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2 叔父様の事を考える
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翌朝。
侍女に身支度をしてもらい、机に座った。
しばらくするとケイトがきてポットとカップを置いて、無言で出ていった。
そっと指先でポットに触れると、冷たかった。蓋をあけて中を見ると水が入っていた。
「はぁ……」
仕方がないので水を飲みながら読書をしていると、ガチャリとドアが開いてアンが入ってきた。
俯いたまま、少し顔色が悪い。
「……どうしたの?」
「旦那様と奥様は午後は外出の予定です。その間、部屋から出ないようにと指示が……」
「そう……」
エリーゼを連れて三人でケーキを食べにいくんだろう。確か昨夜そう言っていた気がする。
「わかったわ」
カップを置いて本を閉じると、アンが眉間に皺をよせ、カップの中身を見て、泣きそうな顔をした。
「……紅茶とお茶菓子をご用意致します」
「ううん。だってそれ、アンのお給金で用意するんでしょ? 悪いもの」
「いえ、今日はケイトがエリーゼお嬢様に付き添っておりますので、大丈夫です」
「へぇ……」
じゃあ四人とも夜まで帰ってこないのね。心のどこかに軽さを感じながら、窓からもれる日差しを眺めた。
「……少し、体も動かした方がよいと思います。お庭を散歩されては?」
「部屋から出たらいけないんでしょ?」
「それは午後からで……まだ朝の九時前ですよ」
朝の九時に庭を散歩するのも早い気がするけど、庭師がいる時間帯でもないし、何故かアンの提案に久々に散歩でもしようかという気分になった。
だってじっとしているより、なにかして少しでも気晴らしがしたいもの。
アンに付き添ってもらって、一階へおりる。
「お庭で読書や、お茶を飲むのもいいと思いますよ」
「……うん。でも日中は勉強があるからね。ゆっくりできたことなんて、一度もないわ」
大量にあった課題は昨日の内に済ませたので、今日はゆっくりできる。でも明日からまた……。
「それは、その……向こうの庭で、実現致しますよ」
……そうだ。
明日は、ヴィンセント叔父様が迎えにきてくれる日だ。
「……アン、は?」
「はい?」
「アンはここに残るの?」
「……出来るなら、私もマリーお嬢様と一緒に、……と思っておりますが」
その言葉にホッとした。
一階へ下りてテラスがある窓辺に向かう。
そこで何故か庭にいた婚約者のヨハン様と目が合った。同い年のイーグナー侯爵家の次男だ。
途端、嫌そうな顔で目を反らされた。
二人の従者を連れて、いま到着したばかりなのか汗をかいていた。
今日訪問するなど、連絡はきていなかった。
アンが窓をあけて対応すると、ずかずかと室内に入ってきた。
「ようこそいらっしゃいました、ヨハン様。本日はどのようなご用件で?」
「……お前に用などない」
「さようでございますか。伯爵にご用でしたら客室にお通し致しますが?」
「ああ、さっさとしろ」
アンにヨハン様を客室へ案内し、紅茶を持っていくよう指示する。そして通りかかった侍女にヨハン様がきたことを両親へしらせるように言った。
「では私は勉強があるのでこれで失礼致します」
二階へ戻ろうとしたら背後からエリーゼの明るい声が響いた。
「わぁ、ヨハン様! 久しぶり!」
既にエリーゼは外出用の白いドレスを着ていた。輝く金髪に装飾の凝った鈴蘭の髪飾りをつけているエリーゼを見て、咄嗟に目を反らした。喉元まできていた叫びを飲みこんだ。
「どうしたのっ? 今日くるなんて言ってた?」
「いや、……」
エリーゼの可憐な姿にヨハン様が表情を和らげた。
「それより……元気だったか?」
「うんっ」
ヨハン様がエリーゼを抱き上げてから抱擁する。エリーゼは頬を真っ赤に染めて俯いた。
