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第17話 旅路の果て
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彼女が外套を脱ぎ捨て、剣を抜いた。細剣ではない、戦場で用いられる長剣だ。
チャールズが引き抜いた伝来の佩剣もまた、長剣である。
これで、戦いの様相は突きの応酬ではなく、激しい組打ちとなる事だろう。
彼女が遣うのは、正統派の神聖ローマ帝国風の剣術(ドイツ式剣術)から大きく外れた異端の剣だ。
スクリーヴズビー荘でともに鍛錬した頃には知らなかった。
その後、数々の教本を紐解き、方々の師を訪ね歩いて得た知識から出した結論がそれだ。
従って、どのような奇手搦め手を用いてくるのか、予想もできない。
チャールズは、右足を引いて剣を右肩に引き付け、剣先を相手の顔に向けていかなる技にも対応可能な『鍵』の構えをとった。
対するクリスティーナがとった構えは、チャールズには見慣れないものだった。
『冠』の構えの変形か?
剣を胸元に引き寄せ、剣先は相手の顔に向ける。特徴的なのは柄の持ち方で、手を巻き込むように手首を捻った握り方をしている。
チャールズは知らなかったが、それは『双角』の構え、と呼ばれる型であった。
チャールズは基本通り、まず狙う『隙』を探る。
が、彼女の構えからはそれが判断できなかった。
これは、防御重視の型なのか……?
帝国風の剣術では、人体の中心線(縦線)と腰の高さの横線を引いて四分割される領域のいずれかを攻撃目標である『隙』とする。
人はこの四領域全てを同時に防御することはできず、どれかが攻撃可能な防御されていない領域になるためだ。
だが、彼女はその体のほぼ中心の位置に剣を構えており、どの領域に対しても最短で防御の手が届きそうだ。
これは、決して望ましい状況ではない。
『隙』を見つけられず攻めあぐねている、ということは主導権を取り損ねていることに他ならない。
主導権を握ることに重きを置く、伝統的な流儀の考え方からは極めて忌避すべき状況である。
ふと、彼女の緑の瞳がチャールズの左下半身へ視線を向けた。
チャールズの構えだと、最も剣から遠い場所である。
来る!
ただし、チャールズが防御したのは左下半身ではない。
逆の右上半身への攻撃線上である。
彼女の視線は、罠だ。
身体が反応し、自らの剣で彼女の突きを受け止めた。いわゆる鍔迫り合いの状態になる。
日本の剣術では刃を打ち合わせることを忌避するが、西洋剣術では、特に長剣同士の戦いではより一層、バインドが当たり前であり、そこからの展開に重きを置き技の研鑽に努めている。
クリスティーナの目が微かに笑っていた。
(よく覚えていたね。えらいえらい)
そういって笑っているかの様だ。
視線を使った罠とその裏狙いは、彼女の父であり二人の師である老剣士の教えだ。
一方、防御はしたものの、チャールズは意表を突かれてもいた。
長剣同士の仕合でバインドになるのは、当然の展開ではあるけれども、彼は彼女がそれを避けてくるだろう、と読んでいたのだ。
なぜなら、バインドの状態からは相手を掴んでの投げ技など、膂力を用いて争う展開もあり得るからだ。
だが、意表を突かれるということは、つまり主導権は依然として彼女の側にある。
そして、彼が反応する以前に彼女が動き出した。
バインドしたまま、彼女が剣を捻る。
剣先が寝かされ、刃がチャールズの首筋を襲う。
させじとチャールズは噛み合う剣を押し上げ、剣先を逸らす。
長剣で『斬る』ことに使われるのは全体の三分の一程度の先端部分だけだ。この部分を相手の体に押し付け押し切りを狙うのは、バインドからの流れでよく見られる展開だ。
互いの剣を絡ませたまま激しく動き、角度を変え、押し上げたり剣を滑らせて相手を狙う様は日本での剣の仕合とは、まったく異なる様相である。
ここまで、彼女が見せた剣技は伝統的で正統派寄りのものだ。
それゆえに、意表を突かれ主導権を握られている。
このままではいけない。
チャールズが反撃を模索する中、突然クリスティーナがバインドを解き、バックステップを踏んで距離を取ろうとした。
ここは追撃して突きを放つのがセオリーだ。
すかさず突き出すための予備動作として剣を引いたチャールズだが、一方のクリスティーナは離れかけていた体を急停止し、今度は逆に距離を詰めてきた。
誘いこまれた!
