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(ああ……やっぱり僕、この人のこと、好きなんだな)
きゅん、と胸の奥から湧き出る気持ちを噛みしめていると、樹の右手に生温かいものが当たった。反射的に感じた不快感に手を引っこめそうになるがその前に握りこまれ、指を絡められる。須野原の手だった。
「あ、せ、先輩?」
「夜は寒いよねー」
「う、うん」
ふわりと笑う須野原に、なんとなく頷き返してしまう。もう一度軽く握りなおされた手のひらはほっとするような温かさで、今の一瞬は驚いたせいだろうと樹は結論付けた。
学校近くの飲み屋街は、平日だが学生や会社員で賑わっている。店の電飾で彩られる街並みを眺めながら須野原と手を繋ぎ、どこへともなく手を引かれるまま歩く。横断歩道の信号待ちで立ち止まった須野原が、樹の顔を見下ろした。
「ねえ、樹。もうちょっと二人で飲みたいし、お金も返したいからこれから俺の部屋に来ない?」
「えっ?」
まだ別れたくないという気持ちを見透かされたようでドキリとする。須野原は横断歩道の反対側を指さした。
「俺の家、あそこで曲がってすぐのところにあるんだ。途中にコンビニがあるから、そこで飲み物買っていこうか」
「っ……は、はい!」
横断歩道を渡り、角を曲がると途端に飲食店の煌びやかさはなくなり、アパートが立ち並ぶ区画になる。すぐ、というにはちょっと遠い場所にあるマンションに須野原は樹を案内した。
「はい、どうぞ上がって上がって」
「お、お邪魔しまーす……」
オートロックで築浅の、しっかりした作りに見える三階の角部屋。恐る恐る淳哉が踏み込むと、1LDKの室内はきっちりと片付いていて、ふわりと少し香ばしい匂いがした。ローテーブルの上にある灰皿を見て、ようやくそれが煙草の匂いであることに樹は思い至った。
「好きなとこ座ってよ」
「はい……」
ローテーブルの端に腰を下ろし、部屋を見回す。作り付けの本棚に数学書が何冊かあるのはさすが数学科だ。
「あんまりじろじろ見られると恥ずかしいな、片付いてないし」
「そんなことないですよ!」
人を家にすぐあげられるくらい片付いている時点で凄い、と樹は思う。部屋に来た淳哉に小言を言われ、渋々掃除をする樹とは大違いである。
「そういうってことは、樹の家は汚部屋なのかな?」
苦笑した須野原はローテーブルの上にコンビニの袋を置くと暖房をつけ、樹の隣に座った。中からチューハイの缶を取り出して樹に手渡し、小さく乾杯して口をつける。
学校のことやバイト先——キャバクラのボーイをやっているらしい。樹には縁遠い世界すぎて、実は須野原の使う単語に分からないものがいくつもあったのは内緒だ——の話をする須野原に、樹は緊張のあまり相槌を打つので精いっぱいだった。話さない分飲むスピードが速くなるのか、一缶目があっという間に空になっていた。
樹はあまり酒に強い方ではない。ふわふわ、を通り越してすでにくらくらになりかけていた。
「あ、大丈夫? お水飲む?」
「ありがと……ござます」
樹の様子に気づいたのか、パッと席を立った須野原が水を持って戻ってくる。受け取って口をつけると、唇の端から水が垂れた。
「はりゃ?」
「もー、こぼれてるよ」
ティッシュで樹の口の端を拭った須野原は、灰皿の横にあった煙草とライターを手に取った。樹に聞くこともなく一本咥え、かちりと火をつける。
すう、とおいしそうに煙草を吸い、それから紫煙を吐き出す須野原から樹は目が離せなかった。煙草の少し苦い匂いと、須野原の付けている甘い香水が交じり合った香りが強くなり、樹の胸を高鳴らせた。
