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一人暮らしとエビフライ

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 春、それは終わりと始まりの季節。楽しかった高校生活が終わり、そして、新しい大学生活がこれから始まろうとしている。今までの楽しかった日々が終わってしまい寂しさが残るけど、これから始まる新しい生活は期待に胸が躍る。大学という新天地は冬の肌寒さがほんのちょっと残っているけど、暖かな日差しと優しい風に揺れる桜の花がとても綺麗だった。全て目に映るものが新しく感じられ、少しだけ旅行気分になりながら、私はこれからのことを思い浮かべて笑った。

 3月下旬。卒業式も終えてあと少しで大学生活がはじまろうとしている。私が受かった大学は実家からそこそこの距離があって、私こと綾瀬あやせ 陽菜ひなは一人暮らしをすることになった。今日は引っ越し業者によってどんどんと運ばれてくる私の荷物を開けて、これから大学生活を送っていくこの部屋を彩っていく。埃をかぶっていたコンポ、適当にほったらかしていたCD、何度も読み込んだなろう系の漫画……あれ、遊び道具しかないような気がする。それに埃をかぶっていたものとほったらかしにしていたものはいらないんじゃ、と余計なことを思ったりもしたが、荷ほどきは順調に進んでいった。まあ、心配で一緒に来てくれた私のお父さんとお母さんが手伝ってくれたことが大きな要因だと思う。心配してきてくれたのはうれしいけど、これから一人暮らしする身として最後まで手伝ってもらうのはなんというか、ちょっとした照れくささがあった。

 お父さんに言われながら隣人に挨拶も済ませ、一通りのことが終わったのは陽が傾いて空を真っ赤に染めたぐらいの時間だった。
 いろいろと作業を手伝ってもらったお礼というわけではないけど、こっそり準備しておいたお菓子とお茶をテーブルに並べて少し話した。別に今生の別れというわけではないが、これから一人になってしまうと思ったら少しだけ寂しかった。

 時計を見たお母さんがお父さんに声をかけて席を立つ。

「そろそろ私達も帰るわね。お父さんも準備して」

「え、今日は泊って明日にすればいいのに」

「ごめんね陽菜。でも今日中に帰らなければいけないのよ。だって明日は私の大好きなアイドルグループのコンサートが地元で行われるのよ。見に行くしかないってこの気持ち、陽菜ならわかるわよね」

「おい……」

 思わず声を低くして言ってしまった。娘よりアイドルグループのコンサートか。ちょっとだけ悲しいや。
 でも私のお母さんはちょっと変なところがあるので、これもいつものことだろうなと思って流すことにした。というか明日コンサート行く予定が前からあったのに無理して私の為に来てくれたことに感謝したい。
 帰りの準備が終わって玄関に向かうお父さんとお母さんを呼び止めた。

「今日はありがとう。私、頑張るから」

「大丈夫よ。なんたって私達の子供だもの。ただし、これだけは言わせて頂戴」

 さっきまで笑顔だったお母さんの表情が急に真面目な感じになる。いきなり変わったので私は驚いて黙ってしまった。
 お母さんは私の肩を掴んで、大きく息を吐いた後に私をもう一度見た。

「よく聞きなさい。一人ぐらいで寂しいって思うことがあると思うの。でもね、だからと言って軽々しく異性を家の中にいれちゃだめよ」

 何を言っているんだこいつ、と思わず思ってしまった。いや待って、本当に何を言っているの。

「急に一人で暮らすことになるから寂しくなるのは仕方ないと思うけど、それを紛らわすために誰これ構わず家にいれちゃうとあなたの人生めちゃくちゃになっちゃうんだからね。お母さんね、知ってるのよ。大学に上がって一人暮らしを始めた女の子が寂しさを紛らわすために異性に近づいて気を許し、気が付いたら関係を持つようになって大変な目にあったんですって。なんでも動画にさらされて人生めちゃくちゃになったとか。大学生活色々あると思うけど、そう言った一線を越えちゃだめよ」

「いや、ちょっと待って。お母さん何言ってるの。どこ情報よそれ」

「漫画よ」

「お母さん…………」

 漫画と現実を一緒にしないでほしい。確かにそう言った事例が全くないとは言い切れないけど、だからと言って漫画で読んだ内容を事例に出さないでほしい。急に不安になってきた。後、お母さんが普段どんな漫画読んでいるのかが気になる。もしかして、あまり見せられないような漫画を読んでいるんじゃなかろうか。