彼女の剣が横薙ぎの軌道で襲い来る。
間に合わない、そう判断した彼は、踏み出そうとして重心が乗っていた左足に力を込めて後ろへ飛んだ。
鼻先を彼女の剣先が掠めてゆく。
斬撃をかわして距離をとったところで戦いは振出に戻った。
仕切り直しだ、もう惑わされはしない。
今度は先手を取る!
チャールズは『突き』の構えを取り、右足を踏み込んだ。
クリスティーナも同様に『突き』の構えを取っていたが、チャールズの攻勢を察して防御のため、自分の剣を攻撃線(相手の武器から自分の体の中心線へと伸ばした線)に移動させた。
が、予想された瞬間に剣を受け止める衝撃は来なかった。
彼女が事態を認識する前に、ほんのわずか遅れてチャールズの剣が防御の隙をついて伸びてくる。
マールバラ伯との決闘で苦戦させられたタイミングをずらすフェイントだ。
クリスティーナにできたことは、体をのけ反らせることだけだった。
いまや主導権はチャールズの側にある。
彼女の態勢が崩れたところへ畳みかけるように、チャールズが横からの斬撃を浴びせた。
これは剣で受け止めるのが精いっぱい。
彼女はそう想定し、その通りの行動をとった。
が、起こった結果は彼女の予想通りにはならなかった。
チャールズの剣の強い場所(柄に近い方)が、クリスティーナの剣の弱い場所(剣先に近い方)を打ったのだ。
彼女の剣は剣先が折れ飛んだ。
『斬る』機能を担う剣先部分を失った彼女の剣は、短くなった鈍器に過ぎない。
さらに返す刀で襲った斬撃を、彼女は残った刀身で受け止めたものの、力では勝負にならず押し飛ばされてしまった。
地に倒れて座り込む形となったクリスティーナは自分の負けを悟っていた。
勝負は決着した。
彼女に声を掛けて助け起こすつもりで歩み寄ろうとしたチャールズは、突然横合いから飛び出してきた影に身を固くした。
「だめ! チャールズ、戻りなさい!」
クリスティーナが叫ぶ。
戻る? どういうことだ?
チャールズは、混乱しつつ身構えたが、飛び出してきた影の正体を認識すると緊張を解いた。
それは、小さな男の子だった。年の頃は五、六歳くらいだろうか。
チャールズとクリスティーナの間に遮る様に立ち、両手を広げて彼女を守ろうと仁王立ちだ。
ただ、その体は小刻みに震え、目には涙を溜めながら子供なりの必死の形相でチャールズを睨んでくる。
チャールズはその子供の顔を知っていた。将来成長してからの顔立ちもよく想像できる。なにせ、自分が子供の時代からずっと、鏡の中でよく見てきた顔なのだから。
男の子の襟に留められている記章にも気が付いた。
地に突き立つ剣の意匠。ダイモークの証だ。
彼女が呼んだチャールズは、この子の名だろう。
様々な事がひと繋がりになって見えてきた。
彼女がスクリーヴズビーを離れなければならなくなったのが、あの年の復活祭の頃だった理由。
ケンブリッジで再会したとき、彼女が着ぶくれして見えた理由。
おそらく、身籠ったことを隠せなくなったのだろう。
チャールズは剣を鞘に納めた。
「ぼうや、母上とその襟の記章を大切にしなさい。……その記章は、君のものだ」
クリスティーナの緑の瞳が潤み、男の子はきょとんとした顔で見つめ返してくる。
まぁ、それは仕方ない。
あの子は、その意味を知る日が来るだろうか?
