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Prana Lokaへようこそ
1.プラナ・ローカ
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「──リフレクソロジー…?」
午後二時。昼休みも終わり、気怠い空気の中で、とある総合商社の経理部・経理一課のデスクで思い切り背筋を伸ばしていた加賀に、書類を手渡しに来た一人の部下が、何気ない調子で話し掛けてきた。
「はい、決算期だし、課長だいぶお疲れじゃないっすか?クチコミで広がってる、いいリフレがあるんですよ…」
三十五歳ほどの主任職の男性は、そう言うと、思い出したように手帳の間から一枚の名刺サイズの紙片を取り出し、書類の上に重ねて置いた。加賀 亮介は少し困惑した顔で小首を傾げ、眉間の皺を深める。
「その、リフレというのは…マッサージとか、按摩とは違うのかい?」
「やだな、課長。按摩なんて言葉、久しぶりに聞きましたって。うーん、微妙に上手く言えないですけど、マッサージの進化系…みたいなイメージですかね?インターネットとかで派手な宣伝はしてないけど、腕のいい男性施術師さんがやってて、めちゃくちゃ気持ちいいし、受けた翌日は本当にスッキリするんです。だから、課長もどうかなって思って」
「ふぅん……」
曖昧に頷きはしたが、部下がそれほどまでに言う『リフレ』なるものに、天啓のように興味が湧いてくるほど、経理一課の課長である加賀は、体内に疲労を貯め込んでいた。
今年で五十歳になる加賀は、今まではそれなりに見た目や健康には気をつけてきたつもりだ。十五年前に妻と離婚が成立し、独り身になってからは、特に意識的に食生活の改善や、適度な運動に取り組んできた。お陰で今でも体形はスラリとしていたし、実年齢より少々若い四十代半ば程度に見られるのだが、どうにもデスクワークで机にしがみ付いていると、全身の循環が滞って、足腰に何かが蟠るような感覚になってくる。特に、決算期で残業続きの今は、その疲労感もひとしおだった。
白髪も、前はそこまで目立たないとは思っていたのだが、いつの間にか前髪の一か所が纏まって真っ白に染まり、白髪染めを使ってもかえって不自然になるだけなので、仕方なしに中分けにした白髪の房はそのままにしている。
部下が置いていった名刺には、店名であろう『Prana Loka』という文字と、セラピストの男性の名前、それに、連絡先の電話番号とメールアドレス、四角いコードが印字されていた。ここのところ肩こりも、眼精疲労もひどくなっている自覚はあって、しかしどのような病院に掛かればいいのかも解らずにいたところ、これは渡りに船ではないかと思い始める。その名刺を大事に名刺入れの中に仕舞い込むと、加賀はひとまず気を取り直し、ボールペンを片手に、部下が持ってきた書類に目を通し始めた。
■□■
「……ふぅ…」
溜息と共にタイムカードを切った、金曜日の夜。今日は残業も手短に切り上げ、部下からの飲みの誘いもやんわりと辞して、予約しておいたリフレクソロジー店へと向かう。名刺に印字されていたコードを読み込むと、店の名前のメッセンジャーアプリが開いて、直接メッセージで予約が取れるシステムだったのは有り難かった。
色とりどりの電飾が煌めき、人々が浮足立つ雑踏の中を縫って、繁華街の通りを歩き続ける。場所は、丁度オフィスへの定期券の範囲内にある駅で、場所もさほどわかりづらくはない。
既にアルコールが回り、楽しげに歓談する人々の声や客引きの声が飛び交う繁華街の、裏通りの雑居ビルの中に、その店はあった。一見して怪しいアジア風マッサージ店や性風俗店、雀荘、キャバクラなどが入っているビルは、築年数も古そうで、だいぶ年季が入っている。今時珍しい、旧式の丸い押しボタンのエレベーターで五階を選択すると、加賀を乗せた箱はガタン、と大きく揺れながら大きなモーター音と共に上昇していった。
「ここ、だな…」
エレベーターを降りてすぐ脇、古い団地などでよく見る大きな鉄の扉の上に、マグネットで木製のシンプルな札が掲げてある。『Prana Loka』という店の名前は、サンスクリット語のような響きだ。
少々緊張しながら、癖でネクタイの結び目を軽く締めて整え、インターホンというよりチャイムのような押しボタンを軽く押し込んだ。
「はぁい、ようこそいらっしゃいました…。加賀様、ですよね?お待ちしておりました」
程なくガチャリと扉が開き、中から出てきたのは、身長百八十センチを軽く超えているであろう、細身で長身の美青年であった。一見して二十代の後半から三十代前半、切れの長い涼しげな瞳に長い睫毛、そして形の良い朱い唇を持つ容貌は、ヴィジュアル系バンドのメンバーか、売れっ子のホストだと言われてもちっともおかしいとは思わない。明るい茶色の髪のインナーに派手な赤のメッシュを入れた彼は、耳に大きめのピアスを飾っている。
五十路の男である加賀でも思わず見惚れるような綺麗な男性は、笑顔のまま軽く手招きをして、中へと促してきた。
「どうぞ。場所、解り難かったでしょう…?こんないかがわしいビルの中だから、初めは驚かれるお客様も多いんですよ…」
「……あぁ、いえ。すみません。それでは失礼します…」
花のあるその笑顔につい見入っていたことに自分でも驚きながら、加賀は軽く首を振って、固い笑顔と共に部屋の中に入った。革靴を脱いで玄関を上がれば、そこは雑居ビルの古びた外見とは全く異なり、綺麗にリノベーションがされている。さながら、小綺麗なデザイナーズマンションを思わせる内装は、アジア風のシックなブラウン系で纏められていて、耳を澄ませば微かにヒーリング系のBGMが流れているのが聞こえた。
