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第一章 Malbenica Nokto(マルベニカ・ノクト)

Malbenica Nokto.4

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 外では、遠く火の手が燃え燻っている。
 ガラス窓の無くなった廃教会の窓からは、絶え間なく焦げた空気が入り込んできたが、それでもほんの数樽の鉱油で起こした火が森を焼き尽すには遠く及ばない。程なく、鎮火を見るだろう。
 ただ、この森の奥深くの居城に住まう辺境伯をおびき出せれば、それで充分だったのだ。

 「────ッ…、ゥ…。」

 十字架の真下の石壁に鉤状の杭を打ち込み、ひとまとめに固く戒めた細い手首を引っ掛ける。すれば、小柄なルゴシュの体躯は両腕を真上に伸ばした姿勢で吊るされる格好になり、きつく手に食い込む銀の棘がもたらす痛みに、歪んだ口許から低い苦鳴が零れた。
 古びた燭台に蝋燭の炎を点し、柔らかな光源の中に浮かび上がる不死鬼の姿は、さながらはりつけにされた罪人のようだった。胸元まで大きく引き裂かれた白絹のシャツは血と埃で汚れ、そして、その体躯のあちこちには、未だに細い銀の矢が幾つか突き刺さって残っている。

 「いいザマだ、ルゴシュ伯爵。どうだ、侮っていた人間に痛めつけられる気分は。」
 「──ハ、これ…だから、ヒトは…、いつだって、身勝手で、最悪、なんだ…。」

 これは、敬虔なる神の子たちに向ける表情ではない。堕落した邪悪な存在に向けるのが相応しい。故に、ゲオルギウスは口許に浮かぶ嗜虐の笑みを抑えることもなく、捕らえた人ならぬ存在を苦しめるべく、臙脂の神服に包まれた腕を伸ばす。
 長く貌に落ち掛かる銀色の前髪をグイッと無造作に掴み締めて無理矢理に上を向かせれば、果たして、苦悶に満ちた表情の中で、翡翠の色をした瞳が激しい憎悪を燃やして上背の高い神父を睨め上げている。高い矜持と、人間には到底太刀打ちのできない力を持った吸血真祖の苦悶の表情が、ゲオルギウスの心の奥底で燃え盛る、復讐心という地獄の業火の勢いに薪をくべた。
 片手で、黒い下穿きトラウザーズの太腿に突き立った銀の矢を握り込み、そのまま傷口に力一杯捩じり込む。金属の鏃が肉を深々と抉り、大腿骨をゴリ、と削る不気味な感覚を指先に感じた。同時に、激しい苦痛を歌う声が高らかにルゴシュの喉を割って響き渡る。

 「はははッ──!痛覚を持つのは、貴様も同じか。…なあ、どうだよ。羽虫のようになぶり殺していた人間に、こうして痛めつけられる気分は。」
 「…ぐ、ゥ…、──おのれ、貴様、キサマ…ぁッ──!」

 髪を掴むゲオルギウスの手に妨げられ、顔を背けることもできない恥辱と苦痛が綯い交ぜになり、白皙はくせきの不死鬼の端整な顔が瞬く間に上気を見せる。手中に捕らえた呪われた存在を、即座に殺すでもなく、ただ痛みと屈辱を与えてもてあそび続けることに紛れもない愉悦を見出している自分自身のことを、どこかで解せぬと感じる心がゲオルギウスの中には確かにあった。だが、丘から放たれた車輪が、速度を上げてただただ谷底へと転がり落ちてゆくように、この心の中の粗暴で酷薄な衝動に歯止めを掛けることがどうしてもできない。
 ルゴシュの腿を深々と抉った鏃を、肉を切り裂きながら力任せに引き抜いて床に投げ捨てる。傷口から、生温かな血飛沫が飛んだ。

 「が…ァ、アァ──!」
 「…あぁ、まだだ。まだ死ぬなよ、ルゴシュ。この程度の罰なぞ、貴様が屠り、喰らってきた人間の数に比べれば、羽根のように軽い筈だ。…あれだけの銀弾を撃ち込んでもまだ生きていられる身体をしているのなら、もう少し俺を愉しませろ。」