チャールズは、今度はクリスティーナに向けて言葉を掛ける。
「フェンチャーチ・ストリートに一族が商会を構えている。何か困った時にはそこを訪ねるように。助けが得られるように手配しておこう」
彼女が頷くのを見届けると、チャールズは最後に、最期の一言を呟く。
「ありがとう」
そして、霧の晴れたセントジェームスズパークを後にした。
もう振り返ることはない。
それは彼に許されたことではないから。
チャールズが引き抜いた伝来の佩剣もまた、長剣である。
これで、戦いの様相は突きの応酬ではなく、激しい組打ちとなる事だろう。
彼女が遣うのは、正統派の神聖ローマ帝国風の剣術(ドイツ式剣術)から大きく外れた異端の剣だ。
スクリーヴズビー荘でともに鍛錬した頃には知らなかった。
その後、数々の教本を紐解き、方々の師を訪ね歩いて得た知識から出した結論がそれだ。
従って、どのような奇手搦め手を用いてくるのか、予想もできない。
チャールズは、右足を引いて剣を右肩に引き付け、剣先を相手の顔に向けていかなる技にも対応可能な『鍵』の構えをとった。
対するクリスティーナがとった構えは、チャールズには見慣れないものだった。
『冠』の構えの変形か?
剣を胸元に引き寄せ、剣先は相手の顔に向ける。特徴的なのは柄の持ち方で、手を巻き込むように手首を捻った握り方をしている。
チャールズは知らなかったが、それは『双角』の構え、と呼ばれる型であった。
チャールズは基本通り、まず狙う『隙』を探る。
が、彼女の構えからはそれが判断できなかった。
これは、防御重視の型なのか……?
帝国風の剣術では、人体の中心線(縦線)と腰の高さの横線を引いて四分割される領域のいずれかを攻撃目標である『隙』とする。
人はこの四領域全てを同時に防御することはできず、どれかが攻撃可能な防御されていない領域になるためだ。
だが、彼女はその体のほぼ中心の位置に剣を構えており、どの領域に対しても最短で防御の手が届きそうだ。
これは、決して望ましい状況ではない。
『隙』を見つけられず攻めあぐねている、ということは主導権を取り損ねていることに他ならない。
主導権を握ることに重きを置く、伝統的な流儀の考え方からは極めて忌避すべき状況である。
ふと、彼女の緑の瞳がチャールズの左下半身へ視線を向けた。
チャールズの構えだと、最も剣から遠い場所である。
来る!
ただし、チャールズが防御したのは左下半身ではない。
逆の右上半身への攻撃線上である。
彼女の視線は、罠だ。
身体が反応し、自らの剣で彼女の突きを受け止めた。いわゆる鍔迫り合いの状態になる。
日本の剣術では刃を打ち合わせることを忌避するが、西洋剣術では、特に長剣同士の戦いではより一層、バインドが当たり前であり、そこからの展開に重きを置き技の研鑽に努めている。
クリスティーナの目が微かに笑っていた。
(よく覚えていたね。えらいえらい)
そういって笑っているかの様だ。
視線を使った罠とその裏狙いは、彼女の父であり二人の師である老剣士の教えだ。
一方、防御はしたものの、チャールズは意表を突かれてもいた。
長剣同士の仕合でバインドになるのは、当然の展開ではあるけれども、彼は彼女がそれを避けてくるだろう、と読んでいたのだ。
なぜなら、バインドの状態からは相手を掴んでの投げ技など、膂力を用いて争う展開もあり得るからだ。
だが、意表を突かれるということは、つまり主導権は依然として彼女の側にある。
そして、彼が反応する以前に彼女が動き出した。
バインドしたまま、彼女が剣を捻る。
剣先が寝かされ、刃がチャールズの首筋を襲う。
させじとチャールズは噛み合う剣を押し上げ、剣先を逸らす。
長剣で『斬る』ことに使われるのは全体の三分の一程度の先端部分だけだ。この部分を相手の体に押し付け押し切りを狙うのは、バインドからの流れでよく見られる展開だ。
互いの剣を絡ませたまま激しく動き、角度を変え、押し上げたり剣を滑らせて相手を狙う様は日本での剣の仕合とは、まったく異なる様相である。
ここまで、彼女が見せた剣技は伝統的で正統派寄りのものだ。
それゆえに、意表を突かれ主導権を握られている。
このままではいけない。
チャールズが反撃を模索する中、突然クリスティーナがバインドを解き、バックステップを踏んで距離を取ろうとした。
ここは追撃して突きを放つのがセオリーだ。
すかさず突き出すための予備動作として剣を引いたチャールズだが、一方のクリスティーナは離れかけていた体を急停止し、今度は逆に距離を詰めてきた。
誘いこまれた!