長く爪まで整えられた指が、唇に軽く咥えられた細い煙草を挟む。気だるげにこちらを見る色素の薄い瞳と視線が合った。
「……樹。今日、泊まってくでしょ?」
煙草を灰皿の端に置いた須野原は、樹の耳元に口を近づけて囁いた。樹が答える前に、着ていたシャツのボタンを須野原が外していた。戸惑っているうちに樹のシャツの前ははだけられており、須野原の細い手が樹の脇腹を直接撫でた。
「……っ!」
素肌に触れる須野原の指先に、樹の体がぞくりと震える。淳哉に触れられた時と同じような感覚だったが、なぜか今回は怖いと思った。須野原の射るような視線に体が竦む。
そのまま手が後ろに回され、横から抱きしめられる。息もできずに樹が固まっていると、須野原が「あら」と小さく声を上げた。
「樹はうぶな顔して、意外とえっちなんだね。跡つけて俺とのデートに来てたなんて、嫉妬しちゃうな」
背中を移動した須野原の手が、樹の首の付け根あたりをつついた。
「あと……?」
何の事だろう。見返すと、須野原の長い指が樹の唇をつつく。
「これ。キスマーク。恋人いるの? それともウリとかしてるの? かわいいもんね、樹は」
「そんなの知ら……あ」
否定しようとして、樹は淳哉のことを思い出した。あの時確か、須野原が示したあたりを淳哉が触ってきたような感触があった。
「僕、そんな」
「いいよ、そんな奴のこと忘れさせてあげるから」
とはいえ須野原が想像したようなことをしたわけではない……と思う。弁解しようと開いた唇の間に、須野原の指先が入ってきた。
「ふ、あぅ」
樹の舌の端を、須野原の滑らかな指が撫でる。ぬるりとした感触に喉の奥からこみ上げるものを感じた樹は、思わず須野原を突き飛ばして立ちあがっていた。
「ご、ごめんなさいっ!」
はだけたシャツの前を掻き合わせて走り出す。
「え、ちょ、樹?」
あっけにとられる須野原の声は、閉じていく部屋の扉に遮られた。
きゅん、と胸の奥から湧き出る気持ちを噛みしめていると、樹の右手に生温かいものが当たった。反射的に感じた不快感に手を引っこめそうになるがその前に握りこまれ、指を絡められる。須野原の手だった。
「あ、せ、先輩?」
「夜は寒いよねー」
「う、うん」
ふわりと笑う須野原に、なんとなく頷き返してしまう。もう一度軽く握りなおされた手のひらはほっとするような温かさで、今の一瞬は驚いたせいだろうと樹は結論付けた。
学校近くの飲み屋街は、平日だが学生や会社員で賑わっている。店の電飾で彩られる街並みを眺めながら須野原と手を繋ぎ、どこへともなく手を引かれるまま歩く。横断歩道の信号待ちで立ち止まった須野原が、樹の顔を見下ろした。
「ねえ、樹。もうちょっと二人で飲みたいし、お金も返したいからこれから俺の部屋に来ない?」
「えっ?」
まだ別れたくないという気持ちを見透かされたようでドキリとする。須野原は横断歩道の反対側を指さした。
「俺の家、あそこで曲がってすぐのところにあるんだ。途中にコンビニがあるから、そこで飲み物買っていこうか」
「っ……は、はい!」
横断歩道を渡り、角を曲がると途端に飲食店の煌びやかさはなくなり、アパートが立ち並ぶ区画になる。すぐ、というにはちょっと遠い場所にあるマンションに須野原は樹を案内した。
「はい、どうぞ上がって上がって」
「お、お邪魔しまーす……」
オートロックで築浅の、しっかりした作りに見える三階の角部屋。恐る恐る淳哉が踏み込むと、1LDKの室内はきっちりと片付いていて、ふわりと少し香ばしい匂いがした。ローテーブルの上にある灰皿を見て、ようやくそれが煙草の匂いであることに樹は思い至った。
「好きなとこ座ってよ」
「はい……」
ローテーブルの端に腰を下ろし、部屋を見回す。作り付けの本棚に数学書が何冊かあるのはさすが数学科だ。
