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『勤勉』
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ゴールデンウィーク明け、一週間ぶりの学校は、雨。
連休中の大半も雨だった。おかげで観光業が打撃を受けたとテレビが泣き真似で語っていた。
生徒の波がこのダル重い体を押し流し、下駄箱に漂着した。
「にぃに、靴下濡れたぁ」
「だから脱いでいくか二枚持って行けって言っただろ」
俺はリュックのポケットから大小二組の靴下を取り出し、小さい方をミコに渡した。濡れた靴下を脱ぎ、新しい靴下を履くミコ。「ブラボー!」と濡れた靴下を俺に渡した。
「それはミコが持っとけ」
俺も靴下を履き替えて教室に向かう。ミコとは階段のところで別れた。
薩摩学園は一学年八クラスあり、今月からアルファベットでクラスを呼称することになったらしい。なぜどうでもいいような小さい変化をしたのか俺には理解できんがそういうことになった。
ついでにクラス替えを月一で行うことになった。つまり今日から新しいクラスだ。貴四が言うには、先月末に行ったテストの結果と生活態度で上からSABCとフル分けるらしい。要は教師のお気に入り順だ。
自分がどのクラスか、学年連絡用の掲示板に張り出されている。その前には人だかりができ、表情は天国と地獄に分かれていた。
俺は掲示板の前を素通りして校舎の一番奥、G組の教室へ歩く。クラスのランクが下がるにつれて表情が曇っていく。
上四クラスの雰囲気は和気あいあいとしたものであったが、C組だけは安堵の色が大きかった。逆に下四クラスの雰囲気はクラスごとに特色あった。D落胆、E焦燥、F開き直って、G奇妙。
しんと静まり返った教室に入ると黒板に席は自由と書いてある。皆バラバラに座っているが、誰とも席が近くならないような絶妙な配置で座っている。俺は迷わず一番後ろの席をとった。本当は角がよかったのだが爆睡中の男子生徒、廊下側にはニヤニヤしながら生物資料集をめくっている女子生徒が陣取っていた。
仕方なしに陣取った真ん中の一番後ろの席。机の脚に濡れた靴下をかけていると、俺の隣に誰かが座った。パンパンの荷物からこれまたパンパンの筆箱、そしてノートが出てきて、「ねえ、奥君」と声をかけられた。亀戸鈴だった。声を聴くのは初日の全校朝礼以来だ。
「ねえ、奥君。取材、じゃなくて聞きたいことがあるんだけど」
ボールペン片手に亀戸鈴が切り出した。あらかじめ用意してあったのか、スマホを見せた。画面には俺と久保田が握手しているのを高い位置から撮った写真、見切れないギリギリのところで人間バージョンコイブミンが全身タイツに命乞いをしている。
画面が暗くなり、亀戸鈴がスマホをポケットにしまった。彼女は少し周りの様子を見渡して声を潜めて聞いた。
「何者なの?」
好奇心を張り付けて。
部室棟の壁を破壊したんだ、俺じゃなくてコイブミンだけど、気づかれて当然だ。あの後サイレン音が聞こえたから、警察沙汰になっているはずだし……その時、亀戸鈴は警察になんて説明したんだ?
「警察にはなんて説明したんだ?」
亀戸鈴が思い出したくもないと言うように顔をしかめた。
「めっちゃ怒られたし、これから校長呼び出しよ」
「まさか庇ったのか!?」
壁に人間サイズの穴が開いているのに!?