それを一概し、足音を立てずに階段を上がる。
「……マリー、何をしているのです?」
階段をのぼりきったところで母に呼び止められた。振り向くと父もいる。
「ヨハン様がいらっしゃったなら、何故お前が対応しない?」
「近くを通りかかったのでお茶でもどうかと思ったのですが、どうやら彼女は忙しいようです」
父の疑問にすかさずヨハン様が対応する。
両親から確認するような視線がきたのでその通りだと頷いて再び踵を返すと母から咎めるような声が返ってきた。
「……マリー、あなたは昨日で課題も終わらせたと、侍女長から報告がありましたよ。それなのに忙しいとは、どういうことです?」
また足を止めて振り返ると、エリーゼが私に何か言いたそうに二の足を踏んだ。その横にいるヨハン様が眉間に皺を寄せて私を見上げた。
「マリー、何故黙っているの、こたえなさい」
「家庭教師から日頃から予習を怠るなと言われております。今日は夜まで勉強する予定ですので、申し訳ありませんがヨハン様の誘いはお断り致しました。ヨハン様も先触れなく来たのはこちらだからと、勉強することを快く承諾して下さいました。いけなかったでしょうか?」
「……そう」
そこでアンがタイミングよく紅茶を運んできた。少し前から聞き耳を立てていたのか、トレーを持ったまま困ったような顔をしている。
「しかしこのまま帰すのは失礼ですね。わざわざ我が家へ寄って下さったのですから。アン、その紅茶は客室へ。ヨハン様、よろしかったらエリーゼとお茶を飲んでご休憩なさって下さい」
「……お、お姉様も一緒がいいっ」
既に歩きだしていたがエリーゼの言葉に動揺して体が止まりかけた、それでも足を止めるつもりはない。
「っ、おい! 聞こえなかったのか! 妹のエリーゼが三人で茶を飲みたいと言っている!」
ヨハン様の無視できない大声に足を止めざるをえなかった。
四人を見下ろすと溜め息が出そうになった。
エリーゼは不安げに私を見つめ、両親は妹にそんな顔をさせた私に厳しい眼差しを向けている。
「それではいったん自室へ戻り本を取ってまいります……後ほど客室へむかいますので二人は先にお茶を飲んでいて下さい」
「……ああ、わかった」
自室へ戻るとアンが入ってきた。
茶会の支度を促されるも、ベットに腰をおろした。
「ちょっとだけ……お願い……休ませて」
「……はい。その間にドレスを選んでおきます」
クローゼットから青いドレスと、そのドレスに合う金色のアクセサリーを選ぶアン。
ヨハン様の金髪と、青い瞳に合わせたのだろう。今からそれを身に付けると思うと、気持ちが沈んでいく。
「光沢のある銀色のドレスと、赤いネックレスがあったでしょ?」
「はい、ございます。そちらになさいますか?」
「ええ。選んでくれたのにごめなさい」
「いいえ。マリーお嬢様は銀色と赤色が似合いますからね」
黒い髪と黒い瞳だから、身に付けるものは暗い色じゃなければ肌に合う。似合うというより、バランスがとれる程度だけれど。
「髪はどうなさいます?」
「結い上げて……編み込みにして横に流すやつ。前に叔父様が可愛いって言ってくれたの」
「はい」
髪飾りは白銀のリボンだ。真ん中に雪の結晶のような凝った星がついている。
銀色のドレスを着て、赤いネックレスもつけた。
「……アンは天才ね」
鏡の前で少しだけ見惚れてしまった。
このままヴィンセント叔父様に会いにいきたい。
「明日も……同じように、してくれる?」
「はい」
なんだか部屋の外には出たくなくなってきて、明日までこのままでいたいと思った。
本棚から文庫本をとろうとして、やめた。椅子に座って分厚い辞書を手にする。ヴィンセント叔父様にもらったものだ。
それを手に客室へ向かう。
楽しそうに話す二人の声が近付いてくるにつれて足取りが重くなっていく。
ドアの前でアンが肩を擦ってくれた。
「……温かい紅茶を淹れて……お茶菓子をお持ちしますね」
「うん」