 身を苛む絶え間ない苦痛のせいか、吸血鬼の銀色の髪にはじっとりと汗が滲み出している。しかし、触れていても、不思議と不快は覚えなかった。熟れ切った果実の香りとも、腐肉の甘さだけを凝縮した香りともつかぬ芳香が鉄錆の血の匂いに混じって漂い、兇暴な衝動にますます拍車を掛けてくる。

 この男からは、人間の匂いがしない。
 神聖なる神と精霊の象徴である聖霊十字の下で、神を冒涜する呪われた存在を、神の名の許に痛めつける。野卑な情動に身を委ねて切り刻む。この行いが果たして『罪』であるのかを判ずることができるとしたら、天の座におわす大いなる神と、その御使いである精霊に他ならない。少なくとも、看過できない大いなる過ちだとすれば、聖職者であるゲオルギウスを打ち据える天罰の雷霆らいていがある筈だ。
 掴んでいた髪を解放すれば、その面輪おもわは力を失ってぐったりと項垂れた。小刻みに震える肩の上に、骨を抉って突き立ったままの銀の矢がある。それに手を掛けて揺さぶりながら乱暴に引き抜いてやるだけで、ルゴシュの細い喉は、言葉にならない悲鳴を発して大きく跳ね上がる。常人であればとっくに気を失ってもおかしくないほどの苦痛が生じているのだろうが、彼の肉体は、どうやら彼の精神にそうした逃避行動を許してはいないようだ。

 「へぇ──。」

 引き裂かれたまま、中途半端にルゴシュの上体に纏わりついていた血塗れのシャツを紙切れのように破り取って、ゲオルギウスは、露わになった華奢な身体をしげしげと眺めやった。薄い筋肉を貼り付けた痩身のどこに人を凌ぐ強大な力が秘められているのか、一向に解らない。白い肌を持つ肉体は、それ程までに人間のそれと遜色ない造形をしている代わりに、撃ち込まれた弾傷や矢傷の幾つかは、既に出血も治まり、弾が抜けたと思しき箇所は今しも傷口が塞がろうとしている。

 「これが、不死鬼ノスフェラトゥの身体か。──なあ、不死伯。吸血鬼は我らのロザリオには手を触れることもできんと聞くが、お前はどうなんだ?」
 「──、それ、は…!」

 ハッと驚愕に凍てつき、神父の顔を見詰める緑の視線に、ゲオルギウスは酷薄な笑みを向ける。戯れに、胸の前に垂らした銀色の念珠ロザリオ、肌身離さず持ち続けている聖霊十字を象った信仰の証を、素裸に剥いた胸の中央に、指先でひたりと押しつけてやった。
 ジュッ、と肉の焦げる音。同時に、つま先だけで辛うじて床に立つ高さに吊られた身体を激しく振るわせて、恐ろしい苦痛の絶叫と共にルゴシュが身を捩る。

 「あ、…ぐ…アァ──ぁ、…はな、せ…、離せ離せ、はなせッ──。」
 「く、ははははッ!聖別された銀は、お前にとっては焼きごてになるのか!──そら、暴れれば、腕に棘が食い込むだけだろう。これが我らの神と精霊の祝福だ、目一杯味わえばいい。」

 指先ひとつで銀の十字をルゴシュの胸に押し当て、焼き焦がして苦しめながら、ゲオルギウスは喉を鳴らして嗤う。これが、何百年にも亘って神のしもべたる人間を苦しめ続けてきた眷属の末路かと思うと、全身の産毛がゾクゾクと逆立つ程に心地が良かった。
 不意と、若い神父は、眼光鋭い面輪に浮かべた冷酷な笑みを引く。喉から紡ぐのは、低くくぐもった問い掛け。

 「…ルゴシュ。貴様は、なぜ姉を…罪なきマルガリテスを殺した?肉を喰らうことも、血を啜ることもせず、ただ、何の意味もなく。」
 「あぁ…、何だ──?ぐ…ハ、そんなこと、か…。」

 肌を焼かれる痛みにのたうち回りながら、それでも、ルゴシュはその翠色をした視線を毅然と、真っ直ぐにゲオルギウスの視野に向けて射掛けてきた。それが、不死者たる者の矜持とでも言うかのように、引き攣れた頬に、薄ら嗤いさえ浮かべながら。