「あんまりじろじろ見られると恥ずかしいな、片付いてないし」
「そんなことないですよ!」
人を家にすぐあげられるくらい片付いている時点で凄い、と樹は思う。部屋に来た淳哉に小言を言われ、渋々掃除をする樹とは大違いである。
「そういうってことは、樹の家は汚部屋なのかな?」
苦笑した須野原はローテーブルの上にコンビニの袋を置くと暖房をつけ、樹の隣に座った。中からチューハイの缶を取り出して樹に手渡し、小さく乾杯して口をつける。
学校のことやバイト先——キャバクラのボーイをやっているらしい。樹には縁遠い世界すぎて、実は須野原の使う単語に分からないものがいくつもあったのは内緒だ——の話をする須野原に、樹は緊張のあまり相槌を打つので精いっぱいだった。話さない分飲むスピードが速くなるのか、一缶目があっという間に空になっていた。
樹はあまり酒に強い方ではない。ふわふわ、を通り越してすでにくらくらになりかけていた。
「あ、大丈夫? お水飲む?」
「ありがと……ござます」
樹の様子に気づいたのか、パッと席を立った須野原が水を持って戻ってくる。受け取って口をつけると、唇の端から水が垂れた。
「はりゃ?」
「もー、こぼれてるよ」
ティッシュで樹の口の端を拭った須野原は、灰皿の横にあった煙草とライターを手に取った。樹に聞くこともなく一本咥え、かちりと火をつける。
すう、とおいしそうに煙草を吸い、それから紫煙を吐き出す須野原から樹は目が離せなかった。煙草の少し苦い匂いと、須野原の付けている甘い香水が交じり合った香りが強くなり、樹の胸を高鳴らせた。
長く爪まで整えられた指が、唇に軽く咥えられた細い煙草を挟む。気だるげにこちらを見る色素の薄い瞳と視線が合った。
「……樹。今日、泊まってくでしょ?」
煙草を灰皿の端に置いた須野原は、樹の耳元に口を近づけて囁いた。樹が答える前に、着ていたシャツのボタンを須野原が外していた。戸惑っているうちに樹のシャツの前ははだけられており、須野原の細い手が樹の脇腹を直接撫でた。
「……っ!」
素肌に触れる須野原の指先に、樹の体がぞくりと震える。淳哉に触れられた時と同じような感覚だったが、なぜか今回は怖いと思った。須野原の射るような視線に体が竦む。
そのまま手が後ろに回され、横から抱きしめられる。息もできずに樹が固まっていると、須野原が「あら」と小さく声を上げた。
「樹はうぶな顔して、意外とえっちなんだね。跡つけて俺とのデートに来てたなんて、嫉妬しちゃうな」
背中を移動した須野原の手が、樹の首の付け根あたりをつついた。
「あと……?」
何の事だろう。見返すと、須野原の長い指が樹の唇をつつく。
「これ。キスマーク。恋人いるの? それともウリとかしてるの? かわいいもんね、樹は」
「そんなの知ら……あ」
否定しようとして、樹は淳哉のことを思い出した。あの時確か、須野原が示したあたりを淳哉が触ってきたような感触があった。
「僕、そんな」
「いいよ、そんな奴のこと忘れさせてあげるから」
とはいえ須野原が想像したようなことをしたわけではない……と思う。弁解しようと開いた唇の間に、須野原の指先が入ってきた。
「ふ、あぅ」
樹の舌の端を、須野原の滑らかな指が撫でる。ぬるりとした感触に喉の奥からこみ上げるものを感じた樹は、思わず須野原を突き飛ばして立ちあがっていた。
「ご、ごめんなさいっ!」
はだけたシャツの前を掻き合わせて走り出す。
「え、ちょ、樹?」
あっけにとられる須野原の声は、閉じていく部屋の扉に遮られた。
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