「その時に……辛かったら、目を合わせて下さい」
「……わかった」
これまでもヨハン様との茶会で精神的にどうしても席についていられなくなったことが二度ほどあった。そんな時はアンと目を合わせれば顔色が悪いと退室を促してくれるのだ。
客室へ入って脇に辞書を挟んだままカーテシーをする。
ヨハン様から一概されたがとくに反応はなかった。
「お姉様、きれい!」
「ありがとう、エリーゼ。話の途中にごめんなさいね。私の紅茶はさっき頼んだから、気にせず続けて」
四人掛けの席でエリーゼとヨハン様が向かい合って座っている。
私はそれを素通りして窓辺へ向かう。ヨハン様が訝しげな目を向けてきたが気にしない。
「よく晴れてるわね」
「お姉様?」
「もう少しカーテンを開こうかしら」
窓辺の席に辞書を置き、陽のあたり具合を調節しながら外の景色を眺める。
「座れ。いつまでそうしてるつもりだ?」
「お気になさらず。部屋は明るい方がよいので」
「おい、」
そっと辞書に触れ、読書するには暗いより明るい方がいいと遠回しにヨハン様に伝えると黙った。
「お姉様、お庭の方がよかったかしら?」
「室内の方がいいわ。外は日差しがきついから」
振り返ってエリーゼに微笑む。
数歩詰めて二人のテーブルを見ると紅茶やお茶菓子が減っていた。
そこでアンが紅茶とお茶菓子を運んできた。
大きめのポットもある。
「ちょうどよかったわ、二人に紅茶を」
「畏まりました」
アンに給仕させている間に、私は窓辺においた辞書を取りにいく。
そしてパラパラとめくって振り返る。
「アン、悪いんだけどもう少し光が入るようにしてくれる。字が小さくて暗いと読みづらいの」
「それでしたら、」
さっとアンがカーテンとレースを調整して、窓辺のテーブルに光があたるようにした。
「これならマリーお嬢様に直接日差しはあたりません。どうですか?」
「うん。字がよく見えるわ」
アンが自然な動きで私の前に紅茶や茶菓子も配置してくれる。
「マリーお嬢様。明日から課題の量が倍になるとさきほど旦那様が仰っておりました。起床時間を一時間早めましょう」
「それなら二時間早めるわ。明日からお願いね」
「畏まりました」
アンに感謝してクッキーを摘まむ。
よかった。アンが退室しても変な雰囲気にはならなかった。ぱらっと頁を捲る。
「……お姉様。そちらで読まれるの?」
「あ、勝手にごめんなさい。気を悪くした?」
「ううん。お姉様は頑張り屋ですごいわ! でも無理はしないでねっ」
「ええ、ありがとう」
エリーゼににっこりと微笑む。
ヨハン様からはとくに言葉はなかった。
基本エリーゼを中心に喜怒哀楽がある人だ。
エリーゼの気分さえよかったらこちらに害意が向くことはない。
「……字が読みづらいなら眼鏡でもつければいいだろう」
「そうですわね。いつかは必要になるので、検討しておきます」
「お姉様は、めがねをつけない方がきれいよ!」
「ありがとう、エリーゼ」
顔を上げて微笑む。
紅茶を飲んで頁をめくる。
そこで溜め息のような吐息が聞こえてきた。
「……相変わらず、エリーゼを中心にまわっているな」
ヨハン様のその言葉にきょとんとした声を返したエリーゼ。
気にせず辞書に集中する。
ヴィンセント叔父様がくれたこの辞書は、全文大陸共通語で書かれていて、大陸共通語とは、魔術士や錬金術士が詠唱する時に必要とする言語なのだ。故に普通の辞書より魔術に関する専門用語が圧倒的に多い。語学は前々から勉強していたけど、大陸共通語はヴィンセント叔父様がよく使うから必死になって覚えた。
『マリーの魔力はガレジェドのように質がいい。魔力そのものの質が桁違いなんだよ──私のようにね』
ガレジェド──極めて硬質な物質の中に潤沢な魔力を含んだ貴重な鉱石だ。11年前、ヴィンセント叔父様が初めてこの鉱石を発見して、ガレジェドと名付けた。大陸共通語で夜闇を表す言葉だ。
