見捨てらえた夏に

うさみかずと

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望月敏夫③

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 最初は、現場を目撃したと言っていた相川ちゃんの盛り話だと思っていた。しかし、原野に対して笠原のあからさまに素っ気ない態度と反比例して中島への入れ込みは異常だと思った。

 だから確証がない噂話も信じざるを得ない。

 自主練もせずにそそくさと帰宅する原野を見送って部室に戻ると、「なぁもっちー、原野が笠原とバチったらしいけどお前原野からなんか聞いてる?」と声をかけられた。

「いや知らん」

 即座に答えた。話の中心にいた相川ちゃんは僕の顔をじっと見つめていた。 

 その目を見ながら、僕は唇の急激な渇きを感じ、思わず舌でなめる。チーム内で孤立し始めていた原野と一番距離が近いのは僕だ。相川ちゃんの表情から嘘をつくなよと無言の圧力をかけられ見透かされているような気がした。

「まぁいいけど、お前もキャプテンなんだから原野のやつにあんまり入れ込みすぎんなよ、まったく自主練もしないで帰りやがって、やる気ないのかよ」

 相川ちゃんに釘を刺されて、僕は焦った。確かにキャプテンとして全体を見ることは大切だ。原野がこのチームのエースだからと言って甘やかしたり、言いなりになったりしては他の選手に示しがつかない。

 だが相川ちゃんからそんなことを言われるとは思わなかった。もともとはそういう細かいところを指摘しないタイプで、練習中はサインプレーや守備シフトについてよく確認を取り合うが、詳細に指示を欲しがったりするわけではなく、その場の状況に合わせ臨機応変に対応する感覚派である。

 ましてバッテリー間のことについて口出ししてくるやつじゃない。

「分かってるよ、原野にもよく言っておくからそれでいいか」

 そう言うしかなかった。他になんて言えばいい? 相川ちゃんや他の選手たちが原野のことを良く思っていないのは明確ではあるが、だからと言って、みんなが望むような答えを口にするのは違う気がする。

 原野が部活に顔を出さなくなったのは、それから数日後の話だ。 

 気分が悪いと言っていたから、ただの体調不良だと思っていたが、そんなことが三日も続けばただの風邪ではないことは勘づく。

 練習を終えベンチに座りキャッチャー防具の手入れをしていた夜、
「原野さんやめるかもな」という声がベンチ裏で聞こえてきたのだ。

 幽霊部員にはよくある話だが、背筋がぞくっと震え思わず手を止めてしまう。息を殺して次の会話をまっていたが、二人は部室に戻ってしまいそれ以上話題は聞くことが出来なかった。

「原野さんやめるかもな」の後にどんな会話が交わされていたのかはしらない。しかし声の主は分かった。

 二年生の伊藤。お調子者で良くも悪くもムードメーカであり、根も葉もない噂話が大好きなやつだ。しかしキャプテンと言う立場でうっかり立ち聞いてしまったことも負い目に感じていた。だからこの時も、話題の主が原野だというのに、伊藤たちを制止することは出来なかった。

 だが無意識にも、原野に関する情報は入ってくるものだ。「やめるかもしれない」という噂を聞いて、一週間が経った頃だろうが、小腹が空いて立ち寄ったファーストフード店で中島が心配そうに話を切り出した。 

「原野ってまじで野球部やめんのか」

 いきなりなんだよ、こぼれないように大口を開けていたが口元まで運んだハンバーガーをトレーに戻してしまった。

「え、まじで誰に聞いたんだよ」伊藤の話しがいろいろ誇張されて伝わってしまったのかと思うと、あの時注意しておけばよかったと後悔する。

「いや、さっき昔のシニアの連中のインスタに原野がいてさ、動画なんだけど……」

 インスタのストーリーに上がっていた動画は今から三十分前にアップされたものだった。ガラの悪い連中と一緒に原野が騒ぎながら駅前のカラオケ店に入るところで、コメントにエース野球部やめるってよと一言添えられていた。 

「本人がそう言ったわけじゃないだろ、ただの悪ふざけだって」ばかばかしくなって、ハンバーガーを半分かじった。

「やめる、やめないじゃなくて、今の時期こんな連中とつるんでる方がやばいだろ。もうすぐ抽選会だってはじまるんだぞ」

「分かってるけど、でもどっちにしろ原野は戦力だよ。誰が何と言おうとチームには必要だ」

 いくら何でも勝手すぎる。普通そういうことは悪ふざけでSNSに報告するものではない。

「だったら無理やりにでも連れ戻さないとな」

 中島の表情は渋くなった。原野がいない今、チームでエース番号を背負う可能性が高いので、中途半端に原野がチームに戻ってくることを嫌がっているのだろう。

 それにしてもこういった動画の内容がSNSに流れる時には、自暴自棄になっている証拠だ。しかしその後、原野を問いただしても曖昧な返事しか聞けず、笠原からもはっきりした話はなかった。

 秋季大会が目前に迫っていた中では、やる気のない選手の心配をしている暇なんてなかったのだ。

 でも、チームとして問題点を先延ばしにしたからこそ秋季大会もコールド負けに喫した。結局、僕は正キャッチャーとして原野と真っ向から向き合うことを避けていたのだ。




 目の前で金属バットと硬球がぶつかる音を聞き、急いでマスクをとって立ち上がる。

 快音を響かせた打球はレフトへ目掛けてぐんぐん伸びていく。

 飛距離は申し分ない、あとはポール際、内に入るか、外に流れるか。外野に指示を出すこともできず恐怖で目をつぶった。

「ファールボール」三塁審のコールが聞こえてようやく目を開ける。一、二塁間でガッツポーズしかけたバッターと視線がぶつかり、一気に現実に戻された。

 馬鹿野郎、何をやってんだ。今は大事な試合中だろ。と自分に言い聞かせる。しかもノーヒットノーランまであと五人。ここまで来てこんな大記録のチャンスを逃したら、原野はもうマウンドに登ることはできない。

 僕は一度タイムをとってマウンドへ走る。

「もっちー、次で代わっていいか。もう投げたくねぇ」

 グラブで顔を隠していたから表情は分からない。しかしエースの弱々しい言葉から僕は先ほどの打球より肝を冷やし、足腰を震わせた。
 

 
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