 お母さんの言葉のせいでいろいろな憶測が頭の中を駆け巡った。混乱して、なんて言えばいいのか分からなくなった私に、お父さんはそっと鞄から取り出したものを私に渡した。

「変な奴が襲ってきたら、これを使え」

「…………メリケンサック」

 どうしてお父さんはこんなものを私に渡すのだろうか。それに、このメリケンサック、ちょっととげとげしい感じになっていて凶器感が半端ない。いや、メリケンサックは武器だから当たり前か……。

「自分の身は、自分で守れ」

「お、おす」

 お父さんって無口だけどたまによく分からないことを言うからな。優しいけど変な人。メリケンサックはありがたく頂戴したけど、ふと使った側もかなり痛いことを思い出した。でも私の為に用意してくれたので素直に感謝しようと思った。

 私はお父さんとお母さんに「ありがとう」と言ってその扉が閉まるまで手を振った。多分私の笑顔は引きつっていたと思う。いやだって、メリケンサックもらったらそうなってしまうのも仕方がないよね、と自分に言い訳した。

 お父さんとお母さんがいなくなると部屋の中が妙に静かになったような気がした。一人になると寂しくなるというお母さんの言葉は本当だった。けどなんというか、この寂しさを紛らわせるためになんて気持ちは沸いてこない。私が普通の人とずれているのか、それとも漫画の登場人物がすごい寂しがり屋なのか。多分後者だと思う。

 部屋も片付いて特にすることもなかったので、ベットに倒れてスマフォを取り出した。YouTubeを開いて適当に動画を流す。流す動画はもちろん、料理系の動画だ。
 今まではお母さんにご飯を作ってもらっていたけど、一人暮らしを始めた今、夕飯は私が作らなければならない。
 でも最近は便利なモノで、動画を探せば簡単に作れる美味しい料理の作り方が紹介されていた。しかもレシピで見るよりわかりやすい。
 私個人の意見とするなら、動画&レシピの方が分かりやすいのだが、そこまでYouTubeに求めてしまうのは流石に違うということを理解している。気になった料理の動画を何度も止めては巻き戻して、細かい作り方を見ていく。
 動画を見始めてから1時間ぐらいが経ったころだろうか。私のお腹がくぅ~と小さくなった。ベットから起き上がって何かつまめるものをと思ったのだが、今日引っ越してきたばかりで何もない。おなかすいた。

 ちらりとスマフォで流れている動画を見る。そこにはカラっと上がったエビフライがお皿に盛り付けられているところだった。
 シャキシャキのキャベツに立てかけられるように置かれたおいしそうなエビフライ。動画投稿者だろう人がエビフライを箸で持ち、口にもっていく。サクッという心地よい音を響かせた後に聞こえる「うまいっ」という声を聴いて私のお腹が再び鳴った。

「…………エビフライが食べたい」

 もう私の頭の中はエビフライでいっぱいだった。そういえば荷ほどきが終わった後でお父さんとお母さんと話していた時「ちゃんと栄養のあるものを食べなきゃだめよ。コンビニ弁当だけじゃなく、ちゃんと料理しなさい」とお母さんに言われたのを思い出した。
 外は陽が完全に落ちて真っ暗になっており、時計は、買い物に行って料理をするにはかなり遅い時間を指していた。

「きょ、今日ぐらい平気だよね」

 部屋には誰もいないのに一人で言い訳をしながら外に出る準備をする。鞄の中に財布を入れて、それから新しい家の鍵も忘れない。
 電気と窓の確認をした後に新しい家を出て鍵を閉める。

 陽気な温かさがなくなった夜は、まだちょっと肌寒い。私は割といい子ちゃんだったので、この時間に一人で外に出る行為はなんだかいけないことをしているような気がした。
 いやでも、これから一人で暮らしていくのだからこう言ったことにも慣れないといけない、なんて自分に言い訳しながらも私は家の近くを探索することにした。

 目的は、なんといってもエビフライ。どうして急に脂っこい食べ物を食べたくなるんだろう。動画のせいというのもあるかもしれないが、こう、味の濃くて脂っぽくて、めっちゃうまいものを体が求めて仕方がない時って絶対にあると思う。というか今がまさにその状態だ。

 この辺の地理は全く知らない。知っているのは駅から新しい家に向かうまでの道のりだけ。つまり、私はその道のりに見かけた店以外に何にも知らないのだ。変に遅くなるのも悪いことしている気になるので、家の近くで見かけたスーパーでエビフライを買うことも考えた。