ガレジェド鉱石は夜闇のように黒く、そして頑丈で、魔力を取り出すのも苦労するとヴィンセント叔父様がぼやいていた。
辞書からガレジェドと載ったその頁をなぞる。
この黒い髪と黒い瞳のせいで、貴族のくせに魔力量が少ないと周りから馬鹿にされてきた。そのことをヴィンセント叔父様に愚痴ると、そんなことは気にならないほど、マリーは魔力の質がいいと、慰めてくれたのだ。
『マリー……ガレジェドから九割ほどの魔力を抜くと、黒く艶めいていた鉱石は金色や銀色になり、あとは残りカスだけとなるんだ』
『そうなのですね。……そういえばガレジェド鉱石は叔父様にしか見付けられないと噂されております。その、叔父様の姪である私からガレジェド鉱石の情報を獲ようとお茶会でもよからぬ者が話し掛けてくることもあるのです。12歳になったら学園の寮に入るので、……その、私に安易に研究情報を伝えないで下さい。どこから情報がもれるか……心配で』
『ふふ。マリーは賢いね。確かに私にしか見つけられないよ。学園に入学したら周りをよく見てごらん。金色、銀色、無価値な、石ころばかりだ』
『?』
そういえばヴィンセント叔父様は魔術に関する色んな研究をしているけど、その中心となっているのはガレジェド鉱石だ。少し嬉しくなる。似てると言われたから。
「──い……っおい!」
ハッとして顔を上げた。
いつの間にかヨハン様が立ち上がっている。
エリーゼの顔色が悪い。
「あ……申し訳ありません。勉強のことで、少し考え事をしていました」
そこでカタっと足音がして、見ると開いたドアの前に両親が立っていた。
二人とも少し顔が険しい。
「来客がきたんだ」
「マリー……貴女は部屋に戻りなさい」
「え、あ……わかりました」
辞書をとじて胸に抱く。
腰をあげると両親の背後から聞き覚えのある声が耳に甘く響いた。
それだけで体の力が抜けて辞書を落としてしまった。
侍女に身支度をしてもらい、机に座った。
しばらくするとケイトがきてポットとカップを置いて、無言で出ていった。
そっと指先でポットに触れると、冷たかった。蓋をあけて中を見ると水が入っていた。
「はぁ……」
仕方がないので水を飲みながら読書をしていると、ガチャリとドアが開いてアンが入ってきた。
俯いたまま、少し顔色が悪い。
「……どうしたの?」
「旦那様と奥様は午後は外出の予定です。その間、部屋から出ないようにと指示が……」
「そう……」
エリーゼを連れて三人でケーキを食べにいくんだろう。確か昨夜そう言っていた気がする。
「わかったわ」
カップを置いて本を閉じると、アンが眉間に皺をよせ、カップの中身を見て、泣きそうな顔をした。
「……紅茶とお茶菓子をご用意致します」
「ううん。だってそれ、アンのお給金で用意するんでしょ? 悪いもの」
「いえ、今日はケイトがエリーゼお嬢様に付き添っておりますので、大丈夫です」
「へぇ……」
じゃあ四人とも夜まで帰ってこないのね。心のどこかに軽さを感じながら、窓からもれる日差しを眺めた。
「……少し、体も動かした方がよいと思います。お庭を散歩されては?」
「部屋から出たらいけないんでしょ?」
「それは午後からで……まだ朝の九時前ですよ」
朝の九時に庭を散歩するのも早い気がするけど、庭師がいる時間帯でもないし、何故かアンの提案に久々に散歩でもしようかという気分になった。
だってじっとしているより、なにかして少しでも気晴らしがしたいもの。
アンに付き添ってもらって、一階へおりる。
「お庭で読書や、お茶を飲むのもいいと思いますよ」
「……うん。でも日中は勉強があるからね。ゆっくりできたことなんて、一度もないわ」
大量にあった課題は昨日の内に済ませたので、今日はゆっくりできる。でも明日からまた……。
「それは、その……向こうの庭で、実現致しますよ」
……そうだ。
明日は、ヴィンセント叔父様が迎えにきてくれる日だ。
「……アン、は?」