どんな話術してるんだ、この女、魔法使いかよ。そのとき、脳裏に久保田の顔が浮かんだ。幸神会が裏で何かしていたんだろう。あの時の電話はたぶんそれだな。
けどまあ、庇ってくれたっことは有り難いことだ。
「ブラボー」
「ぶらぼー? なにそれ? 組織の暗号化何か?」
亀戸鈴のノートに「ブラボー」の四文字が連なった。それを丸で囲み、矢印を引っ張り、嬉々とした表情で「どういう意味?」と前のめり。
「特に意味はない。それよりどうやってあの状況から庇ったんだ?」
「庇うつもりなんかなかったよ。さっきの地震のせいだって言っても全然聞いてくれなくて、ただ窓ガラスが割れているのはお前のせいだって犯人扱いしてきて」
何か変だ。さっきから会話に違和感があったのは、俺と亀戸鈴の間で事実が異なっているからかもしれない。さっき見せた写真をもう一度見せてくれるよう頼んだ。
「どこから撮った?」
「廊下の窓から」
「割れてたとこか?」
「そう」
「いつ撮った?」
「大きな音と地震の後、雨も降ってないのに雷が落ち————」
教室を飛び出した。部室棟。
後ろから亀戸鈴の声とチャイムの音が追いかけてくる。
雨の中、上履きのまま傘もささずに走った。せっかく履き替えた靴下が水を吸う。
頭から瀧のごとく流れ落ちる雨水を拭って、顔を上げた。
部室棟の三階の壁に穴なんか一つも開いてはいなかった。ヒビすらない。
中に入り、三階まで駆け上がった。
「三階、廊下の壁、ここだったよな……コイブミンの体当たりで俺とミコはここから外に……」
あの夜のことが夢だったんじゃないかとすら思えてくる。
一週間あれば、壁一枚ぐらい直せるかもしれないと、手で壁に触れながら舐めるようにして修繕痕を探す。しかしつぎはぎ跡は一つも見当たらなかった。ふと、外の壁がどうなっているのか気になった。
真新しい窓ガラスに横殴りの雨が当たっている。
すでに制服はびしょびしょ、帰りも雨に当たる。躊躇いなく窓を開け、身を乗り出して壁を見た。
「おい、何してんだよ、播磨。」
「貴四か」
階段から貴四が上がってきた。生物教諭らしく白衣を纏い、バインダーで肩を叩いている。しばらく髭剃りをさぼっていたのだろう、口周りがススキ林だ。
俺は雨に濡れた顔を袖で拭うが袖も濡れていて意味がなく、雨水が滴って足元に小さな水たまりができ始めた。
「聞いたか?」
顎をしゃくって壁を指した。
貴四は窓を見てやれやれと首を振る。
「亀戸鈴が割ったらしいな。職員室で校長派と反校長派で朝から揉めまくりだったわ。だからって播磨、疑いすぎだ。安心しろ、怪人になった人間は見つかったから」
幸神会が把握していない? そんな馬鹿な。
久保田に連行されたコイブミンから何も聞いていないのか? そもそも久保田がなぜ報告しなかった?
俺は壁を軽く叩いた。手に帰ってくる感触はコンクリのそれだ。中が空洞という淡い期待はあっけなく崩れた。
「この壁さ、破壊されたんだよ。その怪人に」
貴四の目の色が変わった。
「会ったのか?」
「戦った」
貴四が真剣な目で壁を見渡した。
「その話も詳しく聞きたいが……あの怪人に破壊されたものを元に戻す能力があるのか」
「怪人は今どうしてる?」
「登校しているはずだ。面白い装置の誤作動でな、ただ死なすのももったいないし、彼の意志を尊重して正義の怪人として売り出してみるかって話に」
「酒でも飲んでたのかよ。で、どうするよ?」
「ああ、とりあえず報告は上げる。あと怪人の能力も確認しよう。……播磨、あの怪人と戦ったのはお前だけだ。率直にどう思う? そんな能力持っていると思うか?」
