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1章 |僥倖《ぎょうこう》と|邂逅《かいこう》

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-紫苑Side-

私にはお姉ちゃんがいる。

2歳上の桜咲さきはショートカットの似合う猫のような可愛い顔立ちに反してクールでしっかり者。

オシャレで頭が良くて流行りに敏感で、私とは真逆の女子力の高い人。

姉妹なのに顔も性格も全然似ていない。

天は二物どころか、三物も四物も与えちゃった。

同じ家族なのに私にはないものをたくさん持っている憧憬しょうけいの存在。

だから喧嘩もしなかったしいまでもずっと仲が良い。

お姉ちゃんは彼氏が絶えたことがない。毎年違う彼氏を紹介された記憶がある。

地元でも度々タレント事務所からスカウトが来ていたことがあるらしい。でも芸能界に全く興味がなかったからあっさり断ったみたい。

身内が芸能人だったらなんてちょっとだけ考えたこともあったけれど、お姉ちゃんには小さい頃からの夢があった。

漫画が大好きなお姉ちゃんは地元の私立大学を卒業した後、念願だった大手出版社に就職した。

そんなお姉ちゃんから買い物を頼まれた。

急遽休日出勤することになってしまい、いつもの化粧水を買ってきてほしいとお願いされた。

部屋の掃除に夢中になってしまい、思ったより時間がかかってしまった。

カップスープを飲んだ後、昨日考えていたコーデを着る。

オフショルのシャツにワインレッドのロングプリーツスカート。

夕方以降ちょっと肌寒くなる予定だったので、デニムジャケットも羽織っていくことにした。

髪は掃除のときにしていたハーフアップのまま。

淡い期待と黒いハンドバッグを持って玄関で白いスニーカーを履いて出かける。

頼まれていた化粧水を買う前に昨日の店に寄り道をすることにした。

そこに行く理由は2つある。

1つはこの前買ったアイスの当たりが出たのだ。

そして理由はもう1つ。

十条駅から学校を抜け、お店の近くまで行くと、子供たちがカプセルトイやゲームをしながら遊んでいるのが見える。

大人の人影はない。

昨日のスーツの人に会えるかな?

少しだけ期待を抱いていた。

さすがにそんな偶然は起きるわけないか。
と思いながら店内に入ると、
(あっ!)
思わず心の中の声が飛び出しそうになった。

彼と目が合ったのだ。

ドキドキする気持ちを抑えつつ、店主のお婆さんに当たりの棒を渡して交換してもらう。

「あら、当たったのね。おめでとう」

あれ?昨日はあんなに無愛想だったのに今日はすっごい笑顔だ。

「ありがとうございます」

昨日の席に座ろうとすると彼が先に座っていた。

彼の方を見た途端、喜びの感情が怒りの感情はと姿を変えた。

なんと、タバコを吸っていたのだ。

ありえない。

駄菓子屋でタバコなんてありえない。

上気じょうきした私は思わず感情的になった。

「ちょっと、こんなところでタバコ吸っちゃダメですよ!何考えてるんですか!」

周囲にいた子供たちの動きが止まり、みんな驚きの表情を浮かべていた。

……もう、どうしよう。

彼が吸っていたのはタバコではなかった。

タバコに似た白く細長い棒状のお菓子を指で挟みながら舐めていた姿がそれを吸っているように見えたのだ。

耳が熱い。
穴があったら入りたい。

落ち着けって自分に言い聞かせようとする度に鼓動が叫んでくる。

私が欲しい鼓動はこっちじゃない。

変な女だと思われてるに違いない。

せっかく話だったのに、終わった……

「よかったらひとつどうですか?」

彼がココアシガレットを差し出してきた。

あんな失礼な発言をしたのに怒ってないの?

それとも何かのいたずら?

なんて答えたら良いのだろう?

「じゃあ一緒に吸いませんか?」

今度は笑顔でそう言う。

恥ずかしさを和らげるために言い方を変えてくれたのかな?

本心はわからないけれど、ニコッと笑うその顔に引き寄せられるように彼の横に座った。

彼はタバコを吸わないらしい。

こういうことを言うと失礼かもしれないけれど、完全に吸っていそうな顔をしていたから良いギャップだった。

彼の横は居心地が良かった。

パーソナルスペースなんて存在しないかのように。

連絡先を交換して彼の名を知った。

雪落 慶永ゆきおち よしひささん。

彼女とは最近別れていまはいないらしい。

キリッとした目に広い肩幅。

この日は青のカジュアルスーツにオフホワイトのインナーを着て、バッグ、ベルト、革靴をブラウンで統一している。

彼は会話が途切れそうになると、話を敷衍ふえんしてくれて、1つずつ聞き入ってくれる頭が良くて優しい人なんだと思う。

出会ったばかりだけれどすごく居心地が良い。

こんなに痩躯なのはただの胃下垂だからで、食べたらすぐに消化されるみたい。

私にもすこしはその消化力を分けてほしい。

彼曰く、胃下垂は猫舌と一緒で、症状の一種だから意識しながら食事すれば治るらしいけれど、太りたくないから胃下垂のままでいいみたい。

私もぽっちゃりよりは細い人の方が好きだから良い。

彼は連休になるとよく旅行に行くみたい。

スマホを取り出し、彼が私のすぐそばまで来て写真を見せてきた。

ちょっと、顔、近いよ。

彼の左腕が私の右腕に触れ、緊張と胸の高鳴りで右側の感覚をなくさせる。

男の人の匂いが私の全身を誘惑してくる。

やばい、どうしよう。

出会って間もないのにもう意識している自分がいた。

耳が赤くなっているのを髪の毛で隠し、ドキドキを抑えながら画面を覗くと、数人の男友達と一緒に変顔をしている。

クールな印象があったけれど、こんなお茶目な一面もあるのかと思うとちょっと得した気分。

でも私服姿はちょっと厳ついというかラフ。

ストリート系のファッションは動きやすさを重視しているかららしい。

気がつくと彼の写真と会話に夢中になっていた。

徐々に冷たくなっていく手の温度にも気がつかずに……

「紫苑さん、アイス!」

その声で下を見ると、ロングスカートにドロドロに溶けたアイスが落ちていた。

せっかくの機会に超恥ずかしい。

穴があったら入りたいって短時間で2度も思うなんて。

でも彼は引くことなくサネカズラのハンカチを渡してくれた。

僥倖だ。

これを返す口実でまた会うことができるから。

店内から出てきたお婆さんが閉店に向けてシャッターを下ろす準備をしている。

気がつくと客は私たちだけになっていた。

ハンカチを返す約束を交わして別れた。

家の最寄り駅に着いてあることに気づく。

お姉ちゃんに頼まれていた化粧水買うの忘れた。

また今度でいっか。
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