「はい?」
「アンはここに残るの?」
「……出来るなら、私もマリーお嬢様と一緒に、……と思っておりますが」
その言葉にホッとした。
一階へ下りてテラスがある窓辺に向かう。
そこで何故か庭にいた婚約者のヨハン様と目が合った。同い年のイーグナー侯爵家の次男だ。
途端、嫌そうな顔で目を反らされた。
二人の従者を連れて、いま到着したばかりなのか汗をかいていた。
今日訪問するなど、連絡はきていなかった。
アンが窓をあけて対応すると、ずかずかと室内に入ってきた。
「ようこそいらっしゃいました、ヨハン様。本日はどのようなご用件で?」
「……お前に用などない」
「さようでございますか。伯爵にご用でしたら客室にお通し致しますが?」
「ああ、さっさとしろ」
アンにヨハン様を客室へ案内し、紅茶を持っていくよう指示する。そして通りかかった侍女にヨハン様がきたことを両親へしらせるように言った。
「では私は勉強があるのでこれで失礼致します」
二階へ戻ろうとしたら背後からエリーゼの明るい声が響いた。
「わぁ、ヨハン様! 久しぶり!」
既にエリーゼは外出用の白いドレスを着ていた。輝く金髪に装飾の凝った鈴蘭の髪飾りをつけているエリーゼを見て、咄嗟に目を反らした。喉元まできていた叫びを飲みこんだ。
「どうしたのっ? 今日くるなんて言ってた?」
「いや、……」
エリーゼの可憐な姿にヨハン様が表情を和らげた。
「それより……元気だったか?」
「うんっ」
ヨハン様がエリーゼを抱き上げてから抱擁する。エリーゼは頬を真っ赤に染めて俯いた。
それを一概し、足音を立てずに階段を上がる。
「……マリー、何をしているのです?」
階段をのぼりきったところで母に呼び止められた。振り向くと父もいる。
「ヨハン様がいらっしゃったなら、何故お前が対応しない?」
「近くを通りかかったのでお茶でもどうかと思ったのですが、どうやら彼女は忙しいようです」
父の疑問にすかさずヨハン様が対応する。
両親から確認するような視線がきたのでその通りだと頷いて再び踵を返すと母から咎めるような声が返ってきた。
「……マリー、あなたは昨日で課題も終わらせたと、侍女長から報告がありましたよ。それなのに忙しいとは、どういうことです?」
また足を止めて振り返ると、エリーゼが私に何か言いたそうに二の足を踏んだ。その横にいるヨハン様が眉間に皺を寄せて私を見上げた。
「マリー、何故黙っているの、こたえなさい」
「家庭教師から日頃から予習を怠るなと言われております。今日は夜まで勉強する予定ですので、申し訳ありませんがヨハン様の誘いはお断り致しました。ヨハン様も先触れなく来たのはこちらだからと、勉強することを快く承諾して下さいました。いけなかったでしょうか?」
「……そう」
そこでアンがタイミングよく紅茶を運んできた。少し前から聞き耳を立てていたのか、トレーを持ったまま困ったような顔をしている。
「しかしこのまま帰すのは失礼ですね。わざわざ我が家へ寄って下さったのですから。アン、その紅茶は客室へ。ヨハン様、よろしかったらエリーゼとお茶を飲んでご休憩なさって下さい」
「……お、お姉様も一緒がいいっ」
既に歩きだしていたがエリーゼの言葉に動揺して体が止まりかけた、それでも足を止めるつもりはない。
「っ、おい! 聞こえなかったのか! 妹のエリーゼが三人で茶を飲みたいと言っている!」
ヨハン様の無視できない大声に足を止めざるをえなかった。
四人を見下ろすと溜め息が出そうになった。
エリーゼは不安げに私を見つめ、両親は妹にそんな顔をさせた私に厳しい眼差しを向けている。
「それではいったん自室へ戻り本を取ってまいります……後ほど客室へむかいますので二人は先にお茶を飲んでいて下さい」
「……ああ、わかった」
自室へ戻るとアンが入ってきた。
茶会の支度を促されるも、ベットに腰をおろした。
「ちょっとだけ……お願い……休ませて」