彼女の剣が横薙ぎの軌道で襲い来る。
間に合わない、そう判断した彼は、踏み出そうとして重心が乗っていた左足に力を込めて後ろへ飛んだ。
鼻先を彼女の剣先が掠めてゆく。
斬撃をかわして距離をとったところで戦いは振出に戻った。
仕切り直しだ、もう惑わされはしない。
今度は先手を取る!
チャールズは『突き』の構えを取り、右足を踏み込んだ。
クリスティーナも同様に『突き』の構えを取っていたが、チャールズの攻勢を察して防御のため、自分の剣を攻撃線(相手の武器から自分の体の中心線へと伸ばした線)に移動させた。
が、予想された瞬間に剣を受け止める衝撃は来なかった。
彼女が事態を認識する前に、ほんのわずか遅れてチャールズの剣が防御の隙をついて伸びてくる。
マールバラ伯との決闘で苦戦させられたタイミングをずらすフェイントだ。
クリスティーナにできたことは、体をのけ反らせることだけだった。
いまや主導権はチャールズの側にある。
彼女の態勢が崩れたところへ畳みかけるように、チャールズが横からの斬撃を浴びせた。
これは剣で受け止めるのが精いっぱい。
彼女はそう想定し、その通りの行動をとった。
が、起こった結果は彼女の予想通りにはならなかった。
チャールズの剣の強い場所(柄に近い方)が、クリスティーナの剣の弱い場所(剣先に近い方)を打ったのだ。
彼女の剣は剣先が折れ飛んだ。
『斬る』機能を担う剣先部分を失った彼女の剣は、短くなった鈍器に過ぎない。
さらに返す刀で襲った斬撃を、彼女は残った刀身で受け止めたものの、力では勝負にならず押し飛ばされてしまった。
地に倒れて座り込む形となったクリスティーナは自分の負けを悟っていた。
勝負は決着した。
彼女に声を掛けて助け起こすつもりで歩み寄ろうとしたチャールズは、突然横合いから飛び出してきた影に身を固くした。
「だめ! チャールズ、戻りなさい!」
クリスティーナが叫ぶ。
戻る? どういうことだ?
チャールズは、混乱しつつ身構えたが、飛び出してきた影の正体を認識すると緊張を解いた。
それは、小さな男の子だった。年の頃は五、六歳くらいだろうか。
チャールズとクリスティーナの間に遮る様に立ち、両手を広げて彼女を守ろうと仁王立ちだ。
ただ、その体は小刻みに震え、目には涙を溜めながら子供なりの必死の形相でチャールズを睨んでくる。
チャールズはその子供の顔を知っていた。将来成長してからの顔立ちもよく想像できる。なにせ、自分が子供の時代からずっと、鏡の中でよく見てきた顔なのだから。
男の子の襟に留められている記章にも気が付いた。
地に突き立つ剣の意匠。ダイモークの証だ。
彼女が呼んだチャールズは、この子の名だろう。
様々な事がひと繋がりになって見えてきた。
彼女がスクリーヴズビーを離れなければならなくなったのが、あの年の復活祭の頃だった理由。
ケンブリッジで再会したとき、彼女が着ぶくれして見えた理由。
おそらく、身籠ったことを隠せなくなったのだろう。
チャールズは剣を鞘に納めた。
「ぼうや、母上とその襟の記章を大切にしなさい。……その記章は、君のものだ」
クリスティーナの緑の瞳が潤み、男の子はきょとんとした顔で見つめ返してくる。
まぁ、それは仕方ない。
あの子は、その意味を知る日が来るだろうか?
チャールズは、今度はクリスティーナに向けて言葉を掛ける。
「フェンチャーチ・ストリートに一族が商会を構えている。何か困った時にはそこを訪ねるように。助けが得られるように手配しておこう」
彼女が頷くのを見届けると、チャールズは最後に、最期の一言を呟く。
「ありがとう」
そして、霧の晴れたセントジェームスズパークを後にした。
もう振り返ることはない。
それは彼に許されたことではないから。
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