午後二時。昼休みも終わり、気怠い空気の中で、とある総合商社の経理部・経理一課のデスクで思い切り背筋を伸ばしていた加賀に、書類を手渡しに来た一人の部下が、何気ない調子で話し掛けてきた。
「はい、決算期だし、課長だいぶお疲れじゃないっすか?クチコミで広がってる、いいリフレがあるんですよ…」
三十五歳ほどの主任職の男性は、そう言うと、思い出したように手帳の間から一枚の名刺サイズの紙片を取り出し、書類の上に重ねて置いた。加賀 亮介は少し困惑した顔で小首を傾げ、眉間の皺を深める。
「その、リフレというのは…マッサージとか、按摩とは違うのかい?」
「やだな、課長。按摩なんて言葉、久しぶりに聞きましたって。うーん、微妙に上手く言えないですけど、マッサージの進化系…みたいなイメージですかね?インターネットとかで派手な宣伝はしてないけど、腕のいい男性施術師さんがやってて、めちゃくちゃ気持ちいいし、受けた翌日は本当にスッキリするんです。だから、課長もどうかなって思って」
「ふぅん……」
曖昧に頷きはしたが、部下がそれほどまでに言う『リフレ』なるものに、天啓のように興味が湧いてくるほど、経理一課の課長である加賀は、体内に疲労を貯め込んでいた。
今年で五十歳になる加賀は、今まではそれなりに見た目や健康には気をつけてきたつもりだ。十五年前に妻と離婚が成立し、独り身になってからは、特に意識的に食生活の改善や、適度な運動に取り組んできた。お陰で今でも体形はスラリとしていたし、実年齢より少々若い四十代半ば程度に見られるのだが、どうにもデスクワークで机にしがみ付いていると、全身の循環が滞って、足腰に何かが蟠るような感覚になってくる。特に、決算期で残業続きの今は、その疲労感もひとしおだった。
白髪も、前はそこまで目立たないとは思っていたのだが、いつの間にか前髪の一か所が纏まって真っ白に染まり、白髪染めを使ってもかえって不自然になるだけなので、仕方なしに中分けにした白髪の房はそのままにしている。
部下が置いていった名刺には、店名であろう『Prana Loka』という文字と、セラピストの男性の名前、それに、連絡先の電話番号とメールアドレス、四角いコードが印字されていた。ここのところ肩こりも、眼精疲労もひどくなっている自覚はあって、しかしどのような病院に掛かればいいのかも解らずにいたところ、これは渡りに船ではないかと思い始める。その名刺を大事に名刺入れの中に仕舞い込むと、加賀はひとまず気を取り直し、ボールペンを片手に、部下が持ってきた書類に目を通し始めた。
■□■
「……ふぅ…」
溜息と共にタイムカードを切った、金曜日の夜。今日は残業も手短に切り上げ、部下からの飲みの誘いもやんわりと辞して、予約しておいたリフレクソロジー店へと向かう。名刺に印字されていたコードを読み込むと、店の名前のメッセンジャーアプリが開いて、直接メッセージで予約が取れるシステムだったのは有り難かった。
色とりどりの電飾が煌めき、人々が浮足立つ雑踏の中を縫って、繁華街の通りを歩き続ける。場所は、丁度オフィスへの定期券の範囲内にある駅で、場所もさほどわかりづらくはない。
既にアルコールが回り、楽しげに歓談する人々の声や客引きの声が飛び交う繁華街の、裏通りの雑居ビルの中に、その店はあった。一見して怪しいアジア風マッサージ店や性風俗店、雀荘、キャバクラなどが入っているビルは、築年数も古そうで、だいぶ年季が入っている。今時珍しい、旧式の丸い押しボタンのエレベーターで五階を選択すると、加賀を乗せた箱はガタン、と大きく揺れながら大きなモーター音と共に上昇していった。
「ここ、だな…」
エレベーターを降りてすぐ脇、古い団地などでよく見る大きな鉄の扉の上に、マグネットで木製のシンプルな札が掲げてある。『Prana Loka』という店の名前は、サンスクリット語のような響きだ。
少々緊張しながら、癖でネクタイの結び目を軽く締めて整え、インターホンというよりチャイムのような押しボタンを軽く押し込んだ。
「はぁい、ようこそいらっしゃいました…。加賀様、ですよね?お待ちしておりました」
程なくガチャリと扉が開き、中から出てきたのは、身長百八十センチを軽く超えているであろう、細身で長身の美青年であった。一見して二十代の後半から三十代前半、切れの長い涼しげな瞳に長い睫毛、そして形の良い朱い唇を持つ容貌は、ヴィジュアル系バンドのメンバーか、売れっ子のホストだと言われてもちっともおかしいとは思わない。明るい茶色の髪のインナーに派手な赤のメッシュを入れた彼は、耳に大きめのピアスを飾っている。
五十路の男である加賀でも思わず見惚れるような綺麗な男性は、笑顔のまま軽く手招きをして、中へと促してきた。
「どうぞ。場所、解り難かったでしょう…?こんないかがわしいビルの中だから、初めは驚かれるお客様も多いんですよ…」
「……あぁ、いえ。すみません。それでは失礼します…」
花のあるその笑顔につい見入っていたことに自分でも驚きながら、加賀は軽く首を振って、固い笑顔と共に部屋の中に入った。革靴を脱いで玄関を上がれば、そこは雑居ビルの古びた外見とは全く異なり、綺麗にリノベーションがされている。さながら、小綺麗なデザイナーズマンションを思わせる内装は、アジア風のシックなブラウン系で纏められていて、耳を澄ませば微かにヒーリング系のBGMが流れているのが聞こえた。
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