「……はい。その間にドレスを選んでおきます」
クローゼットから青いドレスと、そのドレスに合う金色のアクセサリーを選ぶアン。
ヨハン様の金髪と、青い瞳に合わせたのだろう。今からそれを身に付けると思うと、気持ちが沈んでいく。
「光沢のある銀色のドレスと、赤いネックレスがあったでしょ?」
「はい、ございます。そちらになさいますか?」
「ええ。選んでくれたのにごめなさい」
「いいえ。マリーお嬢様は銀色と赤色が似合いますからね」
黒い髪と黒い瞳だから、身に付けるものは暗い色じゃなければ肌に合う。似合うというより、バランスがとれる程度だけれど。
「髪はどうなさいます?」
「結い上げて……編み込みにして横に流すやつ。前に叔父様が可愛いって言ってくれたの」
「はい」
髪飾りは白銀のリボンだ。真ん中に雪の結晶のような凝った星がついている。
銀色のドレスを着て、赤いネックレスもつけた。
「……アンは天才ね」
鏡の前で少しだけ見惚れてしまった。
このままヴィンセント叔父様に会いにいきたい。
「明日も……同じように、してくれる?」
「はい」
なんだか部屋の外には出たくなくなってきて、明日までこのままでいたいと思った。
本棚から文庫本をとろうとして、やめた。椅子に座って分厚い辞書を手にする。ヴィンセント叔父様にもらったものだ。
それを手に客室へ向かう。
楽しそうに話す二人の声が近付いてくるにつれて足取りが重くなっていく。
ドアの前でアンが肩を擦ってくれた。
「……温かい紅茶を淹れて……お茶菓子をお持ちしますね」
「うん」
「その時に……辛かったら、目を合わせて下さい」
「……わかった」
これまでもヨハン様との茶会で精神的にどうしても席についていられなくなったことが二度ほどあった。そんな時はアンと目を合わせれば顔色が悪いと退室を促してくれるのだ。
客室へ入って脇に辞書を挟んだままカーテシーをする。
ヨハン様から一概されたがとくに反応はなかった。
「お姉様、きれい!」
「ありがとう、エリーゼ。話の途中にごめんなさいね。私の紅茶はさっき頼んだから、気にせず続けて」
四人掛けの席でエリーゼとヨハン様が向かい合って座っている。
私はそれを素通りして窓辺へ向かう。ヨハン様が訝しげな目を向けてきたが気にしない。
「よく晴れてるわね」
「お姉様?」
「もう少しカーテンを開こうかしら」
窓辺の席に辞書を置き、陽のあたり具合を調節しながら外の景色を眺める。
「座れ。いつまでそうしてるつもりだ?」
「お気になさらず。部屋は明るい方がよいので」
「おい、」
そっと辞書に触れ、読書するには暗いより明るい方がいいと遠回しにヨハン様に伝えると黙った。
「お姉様、お庭の方がよかったかしら?」
「室内の方がいいわ。外は日差しがきついから」
振り返ってエリーゼに微笑む。
数歩詰めて二人のテーブルを見ると紅茶やお茶菓子が減っていた。
そこでアンが紅茶とお茶菓子を運んできた。
大きめのポットもある。
「ちょうどよかったわ、二人に紅茶を」
「畏まりました」
アンに給仕させている間に、私は窓辺においた辞書を取りにいく。
そしてパラパラとめくって振り返る。
「アン、悪いんだけどもう少し光が入るようにしてくれる。字が小さくて暗いと読みづらいの」
「それでしたら、」
さっとアンがカーテンとレースを調整して、窓辺のテーブルに光があたるようにした。
「これならマリーお嬢様に直接日差しはあたりません。どうですか?」
「うん。字がよく見えるわ」
アンが自然な動きで私の前に紅茶や茶菓子も配置してくれる。
「マリーお嬢様。明日から課題の量が倍になるとさきほど旦那様が仰っておりました。起床時間を一時間早めましょう」
「それなら二時間早めるわ。明日からお願いね」
「畏まりました」
アンに感謝してクッキーを摘まむ。
よかった。アンが退室しても変な雰囲気にはならなかった。ぱらっと頁を捲る。
