいそうになっているのは、危険な兆候かもしれない。
 お互いに素性は詮索しないという事にしているのである。何となく剣王国の騎士という当たりは付けているが、そう見せかけて、彼が実は悪人でしたという可能性もなくはない。
 騙そうとする者は得てして狡猾なのだ。一部の者を除き、外面と外見だけは良いリチャード王子という例を見てきたエレノアはその念を強めた。

「エレノアさん!」
「えっ」

 静寂はグレイの咄嗟の叫びで打ち砕かれた。
 グレイは同時に、エレノアの身体に飛び掛かり、咄嗟に壁際まで押さえつけた。
 刹那、水脈に続く石壁の割れ目から、全長四メートル近くある蛇と魚が混ざったかのような怪物が飛び出し、エレノアが居た場所に飛び掛かった。
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