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2章 |空蝉《うつせみ》に|泡沫《うたかた》に

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-紫苑Side-

11月

付き合ってちょうど1年が経った今日、彼はわざわざ有給を使って仕事を休んでくれた。

何か特別なことをするわけではないけれど、彼曰く、昼は学生のようなデート、夜は大人風デートというプランみたい。

折角の1周年記念なので、東狐姐さんに相談して髪型を変えてみようと試みたけれど、全然うまくいかない。

何でこういうときに限って納得のいかない感じになるんだろう。

そうこうしているうちに時間が迫ってきた。

やばい。

待ち合わせに遅れちゃう。

急いで靴を履いて家を出る。

約束の時間には15分遅れてしまった。

結局髪型もそのままだし、出鼻を挫かれた感じがした。

しかも彼のLINEは割と素っ気ないから感情が読み取りにくいときが多々ある。

きっと怒っているだろうな。

駅に着くと彼が腕を組んで待っていた。

「遅くなってごめん」

「大丈夫。ご飯食べた?」

「ううん。何も食べとらん」

「お腹空いたから何か食べよう」

彼の横を歩きながらカフェに向かう。

まるでパリにいるかのような外観に感嘆しつつテラス席に座ってコーヒーを飲む。

隣に座る外国人の人たちが足を組みながら英語か何かで楽しそうに話し、その向かいにはベビーカーの中で気持ちよさそうに眠る赤ちゃんの姿に癒される。

そんな平和な景色の中での彼との時間はあっという間に過ぎていった。

1年経ったいまでも彼は変わらない熱量でいてくれる。

付き合う前からそうなのだけれど、同じ話を何回してもはじめて聞いたかのようなリアクションを取ってくれる。

そんな変わらない優しさが好き。

夕方、バッティングセンターにやってきた。

上着を脱いだ彼はストレッチをして気合いを入れている。

時計を外し、腕まくりをして打席に立つ。

二の腕から垣間見えるタトゥーは妙に色っぽく、バットを振った手には血管が浮き出ていてそっちに目がいってしまう。

マシーンから120km近くの球がビュンビュンと飛んでくるが、それを当たり前のように打ち返す彼。

元野球部ということもあり表情は真剣そのものだ。

普段なかなか見ることのできない貴重な姿を撮っておくことにした。

「あっちぃー、ちょっと休憩」

打席から出てきた彼がシャツの首元をぱたぱたとさせながら空気を送り込んでいる。

私はマネージャーのようにタオルとスポーツドリンクを渡し、彼はサンキューと言って汗を拭いてドリンクをがぶ飲みする。

ベンチに座ろうとすると、あることに気がついた。

「あれ?ない」

さっきまであったものがなくなっている。

ー数時間前、私たちはゲームセンターにいた。

ゲーセンなんていつぶりだろう?