「……お姉様。そちらで読まれるの?」
「あ、勝手にごめんなさい。気を悪くした?」
「ううん。お姉様は頑張り屋ですごいわ! でも無理はしないでねっ」
「ええ、ありがとう」
エリーゼににっこりと微笑む。
ヨハン様からはとくに言葉はなかった。
基本エリーゼを中心に喜怒哀楽がある人だ。
エリーゼの気分さえよかったらこちらに害意が向くことはない。
「……字が読みづらいなら眼鏡でもつければいいだろう」
「そうですわね。いつかは必要になるので、検討しておきます」
「お姉様は、めがねをつけない方がきれいよ!」
「ありがとう、エリーゼ」
顔を上げて微笑む。
紅茶を飲んで頁をめくる。
そこで溜め息のような吐息が聞こえてきた。
「……相変わらず、エリーゼを中心にまわっているな」
ヨハン様のその言葉にきょとんとした声を返したエリーゼ。
気にせず辞書に集中する。
ヴィンセント叔父様がくれたこの辞書は、全文大陸共通語で書かれていて、大陸共通語とは、魔術士や錬金術士が詠唱する時に必要とする言語なのだ。故に普通の辞書より魔術に関する専門用語が圧倒的に多い。語学は前々から勉強していたけど、大陸共通語はヴィンセント叔父様がよく使うから必死になって覚えた。
『マリーの魔力はガレジェドのように質がいい。魔力そのものの質が桁違いなんだよ──私のようにね』
ガレジェド──極めて硬質な物質の中に潤沢な魔力を含んだ貴重な鉱石だ。11年前、ヴィンセント叔父様が初めてこの鉱石を発見して、ガレジェドと名付けた。大陸共通語で夜闇を表す言葉だ。
ガレジェド鉱石は夜闇のように黒く、そして頑丈で、魔力を取り出すのも苦労するとヴィンセント叔父様がぼやいていた。
辞書からガレジェドと載ったその頁をなぞる。
この黒い髪と黒い瞳のせいで、貴族のくせに魔力量が少ないと周りから馬鹿にされてきた。そのことをヴィンセント叔父様に愚痴ると、そんなことは気にならないほど、マリーは魔力の質がいいと、慰めてくれたのだ。
『マリー……ガレジェドから九割ほどの魔力を抜くと、黒く艶めいていた鉱石は金色や銀色になり、あとは残りカスだけとなるんだ』
『そうなのですね。……そういえばガレジェド鉱石は叔父様にしか見付けられないと噂されております。その、叔父様の姪である私からガレジェド鉱石の情報を獲ようとお茶会でもよからぬ者が話し掛けてくることもあるのです。12歳になったら学園の寮に入るので、……その、私に安易に研究情報を伝えないで下さい。どこから情報がもれるか……心配で』
『ふふ。マリーは賢いね。確かに私にしか見つけられないよ。学園に入学したら周りをよく見てごらん。金色、銀色、無価値な、石ころばかりだ』
『?』
そういえばヴィンセント叔父様は魔術に関する色んな研究をしているけど、その中心となっているのはガレジェド鉱石だ。少し嬉しくなる。似てると言われたから。
「──い……っおい!」
ハッとして顔を上げた。
いつの間にかヨハン様が立ち上がっている。
エリーゼの顔色が悪い。
「あ……申し訳ありません。勉強のことで、少し考え事をしていました」
そこでカタっと足音がして、見ると開いたドアの前に両親が立っていた。
二人とも少し顔が険しい。
「来客がきたんだ」
「マリー……貴女は部屋に戻りなさい」
「え、あ……わかりました」
辞書をとじて胸に抱く。
腰をあげると両親の背後から聞き覚えのある声が耳に甘く響いた。
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どこのざまぁ小説の導入台詞だよ?旦那様…おれじゃなかったら泣いてるよきっと?
これは、始まる冷遇新婚生活にため息しか出ないさっさと離縁したいおれと、何故か離縁したくない旦那様の不毛な戦いである
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