 「ただ、そこに居たからに決まってるだろ?──それだけだ、他に意味など、ない。」

 神の下し給う雷霆よりも速い、筆舌に尽くしがたい程の怒りが、瞬時にしてゲオルギウスの旋毛からつま先までを突き抜けていった。
 痩せた白い胸に血を流す烙印の痕を刻んだ十字から手を放すや否や、ルゴシュの細い首を両手で掴み、骨をも砕けよとばかりに指先にじわじわと力を込める。カハ、とささやかな喘鳴が耳に届き、苦しげに歪んだ紅い唇が本能的に呼気を求めて大きく開かれるのが、激怒に我を忘れた濃青の視界に鮮やかに焼き付いた。
 たとえ吸血鬼ヴァンパイアであっても、不死鬼ノスフェラトゥであっても、首を砕かれ、頭を切り落とされれば、その肉体は死を迎えるものだ。今、常ならば羽虫のように片手で捻り殺すことができる人間の男の手に掛かり、憎悪に燃える翡翠の双眸は、奥に深い絶望の色を宿していた。棒術使いの長い指に首を締め上げられ、抵抗の動きさえ覚束ない、端整な壮年の男の姿をした畏怖。
 ただその行く手を妨げたというだけで、心優しい姉のようだった修道女を容易く屠った男を視線で殺さんばかりに睨み据え、絶叫に近い悲痛な声色で、かつて少年だった神父は、宿敵に向けて問い続ける。
 或いは、愛する人と同胞を殺されたという憎悪の陰に、堅牢に埋めて隠した悔恨と疑念を、一思いに吐き出すかのように。

 「では、何故あの時、俺を殺さなかった──!」


 嗚呼、この男の首を引き千切り、心臓に杭を打ち込むことよりも。
 それこそが、この男に浴びせたかった、真の。


 まがつ新月の、穢れた夜マルベニカ・ノクト。その日から、少年の瞼の裏に焼き付いて消えないひとつの光景。
 それは、驚愕のまま凍てついた修道女の最期の表情でも、血でぬかるんだ土を駆ける武装神父たちの姿でも、喉を切り裂かれて転がった仲の良い孤児たちの亡骸でもない。

 血腥い夜風にはおおよそ似つかわしくない、闇夜に映える短い銀色の髪。
 いつか見た大司祭の聖杖に嵌まっていた、光り輝く翡翠にも似た色の眼差し。
 下がり気味の眦に薄く笑い皺を浮かべる、飄々とした傲慢で高貴な笑顔。

 幾度神に祈ろうとも、許しを乞おうとも、身を切る苦行を重ねようとも、少年だった男の青い睛に刻まれた翠の闇は、狂おしいほどに精神を侵食してじわじわと心を苛んでいった。
 無垢なる少年は、その感情を『憎しみ』だと信じた。大事な人を幾人も、何の意味もなく、一瞬のうちに屠った邪悪なる存在、神と精霊の敵に対する地獄の業火のような憎悪を抱く資格が、自分にはあると信じていた。祈祷書が説いているように、己は神の忠実なる使徒として、呪われし不死者たちを憎み抜くのが正しい行いであると、ただ一心に信じ抜いた。いつか、親代わりであった修道女の、そして邪な手で殺された同胞たちの無念を晴らす杭を、その胸に打ち込むことができたなら。邪悪な息の根を止めることができたのなら。
 この、夢でも現でも己を苛む、翠の幻影から逃れることが叶う。
 救済の日は、必ず訪れる。
 その為だけに、破邪の力持つ聖職者への路を躊躇ためらうことなく選んだ。それがどれだけ過酷ないばらの道であったとしても、試練の痛みで記憶を紛らわせることを歓びに変え、そして今、かつて少年だった青年は、一人の武装神父として、因果の宿疾である不死鬼ノスフェラトゥに相対し、追い詰めた存在に運命の夜の所以ゆえんを問う。

 もし、あの時、この男が慈悲深くも己の首筋をも掻き切ってくれていたのなら。

 「…あぁ。俺のこの足は、あの夜に止まっていただろう。たとえ、この魂が終末の日まで氷の牢獄を彷徨っていたとしても。なのに、何故だ──!何故、貴様は、それすらも俺に許さなかった──!答えろ、不死鬼ノスフェラトゥ…!」

