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第二章  神代の剣~朴念仁の魔を断つ剣~

第十七話  傷ついた人狼と銀髪の少女

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 清涼な空気が薄暗い空洞に満ちていた。

 アリオス湖の湖面をでて流れ込んでくる濡れた風は、少しひんやりとしていて、太陽が正中するこの時間帯に炎天下を歩いてきた肌を心地よくクールダウンさせてくれる。

 その洞窟は、湖面に口を開け、入り口から数メライ(メートル)ほど水に浸かっていたが、奥の方は岩盤によって湖面より這い出ていて、ちょっとした隠れ家には丁度よかった。

 あしもとの重力を制御することで湖面に立って歩き、赤みかかった銀髪を揺らすその少女は、隠れ家代わりにしていたその洞窟に入るなり、軽い驚嘆の息を漏らす。

「まさか……アンタがここまでやられるとはね」

 銀髪の少女……ルナフィス・デルマイーユは、湖水で全身ずぶ濡れになり、所々出血で毛皮を朱に染めた人狼を見下ろし呟いた。

「面目ありません、ルナフィス様。お預かりしていた兵達も全滅させてしまいました」

「ああ……あんな玩具はどうだっていいけどね。あの女の持ち物だし……。で、アンタをそこまで追い込んだ相手は何者なの?」

 ルナフィスは人狼を単独で迎撃に行かせたことを後悔した。

 まさか、この人狼戦士ディンが、敗北を喫するとは思っていなかったのだ。

 ルナフィス自身も、この人狼とは実践形式で訓練をしたことが何度もある。

 最近は、自分の方が実力は上であるが、やはり勝つのは至難の業で、そもそも、訓練の勝敗は相手に有効な一撃と思われる剣戟を寸止めで入れれば決まってしまうのだ。

 相手を行動不能にするまでと考えたら、ルナフィスはこの人狼とはやり合いたくない。

 吸血鬼の真祖たる兄程ではないが、この人狼も恐ろしくタフであり、全身を覆う銀の毛皮が、並大抵の一撃では何のダメージも与えさせない。

 加えて、人狼の動きは素早く、攻撃力にあっては破格のものだ。

 下手をすれば、位の低い魔竜人などよりもよっぽど戦力が上なのである。

「レビン・カルド・アルドナーグの御子息にございました。英雄の血に恥じない剣の使い手です」

 そう前置きして、人狼は先の戦闘についてをかいつまんで報告する。


「ふーん……なかなかどうして、英雄の息子ってわりにはきような手を使ってくるじゃない」

 ルナフィスは鼻を鳴らして言い捨てた。
 敵の傭兵隊長がとった奇策――嗅覚などが鋭い人狼に対してのハッカ油攻撃に対して言及したことである。

 武器の違いもあるとはいえ、一対一の戦闘中にそんな不意打ちをしてくるとは……と、自分の腰に下げた細身の剣、その柄を握りしめながら軽い嫌悪を示した。

「…………潔癖な貴女あなた様らしいですな。お言葉ですが、私は少し違う印象です。こっぴどくやられはしましたが、先の戦いはこころおどりました」

 人狼は一度言葉を切って、胸部の傷口に治癒術式を込めた呪符を張り付ける。

 貼り付けた呪符の奇っ怪な文字列が紫に光り、効果が発動するのを確認すると、更に言葉を続けた。

「彼のとった戦術は賞賛に値します。戦闘は明確なルールがある試合ではありません。手の内にある武器、道具を効果的に使って勝利することが最上なのです。それに……彼らが飛空挺とやらで空中にいて無防備だったところを最初に不意打ちしたのは私ですからな」

「うーん……言っていることは理解できなくもないけど……私はそういうの嫌いだもん」

 腕を組みそっぽを向きつつ応じるルナフィス……その姿を視界の端に捉え、人狼は少し口元をほころばせた。

「それで、ルナフィス様の方はいかがでしたかな?」

「街にいたわ……。でも、まだ仕掛けないで少し様子を見ようかと思う。一応用心はした方が良さそうだから」

 ルナフィスは、この付近にあるアリオスという街に足を運び、ターゲットであるアーク王国の女を捜し、どうやら見つけてきたようである。

 だが、こんな白昼堂々と人の往来の多い街中で襲撃するわけにもいかないし、昨夜兄のサジヴァルドを退けているという情報もあって、不用意には動きたくなかったのだろう。

「御館様を討ったと思われる相手です。賢明な判断と言えましょう」

「うん。それだけど……あの兄様をどうやって倒したのかしらね。不死という点では私の知る限り最強だったのに」

 ルナフィスは興味本位で、戦闘の知識や経験が豊富な上、兄のことも詳しい人狼に尋ねた。
 ただし、興味とは別に兄の死について、彼女は不快感を覚えて人狼には悟られないように、胸の中心を堅く握った拳で押さえる。

 不快感――――

 そう、不快感だ。

 兄の死を聞いても、夜月を映す水鏡のように全くざわめくことのない自分の感情。

 そんなルナフィスの暗澹とした気配を気がつかなかったのか、人狼は淡々と会話に応じる。

「存じかねますな。お相手をご覧になって、なにか感じられたのでは?」

 人狼のその問いに、ルナフィスは暗澹な気分が一変、何故か一瞬だけ困ったような表情をし、苦笑いを浮かべた。

「……噂通りのべつぴんさんってくらいね、私が感じたのは。見た目は普通の人間の女よ……」

 言葉を選ぶような間があったあと、ルナフィスが口にしたのは他愛もない内容だった。

 その彼女の話し方に、やはり違和感を覚えた人狼。

 現在の主たる少女に不敬とは思いつつも、さらに質問を重ねる。

「普通の人間に御館様が後れをとるとも思えませんが、他に何か感じられなかったのですかな? どんなさいなことでも、それが敵を知るきっかけとなります」


「…………ない……こともないけど…………」


 急にうつむき小刻みに肩を揺らすルナフィス……。

 その様子から、なにやら言葉にしにくいが敵の女について、重要な何かに気がついたようなのだが――

 銀髪の先を指先に絡めて、少しいらだつような仕草を繰り返すルナフィスに、人狼が怪訝な視線を向けた。

 ここまで、この少女が言い淀むことは珍しい。

 はたして、どのような恐ろしい情報なのかと人狼が訝る最中、少女は諦めたように、そして、若干顔を昂揚させて胸元を両腕に抱きながら、重い口を開いた。


「……あの胸は反則よッ! 私とあまり変わらないくらいのほそなのにッ」


 わなわなと震える彼女の姿に、人狼はどう言葉を掛けるべきか激しく悩み、その後途方に暮れて思わず小さく遠吠えを洩らしていた。


    

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