お山の狐は連れ添いたい

にっきょ

文字の大きさ
上 下
8 / 48

8 再び山へ

しおりを挟む
「修造、お前の飯はあるから遠慮するこたねえぞ」

 起き上がった貞宗が、土間からのそのそと戻ってきた。頬についた菜っ葉を指先で弾き、修造の足元の膳を指差す。言われてみれば確かに、叔父夫妻と貞宗だけの食事のはずなのに膳だけ四つ並んでいる。陰膳、というやつだ。

「じゃあ、ええと……先に、着替えてきてもいいですかね……」

 相手が狐ならどうでも良かったが、家族の前で女物の、しかもつんつるてんの襦袢でいるのは恥ずかしい。化粧だってそのままだ。じっと自分を追ってくる三対の目を感じながらようやく自分の服に着替えると、やっと人心地ついた気がした。

「すいません、これ以外は狐の屋敷に置いてきてしまいました」
「よかて、もう。使う予定もなかったし」

 トヨに懐剣と襦袢だけを渡して膳の前に座る。手を合わせて食べ始めると、やっと宗二郎が口を開いた。

「何があったんだ」
「わかりません」

 修造にも意味がわからないのでそう答える。だがそれではあまりにも情報不足な気がして、麦飯をかきこみながら簡潔に説明し直す。

「腹が立ったので殴ったら、狐が逃げていきました」
「それで、怒った狐に離縁されたのか。丸一日も保たずに出戻るとは相当だな」

 そう言いつつも、宗二郎の口調は愉快そうだった。

「そうですね……いや、多分ですが、怒ってはいない……のではないかなと」

 切なげな鳴き声と、狐の顔を思い出しながら修造は答えた。それに、本当に狐が怒っていれば今頃村は火の海になっているはずだ。

「……ああいう化け狐にも、誠実な奴っているんでしょうか」
「知らん」

 宗二郎の答えは素っ気なかった。

「儂が知ってるのは、あいつはちゃんと儂を家まで送ってくれたということと、その代わりに修造が欲しいと結納の真似事までしてきて、羽織袴で迎えに来たことだけだ」
「そう……ですね」

 気になるのなら、自分でまたあの狐と話してみるほかないようだ。菜っ葉の入った汁に口をつけると、「ははん」と貞宗が腕を組んだ。

「さては狐の抱き心地が忘れられないとみえるな」
「なんでそうなるんだ」
「あいつ全身ふわっふわの毛皮やったぞ、気持ちいいに決まっとる」
「……狐に会えたら、貞宗兄さんが抱きたがってるって伝えておくよ」

 朝食を済ませ、土間においてあった猟銃を手に取る。一、二、三、四、五発、それから予備の一発をたもとに。弾を込めていると、「持っていくのか」と宗二郎の声が聞こえた。

「……はい」

 何と思われているのか怖くて、振り向かずに答える。撃てないくせに猟銃を背負っていくなんて滑稽なのは分かっているが、どうしてもまだ手放せないのだ。

 家を出て、華燭山を見上げる。雑草が生えてきて少し緑色になった山肌の上に、いつの間にか立派な屋敷が建っていた。あそこが昨晩連れていかれた狐の屋敷だろうと当たりをつけ、山に入る。
 夜とはいえ一度行ったところだし、何より慣れ親しんだ華燭山中である、数刻もすれば着くだろう。そう考えながら歩き始めた修造だったが、すぐに自分の思い違いに気づくことになった。
 歩いても歩いても、一向に屋敷に近づかないのである。道に迷っているとか、方向がおかしいとかではない……と思う。正しい方向に行っているはずなのだが、気づいたら元の道に戻ってしまっているのだ。

「ああもうっ」

 化かされている。確信した修造は道端の石に腰を下ろした。こういう時には煙草で一服するといいと聞いたことがある。狐や狸はあの匂いが嫌いだから術が解けるらしい。だが、あいにく修造は煙草を嗜まなかった。あの煙がどうにも火事を思い起こさせて好きになれないのだ。