 「──誘引ラーヴォ。」

 真珠色の短い牙が覗く、苦しげな紅い唇から唐突に零れた聞き覚えのない単語に、ゲオルギウスは一瞬、ビクリと怯んで指先の力を抜く。

 十字架の下に吊るされた壮年の男の姿は、あたかも、全身に矢を射掛けられても尚、信仰の篤さと気高さを示し続ける殉教者の姿絵に似ていた。月光を紡いだような銀糸の髪、白い肌のあちこちに血を滲ませながらも、怖じることも悲嘆することもなく、じっとゲオルギウスを見上げる、高貴なる澄んだ翡翠の双眸。
 呪われた吸血鬼の中に聖人の姿を見い出し、重ねるとは、何と罪深いことかとゲオルギウスは戦慄した。程なく、戸惑いの色を示した若い武装神父の濃青の双眼をじっと見つめていたルゴシュの長い、銀色の睫毛が静かに伏せられる。締め付けの緩んだ喉にゆっくりと息を取り込みながら、詮方せんかたない、といった様子でその首が小さく左右に振れた。

 「私には、オマエを誘惑するつもりはなかった。──真祖アルケのみが持つ力。私が誘引ラーヴォに掛ければ、ヒトは皆、私に抗えなくなる。…多分に、オマエは幼過ぎたのだろう。蠱惑というものを理解できず、ほんの僅かな…私さえ意識していなかった力の影響を受けた。」
 「──何を言っている…?」

 見開かれた若い神父の、蒼玉の瞳の中に明らかな動揺の色が走る。だいぶ高いところにある人間の、仇敵たる聖職者の顔を見上げて、ルゴシュの口許がほんの僅かな笑みを浮かべた。

 「何という心根の強さだ…。オマエ達が邪眼と呼ぶ、この私の誘引ラーヴォの力を、私への憎悪と篤い信仰心とで封じたか。──いや、封じる、という物言いはおかしいな。オマエは、今の今まで気が付いていなかっただけだ。自分が、不死者ノスフェラトゥに魅了されているということに…。」
 「黙れ…黙れ、ルゴシュ!──邪眼封じの術なら、俺は──!」
 「そう。武装神父なら、神と精霊の聖名みなにおいて、この力を撥ね付ける教えを受けている筈だ…。」

 細い喉の高みが揺れて、クックッと憚らぬ笑声が廃教会に響き渡る。

 「実に哀れなゲオルギウス。オマエは、それが何であるかを理解するよりもずっと前に、自分でもそうと知らずに、私の目に…誘引ラーヴォに囚われていたのだな──。」
 「黙れッ──!」

 ひゅうひゅうと掠れた笑声を立てる咽喉首に、衝動任せに強く指を突き立て、そのまま背後の石壁に頭ごと力一杯打ち付けた。ガツ、という鈍い音。苦痛の声と、流れる血の匂い。だが、それすら時間の経過と共に恐るべき速さで治癒していくのだろう。
 心臓が張り裂けんばかりに弾んだ。
 十七年という年月の果て、銀髪に翡翠の目を持つ吸血鬼の噂だけを頼りに、辺境の村まで追い詰めて対峙してみれば、ゲオルギウスの内なる憎悪の炎、狂おしいばかりの執着は収まるであろうと信じて止まなかった。神の前にこうべを垂れ、その忠実なる下僕しもべとして、如何なる辛苦の試練をも喜んで耐え忍んできた。親の顔も知らない孤児が、誉れ高き武装司祭の道を歩む為には、幾つもの険しい路が刃の山の如くに立ちはだかっていたが、この緑の闇の手から逃れるためにはどんなことでもやり遂げるという誓いを、十七年間頑なに貫き通した。誰より真摯に、誰より敬虔に。そうあるべくしてここまで来た。
 全ては、惨劇の夜を生み出した一人の人ならざるものをこの手で地獄に送る、その日の為だけに築き上げてきた弛まぬ努力の末の、堅固な信念と力、そして敬意と信頼。だが。