最後に行ったときの記憶がないくらい久しぶり。

ここに来たのには理由がある。

別にゲームをしたいわけではなく、トイレを我慢できなくなった彼に付き合っただけ。

相当美味しかったのか、ランチのときにコーヒーを2杯もおかわりして、お店を出た直後にお腹を下したのだ。

杖をついて歩くおじいちゃんのように猫背のままずっとトイレを探し歩く彼の姿にちょっとだけ引いた。

すぐカフェに戻れば解決する話だったのに、それは恥ずかしいって言って聞かなかった。

私からしたら街中を猫背で歩く姿の方がよっぽど恥ずかしいんですが。

コンビニがいくつかあったけれどどこも貸し出していなかった。

途中、公園にある公衆トイレを見つけた。

「公衆トイレは汚いから使いたくない」

そう言って素通りしていく。

背に腹は変えられないはずなのに、変なところで頑固な彼。

よくわからないところでよくわからないプライドが出るきらいがある。

近くにあったゲームセンターを見つけると、お腹を抑えながらエスカレーターを牛歩のようにゆっくりと登っていく。

トイレに駆け込んだ数分後、背筋を伸ばしながら「内臓全部なくなったかと思った」という理解不能なことを言って戻ってきた彼。

「体調は良くなったと?」

「おかげさまで。ありがとう。そうだ、せっかくだしなんかやる?」

店内を見渡すと人気アニメのキャラクターグッズやお菓子がたくさん置いてある。

大好きなアイスよりも先に目に留まったのは丸みを帯びたクマのぬいぐるみ。

片手で持てるほどの小さなぬいぐるみだが、目が合った瞬間何か惹かれるものがあった。

すると彼は、「こういうのはコツがいるんだよ」と言いながらおもむろに財布からお金を取り出してクレーンゲームをはじめた。

音が鳴った後にクレーンが動き出す。

1回目、2回目とつかむことができない。

3回目、コツをつかんだのかアームがその子の胴体をつかむとゆっくりと持ち上がった。

そのまま行けって思ったそのとき、景品落下口の近くでその子はクレーンから離れ、他の子と合流してしまった。

「もう1回だけやっていい?」

彼が顔の前で人差し指を立ててお願いしてくる。

その姿に私は首を縦に振る。

動き出したクレーンのアームが開くと、今度はその子の脇をガッチリとつかみ持ち上がった。

そのまま景品落下口に落ちる。

「よし!」

全力でガッツポーズをする彼は誰よりもはしゃいでいたように見えた。

「すごい!」

「はい、これ欲しかったんでしょ?」

「いいと?」

「もちろん」

せっかく取ってきてくれた大事なもの。それを失くすなんて……大失態。

彼のバッティング姿に夢中でどこに置いたのか完全に忘れた。

「ここに来た時はあったよね?」

たしかに持っていた。

「思い返してみよう。ここに来た時はたしかにあった。俺も紫苑が腕に抱えてたのを見た」

彼がバッティングをする際、脱いだ上着を預かったときにはもう持っていなかったことを説明した。

「ってことはこの辺かな」

汗をかいているのにスマホのライトを点けながら四つん這いになってベンチの下や自動販売機の下を覗き込んでいる。

必死になって探してくれている彼の姿になんだか申し訳ない気持ちになっていった。

「もうよかよ」

「いや、盗まれてない限りあるはずだから」

「でも……」

「絶対見つかるから」

思い当たるところを一緒に探したが見つからない。

こういうときってなんで見つからないんだろう?

諦めかけていたそのとき、

「あの~、これお姉さんのですか?」

若い男の子が手にしていたのは例のクマのぬいぐるみだった。

「どこにあったんですか?」

「あのゲーム機の奥に落ちてましたよ」

彼の上着を預かるときに落としたことに気がつかず、それが何かの拍子で後ろにあったゲーム機の方まで転がっていったようだ。

たまたま近くにいた青年がぬいぐるみを見つけ、必死に探している私たちの姿を見て声をかけてくれた。

「良かった~。ありがとうございます」

深くお辞儀をしたらと同時に心が凪いだ。

「見つかって良かったね」

「うん。探してくれてありがと」

そのぬいぐるみを失くさないようバッグに入れてバッティングセンターを後にした。

空が少し暗くなってきたころ、少し大人なお店に行くため移動する。

六本木駅に着いてナビアプリを開く彼と一緒に方角を確認しながら予約していた高級焼肉店に向かう。

『瀬里奈』お呼ばれるそれは年間で4000頭ほどしか出荷されない高級神戸牛を使用している日本料理店で、1年に1度行ければ十分なくらいのお店。

入口には大きな黒人のガードマンが立っている。

スーツ越しにもわかる筋肉質な肉体にちょっと萎縮いしゅくしながらも高級ホテルのような店内と、口の中で一瞬で溶ける柔らかなお肉に舌鼓したづつみした後、お酒の力も相まってそのまま朝まで抱き合った。

いろいろあったけれど1周年記念のデートは楽しかった……はずなのに、何だろうこの気持ち。

私の中で何か違和感を感じた気がした。
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