「さあな。不意打ちをもらっただけで攻撃は当たる前に久保田たちに止められたからな。だけど、壁を直す時間はなかったはずだ。あったとしても解放された後」
「じゃあ、怪人の線は消えるな。となると考えられるのは、シンキ……」
「学校に送る計画は?」
「ない、はずだ」
チャイムが鳴った。貴四が「やべえ、全校朝礼始まった」と慌てて階段を駆け下りる。
「播磨は生物準備室で服乾かしとけ!」
鍵が投げ渡された。バタバタと慌ただしい足音が小さくなっていく。
びっちょびちょの服、床を見下ろした。
床は誰かが吹いてくれるだろう。俺は鍵をポケットに入れて部室棟を出たのだった。
連休中の大半も雨だった。おかげで観光業が打撃を受けたとテレビが泣き真似で語っていた。
生徒の波がこのダル重い体を押し流し、下駄箱に漂着した。
「にぃに、靴下濡れたぁ」
「だから脱いでいくか二枚持って行けって言っただろ」
俺はリュックのポケットから大小二組の靴下を取り出し、小さい方をミコに渡した。濡れた靴下を脱ぎ、新しい靴下を履くミコ。「ブラボー!」と濡れた靴下を俺に渡した。
「それはミコが持っとけ」
俺も靴下を履き替えて教室に向かう。ミコとは階段のところで別れた。
薩摩学園は一学年八クラスあり、今月からアルファベットでクラスを呼称することになったらしい。なぜどうでもいいような小さい変化をしたのか俺には理解できんがそういうことになった。
ついでにクラス替えを月一で行うことになった。つまり今日から新しいクラスだ。貴四が言うには、先月末に行ったテストの結果と生活態度で上からSABCとフル分けるらしい。要は教師のお気に入り順だ。
自分がどのクラスか、学年連絡用の掲示板に張り出されている。その前には人だかりができ、表情は天国と地獄に分かれていた。
俺は掲示板の前を素通りして校舎の一番奥、G組の教室へ歩く。クラスのランクが下がるにつれて表情が曇っていく。
上四クラスの雰囲気は和気あいあいとしたものであったが、C組だけは安堵の色が大きかった。逆に下四クラスの雰囲気はクラスごとに特色あった。D落胆、E焦燥、F開き直って、G奇妙。
しんと静まり返った教室に入ると黒板に席は自由と書いてある。皆バラバラに座っているが、誰とも席が近くならないような絶妙な配置で座っている。俺は迷わず一番後ろの席をとった。本当は角がよかったのだが爆睡中の男子生徒、廊下側にはニヤニヤしながら生物資料集をめくっている女子生徒が陣取っていた。
仕方なしに陣取った真ん中の一番後ろの席。机の脚に濡れた靴下をかけていると、俺の隣に誰かが座った。パンパンの荷物からこれまたパンパンの筆箱、そしてノートが出てきて、「ねえ、奥君」と声をかけられた。亀戸鈴だった。声を聴くのは初日の全校朝礼以来だ。
「ねえ、奥君。取材、じゃなくて聞きたいことがあるんだけど」
ボールペン片手に亀戸鈴が切り出した。あらかじめ用意してあったのか、スマホを見せた。画面には俺と久保田が握手しているのを高い位置から撮った写真、見切れないギリギリのところで人間バージョンコイブミンが全身タイツに命乞いをしている。
画面が暗くなり、亀戸鈴がスマホをポケットにしまった。彼女は少し周りの様子を見渡して声を潜めて聞いた。
「何者なの?」
好奇心を張り付けて。
部室棟の壁を破壊したんだ、俺じゃなくてコイブミンだけど、気づかれて当然だ。あの後サイレン音が聞こえたから、警察沙汰になっているはずだし……その時、亀戸鈴は警察になんて説明したんだ?
「警察にはなんて説明したんだ?」
亀戸鈴が思い出したくもないと言うように顔をしかめた。
「めっちゃ怒られたし、これから校長呼び出しよ」
「まさか庇ったのか!?」
壁に人間サイズの穴が開いているのに!?