 「あ──あああァ──ッ!」

 食い縛った歯の間から、激昂と悲愴が絶叫となって迸った。両手は尚も吸血鬼の細い喉を戒めたまま、天を仰いで神父は猛り、怒り、そして暗澹とした悲しみにくれる。旧い教会の高い天井に施された、神と精霊に向けて唱える聖句の装飾が虚しく視界を流れた。


 主よ、大いなる主。御身は、この寄る辺なき御身の子をば、何処いずこへ向かわせ給うのか。


 「──ねぇ、この紐を解きなよ、ゲオルギウス…。」

 凍てついたおもてを伏せ、肩を振るわせるゲオルギウスの耳に、掠れ細った悪魔の甘言が届いた。
 闇に煌めく翠の瞳が、上目遣いにこちらを見上げている。目に掛からないように額の中央で分けた銀色の髪を幾房か血で赤く染めながら、夜鶯が歌い上げるように、低く、ささやくような声色は、憤怒と絶望に打ち震える若い神父の耳朶を擽り、柔らかに堕落を誘うのだ。

 「私を自由にするんだよ、哀れで可愛い、小さなゲオルギウス。オマエの苦悩なんて、所詮たったの十七年じゃないか。…私と一緒に行こう?この深い森と、険しい谷の狭間に。──そこで、何百年もの時を私と共に過ごすんだ。さあ…。」

 闇の眷属、その頂点に立つ真祖の誘引ラーヴォの言の葉は、繰り返す波のように頭の奥底へと響いた。

 「オマエが堕落と呼ぶものは、何でも教えてあげる。満月の夜に狼と共に唄うことも、夜空を自由に飛び回ることも、そしてヒトの子の村を見つけて飢えを満たす方法も…ね。さあ、私と一緒に──」
 「断る・・。」

 若き神父の断固とした物言いと共に、廃教会の暗がりの中を銀色の光が一閃した。

 「──ッ!」

 腰帯ベルトから素早く引き抜いた銀の小刀ナイフを振り下ろせば、鋭い切っ先は、ルゴシュの上体に中途半端に絡んでいた白絹の残骸と、黒革の腰帯と、そして滲む血も乾いた黒い下穿きを同時に切り裂き、その下の真っ白な肌膚にも傷を生じさせた。軌跡に沿って走る聖具で傷付けられた痛みと、全く予想だにしていなかったであろうゲオルギウスの行動に、ルゴシュの端整な顔が歪んだまま驚きに凍り付く。

 廃教会の内側を照らし出す、僅かな炎の揺らめきの中。銀色の小刀を片手に、ゲオルギウスは、最早自分の力ではどうにも抑えきれない奔流のような情動に支配され、口許に浮かぶ狂気じみた笑顔を隠すこともできなかった。幾度も、幾度も、掌に伝わる感触を楽しみながら刃を振り下ろす度に、ルゴシュのくぐもった苦鳴と共に血飛沫が飛び散り、身に纏っていた高貴な装いは、ズタズタに引き裂かれて、ただの襤褸布へとなり果てていった。

 「へえ…。神に呪われた生き物でも、見た目の造りは人間と同じか。」
 「──ッ、く、狂ったの…かよ、オマエっ…!」

 陽射しを厭う白い肌の上には、縦横無尽に細い切り傷が走っている。だが、ごく浅いそれは、刻まれた傍から血が止まり、肉が盛り上がり、傷つけられる前と寸分違わない状態になり、彼の持つ驚異的な治癒力を示していた。唯一、聖霊十字の念珠ロザリオに灼かれた胸の中央だけは、十字架の形に焼け爛れて赤い血を滲ませている。それが、烙印を押された殉教者の姿絵を彷彿とさせ、捩れた背徳の愉悦を呼び覚ましてくれた。
 巨大な十字架の真下に両手を掲げて吊るされ、絶え間なく身を苛む苦痛に呻く小柄な男の体躯からは、長靴ちょうか以外の衣服というものがほとんど切り刻まれて剥がれ落ちていた。

 ゲオルギウスがつけたもの以外、他に傷跡らしい痕跡がまるで見当たらない、滑らかな、洗礼の儀に使う陶器のような純白の肌。そのところどころに血の滲む傷口を残しながら、彼は、怒りと苦痛、そして屈辱に打ち震えても尚、毅然とした気品を湛えてゲオルギウスの狂える面輪を睨み上げていた。
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