 そんなときに限って脳裏に映るのはあのYouTebeで流れていたエビフライの光景だ。せっかくだから出来立ての温かいものが食べたい。けど作るのは時間がかかるし、何より油を使うのがめんどくさいということもあった。

 とりあえず、駅に行ってみよう。さっきはちゃんと見れていなかったけど、探せば何かしらの飲食店ぐらいはあるだろう。そう思って少し歩いた。

 お父さんとお母さんと一緒に駅から家までのルートを歩いていた時には気が付かなかったけど、この辺には意外と食べる場所があるみたいだ。だけど大型チェーン店とかファミレスみたいな場所ではなく、個人営業のラーメン屋さんとか、個人営業の居酒屋とか、とにかく個人店だろうと思われる場所しかなかった。中には揚げ物やもあったのだが、個人店は高いイメージがあったので行くに行けなかった。仕送りなどがもらえると言っても使える額は限られていて、今の私はまだバイトすらしていない。無駄遣いは避けたいところであった。出来ればチェーン店がいい。あっちの方が絶対に安い。もしかしたら思い込みかもしれないけど、それでもできるだけ安く食べたいという気持ちがあった。
 それなら食うなって話になるのだが、それとこれとは話が違う。今の私のお腹は、エビフライの気分なのだから。

 必死になって駅までのルートで揚げ物が食べれそうなチェーン店を探してみたが、見つからなかった。というか、チェーン店が1件、ラーメン屋さんしかなかった。確かに私がこれから通う学園は工学部であり、男子が多い。だからそういった男子に好まれそうな居酒屋とかラーメン屋は意外と多いが、なぜかチェーン店が全くない。大学生って意外とチェーン店を使わないのかな?

 こういう時は、スマフォを取り出して、Google mapで調べるのが一番早い。
 とりあえず、エビフライがありそうなかつやを検索する。出ないかもしれないと思ったが、以外にもヒットした。反対側の出口からちょっと行った場所にあるとGoogle mapが示しているので、その案内通りに進んでいく。

 反対側の出口を出てから案内される道の通りに進んでいくのだが、街灯がなく、かなり暗くて不安になる道を進む羽目になった。もうちょっとまともな道を選んでくれないかなと思いつつ進んでいくと、よく見るかつやの看板が見えてきた。あそこにエビフライがあるのだと思うとワクワクが止まらない。

 店の扉の前に行くと、出入り口のそばに券売機が置いてあった。私は券売機を操作してエビフライ定食の券を購入する。
 そこから店に入り、空いている席に座った。揚げ物だから少し時間がかかるだろうと思っていた。けど思ったよりも早く券に書かれた番号が呼ばれたので、私は出来上がったエビフライ定食を取りにカウンターまで行って席に戻った。

 山盛りのキャベツに立てかけられたエビフライ。ホカホカのご飯にいい匂いのする味噌汁。まさにエビフライ定食。私は割り箸を割った後、手のひらを合わせた。

「いただきます」

 最初はキャベツから行きたいところだけど、箸は迷わずエビフライに向かった。きっとあの動画のせいだろう。
 さらに乗っかっているタルタルソースにちょんとつけて、大きなエビフライを頬張った。サクッという心地よい音と、ぐわッと広がるエビのうま味、タルタルのちょっとした酸味がいいアクセントになっている。
 控えめに言ってうまい。チェーン店も馬鹿には出来ないと思う。ちょっとはしたないけど、エビフライの味の余韻が残る口の中に白いご飯を駆け込んだ。これが上手いんだな本当に。ああ、これよこれ。私が求めていたものは、ここにあった!

 無言になって食べ勧める。うまい。食べたいと思ったものが食べれるのはとても幸せなことだ。ただ気を付けなければならないことがある。それは、食べ過ぎると太ってしまうこと。でもまあ、今日ぐらい別にいいよねと自分に言い訳しながら、米粒一つも残さずきれいに完食した。

 食べ終わった私はまっすぐ家に向かった。あのGoogle mapに表示された薄暗い道は避け、大通りの明るい道を選びながら真っすぐ帰った。体感時間的には、あの真っ暗な道を進むより大通りを進んだ方が早く感じた。安心感が違うからだろうか。

 家に着いた私は、歯を磨いてお風呂に入り、ベットに横になる。
 今日から一人暮らしを始める。最初の食事は贅沢しちゃったけど、それは置いておくとして。そう、これから、私の大学生活がはじまるのだと思うと、遠足前に眠れなかった時のようなワクワクな気分が胸の中で踊った。
 これからの大学生活が楽しいものになりますように。そんなことを思いながら、私はまどろみの中へと沈んでいった。
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