 化かされているという確信には、もう一つ理由があった。山に入ってからこの方、ずっとちらちらと赤い耳や尻尾の先が見え隠れしているのである。
 今も左の視界の端、生い茂った笹の中からぴょこりと真っ赤な耳が飛び出している。

「おい狐」

 修造が声をかけると、がさりと笹が揺れて耳が引っ込む。だが、隠す気のない強い視線は消えない。

「いなり寿司作ってもらったぞ、食うか?」

 竹薮を見ながら、背負っていたお弁当を取り出す。返事はないが、小さな行李を開ける仕草に、ごくりとつばを飲む音が聞こえるようだった。

「変なもんは入れてねえから安心しろよ」

 ほら、と一つ口に放り込んだ後に、三角形のいなり寿司を藪に向かって投げる。ガサガサと食べているような気配に、もう二つ三つ投げ込む。

「気に入ったか?」

 まあ、作ったのはトヨだが。甘い油揚げに包まれたいなり寿司を自分も頬張り、一息つく。さわさわさわ、と木陰の間を通り抜けていく風が、山歩きの間に汗ばんだ体を冷やしていく。

「いきなり殴ったりして、悪かったな」

 持ってきたお茶を飲みながら、修造は藪に向かって話しかけた。ぴしり、と付近の空気が張り詰める。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

膀胱を虐められる男の子の話

煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ 男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話 膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)

純粋すぎるおもちゃを狂愛

ましましろ
BL
孤児院から引き取られた主人公(ラキ)は新しい里親の下で暮らすことになる。実はラキはご主人様であるイヴァンにお̀も̀ち̀ゃ̀として引き取られていたのだった。 優しさにある恐怖や初めての経験に戸惑う日々が始まる。 毎週月曜日9:00に更新予定。 ※時々休みます。

私の事を調べないで!

さつき
BL
生徒会の副会長としての姿と 桜華の白龍としての姿をもつ 咲夜 バレないように過ごすが 転校生が来てから騒がしくなり みんなが私の事を調べだして… 表紙イラストは みそかさんの「みそかのメーカー2」で作成してお借りしています↓ https://picrew.me/image_maker/625951

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました

海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。 しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。 偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。 御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。 これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。 【7/27完結しました。読んでいただいてありがとうございました。】 【続編も8/17完結しました。】 「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785 ↑この続編は、R18の過激描写がありますので、苦手な方はご注意ください。

神界の器

高菜あやめ
BL
【人外×奉公人の青年】奉公先で『神界の器』を盗んだ嫌疑をかけらた雨音は、代わりになる器を求めて神々が住まう山の頂を目指していた。しかし途中たどり着いた山小屋で体力が尽きて気を失ってしまう。次に目を覚ますと不思議なことに、大きな屋敷の中にいた。その屋敷の主人は人間離れした美しさを誇る男で、傷ついた雨音を癒そうとする……苦労人の青年が美しくやさしい山の神に拾われベタベタに溺愛され、身も心も癒される話です。

壁穴奴隷No.19 麻袋の男

猫丸
BL
壁穴奴隷シリーズ・第二弾、壁穴奴隷No.19の男の話。 麻袋で顔を隠して働いていた壁穴奴隷19番、レオが誘拐されてしまった。彼の正体は、実は新王国の第二王子。変態的な性癖を持つ王子を連れ去った犯人の目的は? シンプルにドS(攻)✕ドM(受※ちょっとビッチ気味)の組合せ。 前編・後編+後日談の全3話 SM系で鞭多めです。ハッピーエンド。 ※壁穴奴隷シリーズのNo.18で使えなかった特殊性癖を含む内容です。地雷のある方はキーワードを確認してからお読みください。 ※No.18の話と世界観(設定)は一緒で、一部にNo.18の登場人物がでてきますが、No.19からお読みいただいても問題ありません。

処理中です...