どんな話術してるんだ、この女、魔法使いかよ。そのとき、脳裏に久保田の顔が浮かんだ。幸神会が裏で何かしていたんだろう。あの時の電話はたぶんそれだな。
けどまあ、庇ってくれたっことは有り難いことだ。
「ブラボー」
「ぶらぼー? なにそれ? 組織の暗号化何か?」
亀戸鈴のノートに「ブラボー」の四文字が連なった。それを丸で囲み、矢印を引っ張り、嬉々とした表情で「どういう意味?」と前のめり。
「特に意味はない。それよりどうやってあの状況から庇ったんだ?」
「庇うつもりなんかなかったよ。さっきの地震のせいだって言っても全然聞いてくれなくて、ただ窓ガラスが割れているのはお前のせいだって犯人扱いしてきて」
何か変だ。さっきから会話に違和感があったのは、俺と亀戸鈴の間で事実が異なっているからかもしれない。さっき見せた写真をもう一度見せてくれるよう頼んだ。
「どこから撮った?」
「廊下の窓から」
「割れてたとこか?」
「そう」
「いつ撮った?」
「大きな音と地震の後、雨も降ってないのに雷が落ち————」
教室を飛び出した。部室棟。
後ろから亀戸鈴の声とチャイムの音が追いかけてくる。
雨の中、上履きのまま傘もささずに走った。せっかく履き替えた靴下が水を吸う。
頭から瀧のごとく流れ落ちる雨水を拭って、顔を上げた。
部室棟の三階の壁に穴なんか一つも開いてはいなかった。ヒビすらない。
中に入り、三階まで駆け上がった。
「三階、廊下の壁、ここだったよな……コイブミンの体当たりで俺とミコはここから外に……」
あの夜のことが夢だったんじゃないかとすら思えてくる。
一週間あれば、壁一枚ぐらい直せるかもしれないと、手で壁に触れながら舐めるようにして修繕痕を探す。しかしつぎはぎ跡は一つも見当たらなかった。ふと、外の壁がどうなっているのか気になった。
真新しい窓ガラスに横殴りの雨が当たっている。
すでに制服はびしょびしょ、帰りも雨に当たる。躊躇いなく窓を開け、身を乗り出して壁を見た。
「おい、何してんだよ、播磨。」
「貴四か」
階段から貴四が上がってきた。生物教諭らしく白衣を纏い、バインダーで肩を叩いている。しばらく髭剃りをさぼっていたのだろう、口周りがススキ林だ。
俺は雨に濡れた顔を袖で拭うが袖も濡れていて意味がなく、雨水が滴って足元に小さな水たまりができ始めた。
「聞いたか?」
顎をしゃくって壁を指した。
貴四は窓を見てやれやれと首を振る。
「亀戸鈴が割ったらしいな。職員室で校長派と反校長派で朝から揉めまくりだったわ。だからって播磨、疑いすぎだ。安心しろ、怪人になった人間は見つかったから」
幸神会が把握していない? そんな馬鹿な。
久保田に連行されたコイブミンから何も聞いていないのか? そもそも久保田がなぜ報告しなかった?
俺は壁を軽く叩いた。手に帰ってくる感触はコンクリのそれだ。中が空洞という淡い期待はあっけなく崩れた。
「この壁さ、破壊されたんだよ。その怪人に」
貴四の目の色が変わった。
「会ったのか?」
「戦った」
貴四が真剣な目で壁を見渡した。
「その話も詳しく聞きたいが……あの怪人に破壊されたものを元に戻す能力があるのか」
「怪人は今どうしてる?」
「登校しているはずだ。面白い装置の誤作動でな、ただ死なすのももったいないし、彼の意志を尊重して正義の怪人として売り出してみるかって話に」
「酒でも飲んでたのかよ。で、どうするよ?」
「ああ、とりあえず報告は上げる。あと怪人の能力も確認しよう。……播磨、あの怪人と戦ったのはお前だけだ。率直にどう思う? そんな能力持っていると思うか?」
「さあな。不意打ちをもらっただけで攻撃は当たる前に久保田たちに止められたからな。だけど、壁を直す時間はなかったはずだ。あったとしても解放された後」
「じゃあ、怪人の線は消えるな。となると考えられるのは、シンキ……」
「学校に送る計画は?」
「ない、はずだ」
チャイムが鳴った。貴四が「やべえ、全校朝礼始まった」と慌てて階段を駆け下りる。
「播磨は生物準備室で服乾かしとけ!」
鍵が投げ渡された。バタバタと慌ただしい足音が小さくなっていく。
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